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  東方な日々。 作者:春風夜風
※※今回のお話には残酷な描写が含まれます※※

お待たせいたしました。続きでございます。気付けばどんどん東方から離れている気がしなくもない今日この頃。しかもまだまだ終わりません。ああ、貴方はどこへ向かおうとしているの?

……と、そんな愚痴はこれくらいにして早速納得本編をご覧くださいませ。
紅魔郷組
フランドール編④
 大義があれば、罪なき者でも殺してみせると言うのか――。


 どんなに祈りを奉げても変えられないというのは、全く虚しいものだ。ワシがいくら祈ろうとも、昨晩死んだ彼らの魂は二度と戻らない。だというのに、ワシはただ祈り続ける。神は、全ての行いを見ていらっしゃるというのに。ワシは、ただただ祈るだけだ。
 教会の大きなステンドグラスの奥に、朝日が昇って行くのが見えた。国一番の大きさとあって、大変立派な物だ。日の光を浴びて美しく輝くそれは、まさしく神の力を体現したように神々しい。しかし、それすらもどこか憂鬱に感じるのは、ワシの心の問題か。
「……司祭様。連中が移動を開始しました」
「そうか。軍の方はどうなっている?」
「正門に並んでいます。壮観ですよ。まさかこんな日が来るとは、夢にも思いませんでした」
 祈りを奉げるワシの元に、一人の青年がやって来た。ワシの元で預かっている一人だ。名前は無い。親に捨てられ孤児となった時点で、それを捨てたらしい。今はワシの与えた名を使っているが、傷が癒えるには相当な時間がかかるだろう。
戦争や飢餓、伝染病の流行で、こういった孤児は増えた。それらを預かっていくうちに、彼の様に、ワシに懐いてくれる者も現れた。だから彼は全てを知っている。全てを知って、ワシの元にいてくれる。ワシが孤児を預かるのも、単なる罪滅ぼしでしかない。それすら彼はよく知っているのだ。
 ……これでは、どちらが救われているのか、分かったものではない。
「彼は上手くやってくれたようですね。ここまで思惑通りに運ぶとは思いませんでした」
「ワシもだよ。教皇様から命を受けた時は耳を疑ったが、さすがに手際の良い事だ」
「一晩であれだけの事をこなすとは、最早どちらが悪魔だか分かりませんね。さすが英雄の片腕といったところですか」
「そうだな。まさしくそうだ」
 窓の外から、砲撃の大きな音が鳴り響く。全面衝突にはまだ早い。士気を上げるための試し打ちでもしたのだろうか。戦いの準備は着々と進行している。“ショウ”の始まりは近い。
「全ては計画通りというわけですね。司祭様」
「そうだ。怖いくらいに、な」
 全ては順調。後は何もしなくとも、勝手に終わってくれる。勝手に戦争は終わり、勝手に平和な時代がやってくる。
「ようやく死んだ友の墓前に報告出来ますよ。戦いは終わった、憎しみ合う時代は終わったのだ、と。どれ程待ち望んだ事か」
「ワシもさ。ようやくここまで来た。誰もが願いつつ、誰も届かなかった“平穏”というものに、今、手が届こうとしている」
 間違い無く、終わりは近い。……だが、それには代償が必要だった。
 昨日の一件で、事態は急変した。吸血鬼が昼間に出たという。民衆は動揺し、軍は揺らいだ。真実が明るみになれば、我々の勢力も痛手を被るだろう。早急に、事態を収拾する必要があった。
その期になって英雄はようやく判断を下したのだ。昨晩の件で、覚悟が決まったのだろう。この騒乱に決着を付ける事を明言した。つまり、どんな犠牲を払う事も厭わないと、決断したのだ。このまま混乱が続けば、全てが水の泡になってしまうかもしれない。この時代を、早急に終わらせる必要があった。
「吸血鬼はここで滅ぶ。時代は新たな歴史を紡ぎはじめる。これは次に進む為に必要なことなのだ」
 人が作り出した悪魔は、人の手で葬り去る。それが“次”に進むための絶対条件。そして、人間は自らが悪魔だとは認めない。ならば、代わりの者が必要だった。時代を終わらせるためだけの生贄が。そしてそれが、吸血鬼だったのだ。
 ……ふと、気が付いた。ワシの肩は震えていた。自分の行いに罪を感じ、恐怖していた。ワシは、人々に神の教えを説くべき聖職者なのに。懺悔を聞き、罪を赦すべき者なのに。そのワシが、己の罪に恐怖していたのだ。虚ろな目で肩を震わせる老人を、目の前の若者はどんな風に思っただろう。呆れていたかもしれない。
ワシは、重圧に押しつぶされそうだった。
「……なぁ、儂は神に見えるか?」
 扉に手を掛けた青年の肩に、ワシはそう尋ねた。それは間違いなく、懺悔の問いかけだった。
「……失礼します」
 青年は背を向けて出て行く。その姿を見送りながら、ワシは、天上を見上げて目を瞑った。
ガラスに反射された日の光がその顔を覆う。
 ……眩しい。焼かれて灰になってしまいそうだ。
「――神よ。どうか、この罪深き我らを御救い下さい……!」

 十字架を胸にただ祈る。
 だが神は、何も答えてはくれなかった。

  ○  ○  ○

 やはり、起きがけは最悪だった。二人の娘は、一番に顔を合わせる母がいないのに、戸惑いを露わにしていた。言い聞かせても、まるで心ここに在らずといった風だ。母の居ない寂しさは、二人の娘を不安にさせた。昨日のこともある。昨日、あんな事があったばかりで、その反応は当然の事だった。
 二人は俺に問う。
「ねぇ、何でお母さんいないの? どこ行ったの?」
「お母さんは居なくならないよね? そうだよね?」
 ……ずっと、こんな調子だった。
朝の騒がしさは、俺の予想を上回った。それを宥めるのは並大抵ではない。娘二人は、俺の言葉が届いていないのか、ずっと同じことを聞き続ける。だが俺は何も教えてやれない。何故なら、それこそが、俺にとっても一番の問題だったからだ。
「大丈夫だ。必ず帰ってくる。だから心配するな。な?」
 何度も、何度も同じ返答をした。それは、俺の方が欲しかった言葉だった。むしろ、それ以外の言葉は見つけられなかった。二人とも表情は曇らせたまま下を向く。
……当たり前だ。親の俺が不安なんだ。必ず子供にも伝わる。そもそも俺の言葉なんかじゃ、納得させられる訳がなかった。
「絶対? 本当に本当? 嘘じゃない?」
 二人の娘は、なおも食い下がる。俺の目を真っ直ぐ見て、その真偽を測ろうとする。そして俺は、その目に勝てそうもなかった。
 ……だから言ったんだ。俺じゃあ駄目なんだって。お前じゃなきゃ駄目なんだって。
あいつなら、こんな時どうするだろうか。あいつは、こういう事が得意だった。そういえば、塞ぎ込んでいたフランを楽にしてやったのも、オヴェリアだった。あいつが、いつもしている事といえば、何だっただろうか。
 そう考え、俺は一つ思いついた。ぎこちない動作で二人の頭にそっと手を乗せる。そして、頭を撫でてやった。
「安心しろ。絶対帰ってくる」
 笑ってみせたものの、上手く笑えているか自信はない。だが、娘はようやく納得してくれたようだった。
「嘘吐いたら、駄目なんだからね」
 二人はまだ不満そうだったが、一先ずほっとする。だが、暫くしたらまた騒ぎだすだろう。その間に、俺は、これからについて考えなくてはならない。この家には吸血鬼がいる事がばれている。オヴェリアはわざと派手に移動して目を逸らせようとしたが、このままこの家に残るのは危険だろう。今起きたばかりの二人には悪いが、移動しなくてはならない。
 もちろん、交渉が失敗すると思っている訳ではない。あいつの言うとおり、英雄の名を出している以上は、下手な動きはとらないはずだ。民衆は、英雄を神格視している。それが、例え悪魔相手だろうと、卑劣な罠を使って攻撃すれば、その神話は崩れ去る。それこそ軍が一番恐れている事だ。交渉は間違いなく行われるはず。
 だが、こちらに何らかの接触をとってくる事は、十分考えられる。娘たちを、そんな危険な目に会わせる訳にはいかない。
「フラン、レミィ。これから別の場所に移動する事になる。道のりは長いが、少しの間我慢してくれ。いいよな?」
「……どこにいくの?」
「いいところさ。そうだな、あと本が沢山ある」
 あいつは既に克服した。俺だってもう大丈夫だ。それに四の五の言っている場合ではない。
「さあ行こうか。――ヴアルへ」

 ○  ○  ○

「へっ……、くしゅんっ」
 間抜けなくしゃみの音が、寒空の下に響いた。
「おっかしーなー。風邪ひいたかな?」
「どうせ昨晩、景気づけにとか言って外、で晩酌でもしたのでしょう?」
 即座に隣から突っ込みが来た。律儀だ。
「……してないもん」
 本当はしたけど。というか、何で知ってるんだ。そんなに分かりやすいだろうか。いや、しかし。
「鼻紙持ってくればよかった……」
「お願いですから、着くまでに治して下さいね。頼みますよ? 本番はこれからなんですから」
「善処します」
 そんな話をしながら、私たちは歩いていた。向かうは首都、英雄の御膝元。ぞろぞろ、ぞろぞろと、吸血鬼の一団は行く。
 それにしても、いい天気だった。天晴れ快晴。一瞬、何の為に出かけたのか分からなくなる。この空を見る限り、世は平和そのものに見える。……本当、こんな日に吸血鬼ご一行が行軍していたら、もう吸血鬼とは呼べなくなるんじゃないか。少なくとも彼らが創った吸血鬼像からはかけ離れている。何故なら吸血鬼は、日の光を浴びて灰になるのだ。快晴の空の下、えっちらほっちら首都への道を歩く私たちは、最早、伝承の吸血鬼ではない。そんなことを考えながら私は歩いた。
 レミィたちは目覚めただろうか。私の作ったカボチャスープを、飲んでくれただろうか。それを考えると、急に寂しくなる。目を閉じると不意にヴラムの顔が過った。心配そうに私を見ている。……いけないな。今からそんな弱気では、勝てるものも勝てない。私は頭を振り、もう一度空を見上げる。青い、青い空がある。バッドエンドは似合わない。
 ……戦いは、起こるだろう。
 それは覚悟していた。ヴラムにはああ言ったが、これが罠であることは明らかだ。昨日の今日で交渉とは、分かりやすいにも程がある。つまり、軍は焦っているということだろう。こんな手に頼らざるを得ないくらい、焦り始めているという事。昼間に出た吸血鬼とは、それ程までにやっかいな存在なのだ。
「……だったら、せめて助けてやりたかったな」
「オヴェリアさん……?」
「何でもないわ」
 今さら悔いても、仕方ないのかもしれない。しかし、あの事件で事が大きく動いたのは確かだ。一斉に吸血鬼討伐の動きが起こった。こんな下手な芝居で誘き出そうとするくらい、急速に事態は動いている。だからこそチャンスでもあった。
「英雄を拉致して人質とする、か。こんな手は使いたくなかったわね」
「仕方在りません。我らは我らの主張を通すのみです」
「……そうなんだけどね」
 つまり、これが私たちの作戦だった。作戦の内容は至ってシンプル。まず待ちかまえているだろう軍隊に、吸血鬼本隊が接触する。そこで戦闘が起こる。軍がそれらに気を取られている隙に、私が軍の中枢部に乗り込み英雄を拉致する。英雄を手の内にした吸血鬼を、軍隊は攻撃できない。そうして、拮抗状態に持っていくのだ。
「と、言うのは簡単なんだけどね」
 当然、それは簡単なことではない。英雄を拉致したとすれば、民衆は怒り出すだろう。尤も、先に交渉を反故にした軍にも、不信感は募ると思うが、とにかく拮抗は長続きはしない。だからこそ、それから先が肝心になる。私は、ただ状況を先延ばしにするつもりは無い。せっかく“英雄”というカードを手に入れたのだから、英雄と直接交渉を行うつもりだ。
両者で和解の宣言がなされれば、吸血鬼に取り巻くこの状況を、打破する事が出来る。英雄は自身の行動に罪を感じているから、機会さえ与えれば全てを自白してくれるだろう。話し合いで十分解決できる。それに、真実の方が都合悪いなら、まったく別の法螺話を作ってもいい。今なら戦争の脅威は大分薄れたし、民衆の怒りも惰性で続いているだけだ。既に敵を必要としていない。何らかの手段はある筈。その為にも、話し合いが必要なのだ。
「そう、やるしかないよね」
「やってもらうしかありませんね。貴女に全てが掛かっているのですから」
 私は、単騎での英雄拉致実行を自ら志願した。私は吸血鬼の中でも力のある方だ。それに、今まで英雄と交渉をしていた者の方が都合はいいだろう。危険はあるが、私なら出来ると思った。
 中枢に忍び込む手筈も整っている。軍内部の吸血鬼擁護派が、手引きをすると約束してくれた。順調にいけば、戦闘開始から一刻もしない内に、英雄はこちらの手の内に落ちる。被害は最小限に留められる。だから、後は私次第だ。私がどう英雄を言いくるめられるか。どこまで自分達の主張を通すことが出来るかだ。
……私が、みんなの未来を背負っている。
「うん、私は大丈夫。上手くいく、そうだよね?」
「絶対に上手くいきます。我々は一人ではないのですから」
「ふふ。ありがとう。期待しているわ」
 彼らは、少しの間とは言え直接戦闘に参加する。吸血鬼は、人間より遥かに力が強いが、それでも数の力には敵わない。危険度で言えば、彼らの方が余程危険だ。しかし、私たちはまともに戦闘するつもりは無いのだ。吸血鬼の一団は軍と衝突すると同時に、一番近くの国境を超えて逃げ込む事になっている。軍事同盟を組んだと言え、戦時下で国境を超えて動こうとなると、軍隊ではどうしても時間がかかる。その間に、私が英雄を攫ってしまえば、実際の戦闘はほとんど行われずに終わる。――だから、後は私だけなのだ。
「負けて、たまるもんですか」
 風が頬を撫でる。乾いた冬の空気が心地よい。高い空の上を飛ぶ鳥達も、どこか誇らしげに大空を舞う。
 大丈夫。私なら出来る。絶対に出来る。そう自分に言い聞かせ、私は歩みを早める。
レミィやフランたちには吸血鬼であることを誇りに思ってほしかった。そんな時代であってほしい。昨日の流れ星に、私はそう願った。私の家族は、いつまでも幸せでなくては駄目なのだ。
そして、そのための一歩を、私は今踏み出すのだ。

  ○  ○  ○

「フラン、レミィ。準備は出来たか?」
 ヴアルへの出立を決めた後、子供たちにはすぐに準備をさせた。何しろ、あそこは住む者が誰もいない。暫く厄介になるのに、手ぶらではあまりに心細い。とは言っても、荷物らしい荷物はあまりない。持たす事も出来ないだろう。この旅はスピードが最重視される。重荷となる物は置いていくべきだ。
「……お母さんは?」
「だから言っただろう? あっちで会えるから心配するな」
 何度となく繰り返されるやり取り。やはり不安は拭えない。全てを教えるべきかとも思ったが、だが今のこいつらに、それが耐えられるとは思えない。俺だってまだ認め切れちゃいないんだ。子供のこいつらには、あまりに重過ぎるだろう。
 暫くして準備が出来たのか、二人は俺の方に顔を向けた。やはり不安そうな顔だった。俺は、そっとその頭を撫でてやった。
……俺には、これくらいしか出来ないのだろうか。不安を取り除いてやることは出来ないのだろうか。
――早く、早く帰ってきてくれ。そう思うのは俺だって同じだった。
 二人を立ち上がらせると、俺は一番大きな荷物を担いだ。ぐずぐずはしていられない。いつ、ここに敵意がやって来るか分からない。渋る子供たちを押して家を出た。
俺たちが裏口から家を出ようとした時、表玄関の扉を叩く音が聞こえた。
「……! レミィ、フランと一緒に隠れてろ」
 戸惑うフランを、レミィが引っ張って移動させた。瞳は不安の色で淀む。レミィも、一応は従ったものの、訳が分からないといった風だった。
 二人に絶対に動くなと言い付けると、俺は近くにあったナイフを手にした。大きめの戦闘用ナイフだ。ずっしりとした重量を感じる。戦いに不慣れな俺で使いこなせるのか。……使うことがないようにと祈るだけだ。
 ナイフを持ったまま、慎重に扉に近付いた。木製の扉の向こう側に、確かに人の気配があった。数は一人。今のところ敵意は感じない。だが、こんな状況で我が家を訪ねてくる者はいないはずだ。知らず知らずの内にナイフを握る手には力が入る……。
「誰だ」
 あくまで平静を装い、扉越し問いかける。装っただけで、実際に出てきた声は震えていた。体中の血液が蒸発してしまいそうだ。熱い。今にも心臓が跳ね上がりそうだ。
「……」
 気配は答えない。しばらく無言の間があった後、扉の奥の気配が動いた。流れた汗が床に落ちる。俺の緊張を余所に、扉の奥から聞こえてきたのは、意外な声だった。
「ヴラムさん。ワシだよ。向かいの家の」
 それは敵意の声ではなかった。人物を確認した俺はほっとする。何てことは無い。昨日の晩、野菜の分けをくれた老人だ。どっと力が抜ける。思わず、握っていたナイフを零しそうになる。苦笑いをしながら扉を開けると、確かに見覚えのあるじいさんだった。白髪の生えた頭、それとは裏腹に、年の割に妙に若い顔つき。継ぎ当てだらけの、よろよろの服を着ていた。
「悪い、じいさん。俺たちは出かけなきゃならないんだ。用事なら、また今度にしてくれないか」
 暢気に談笑している余裕のない俺は、じいさんに断りを入れた。今はとにかく時間が惜しい。一刻も早く、向かうべき場所があった。
「済まないね、ヴラムさん。済まないよ、本当に済まない……」
 普段通りに応えた俺とは逆に、じいさんの様子は普段とは異なっていた。明らかに様子がおかしい。どうしたというのだ。まるで何かに怯えているような……。
じいさんの異変を感じ、俺の中で再び緊張が走る。
「どうしたんだよ。具合でも悪いのか?」
「済まない……」
 じいさんは尚も謝罪を続けた。意味が分からない。どういう事だ。俺がじいさんの真意を測りかねていると、じいさんの後ろから数人の気配を感じた。ついに現れた顔は、状況を絶望的なものへと変えていった。
「もう良い。下がれ。協力感謝する」
ドスの利いた、低い声が響いた。大きな影が、じいさんの後ろから現れる。間違いなく平和な雰囲気ではない。野菜を分けに来たと言うには、あまりに無骨過ぎた。
「……お前の顔、見覚えあるぜ」
「そうか、自己紹介の手間が省けたな」
 それは知っている顔だった。何度となく新聞で目にした顔だ。嫌になるくらい、そいつらの記事は、紙面を賑わせていた。拾った新聞に載っていたそいつの顔に、唾を吹きかけてやったこともあった。
 ――その男。英雄の片腕、ヴォルスングが、今、俺の前に立っていた。
奴は、まるで詰まらないものを見るように、俺を見ていた。大きな巨体と、それに似合う大きな剣を携える奴は、それから一言もしゃべらず、真っ直ぐ俺を見据えた。
……嫌な汗が頬を伝う。――まずい。これは、まずい。
「じいさん。あんた一体……」
「責めるな。彼は我々の捜査に協力してくれた善良な市民だ。色々な情報を提供してくれたよ」
 じいさんは、奴の後ろから現れた兵隊によって、俺から隠すようにして匿われた。じいさんの顔は、酷く憔悴しきった様に見えた。
「済まない、済まない。ワシのとこには五歳になる孫がいる。病気に侵されているんだ。家には薬を買うだけの金はない。それで、それでっ……」
 じいさんは、消え入るようなか細い声で、そう言った。じいさんの口から洩れたその言葉は、今の状況をはっきり俺に伝えてくれた。
……居場所がばれていたのは、そういうことか。或いは昨日の手紙も、じいさんの仕業かもしれない。しかし俺には、じいさんを責める気にはなれなかった。もう見えない位置にいるじいさんの顔がはっきり想像できた。辛そうな顔をしている。
じいさんは何をされたのか。何をさせられたのか。信じられない。つまり、こいつらは――、
「脅したのか?」
「まさか。我々はただ、有益な情報にはそれなりの対価を支払うと言ったまでだ」 
「……くっ」
 なんて野郎だ。つまり、それが俺たちの値段ってことか。俺たちは売られたのだ。その対価とやらで。……俺は、じいさんを恨むつもりは無い。こんな事は、いつあってもおかしくなかった。こんな時代だ。そう嘯かれれば、条件を呑む人間もいるだろう。仕方ないのだ。だからこそ、俺はこの男を許せなかった。
言いようのない怒りが包む。殴り飛ばしてやりたい。だがそうであるなら、俺は、まず確認しておかなければならない事があった。
「交渉はどうなった……?」
「そんな話は聞いていないな。直にここからでも煙が見えるだろう。それが答えだ」
 奴は、さも興味もなさげに奴は答えた。俺は、つい煙を探してしまったのだ。
「やはり、全部罠か。どこまで腐ってんだ、お前たちは!」
 ――罠だった。俺の思った通り、やはり罠だったんだ。
あいつの顔が脳裏をよぎる。無事だろうか。怪我はしていないだろうか。ちゃんと帰って来るだろうか。不安は募る。胸が締め付けられように痛い。だが嘆いている暇はない。その前に俺は、やらなくちゃいけない事があった。
「逃げろ! レミィ、フランを連れて逃げろ!」
 叫んだ。ここには俺しかいない。俺が何とかしなくちゃいけない。そうだ、俺は確かに任されたんだ。ここにオヴェリアはいない。俺が、あいつらを守らなければ……!
「でも……」
「いいから行け。後で追いつく。走れ!」
 レミィ達は動かない。いや、動けないのか。座り込んだまま、微動だにしない。
「無駄だ。もう誰も助かりはしない」
「勝手に決めんなよ。まだ終わっちゃいない!」
 終わらせるものか。終わらせてやるものか。こんな終わり方、絶対に納得出来ない。ナイフを持つ手に力を込める。
「ちくしょう、行かせねぇぞ。ここから先は俺が行かせねぇ。――レミィ何やってんだ、 早く走れ!」
 ヴォルスングは、ゆっくりと近付いてくる。覆い被さるような、圧倒的なプレッシャーを感じる。気付けば、ナイフを持つ手が震えていた。足の震えも感じる。ふざけんな。怯えている場合じゃないだろう?
「もう、終わっているんだよ。この先の時代に、吸血鬼の居場所は無い。殺せ!」
 数人の兵士が俺を押さえ付けに掛かる。そして、すり抜けた一人がレミィ達に向かう。馬鹿野郎。どこに行こうとしている? させるものか!!
「ここは俺が押さえる。だからレミィ、早く逃げろッ!」
 がむしゃらにナイフを振った。一向に当たる気配は無い。そんな俺を嘲笑うかのように、兵士たちは俺を取り囲む。俺は戦闘が得意でない。分かっている。だからこそ、留守番を頼まれた。なら、あいつが留守の間は、俺が絶対に守り通す。そうでなくてはいけない。だから俺は精一杯叫ぶ。腕を掴まれた。知るか。関係ない。ただ叫ぶ。
「走れぇええっ!!!!」

 ……ただ必死に叫んでいた。死なせたくない。絶対に死なせたくない。それだけを思い叫んだ。
押さえつける腕を振り払おうとする中、レミィは、フランを連れて走っていくのが見えた。さあ、行け。走れ。捕まるな。
俺は、あいつらの姿が見えなくなっても、ただ必死で叫んだ。絶対に助かりますように。追いつかれませんように。そう願って叫んだ。
「……!!!」
 だが、そこから先は、喉が無くなったせいで声が出なかった。

  ○  ○  ○

 昨日の雨の為か、土砂に足を取られて歩きにくい。さらに、足を上げる度に泥が跳ね、衣服が汚れて気持ち悪い。女の身である私には、少々居心地が悪かった。
……成程。確かに交渉になんか行くべきでなかったらしい。
 交渉の場にされていた、“ゴルダダの丘だ。これ程の人数をして、まだ余裕があるほど広大な面積を誇る。そこは、夏場になれば、青々しい草花が茂り、私たちを圧倒してくれるに違いない。だが、今その大地は、緑が枯れ地面はひび割れ、荒廃した今の世を露わしているような、寂しい大地だった。気は重い。皆一様に顔をしかめる。あまり長居はしたくない、とだけ思う。そんな私たちに反して、空に見える青だけが、見当違いな程美しく映えていた。
 ――進軍は出鼻を挫かれた。そこには、予想を遥かに上回る大軍隊が集結していたのだ。軍隊は、私たちを取り囲むようにして布陣している。軍との接触はある事は覚悟していた。そうなれば、周辺諸国も動くだろう、ある程度は予期していた。
だが、私の読みは少々甘かった。鼠一匹逃げられない、完全な包囲。遠目に多くの国々の旗が見えた。見なれない色の旗も上がっている。絶対に不可能だろうと思っていた、敵対国の旗も多く上がっている。この戦いの為に、吸血鬼を抹殺するためだけに、多くに人々が、多くの国々が動いた。
こんなに、これ程までに多くの人々が、吸血鬼の死を望んでいる――。
 私は、その光景に圧倒されていた。仲間たちにも緊張の色が見える。まるで蛇に睨まれた蛙。ただその数に飲み込まれる。私たちは、多く見積もっても100人いるかいないか。その程度の数だ。目の前の光景は、私たちの足をすくませるのには、十分過ぎた。
 手に持つ剣を見た。我が家に伝わるそれなりの一振りを持ってきた筈だが、成程、貧相に見える。仲間たちが持つ武器類も、この場に於いては心もとない。どんなに楽観的に見ても、この状況を打開出来るほどの力を秘めているとは思えない。……取引き先の武器商人には、もう少し色を付けるように言っておくべきだったかもしれない。
 隣の仲間に話しかけた。
「どう、思う?」
「最悪の展開ですね。生きて帰れるのかな、これ」
 私は力無く首を振る。彼もまた、私と同じ事を考えていた。
「これじゃ作戦は変更ね。南側から抜けられると思う?」
「厳しいですよ、オヴェリアさん。完全包囲だ。鼠一匹逃れやしない」
 そう言って彼は、わざとおどけて見せる。身体の震えを隠す為だと、私は知っている。
やはり戦闘は避けられないのか。
「はぁ。とりあえず向こうさんがどう出るか見てみましょう。絶対にこちらから仕掛けては駄目よ」
 私は皆の前から一歩に出た。向こう側にいる、おそらくリーダー格だろう男に合図を送る。するとその男、その軍の長だろうか、厳つい鎧を着た男が前に進み出た。……知らない顔だ。英雄でもその相棒でもない。手には長めの剣を持っていた。装飾は少なく、先端にかけて緩やかなカーブを描いているその剣は、人を斬りやすい剣だ。ひどく実戦向きな剣。襲いかかってくれば、すぐに斬り返せるように、剣を構えたまま男は歩み出る。顔はよく見えない。だが、少し笑っているような気がした。
「ちょっと話が違うようだけど。これは一体どういう事かしら?」
 あくまで平然とおどける様に言った。全身は緊張により強張る。汗が額に溜まっていくのが分かった。
「何がだ? 先に仕掛けてきたのはお前たちの方だろう?」
 やはり話は噛み合わない。これが彼らの言い分なのか。取り付く島もない。だが、私は話し合いを続行する。それで解決できない事は無い。そう信じているから。
「詳しく、話してもらえるかしら?」
「とぼけおって。昨晩、国境沿いにあった一つの農村が全滅した。女子供容赦なしだ。そして我らは、これを吸血鬼による宣戦布告と判断した。その結果がこの軍事同盟だ」
 ……どういう事だ?
国境沿いの農村が全滅した。そんなものは知らない。何を言ってるんだ?
「それは誤解よ。そんな事はしていない」
 緊張が走った。一つの考えが過る。怖い。まさか、まさか彼らは――、
「全て事実だ。酷い有様だったよ。そこら中に死体の山。まさに悪魔の仕業としか考えられない」
 ……ああ、間違いない。そんな事が許されるのか。あり得ない。考えたくない。でもそうだ。そうとしか考えられない。彼らは、この大規模な軍事同盟を実現するために、その村一つを――、

……その手で消したんだ。
全部吸血鬼のせいにして、薄れつつあった怒りを呼び戻す為に。

「……ッ!!」
 吐き気がする。頭を鈍器で殴られたような痛みが襲う。痛い。痛い。
「こんな事件があれば、さすがに擁護派も弁護できなかったようだな。英雄も即座に応援要請をしたよ」
 私は、最早、その男の話は頭に入っていなかった。激しい悪寒が襲う。何で、何で……!
「そして、そこに来て“宣戦布告”の手紙が来た。少々短慮だったな。まるで準備して下さいと言っているようなものだ。――あの子供が処刑されたことで頭に血が昇り過ぎたか?」
 私は、もう駄目だった。もう、この男とは話せない。言葉の一つ一つが、胸を抉り頭を打つ。私はその男の言葉を遮った。
「……英雄を出して。貴方とは話したくない」
「英雄はここにはいない。彼を拉致しよういう輩がいると情報が入ったからな。安全な場所に待機してもらっているよ」
 ――これで、決まった。こちらの作戦は実行できない。
……何という事だ。全てが悪い方向に進んでいる。どこから情報が漏れたのか、私たちの作戦は、完全に筒抜けだ。間違いなく、この戦いを仕組んだ者がいる。軍か、或いは教会か。ここで戦争をしてほしい者がいる。この戦いを演出した者がいる。交渉の手紙も、宣戦布告も、その者の仕業と言う事か。ここで吸血鬼には滅んでほしいと願う者がいる……!
「これは何かの間違いよ! 私たちは話し合いをしに来た。争い合うつもりはないわ!」
 最後の望みを賭けて声を張った。お願い。私の声を聞いて。話を、話をさせて……。
 しかし――、
「……ッ」
 風を切る音がした。同時に左肩に痛みを覚える。突き刺さった矢の端から、紅い液体が流れていた。それは私の衣服を紅で汚す。しかし私は、身体の痛みより、胸を締め付けられるような痛みの方が、何倍も苦しかった。
「ここまで嫌われていたとは……、思わなかった」
「――かかれェッ!!!!」
 言葉を言い終わらぬうちに、大軍は一斉に動き出した。まるで壁。迫りくる壁。
 私は腰の剣を抜いた。出来れば抜くつもりは無い、ヴラムにはそう言ったはずなのに。目の前に迫る“敵”に、切っ先を伸ばした。
「ごめん、失敗したわ」
「言いっこ無しですよ。まだ諦めた訳じゃない。仕切り直しといきましょう」
「そうね。そうよね。貴方、いいこと言ったわ。まだ諦めた訳じゃない」
 数は圧倒的に不利。だが死ぬ訳にはいかない。
「皆、迎撃準備。吸血鬼を怒らせたらどうなるか、思い知らせてやりましょう」

「行くぞっ!!!」

 ……そして、煙は上がった。



お疲れさまでした。ちょっと長かったですかね。それでも読んで下さった皆さんは例外なく良い人です。明日から自分は良い人だと堂々と主張して下さい。保証します。というかフランがあんまり活躍してくれないですね。……寄り道が過ぎたかなあ。でも、もう少ししたら東方に戻ってきます。

それでは皆様、ちょっと暴走気味な作者ですが近いうちに更新しようと思いますので、また次回お会いしましょう。次回は寄り道の中でも一番書きたかった場面なので、どうぞお楽しみに! ……と、言ってみたりします。


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