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  東方な日々。 作者:春風夜風
※※今回のお話には残酷な描写が含まれます※※

大変長らくお待たせいたしました。フラン編の続きでございます。
時間かかった割にはストーリー的にあんまり進んでいません(笑)
でもまあ、ここでその言い訳を長々とするのも不徳でしょうから、早速本編へどうぞ。
紅魔郷組
フランドール編③
 雨粒の一つ一つでさえ、私を責めているような気がした……。

 降りだした雨は、次第に強さを増して、しんしんと降り続けていた。土砂降りとまではいかないが、相応に強めの雨が大地を濡らす。静まり返った部屋の中で、ただ雨の音だけが、軽快に鳴り響いていた。
 その屋敷には、多くの吸血鬼たちが集まっていた。薄暗いが大きな部屋だ。その部屋が小さく感じるほどの吸血鬼が、そこに終結していた。流水を渡れないはずの吸血鬼が、今、雨を渡って一堂に会している。言葉を発する者は誰もいない。皆、一様に静まり返り、母の次の言葉を待っていた。
母は、未だに沈黙を保ったいる。
 先程のことだ。帰ったばかりの母の姿は、それは痛々しいものだった。全身に泥を浴び、所々に切り傷がある。人外特有の身体能力のお陰か、傷はすでに塞がりかけているが、しかし、母の表情は暗い。酷く疲弊して俯いている。何より、扉を開けた母の隣には、あるべきはずの者いなかった。一体、何があったというのか。十分に予想が出来るだけに、また、あまりに残酷すぎるがために、誰も何も言えなかった。張り詰めた重々しい空気だけが漂う。
そして、緊張の糸を切るかのように、ようやく母の口が開いた。
「白木の杭で心臓を貫けば、吸血鬼は死ぬらしい……」
 母は、はっきりとそう言った。その言葉に、周りが一斉に騒がしくなる。それがどういうことなのか、よく理解していたのだ。
私は、それが予想が出来ていたからか、思ったより取り乱すことなく聞いていた。いや、或いは、ただの単語として聞いていただけなのかもしれない。言葉に意味など無く、屋根に落ちる雨音と同等のものと、そう捉えていたのかも知れない。私の脳は、考える事を拒否していたのだ。私には何も分からない。分かりたくもない。知ってしまうことが怖かった。理解して、現実になってしまうことが怖かった。
 ――マリアが、死んだ。
その事実を、現実として認めたくなかった。その意味を考えたくなかった。全てを受け止め、現実を見据えるのには、今の私はあまりに幼かったのだ。
「これが人間たちの答えよ」
 母がそう続けた。短く言い放ったその言葉は、きっと誰よりも、母自身の胸に響いていたのかもしれない。優しい人だった。まだ、分かりあえると信じていた。人間のとの共存がまだ可能だと、誰よりも強く思っていた。
 ……人間を恨んではいけない。母自身が言っていたことだった。
「嘘、でしょう? そんなはずないわよね? ねえ、何とか言ってよ!」
 一人の女が、母に縋り付いて、声を荒げていた。私は、その女の顔をよく知っていた。。事実を誰よりも認めたくないその女は、……マリアの母親だった。
「……ごめんなさい。助けられなかった」
「嘘よ。嘘よッ」
 マリアの母は、必死で現実を否定した。そうすれば、まるで、全部無かったことに出来るとでもいう様に。まるで、また、マリアが帰って来るかという様に。必死で。必死で。本当にそうなれば、どんなに良かっただろうか。そうする事が出来るなら、私はどんな事でもしたというのに。だが、私の母は何も言ってはくれなかった。固く口を閉ざし、目を伏せる。そして――、
「嫌ああああああああああああああああっ!!!!」
 薄暗い部屋に、大きな悲鳴が響き渡った。耳の奥をつんざく様なそれは、絶望の声だった。言葉にならない悲痛な叫びだった。びりびり、びりびりと。部屋全体を震わせて、女の叫びが響きわたる。その声は確かに、私の耳にも届いていた。
 ……怖い。私は、その声から逃げるように、しゃがみ込んで身体を丸めた。顔を隠して耳を塞いだ。とてもじゃないが、会わせる顔が無い。そんなもの、ある訳が無かった。
「……フラン、あっちに行ってよう」
 気が付くと、目の前に姉が立っていた。少し顔を起こして見上げると、姉は、扉の方を指差している。姉もまた、この空気に耐えられなかったのだろうか。とても不安そうな顔をしていた。
……いや、それは私も同じか。私は、私の顔を見ることが出来ないが、きっと姉と同じ、或いは、もっと酷い顔をしているのだろう。
 姉は、もう一度だけ私に目配せした後、そのままその場を離れた。姉の小さな背中が、扉の奥に消えていく。それに従い、私も部屋を出ることにした。恐らく、このままこの場に留まれば、きっと私は壊れてしまうだろう。その重さに押し潰されてしまうだろう。
 のろのろと、緩慢な動作で立ちあがると、一度だけ母の方に視線を向けた。母は、そんな私に小さく頷いた。それを確認した私は、ゆっくりと扉に向かって歩きはじめた。
 部屋を出る前に、私は、再度マリアの母親を見た。……泣き崩れて床にうずくまっている。弱々しい嗚咽が聞こえた。それを見た私は、その泣き声から逃げるように部屋を去った。見えないように、聞こえないように。私は背を向けて逃げた。
でも結局、それは無意味な事だった。どんなに遠くに逃れようとも。どんなに必死で耳を塞ごうとも。声が聞こえなくなることなど、決して無かった。声はいつまでも響いている。私の胸の中で、それは、いつまでもいつまでも木霊していた。
 外の雨は、まだ降り続けていた。窓から見える外の景色は、どんよりとした暗い色をしている。――吸血鬼は雨を渡れない。この雨がもう少し早くに降っていれば、或いはもっと違う結末になったかもしれない。そう思うと、この雨すら憎かった。
 私は、廊下の隅に小さくなって床に座り込んでいた。広い廊下の隅にポツンとある影は、さぞ間抜けに映っただろう。だが、その光景を滑稽と言える者も、横にいる姉しかいなかった。そして、姉もまた、冗談を効かせられる余裕は無かった。
 しばらく時間が経った。母たちはまだ部屋の中にいる。たまに怒鳴り合う声も聞こえた。どうやら意見の衝突があったらしい。かなり長い時間、こうして話し合っている。私は、うっすらと聞こえるその声を聞きながら、これからどうなるのか考えた。私だって馬鹿じゃない。今の状態がどれほど危険か、よく分かっている。吸血鬼を取り囲む状況は、一気に悪化したはずだ。
 ――昼間に吸血鬼が出た。それは町の人間をパニックにするだろう。夜だけの恐怖だったはずが、昼間にも現れたのだから。そうなれば、昼間にも狩りが行わる可能性は高い。昼にも夜にも、もうどこにも安全な場所など無いのかもしれない。
 だが、それは姉にも、もちろん私にも。どうにも出来ない事だった。次の一手を考えるだけの余裕が私たちには無い。二人とも無言のまま、ただ時間だけが過ぎていった。
「……フランのせいじゃない。誰もフランを恨んでなんかいないよ」
 また暫くして、姉は、私にそう語りかけた。いつもの姉とは思えない、とても優しい顔だ。姉にもこんな顔が出来るのだと、私は改めて気付いた。姉だって辛いはずなのに、マリアは姉にとっても大事な人だったはずなのに、姉は、私の肩を抱いてくれた。……温かい。それは少し、母の温もりに似ていた。
 ――でもね、お姉ちゃん。私は分かっている。私が一番よく分かっている。だってマリアは。マリアは私を、……恨んでいる。
 マリアは私を呼んでいた。他の誰でもない、この私を。押さえつけようとする人間たちに抗いながら、私に助けを求めていたんだ。それなのに私は、我が身可愛さに逃げたんだ。残されたマリアがどうなるのか、私は全部知っていたのに。怖いほど知っていたのに。私は逃げたんだ。だからそうだ、私が、私がマリアを――、
「フラン」
 姉は、そう言って私の顔をのぞき込んだ。心配してくれているらしい。でも私は、姉と目が合う前に、顔を背けて逃げた。うずくまって顔を隠す。誰の顔も見たくない。このまま目を瞑って眠ってしまいたい。ごちゃごちゃと考えるのは止めて、楽になってしまいたい。……でも、どうやらそれも出来そうもない。目を瞑ってしまえば、マリアの顔が浮かんでくる。あの時の光景が再び思いだされる。だから私は、ただ自分の膝を睨みつけるように眺めていた。誰の顔も見たくない。見たくなかったのだ。
 しばらくそうしていると、部屋の中から、ぞろぞろと吸血鬼たちが出てきた。話し合いは終わったらしい。誰しもその顔は憂いを帯びていた。むしろそれは、諦めの表情なのかもしれない。事件はそれ程深刻な影響を与えている。
「レミィ。フランはどうだ?」
 父が、そう言いながら私たちの元に来た。私ではなく姉にそう聞くのは、私が普通じゃないという事なのだろう。姉はそんな父に、小さく首を振って答える。それを見た父は、今度は私の方を見やる。いつもの父の顔じゃない。いつものふざけた様子が無い。ひどく神妙な面持ちの父を、私は初めて見た。
「フラン。これはお前のせいじゃない。人間たちのせいだ。だから、……あまり気に病むな」
 父は私にそう言った。小声で囁くかのように。そして、それはやはり、とても優しい声だった。
 でも、……気に病むな、か。それはその場にいなかったから言える台詞だった。自分の目の前であんな事が起こって、平気でいられるはずがない。気に病まない方がどうかしている。私は何も答えずただ自分の膝を睨み続けた。
 そうしていると、今度は、母が私の元にやって来た。母も父と同じように、私ではなく、私の周りに私を聞いた。
……もういい。ほっといてくれ。お願いだから一人にさせてくれ。
 だが、母はしゃがみ込んで、私と目を合わせて来た。私はその瞳からは逃げられない。母はいつもと変わらない、優しい笑みを携えていた。そのまま私の頭にそっと手を乗せる。すると、
「お腹すいたでしょう、フラン。今、何か作ってあげるからね」
 母は、確かにそう言った。いつもの声で。いつもの優しい瞳で。私に微笑みかけながら。
 ……何でなんだろう? 何で皆こんなに優しいんだろう?
 誰か私を責めてほしかった。私を罵ってほしかった。「お前のせいだ」ってちゃんと言ってほしかった。それなのに。それなのに、そんなことされたら私は、私は――、
「うっ……、うわああああああああああああんんっ!!」
 ――泣いて、しまうじゃないか。
 涙は、止まらなかった。顔をくしゃくしゃにして、母に縋り付いた。悲しい。悲しかった。だって私は、マリアともっと遊びたかった。もっとお話したかった。もっとマリアの事を知りたかったのに。
「泣いてもいいんだよ? 我慢しなくてもいいんだよ?」
 母はそんな私を抱きしめてくれた。いい香りがする。大好きなお母さんの匂い。その匂いに抱かれて、私は泣き続けた。何も考えずただ泣きじゃくった。泣いて、泣いて、泣いて。
私はただ、泣き疲れて眠るまで、私は泣き続けるしかなかったのだった。

  ○  ○  ○

「悪魔は、我々のほうではないのか……?」
 男の声が木霊した。
「もうよせ、ジーク。他に手がなかったんだ。仕方あるまい」
 もう何度目になるか。私は、何度と無く繰り返したこの問いを、再び自分に問いかけていた。
 答えは――、未だ出せない。
 広い執務室の中。首都の街並みを見渡せるこの部屋に、ジークと呼ばれた私、ジークフリートと、その相棒、ヴォルスングがいた。部屋の中は薄暗い。壁に掛けてある国旗と槍は、ここが我が軍部の中枢だという事を示している。国軍総司令部。それがここであった。
 この国は、もう死んでいた。戦争で政府は機能せず、国家の秩序が崩壊したのだ。緊急時に、政府の代わりに治世を行なうのは、軍隊の仕事だった。そして、その軍隊の頂点、最高司令部の椅子にいるのが、この私だった。
“英雄ジークフリート” そう呼ばれるようになったのは、少し前のことだった。
 全世界で同時に始まったその戦争は、誰も終着点を見出せずにいた。長引く戦争は総力戦となり、国民皆兵という様相になった。父は戦地で死に、残る母も、働き疲れて死んでいく。幼い子供は栄養不足で死に、成人前の兄が兵隊に連れて行かれる。それが普通だった。そして私も、その普通の一人だった。
その時私は、戦禍の最前線にいた。天国と地獄に一番近い場所。あの世への階段が目に見える場所。そこで私は、剣を振るって戦っていた。ただ祖国の為に。未来の為に。いくらいくら斬っても終わらぬこの戦乱を、軍人として生きていた。
 だが、次第に私は分からなくなってくる。これは何のための戦いなのか。私は誰と戦っているのか。私の振るうこの剣は、一体誰の為の剣なのか。私はこの戦いに嫌気が差していた。
 それでも私は軍人だった。敵が攻めてくるなら、剣を取って戦う覚悟はある。だが、この戦いは何だ? 私は、誰とも知れぬ目の前の敵を、ただひたすら斬り続ける。斬って斬って、自分が何者かも分からなくなるまで戦って、そして得られたものは死体の山だ。何も良くなりはしない。人は飢え、病み、そして死んでいく。広がる死に恐怖に、世界は覆われる。混沌。まさに混沌の時代だった。
 そんな中、私は吸血鬼の話を聞いた。人の生血を啜る不死身の化け物。夜な夜な徘徊しては、人を喰らう伝説の悪魔。そんな話が、まことしやかに囁かれていた。或いはそれは、疲弊した人々の、娯楽の一つだったのかもしれない。教会の連中が話す悪魔の存在が、人々の心の中に確実に広まっていった。
 ……下らない。馬鹿げた話だった。現実からの逃避でしかない。それは本当に馬鹿で幼稚な話だった。……だが、
「使える」
 私は、そう思った。思えばその時の私こそ、まさしく悪魔だったのだろう。
私は吸血鬼伝説を利用し、今の時代を終わらせようと考えた。上手く利用すれば、この混沌の時代を終わらせられると、そう思ったのだ。
 今、人々は敵を求めている。時代への不満をぶつける相手を求めている。なら、その怒りのはけ口が、仮に人外だとするならば、人間同士の戦争は終わるのではないか。全部、悪魔のせいであれば、誰を憎む必要もないのだ。この馬鹿げた戦いに、終止符を打てるのではないか。
 ……私は、新たな歴史を作るために、吸血鬼を生け贄に捧げたのだ。
 まず私は、吸血鬼は恐れるべき存在であると、人々に説いて回った。吸血鬼は、昔から共に生きていた、身近な者たちだったが、教会の影響力も相まって、それはすぐに定着した。やはり、皆、この時代を誰かのせいにしたかったのだろう。誰かを責めることで、心の安定を図りたかったのだろう。誰が悪で誰が正義なのかも分からない、この時代において、その分かりやすい悪は、とても魅力的に見えたのだ。悪役にするには打ってつけだった。
 そして私は、まさしくこの時代の責任を、全て吸血鬼に擦り付けた。陰で操って、戦争を起こしたのも吸血鬼。伝染病を広め、人々を死に追いやっているのも吸血鬼。――そういう事にした。その話は、面白いように人々に受け入れられていった。さらに私は、その話を利用し、敵国との一時休戦にも成功した。戦争の責任を取りたい者などいない。全部悪魔のせいにするのは、大変都合が良かった。
 全ては順調に見えた。人々から憎悪の感情が薄れていく。戦争は次第に規模を収縮し、世界はようやく安定していくかに見えた。だが、事はそう簡単にはいかなかった。少し問題が起こったのだ。
 なんと、私が伝えた吸血鬼像に尾ひれが付き、あまりにも吸血鬼を恐れすぎたのだ。結果、多くの人が外出を控えるようになり、町から人の姿が消え、消費が鈍った経済は、どんどん悪化していった。再び戦争の影が見え始めてくる。だが、私はそれを許す訳にはいかなかった。時代は良い方向に流れようとしているのに。振り出しに戻すわけにはいかなかった。
 だから私は、吸血鬼に弱点を作った。昼間の町に活気が戻るよう、吸血鬼の活動は夜間だけにした。その話を信じ込ませる為、夜間に“狩り”を行い、信憑性を持たせた。これには、戦争で失業した者に、見周り組としての雇用をつくる狙いもあった。さらに十字架や銀といった、より具体的な弱点を持たせ、それらの消費を促した。それは成る程、上手くいった。食料をため込んでいた金持ち連中は、保身のために、喜んで銀製品と交換したし、より安価な十字架は、民衆に広く受け入れられ、教会の威信をより強固なものとした。国に金や食料が回るようになり、安定した経済は国民の生活を向上させていく。十分な栄養が行き渡り、伝染病もいつの間にか収束をはじめた。最早、戦争の時代は過去のものになっていった。
 その結果、私は、人々から“英雄”と呼ばれるようになった。真に敵対するべきものを見破った英雄。人々の争いを収めた英雄。自分たちより弱い者を追い詰めただけの私が、国を救った英雄ヒーローになったのだ。とんだ戯言。私にそんな資格は無いというのに。
 だが、私は英雄を演じ続けた。人がそれを求めるのなら、それが平和に繋がるのなら。私は、偽りの英雄であり続けることを決めた。人を捨て、悪魔に成り下がる事を決めたのだ。
「……だが、これは決して許されることじゃない。これは正義ではない」
「正義か悪かなんてのは、後の時代が決めることだ。今、求められているのはそんなものじゃない。必要か否か。それだけだ」
 情けない葛藤を続ける私の前で、ヴォルスングはそう言い切った。そこに迷いは無い。幾多の死線を潜り抜けた、武人の顔だった。
「しかし、これでは……」
「お前が英雄である事で、多くの命が救われた。そして今、より多くの命を救おうとしている」
「……」
「もう、この世に吸血鬼は必要ない。恐怖の支配は終わったのだ」
 今、私は重大な決断を迫られている。周辺諸国から大きな話が持ちかけられたのだ。それは歴史の流れを動かそうという一大行事。国の、世界の流れを変える大作戦。
 ――吸血鬼殲滅作戦。
 各国の首脳が出した結論だ。吸血鬼の完全抹殺を以て、争いの時代は完全に終結する。この作戦には、多くの国の軍が軍事同盟を組もうとしている。さらに、この戦いが終われば、和平条約の話もできる。この戦いを、平和への礎にしようというしているのだ。今まで敵対関係だった国同士が、一緒になって悪を滅ぼす。その物語は、時代の移ろいを世界に示す絶好の機会であり、戦争の終結を民衆にアピールする、一大イベントでもあった。
今、吸血鬼の死で、世界が救われようとしている。
「私は、どうすればいい……?」
 だが、私は迷うのだ。まだ、覚悟が足りないのかもしれない。全て捨て去る覚悟が。本当に情けない。こんな中途半端な男に、世の未来は預けられているのか。
 掛け足と共に、大きく扉が開かれた。
「大変です! たった今、吸血鬼から書状が届きました!」
 そこには一人の青年だった。確か、この前に配属されたばかりの新人だ。彼は息を切らせながら、私に一通の手紙を私に手渡す。白く小さい、可愛らしさすら覚えるその手紙。手紙の主は、私のよく知る者だった。
――手紙に目を通すと、私は震えを抑えきれなくなった。彼女たちは、もう覚悟を決めた様だった。
「どうしてなのだ……」
 今、歴史は動き出そうとしていた。

  ○  ○  ○

 ――ふむ。少し寒い。気まぐれに外の様子を見に行った私の感想は、まずそれだった。
もう少し厚めの服を着てきた方が良かったかもしれない。そんな風に少し顔をしかめながら、空を見上げてみる。先程まで降り続けていた雨は、満点の星達に代わっていた。月は無く、雲も無い。なるほど星が良く見える。これなら、明日はきっと晴れるだろう。
 慣れた手付きで屋根に上がった。梯子の鉄は冷たかったけど、構わずそれを登り切る。すると、屋根はどうしようもなく寒かった。もう一枚上着を着てくるかとも思ったが、しかし今更戻るのも億劫なので、そのまま我慢することにする。
 こっそり持ってきた酒の瓶を開ける。ぶどう酒のいい香りがした。それをグラスに注いでゆっくり味わいたかったが、無いのでそのまま口に付ける。今までちびちびと飲み続けていた為か、味は極上とは程遠い。
 ふと、人の気配を感じた。誰かが梯子を登ってきている。……この気配は――、ふふ。酒の匂いにつられてやってきたか、我が夫ヴラム・スカーレットのものだった。
「……何やってんだよ、こんな夜中に」
「晩酌。言っとくけど、もうお酒はないわよ?」
「いらねぇよ。つーか寒いぞ、ここ」
「同感だわ」
 私は深く頷き、『もう無い』と言ったはず最後の一滴を飲みきる。空になった瓶はヴラムに渡した。ヴラムは怪訝な顔をしていたが、すぐに意味が分かったのか、呆れ顔で答えた。
「今、登ってきたばかりなんだけどな」
「一人増えたんだから仕方ないでしょ?」
 ヴラムは盛大にため息を吐いて、でも素直に梯子を降りていった。寒いのに悪いわね、とも思ったが、せっかく綺麗な星空だ。一人で飲むより二人で飲んだ方が楽しい。
 ヴラムが新しい酒を持ってくるまでの間、手持ちぶさたになった私は、軽く町の方眺めてみた。静まり返った夜の町は、少し不気味な様相を呈している。しかし妙だ。本当に誰もいない。確かに夜の外出は危険が伴う。だからそれは当然なのだが、今まで見回りを行っていた兵隊たちの姿も全く無い。今までこんな事があっただろうか。もしかして、“あの話”は本当の事なのかもしれない。
 しばらくそうしていると、また梯子を登ってくる者の気配を感じた。ガチャガチャと、やかましい音をたてている。間もなく、酒瓶とグラス、そして私の上着を持ったヴラムが、こちらにやって来た。
「遅いわ。ダーリン」
「うるせぇよ。というか何だ、その呼び方。初めて言われたぞ」
「ダーリンはダーリンでしょう? まあ、こっちに来て座りなさいよ」
 私はポンポンと、自分の横を叩いて言う。愛しのダーリンに、私の隣でお酒を飲む権利を与えよう。すると、やっぱり素直なヴラムは言うとおりに隣に座った。そして……、
「しょうがねぇなぁ……、って冷っ!」
「んふふー。そこは濡れているのでしたー」
「子供かよ……」
「じゃあ、その子供に引っかかった貴方はなーに?」
 そう言うと、ヴラムは罰の悪そうに顔を背ける。全く、からかいがいのあるダーリンだ。可愛い奴め。
 そうして私は、ヴラムが持ってきてくれた上着を羽織り、二人でちびちびと安い酒を味わった。どんなに安い酒でも、自分の大事な人と飲む酒は格別だ。のんびりとした時間が流れながら、二人の夜は更けていく。
「……チビ達は寝たか」
 ヴラムはふいに尋ねる。よほど心配だったのか、今日は口を開けばあの子たちの話ばかりだった。
「そうね。疲れたんでしょう。ぐっすり眠っているわ」
 私はグラスを傾けながら答える。でも本当、二人ともぐっすり眠っている。フランが泣き疲れて眠るまで、ちゃんとお姉ちゃんをしていたレミィも、やっぱり最後には泣き出した。あやすのに苦労したけど、でもそれでいい。その方がいい。泣くだけ泣いたら、今度はきっと笑えるはずから。
「……」
 ふと、急に昔の事を思い出した。あの子たちの泣き顔が、幼い頃の私と重なった。
 そういえば、私もあんな風に泣いていたものだ。今はもうその必要はなくなったけど、あの頃の私はずっと泣いていた。深い暗闇の底を、一人でぼっちで。貴方がその手を差し伸べてくれるまで。
「そういえば、貴方と初めて会った夜も、こんな綺麗な星空だったわね」
「そうだったな……」
「あの時のヴラムったら面白かったわ。私に向かって助けてくれーって。犬に襲われてたんだっけ?」
「お、覚えてねぇな……」
「ふふふ。恥ずかしがっちゃって」
 思い出す。懐かしい、あの頃の思い出。あの夜、私がヴラムに会えたことを、私はずっと忘れない。ヴラムには本当に感謝している。なんたって、私を救い出してくれた王子様なのだから。
「あれから、いろんな事があったわね」
「そうだな」
「喧嘩ばっかりしていたわねぇ?」
「……思い出したくない」
 ふふふ。貴方とはいろんな事があった。喧嘩して、仲直りして、また喧嘩して。でも、何だかんだで大好きで。子供も産まれた。レミィはヴラムに中々懐かなくて、ヴラムったら、レミィにお父さんって呼んでもらおうと必死になっていた。その後、今度はフランが産まれた。フランったら全然泣かないから心配した。でも、今では元気にまっすぐ育っている。私の愛しい子供達。……その子供達が、今、危機に面している。
「――本当に行くのか?」
 ふいに、ヴラムは問う。私が何を考えているか分かったらしい。ヴラムはそっぽ向いているけど、ヴラムが今どんな顔をしているかは、見なくても分かる。
「うん。きっと最後のチャンスになる。だから、私は行くわ」
 私は強くそう答える。そこに迷いは無い。だって、私の答えはもう出ているのだから。
 ――和解交渉。
 明日、それが行われる。場所は首都直前、ゴルダダの丘。人間達は、私たちに最後のチャンスを与えた。
 事の発端は、私がマリアの訃報を伝えたあの時。マリアの救出に失敗した私が、重い足取りで我が家に帰ってきた時のこと。私は、玄関の前に手紙が置いてあることに気付いた。白く小さな手紙だ。最初は悪戯か何かだと思った。でも、その手紙を広げてみると、私は言葉を失った。そしてそこには驚くべき事が書かれてあったのだ。
 英雄ジークフリート。彼が手紙の差出人だった。吸血鬼を人類の敵に仕立てあげた張本人。それが今、和解への交渉を申し出たのだ。
「俺は英雄を信じないぞ。間違いなく罠だ。奴は、誘い出した俺たちを皆殺しにするつもりだ」
 ヴラムは語気を荒げて言った。ヴラムのその意見も、昼間の時から平行線のままだ。
「でも、この手紙がここにあった以上、逃げる事は出来ない。行くしかないわ」
 そして、私の意見も相変わらずだ。なにせ、手紙は我が家の玄関にあったのだ。確かに私は、英雄と文通により交渉を続けてきたが、自分の居場所が分かるような馬鹿はしていない。それどころか、攪乱させるように手紙を送っていた。だから、このように直接手元に届くのは、初めてのことだった。それはつまり、この家に住む者は吸血鬼であると、吸血鬼のオヴェリア・スカーレットがこの家にいるということが、奴らに知られているという事だった。
「向こうには居場所がばれている。下手に動けばあっと言う間に全滅よ」
 このことについては、昼間に幾度と無く話し合った。何度も意見をぶつけ合った。そして出た結論は、ヴラムとまだ幼いレミィ達を残して、全員がその場に参加するというものだった。もしかしたらヴラムの言うとおり罠かもしれない。だが、皆の意思は固い。自分の意見をぶつけられる場があるのなら参加する、それが私たち吸血鬼の総意だった。
「大丈夫よ。向こう側は正義を掲げているのですもの。英雄の名を使って反故にすれば逆効果になる。それくらい分かっているはずよ」
「だが、“もしも”ということがある。信頼に足るとは思えない」
「心配しないで。仲間だっているし。それに私たちは、人間なんかより頑丈なんだから。例え何かあっても、弱ったこの国の軍隊くらいなら逃げ切れるわ」
「俺たちは、その弱った軍隊に追い詰められていたんだけどな。俺はあの男を信用出来ない」
 ヴラムは言う。やはり意見は食い違う。でも、それはそれで正しい価値観なのだと思う。だって、彼がしたことは、私たちを絶望に追いやることだった。彼のせいで何人もの吸血鬼が死んでいる。私だって彼を許すことは出来ない。……だが、
「彼は、本心では戦いを望んではいないわ。それが話し合いであれば応じるべきよ」
 私は彼のことはよく知っていた。長い間、手紙による交渉を続けてきた。だから分かる。彼の本心は、争いなんかを求めていない。自分の行いに罪を感じている。それを知っていたから、私はこの交渉に望むと決めた。争い以外で決着が着くのなら、私はそれに乗ってみたかった。
「他の奴らは?」
「“もしも”に備えて戦闘準備をしているわ。でも、心配しないで。戦いなんか起こさせない」
 もう準備は出来ているのだ。覚悟も決まった。あとはその時間が来るのを待つだけ。
明日の朝、レミィたちが目覚めるよりも前に、私はここを発つ。だから、ただ心残りがあるとすればそれは、明日の朝あの子たちに「おはよう」を言ってあげられない事くらいだ。
「ねぇ、ヴラム。もし、私に何かあったらあの子たちの事をお願いね。特にフランは辛いのを我慢して抑え込む癖があるから、その時はちゃんと気付いてあげ――、」
「ふざけるな! それじゃまるで、死ぬために行くみたいじゃないか! あいつらには、まだお前が必要なんだ!」
 その声は、乾いた空気によく響いた。
「ごめん、悪かったわ」
 沈黙。気まずい空気が流れる。そしてその沈黙を破ったのは、懇願するかのようなヴラムの声だった。
「なあ。俺じゃあ駄目なのか? 俺が代わりに出る。お前が残ってくれ。それでいいだろう?」
 ヴラムは言う。それはいつかの事を思い出させるような、そんな声だった。ヴラムのその苦々しい目も、私は見た事がある。私はまた、彼に辛い思いをさせようとしているのか。
「私は、マリアの救出の際に顔が見られている。それに吸血鬼のリーダー、オヴェリア・スカーレットが男じゃあ駄目でしょう?」
 だが私は笑ってそう答える。あくまで平然を装い、何でもない事かの様に。いくら夫の頼みでも、それを聞いてあげることは出来なかった。その役目を譲るわけにはいかないのだ。
「大丈夫。ちゃんと帰ってくる。まだ死ぬ気は無いわ」
 私は、何とか笑って答える事が出来た。でも今思えば、それは嘘だったのかもしれない。私はもしかして、最初から分かっていたのかもしれない。この交渉の行方が。私の結末が。私はただ、認めたくなかっただけなのかもしれない。
 空に一つ流れ星が流れた。そしてそれは、願い事を唱える暇もなく、燃え尽きて消えていく。或いは私は、例え願いが叶えられたとしても、あの子達にもう一度見せたいと、それだけを願ったのだろう。あの子たちの笑顔が見たいと、ただそう願ったのだろう。――まったく、呆れるくらいに親馬鹿だ。でも、そんな馬鹿な私はまだ大事なことに気付いていなかった。一番近くにある一番大事な答えに、まだ気付いていなかったのだ。あまりにもすぐ目の前にあったから見逃していたのかもしれない。呆れるほどに私は愚かだったのだ。
 また一つ星が流れる。だから今度はちゃんと願った。どうか私の家族が幸せでいられますように、と。それが私の一番の願いだったから。それだけを強く願う。隣にいるヴラムが、何を願ったのかは分からない。何も言わず空を眺め続ける。ただ、同じ事を願っていればいいなと、そう思った。
 今宵は新月。満点の星たちが彩る、それはとても綺麗な夜空だった。

  ○  ○  ○

 結局、昨日は一睡も出来なかった。東の空から覗き始めた太陽が、俺を憂鬱な気分にさせる。とにかく体が重い。眼の下に出来た隈は、今の俺の心境をよく表しているだろう。
 オヴェリアは、すでに外で待つ仲間達の元に向かった。この町に来て、一度も使わなかった剣を手に持って。今度も使うことは無いとあいつは言ったが、事が事だけに不安は募る。
 チビ達はまだ眠っている。オヴェリアは、夜中に内に別れを済ませたらしいが、起きたらうるさいことになる。そしてそれは、俺ではどうにも出来ないのだ。それはあいつでなくては、オヴェリアでなくては駄目なのだから。お前の笑みでしか、あのチビ達を静かにする手段はないのだから。
 俺が外に出ると、他の吸血鬼達と、オヴェリアがいた。数は少ない。これで全部なのか。そこには数十人の仲間達の姿が、この狭い裏路地すっぽり収まっていた。昨日会っているはずなのに、その少なさに、改めてショックを覚える。こんなに、ここまで減っていたのか。
 町に人の姿はなかった。朝早いせいもあるが、それにしても少ない。俺たちにとって好都合なのだが、その静けさは、言いしれぬ恐怖を煽る。オヴェリアの話だと、昨晩から、すでに人の姿は見えなかったらしい。何か、良くないことが起ころうとしている。そんな気がしてならない。
 俺の姿を確認したオヴェリアは近づいて話しかけてきた。
「ヴラム、そろそろ行ってくるわ」
「どうしても、か?」
「ええ。どうしても」
 昨日から俺たちの意見は食い違ったままだ。一晩明ければもしかしてとも思ったが、オヴェリアの考えは変わらなかった。……嫌な、別れ方だった。
 だがあいつは、そのどさくさに紛れて――、
「だからキスしなさい。ヴラム」
 とんでもない事を言ったのだ。
「……今か?」
「今だから」
 オヴェリアの後ろにいる仲間たちを見る。ニヤニヤしながらこっちを見ている。顔が熱くなるのが分かる。それに呼応して、奴らのテンションが上がっていくのも分かる。
(やれやれだぜ……)
 いつもこうだ。こういう時に限ってこいつは求めてくる。慌てふためく俺を見て楽しんでいるのだろう。いい迷惑だ。だから、たまには仕返ししてやってもいい。 
 オヴェリアが後ろの仲間の方に気を取られた一瞬。……俺はその唇を重ねた。
「……これでいいだろう?」
 顔は熱い。火が出そうだ。そして後ろの連中はたまらなく嬉しそうだ。帰ってきたら、一発ずつ殴らせてもらおう。そしてそんな冷やかしの嵐の中、気付いたら終わっていた事に、オヴェリアは不満気だ。
「むぅ。いつまで経っても上手くならないなぁ!」
「うるせぇ。ちゃんと帰ってきたら練習してやるよ」
「おおっ、大胆発言! これは早く帰らないと!」
 真面目なのかふざけているのか。俺は時々分からなくなる。ただ、こんな嬉しそうなオヴェリアの顔を見ると、本当に帰ってきてくれると、そう思えた。
「じゃ、後は頼んだぞっ!」
 バシッと、俺の背中に一撃喰らわせたオヴェリアは、さっそうと仲間の元に向かっていった。まるで近所の公園にでも出かけるような、そんな気軽さで。果してどこに向かうのか、戦地では無い気がする。俺はそう思ってしまう。きっとそれが、あいつの優しさなのだろう。心配性の俺への、あいつから気配り。
 俺は、去っていくオヴェリアの影をいつまでも見ていた。見えなくなった今でも、あいつは向かっていった方角を眺めている。朝日が眩しい。今日はいい天気になるだろう。公園でピクニックするには丁度いい。
 そろそろチビ達が起きてくる頃かもしれない。そう思った。昨日の晩は早かったし、或いはもう起きているだろう。腹を空かせた二人の娘に、あいつが作っていった朝飯を食わせてやらなければならない。
俺は家に向かって歩く。何も心配する事は無い。今日もまた騒がしい朝がやって来て、騒がしい夜で終わるのだ。
 ――ふと、声がしたから振り返る。だが、そこには何もない空間が広がっているだけだった。期待したオヴェリアの姿はどこにもない。……そう、どこにもなかったのだ。
「……ッ、クソッ!」
 膝を着いて倒れ込む。背中を嫌な汗が流れる。胸を抉られるような感触。痛い。痛い。
「何でッ、何で!」
 辺りを気にせず喚く。ただ喚く。ただ嘆く。ただ叫ぶ。
「何でお前なんだよ! 何で俺じゃねぇんだよ!」
 いつもそうだった。あいつは、俺にその荷を分けてくれない。一人で背負いこみ、いつの間にか遠くに行ってしまう。それなのに俺は、膝を着いて見ている事しか出来ない。自分の無力さを思い知らされ、ただ歯を食いしばって吠える事しか出来ない。
「何でだ! 何でなんだ!」
 そうさ。何で、何で俺は――、
「何で、俺は弱ぇんだよ……っ!」

 ……それはまだ、“煙”が上がる、ほんの少し前の事だった。


お疲れ様でした。読了有難うございます。

しかし、1ヶ月くらい空きましたからね。もうストーリーも覚えていませんよねえ。忘れたぜ!って方はもう一度前の話を読んでみて矛盾点を探してみるのもいいかもしれません(笑)

ちなみに今回は前回みたく半分に分けて同時更新という事はしなかったんですけど、いや、まだ長いぜ!という方がもしおられれば、次回からまた半分に分けさせてもらいます。

それでは、また次回、今度は近いうちに会える事を祈りながら、続きの執筆に取りかかりまーす。


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