悪霊の偏愛
十四歳のティオは、小さい頃に両親を事故で亡くし、両親の友人だった人の家で世話になっていた。その家にはミクという一つ年上の娘がいて、二人は実の姉妹のように育った。
そんなティオは、とある事情から学校には行かせてもらっていないが、本人は気にする様子も無く、家で家事手伝いに励んでいる。……実は彼氏持ちなので、花嫁修業と思えば少し楽しいくらいだそうだ。そんなある日、朝ごはんを家族で食べ終え、後片付けに取り掛かるティオ以外が家を出る準備に取り掛かっている時、ティオはミクの忘れ物に気づいた。ポケットから落ちたハンカチがテーブルの下に落ちている。
まだ外に出ていないなら間に合う、今日は風紀検査の日と聞いている、ミクに急いで届けなければ――。
部屋に行くと、ミクの姿はない。窓を見ると、玄関のドアを開けて今にも出て行こうとするのが見えた。
「ミク! 待って! 忘れ物!」
ティオはミクに間に合うように走って玄関まで行ったが、ミクは既に家の周りに整えられた石畳すら越えたところを歩いている。慌てて石畳が終わるところまで走る。
「ミク……!?」
ティオがそこまで走ったところで、石の敷き詰められていない地面に、音もなく亀裂が走った。呼ばれても気づかなかったミクだが、勘が強いのかそこではっと振り返り、叫んだ。
「戻って! それ以上地面に近づいちゃだめ!!!」
ティオは慌てて後ろにずり下がる。亀裂は失敗を悟り、徐々に塞がっていった。その寸前に、恨めしそうにこちらを見る二つの目が、ティオの恐怖を煽る。
「ティオ! もうバカ! だから地面に近づくなって言ってるじゃない! あいつ、まだ諦めてないよ……!」
罵りながらも震える身体で、もっと震えるティオを抱きしめるミク。
ティオは――『悪霊』 に魅入られていた。
◇◇◇
あれは二人が五才と六才の時だった。崖下にある祠には精霊が棲むから近寄ってはならない、と大人達には言われていたが、好奇心旺盛な子供の二人は、巧みに大人の目を盗んでそこに入った。
「ほらティオ、こっち!」
「ミク、待って……あっ!」
入って数分も立たないうちに、足場の悪いその祠周辺で、ティオは盛大に転び膝から血を流した。
「うわあああああん!!!」
「ティオ、泣かないで、どうしよう……」
大人達を呼びに行ったら、ここに入ったのがばれる。怒られないためには、ティオに痛かろうが家まで歩いて帰ってもらうしかないけど、でもティオは泣いてるし……。ミクは心の中で、この状況を打破してくれる都合のいい存在を求めた。
――それに応えて現れたのがノームだった。
「泣いてるの? 可哀相に」
いつの間にか、背後にぞっとするほど美しい男の姿があった。いつ現れたのか、何故ここにいるのか、五才の頭では咄嗟に言えないでいるうちに、その男はティオに跪いて傷口を舐めた。そのショックでティオは思わず泣きやみ、ミクの口が引きつった。
「……人間の血なんて久しぶりだよ。個人的に、どんな供物よりも少女の血が好きだから最高の気分。このお礼に、君を僕の伴侶にしてあげる。ああ安心して、伴侶になったら血はいらないから」
これは悪霊の類だ。そう直感したミクは叫んだ。とにかく叫んだ。そうでもしないと、ティオが危ない――。そんな友人思いの少女に、その男は煩わしげにミクを一瞥した。
「そんな行為が何になる? ……精霊からは逃げられはしないよ」
とは言っても、精霊は基本封じられた地から動けない。悲鳴を聞きつけてやってきた大人達が駆けつけた途端、ノームは煙のように消え、ティオは無事保護されミクの家へ戻された。
ティオには家族がいなかった。災害で先に避難していた自分だけが生き残ったことを気にして、ティオは一時鬱屈していた。そんなティオを恩師の娘であるからとミクの両親が引き取った。ミクはティオを実の妹のように可愛がり、塞ぎこむティオを外に誘った。――ノームのところへ行ったのも、珍しい場所で少しでも気が晴れればと思ったからだった。
結果、ティオもミクも両親や村の偉い人間に怒鳴られた。しかしそれも短時間で済んだ。誘われただけの罪もない少女の命が危ないとあっては、怒鳴っているよりもすることがある。ティオを殺させないためには?
「地面に触れない場所ならあるいは……」
村長はそう言って、精霊から守ることを提案した。精霊を祀る地の人間として国から支援金をもらっているのに、不祥事で何かあったら自分の椅子が危ない。多少は金がかかろうと隠蔽――いや守れと村人達に命じた。
そしてミクの家は改装された。呪いが書き込まれた石造りの家に、一つ一つ呪いを刻んだ石の敷き詰められた庭。全盛期の精霊ならともかく、今の精霊ならこれだけでも少女に害なすことはないだろう、そう考えた。
家が出来るまでの間、ティオは四六時中監視されるようになった。移動の際も力の強い神官が抱きかかえて地面に触れないようにさせた。数ヶ月、そんな調子でティオに害が及ぶことはなかった。
しかしある日、神官が腕を痛めて運ぶことが出来なくなった。それで仕方なくティオを大きな箱に入れ、力のない大人達で、新しく出来たティオの家に運ぶことになった。
道中、数ヶ月何もなかったと感じていた大人達は油断した。もともと身寄りのない少女を金かけて守ろうとすることに本気な大人達は、この時点ではいなかった。休憩の際に地面に箱を下ろしたのだ。そして水分を取ろうと全員が一斉に目を離した。
「きゃ――――――!!!! ティオ!」
気づいたのは同行していたミクだった。箱を蔦が覆っている。その下にはぽっかりと大きな黒い亀裂があり、蔦が今にも箱を下へ飲み込みそうなのに、呪いが刻まれた札が邪魔なのか、いまだ連れて行けないでいた。しかしそれも蔦でどうにか引き剥がそうとしているのが見えた。
大人達が慌てて蔦を毟って箱を奪還する。箱がどかされた直前、ミクの目にはあの男の姿が見え、大人達には声が聞こえた。
「あと、少しだったのに……」
それからは誰もティオの境遇に否を唱えるものはなかった。
◇◇◇
ティオは新しい家ですくすく育ってはいったが、ただでさえ暗かったのがもっと陰気になった。あの事件で好奇、妬み、同情、侮蔑とあらゆる視線を浴びることになったが大きい。責任を感じたミクは一人の男を紹介した。従兄弟であるネロだ。
「お前がティオ? 外に出なくても楽しい事くらい、世の中たくさんあるんだぜ」
下にたくさんのきょうだいが居て、面倒見のいい明るいお兄ちゃん気質の男だった。下心なく構ってくるネロに、ティオも段々心を開いた。ネロもまた、閉じ込められて育つ少女に自分が助けにならねば、と正義感を煽られた。
二人が婚約するのは自然な流れだった。とはいえ、大人達の間では、さっさと結婚してしまえば精霊も諦めるのではという思惑もあったが。上には身体が弱いから学校にいけないで通しているが、十年に一度の視察の際には隠しとおせまい。支援金を減らされないように、その時には身ごもってるから家にいるとなっててほしいものだ――そういう計算もあって祝福されていた。
◇◇◇
深い深い地の底で、ノームは項垂れていた。
愛する女が、別の男に心奪われている。
許せない。
自分じゃなきゃだめだ。数多の人間達の上に立つ存在に愛されて、どうして平凡な人間を選ぶのか。
憎しみに支配されて怒りの形相をにじませながら、それでも遠い昔にティオに触れた右手を時折見つめる。その瞬間だけは子供のような表情になった。
「ノーム」
気がつくと、数年引きこもっている自分を心配したらしい同属――水の精霊ウンディーネが後ろに立っていた。心配して来たのだろうか? 最も事なかれ主義で平和思想なシルフじゃないのが意外だ。
と考えて思いつく。そうだ、シルフも所詮愛を知らぬ男。しかしウンディーネは違う。昔、人間の少女を妻にした。そのことで当時は馬鹿にしたり小汚い人間を精霊の世界から追い出そうとしたが……。
「ウンディーネ、悪かったな」
今はそのことが悔やまれる。ティオが当時のウンディーネの妻みたいな状況に遭うなんてぞっとしない。同じ立場になって、始めて気づかされた。
開口一番に言われたウンディーネはぎょっとした。あのノームが人間の少女に心奪われているとシルフに聞いて半信半疑で来たが、本当らしい。にしても当時妻を追い出そうと一番張り切っていたのはノーム自身だというのに。お陰で妻は害を免れるために、精霊世界に留まらず頻繁に地上に出ている。一緒に居られる時間がほとんどない。くそ。僕がどれだけ迷惑を被ったか。自分が恋に溺れたらこのザマのくせに。そのことで文句を言おうか皮肉を言おうか迷っている間に、それよりももっと妻のためになることを思いついたのでそうすることにした。
「昔のことはいいよ。それよりノーム、君、人間を好きになったんだって?」
「ああ。笑いたければ笑え」
「笑わないよ。一番君の気持ちが分かるのはきっと僕くらいだろう? 相談にのるよ」
「ウンディーネ……お前、案外優しいな」
ノームを当てこするよりも優しくして、自分は仲間、同じ立場だと印象付ける。
「それにしても気の毒に。思うようにならない恋は苦しいよね。人間はどうしたって、異形の存在を恐れるから」
「ああ本当だ。どうして憧れるより恐れるのだろう。そういう存在に好かれたら光栄に思うのが自然じゃないのか」
「人間は群れで生活するからね。一人だけ愛されたらやっぱり苦労するんだよ」
「なるほど……」
「だから、そういうのから切ってやらないと。手伝いくらいならするよ?」
三対一だから妻ばかり苦労する。なら味方を増やせばいい。妻しか頭にないウンディーネにとっては、ティオの意思なんて塵よりも軽いものだった。そんなウンディーネの内心も知らず、ノームは神妙に聞いている。思わず呆れて皮肉めいた言葉が漏れる。
「よっぽどその子が好きなんだね」
僕の妻には嫌がらせしといて。と裏に込められている。ノームは皮肉に気づいたのか気づいてないのか、ただ真剣に返した。
「ああ、好きだ。……悪いがウンディーネ、お前の協力は無駄になるかもな。しょせん精霊が何を言っても怖がられるかもしれないし、あいつの心には別の男が棲みついている。それに今まで無茶な手段ばかり取ってきた。可能性、無いのかもな。それでも、手に入らないならいっそ……してしまいたい」
その時のノームの目を見て、ウンディーネはふざけるのは止めることにした。何かを決意した、男の目だった。
◇
やがてティオが十五になり、いざ結婚する段階となって問題が起こった。ティオの村では、結婚の際に変わった風習があった。花婿と花嫁がそれぞれ別の地で花を摘んできて、式の際に一つにする。少女達の間では憧れの風習であるが、ティオには悪夢を彷彿とさせる風習だった。だが花嫁が摘むべき花は、あの祠の周辺にしかない。
「風習で未来が決まってたまるものですか、無視よ無視!」
ミクはそう言うが、ティオは聞かない。ここに来て十年分の不満が爆発した。
「私……我慢してきたじゃない。外に出られなくても文句言わなかった。あの件だって、連れ出したミクを責めたりしなかった。だけど私、私、せめてこれだけは普通の女の子みたいにやりたいの。ねえ、ミクは私のお姉ちゃんなんだよね? 妹の我侭、一個だけでいいから叶えて、ねえ……」
ミクは良い姉だった。外に出られない義妹を思って、貰ったものは何でも妹にあげ、少しでも良いものは全部ティオに譲った。外に出る以外の我侭は何だって叶えてきた。好きな人を譲ったりもした。自責の念からでも、偽善からでも、義侠心からでもない。十年同じ家で育った妹は、可愛かった。ティオが喜ぶ姿が、好きだった。
「お姉ちゃん……」
気がつけばミクは頷いていた。真夜中にランプを持ちティオを連れて外へ飛び出した。ただし、何の対策もしないわけではなく、呪いの刻まれた服や靴を履かせた。あとは、ノームがもう飽きているのを祈るのみ。
――現場に来て唖然とした。埋もれるほどあるのが普通の花なのに、今日は一本も生えてない。すぐに罠だと思い至った。
「でも、ノームは何もしてこないわ。前は箱ごと引きずり込まれそうになったり、石畳を越えようとした途端に落ちそうになったりしたのにね。お呪いが利いてるんでしょ? まだ大丈夫よ。ミク、もっと奥に行こう」
迷いながらも、手の届く範囲にいるようにと警告して先へ進んだ。崖下の祠が見える位置まで来た時、祠のすぐ前に、その花が一輪だけ咲いていたのがティオの視界に入った。ミクは周囲を警戒しながら歩いていたため、反応が遅れた。
「あった! これで、ネロと……!」
「え? あ、ちょっとティオ!」
目にした瞬間から、ティオは駆け出した。ミクは慌てて追おうとして、気づいた。崖の上から大きな石――岩? が落ちてくるのを。
「ティオ!!!」
叫んだ時には遅かった。ランプの頼りない光の中で、岩はティオの頭に直撃したように見えた。ランプは割れ、ティオは地面に横たわった。犯人は誰かなんて分かっていた。
「ノーム!!!」
叫び声に呼応するように、精霊ノームが現れた。不思議なことに、その表情は妹を殺されたミクよりも怒っているように見えた。
「あんた、よくもこんな、ティオを好きだったんじゃないの!?」
「好きだよ。だからこそ……他の男を選ぶなら死ねって思う」
ミクは唖然とした。世界を創った神様みたいに言われているのに、この独善的にしか見えない生き物は何なんだと。その時のミクに分かったのは、ただ瞬時に目の前に詰めて来たこの生き物は、人間ではないということだけだった。
「ミクさん……だよね。ティオにこれまで尽くしてきた功績は個人的に世界一だけど、他の男と番わせようとしたのは万死に値するんだよなあ。……間を取って即死でいい?」
直後に、首がポキリと折れる音がした。それが少女のあっけない最後だった。
「あ。返事聞き忘れてた……まあいいか。言い訳されると腹立っただろうし」
ノームはそう言うと、本命であるティオのもとに振り返った。頭に直撃を受けた彼女は、静かに地に伏せている。そのことに暗い喜びを覚える。
これで自分のものにならなくても、他の男のものにはならない。死体をウンディーネやシルフにも頼んで腐りにくくしてもらおう。それで、ずっと一緒にいるんだ。そう考えて近寄ると、ティオの身体がピクリと動いた。
殺し損ねた? 一瞬カチンときたが、このことで自分の想いはよく分かってくれただろうし、反省するならやり直してもいいかもと考え、ティオに話しかける。
「ティオ? 大丈夫?」
声をかけながら容態を確認するが、岩が直撃したにしては怪我が軽い。転がっていく過程で出来た小石に当っただけというのが真相か? さすがの精霊でも、暗い中で命中させるのは至難の業だった。花を枯れさせるのに力も使っていたし。
しかしそれなりに血は出ている。そう小さくもなかったのだろうと判断して、なおもティオに話しかける。
「ティオ? 声は出る?」
ティオの目がゆっくりと開いた。が、様子がおかしい。ノームをきょとんとした目で見つめている。
「……だれ? ここ、どこ? 私、どうして……あれ、私、だれ?」
何という事だろう、やはり自分は神なのだ。目覚めたティオは当たり所が悪かったのか、すべての記憶を失っていた。あの忌まわしい男の記憶も、あの目障りな女の記憶も! こんな喜ばしいことがあるだろうか! 今度こそ、ティオは自分のものだ! ノームはさっそくティオに嘘を植えつける。
「僕はノーム……君の恋人だよ、ティオ」
「え! 貴方みたいな綺麗な人と!?」
笑いを必死でかみ殺しつつ、ノームは誰もが見惚れる微笑でティオに囁きかける。
「おいで。思ったより出血が酷い。精霊のもとに来れば、怪我なんてない世界に行ける」
そう手を差し伸べると、ティオは照れながらもその手を取った。あとには祠のすみに追いやられたミクの死体だけが転がっていた。
◇◇◇
翌朝、村は大騒ぎとなった。ティオは行方不明で、姉のミクがあの祠にて死体で見つかった。全員が、何が起こったのかを口にしないでも察していた。ただ一人を除いて。
「ミク! ミク!! 何で、一体何が……目を覚ませ、教えてくれ、ティオはどこに行ったんだ!?」
ティオの恋人だったあのネロが、従姉妹の死と婚約者の行方不明を知り、号泣しながら死体に縋りついてティオの行方を問いただしていた。立場を考えれば下手に慰めるのも憚られるだけに、泣きつかれるのを待って忘れるように進言しよう、そう村人達は考えてネロの背後で落ち着くのを待っていた。――その背後で、怪しい霧が地面から立ち上る。
ネロは一頻り大泣きすると、泣いてもティオは帰ってこないことを悟り、ならば自力ででも見つけ出すと決意して、村人達に挨拶をしようと振り返った。
「村長、お世話になりました。俺は村を出て行きます。恋人を見つけ出さないと。きっとノームに騙されて……」
そこまで言ってネロは、村人達の背後に見える霧に気づく。あれは……? 疑問を口にする前に、目の前の村人達からとんでもない言葉が飛び出した。
「ネロ……悲しいのは分かるが、現実逃避はいかん。恋人ならそこにいるだろう」
「は?」
村長はネロからしてみれば奇妙な言葉を言い出した。
「従姉妹で恋人のミクが亡くなったのが悲しいのは分かるが、死人は蘇らん。それに前から落石事故が騒がれていたのに、風習にこだわるあまり夜に飛び出していくミクに非がある」
「え、ちょ、皆、何を……。俺の恋人はティオだぞ!?」
ネロのその言葉に、全員が奇妙な顔をした。
「ティオ? 誰だ?」
「さあ……聞いた事ないな」
「恋人を失って錯乱してるんじゃないのか」
ネロは直感した。背後の霧……水分……ウンディーネ。たしかその精霊は、数百年前に少女を娶ったと聞く。同じように少女を欲したノーム。まさか。
「皆! 騙されるな! これはノームの罠だ! あいつ、ウンディーネと組んで何かしてるぞ! 背後を見ろ! その霧には魔術がかかっている! 息を止めろ!」
そのネロの言葉に、その場の全員が奇妙な顔に留まらず、不快感を露にした。何人かは舌打ちして呆れている。
「……この村の生計は何に頼っているのか分かっていないようだな」
「もとからそんな素質があったのか? もうあれは狂人じゃないか。ノーム様がミクを殺して何になるっていうんだ。ここ数百年大人しいっていうのに」
「捕らえろ捕らえろ、こんなこともあろうかとミクの家は厳重にしたんだろ?」
大人達は数人がかりでネロを捕らえ、縛り上げてミクの家の牢屋のような部屋――元ティオの部屋に押し込んだ。
「誰か! 誰か!! 信じてくれ――――――――――――!!!」
昼夜を問わず、その部屋からはそんな叫び声がしているが、聞こえた村人達は眉を顰めてさっさと通り過ぎるだけだった。
数ヵ月後、王家の視察団がノームの監視に訪れた。祠の現状や関係者の様子などを厳しく調査されるはずだった。
「戸籍を見るに、この村にはティオという少女が一人いたようだが……?」
若い責任者がそう村長に言うが、村長は真面目な顔でこう言った。
「ああ、それはこちらの間違いでございます。そんな少女はここにはいません。何度も訂正しようとしたのですが、災害やら関係者の訃報やらですっかり抜け落ちておりました。申し訳ございません」
「何だそれは? ……まあいい。事件に巻き込まれたとかよりは仕事が少なくて済むからな。じゃあこちらで訂正、と」
責任者はあっさり追求をやめた。ただでさえ給料が低い仕事なのに、余計な仕事を増やしたくなかった。ただ、一応寄せられた苦情には一通り話し合うことにはしている。
「そういえば、匿名で来たのだが、ミクという少女が死亡したのには精霊が関わっているから調べてくれと。これは何だ? 何か知っているか?」
村長もそのほかの村人達も苦い顔をした。またあいつか――。フォローする身にもなれを思いながら責任者に『事実』 を伝える。
「あの……言いにくいのですが、それを伝えたのはおそらく狂人です」
「は? 狂人? それは誠か?」
「いないものをいる、無いものを有るという男でして……こちらも困っているのです」
「想像はつくが、しかし調べもしないというのは」
「おそれながら、狂人と接するのは危険でございます。空気感染こそしませんが、話しているだけでこっちが狂いそうになる、それが狂人です」
「うーむ……」
責任者は考えたすえ、持っていたマニュアルをペラペラとめくり、「伝染病などの持ち主は例外とする」 という項目を見つけ、これなら余計な仕事はしないで済むとほくそ笑んだ。
「狂人なら仕方ないな。では、これで調査は終わる。ご苦労だった」
「いえいえ。こちらも助かりました」
視察はつつがなく終わった。
――それを聞いたネロは、その夜、独房のような部屋で首を吊った。遺書にはただ一言、「ティオ」 とだけ書かれていたが、それを見た村人はまたいつものか、と思い、死体と一緒に火にくべて、一連の騒ぎは終わった。
◇◇◇
精霊の妻となったティオは、ノームとともに甘い毎日を送っていた。けれど、たまに何かを忘れている気がする……。
「そういうのは、思い出さないほうがいい」
そう言ったのは、ウンディーネの伴侶のリラだった。どうして、と聞くと、彼女は寂しそうに笑って言った。
「自分に力がないのを、後悔するだけだから」
あまり意味が分からなかったけど、先輩の言うことだからと思って、そう考えることにした。