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胡桃の中の蜃気楼 作者:萩尾滋

第二章

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インターリュード2

「ただいま戻りました。」
 ウィリアム・マーカスは、玄関で出迎えた父に嬉しそうな笑顔を向けた。
 マーカスは、三角巾で右腕を吊り、顔中擦り傷だらけの息子の姿を見て顔をしかめる。
「坊ちゃんに、何かあったのかい? 」
「いいえ、でも、大切にされている方が危険な目に。」
「お役に立てたかい? 」
 頷く息子に、マーカスは誇らしげな微笑みを返し、怪我をしていない方の肩を叩くと、中に入るよう促した。
「くたびれたろう、お茶にしよう。」

「ウィリアム! 」
 サラが、使用人用ダイニング・ルームに駆け込んできた。
「ウィリアム、怪我はひどいの? ヘンリーは大丈夫? アスカは? 」
 ウィリアムは立ち上がって、
「ヘンリー様は、お元気です。トヅキ先輩も、お怪我はありません。私も、勤めに支障はございません。」
 ウィリアムの返答に、サラは考えるように目を伏せた。
「座って。構わないから。…………。アスカは、突き落とされたの? 」
 ヘンリーは、サラを心配させるようなことは一切言わない。今回も、飛鳥が階段から落ちて脳震盪を起こし絶対安静だから、看病のためにハーフタームの間、帰れない、とだけ連絡があった。
「いいえ、Aレベル試験が終わったばかりで、過労で足を踏み外されたのです。たまたま私が傍にいましたので、」
「一緒に落ちたの? 」
「お守りしきれず、申し訳ありません。」
 サラは、首を傾げて疑わしそうな瞳でウィリアムを見つめたが、それ以上問わなかった。
「お茶の邪魔をしてごめんなさい。」
 踵を返して部屋を後にする。

 ウィリアム・マーカスは、ソールスベリー家執事のマーカスの息子で、ヘンリーの一つ下だが、余りサラとは顔を合わせることがなかった。寧ろ、努めて会うことがないようにしていたのかもしれない。
 ヘンリーは、サラがこの家のことを知ろうとすることを嫌がる。ヘンリーの家族や、友人、父のことも。
 サラは、好きなことをしていればいいんだよ。
 と、いつも優しく言ってくれるけれど、サラが誰かと親しくなるのは嫌がる。
 ヘンリーは、エンジニアのトーマスが嫌いだ。トーマスが来るたびに、機嫌が悪くなる。
 インターネットで誰かと親しくなることさえ、ヘンリーは嫌がった。
 ヘンリーが嫌がるから、自分・・で誰かとチャットするのはやめてしまった。
 それなのに、ヘンリーは今、サラがインターネットで話したことのある、ただ一人の人に夢中だ。

 もうずっと、休暇中に帰ってこないなんてこと、なかったのに!
 飛鳥に、会ってみたい。
 そんな事を言ったら、やっぱりヘンリーは嫌がるのだろうか?


 サラお嬢様は苦手だ。
 ウィリアムは、サラの後ろ姿を見送りながら、ほっと肩をなでおろした。
 自分とよく似た、いやもっとキラキラとした宝石のような、あのライム・グリーンの瞳でじっと見つめられると、魂まで見透かされてしまいそうで、緊張して上手くしゃべれなくなる。褐色の肌が、余計に魔術じみた彼女の不可思議さに拍車を掛けているのかもしれない。
 ウィリアムは、ほっと息を継いで、紅茶を口にする。
 サラお嬢様に比べたら、杜月飛鳥はまだ判り易い。事業のことを抜きにしても、ヘンリー様が、彼を大切にされるのが、判るような気がする。
 彼は、なんとも、可愛らしい。
 ウィリアムは、飛鳥のくるくると頻繁に変わる表情や、夢中で何かに取り組んでいる時の真剣さ、それに、おそらく本来は人懐っこい性格だろうに、いつも躊躇して、辛そうに一歩引いた姿勢で人に接している様子を思い出していた。
「お父さん、ヘンリー様の新しいご友人のアスカ・トヅキさんは、東洋人で、サラ様と同じくらい才能豊かな方ですよ。」
 マーカスは、嬉しそうに頷きながら、
「それは、喜ばしい。新しい名前は、プレップ以来じゃないか。」
 と、息子の頭に手を置いた。
「とても、優しい方です。」
 ウィリアムは、父を見上げて目を細めて微笑んだ。

「お茶のおかわりは? ボイドさんのケーキもある。お前のために焼いてくれたんだ。」
「いただきます。ヘンリー様も、ボイドさんのケーキを食べたいとおっしゃっていました。」
「ボイドさんに頼んでおこう。お前が戻る時、御持ちすればいい。」
「いえ、僕は、明日にはオックスフォードに行きます。用事を言い使っていますので。」
 マーカスは、残念そうに小さくため息を付く。
「日曜日に、こちらに寄ってから学校に戻ります。その時に、お願いできますか。」
 マーカスは満足そうに頷いた。
 ウィリアムは、笑顔を崩さずお茶を飲み、怪我をしていない方の手で、器用にケーキを切り、口に運ぶ。

 どうするのが、一番、満足していただけるかな……。
 トヅキ先輩を階段から突き飛ばしたロバート・ウイリアムズも、この休暇中に始末をつけておきたいし……。

「ボイドさんのケーキ、本当に美味しいですね。ご友人も増えられたし、大きいサイズでお願いしますね。」
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