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胡桃の中の蜃気楼 作者:萩尾滋

第二章

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  波乱の幕開け9

 「優秀な弁護士を紹介しただけだよ。」
 ヘンリーは、穏やかに微笑んで、言った。
 飛鳥は真っ青になって、ヘンリーを凝視している。
「うちは、軍事産業に手を出す気はないからね。心配しなくていい。」
 ヘンリーは、困ったように、震える飛鳥の手を握った。

「この裁判、勝つよ。グラスフィールド社はじき、きみの祖父の開発したレーザー光増幅用特殊ガラスを製造できなくなる。『杜月』の技術が、軍事目的に使用されることは、もうなくなるんだ。」
「……。知って……。」
「きみの祖父が医療用に開発したものを、グラスフィールド社が、契約を破ってレーザー核融合の実験用ガラスに応用し、アメリカの核兵器開発施設に売った。そうだろう?」
 飛鳥は、青ざめたまま空ろな目を大きく見開いた。
「きみの持つ特許は、今あるものの精度を更に高めた製品の製造方法だ。グラスフィールド社が、喉から手が出るほど欲しがっている。日本にいた時から、ずっと脅迫されていたのかい? 」
 飛鳥は震えながら目を伏せ、俯いたまま、何も言わない。
「きみ達が脅迫に屈しないから、グラスフィールド社は手段を変えて、一見何の関係もないガン・エデン社と組んで『杜月』を潰しにかかった。潰して、特許と、その技術を手に入れるために。」
 ヘンリーは、言葉を切ってじっと飛鳥を見つめた。飛鳥は唇を噛み締めたまま、肩を震わせじっと堪えている。
「きみの持つ特許と、きみがいれば、今ある核兵器は次の段階に入ることができる。どうして、グラスフィールド社に屈しない? こんな危険な目に遭ってまで。」

 飛鳥はやっと顔を上げ、毅然とした目つきでヘンリーを見返し、
「人を救うための技術が、大量殺戮兵器に使われることを、許せる訳、ないじゃないか。」
 声を詰まらせて、絞り出すように小さく、だがはっきりと言った。
「会社を潰されても? 命を危険にさらされても? たった、20年の特許期間しか守れないのに? 」
「その20年の間に、『杜月』の技術で開発された核兵器が使われるかもしれないじゃないか。
 『もし私がヒロシマとナガサキのことを予見していたら、1905年に発見した公式を破棄していただろう』
 アインシュタインの意思を継ぐことが、科学技術を扱う人間の、最低限のモラルだよ。
 プロメテウスの火は、人類を生かす為のもので、世界を焼き払う為のものじゃない。
 化学技術は、常に諸刃なんだ。祖父が開発していた時は、こんなふうに使われるなんて思いもしなかった。」
 飛鳥は、遂に涙を堪えることができなくなった。

「きみの御祖父さんは、このことに抗議して亡くなられたんんだね。そして、会社を救うためにも。」
 飛鳥は黙って頷く。
「きみは、あくまで御祖父さんの意思を継いで、この技術を兵器開発には使用させない。その気持ちは、絶対に揺るがない? 」
「絶対に……、変わらない……。」
 飛鳥は、嗚咽交じりの声で答える。
「きみは、頑固だものね。」
 ヘンリーは、微笑んで立ち上がると飛鳥の傍に来て、その涙を拭った。

「英国は、核の均等が崩れることを望んでいない。アメリカに、レーザー核融合兵器で抜きんでられるのは、英国にとっても都合が悪いんだ。」
 飛鳥の前に膝をついてその両手を握り締め、俯いたままの飛鳥を見上げる。
「『杜月』の技術を使ったグラスフィールド社の特殊ガラスの供給が止まれば、アメリカのレーザー核融合を使った核開発は、一歩も二歩も後退する。それに、きみの持つ特許を、核開発には使わせない確約が取れるなら、アメリカは、現段階の初歩的な実験から進みようがない。」
 優雅な仕草で、もう一度飛鳥の涙を拭う。そのまま両の手で頬を挟んで、涙で潤んだ瞳を優しく見つめ返した。
「英国は、世界が今以上に核兵器の開発をすることを望まない。だから、これからは、きみの身柄を保護し、きみ達の特許が不当に取り扱われることに、厳重に抗議していくことに決めたんだ。きみも、『杜月』も、もう安全だよ。もう、理不尽な要求に屈することも、脅迫に怯えることもないんだ。」
 飛鳥は、激しく首を振った。
「そんなの、英国が、グラスフィールド社に取って変わるだけだ!」
「アスカ、そんなことはない、信じてくれ。」
 ヘンリーは、目を瞑って大きく息を吸った。

「英国は、この製法には手を出さないよ。なぜなら……。」
 言い澱んだまま、飛鳥に鋭い視線を向ける。
「アメリカ方式では、圧縮は進められても、点火は起きないことを知っているから。」
 飛鳥の祖父は、技術者である以上に科学者であったに違いない。飛鳥の持つ特許は、過去の特許とは、明らかに違っている。
 グラスフィールド社の特殊ガラスは、核融合実験室の中で使用される。核の主燃料を圧縮するためのレーザービームが、このガラスを何枚も通る度に、強化されていく、この実験の中核となる材料だ。
 飛鳥の持つ特許は、レーザーエネルギーを増幅し更なる強度を得る為のガラス製法理論だ。とても医療用とは思えない。飛鳥の祖父は、示された可能性に魅せられ、その実現を思い描いたに違いなかった。そして、そんな自分を恥じ、自ら命を絶ったのだろう。全てを、孫の飛鳥に押し付けて。
「レーザーを強化したところで、核融合は起きない。成功しない実験を、ダラダラと続けてくれる方が、英国に取っては都合がいいんだ。きみの特許で次の段階に進めば、この方式そのものの持つ重大な欠陥に気付いてしまう。」
 飛鳥は、目を大きく見開いて、驚愕した。
「きみは、知っているんだろう? 次にすべきことを? 」
 ヘンリーは優しく微笑んで飛鳥を見つめる。
「僕も、知っている。
 でも、最初に言ったろう。僕は、軍需産業にも、核開発にも興味ないんだ。莫大、儲かりそうに見えて、維持管理費はそれ以上にかかって結局利益にならない。後始末も面倒だしね。
 それより、一緒に空中映像を作ろう。その方がずっと面白いよ。」

 飛鳥は顔をくしゃくしゃにして、子どものようにぼろぼろ泣きじゃくりながら頷いた。
ヘンリーは、そんな飛鳥の頭を撫でてやった。

「今まで、一人でよく頑張ったね。でも、もうきみは、一人ぼっちじゃないよ。凍てついた大地で、風雪に耐えるスノードロップの時期は過ぎ去ったんだ。もう、暖かい空気に包まれて、自由に花を咲かせる春が訪れているんだよ。」




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