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胡桃の中の蜃気楼 作者:萩尾滋

第二章

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波乱の幕開け

 「サラ、こんな状況で、どうしてアスカは、英国に留学してきたんだと思う?」

 クリスマス休暇になり、マナー・ハウスに戻って来ているヘンリー・ソールスベリーは、スミスに依頼した『杜月特殊ガラス製作所』の調査書類を、ロー・テーブルに放り出して顔をしかめた。
「たまらないな。アスカの会社は、どうしてこんな状況を甘んじて受け入れているんだ? 提訴すれば勝てるだろうに」
「もう、時間も、お金も掛かる裁判をやり通すだけの体力がないのね。
 この会社はすごく特徴があって魅力的なのに」
 サラは、ロー・テーブルに置かれたノートパソコンのキーボードを叩くのを止め、横に座るヘンリーに向き直った。

「資本金三千万程度のこんな小さな会社なのに、特許技術を幾つも持っていて、規模の割に、売上高が大きいの。
 ガン・エデン社の目的は、『杜月』の持つ光配光技術。特許を持つ『杜月』を通さず、人件費の安い海外で、直接2次下請けに注文することで液晶ディスプレイの大幅コストダウンを狙っているの。倒産させて、特許を安く買い叩くか、倒産間際で買収するか、時間の問題ね」

 サラは、調査書類をぱらぱらとめくり、その中の一枚をヘンリーに手渡した。
「ヘンリー、これを見て。ガン・エデン社と取引が始まってからの5年間、この間に所得された3つの特許はアスカの個人名になっているの。『杜月』は、アスカに特許使用料を払い、アスカはそのお金で増資を引き受ける形で株式を所得している。『杜月』の持ち株50%以上の筆頭株主は、アスカなの」
「なんのために、そんな回りくどいことを?」
 ヘンリーは、納得できないふうに書類に目を通した。

「おそらく、アスカのお父さんの現社長は、『杜月』の行く末を、諦めているのね。でも、買収には応じない。例え倒産しても、日本の独自技術を外国企業には渡さない。過去、資金繰りに行き詰った時も、特許はガン・エデン社ではなく、国内企業に売っているもの。これは、想像だけれど、沈んでいく会社の中にいたら、自分も、飛鳥も、買収の説得に負けてしまう。社員の為に、きっと会社が存続できる道を選ぼうとする。だからアスカを、簡単にはガン・エデン社も手が出せない英国のパブリックスクールに入れたんじゃないかしら」
「自分の会社を潰すために?」
 ヘンリーは、理解できない、といった顔でサラを見返した。
「アスカの持っている特許さえあれば、すぐに立て直せるわ。それだけの価値があるもの。それ以上に、アスカ自身が『杜月』の本当の財産だわ。」

 サラは、黄緑色の瞳を妖しく輝かせて、ヘンリーをじっと見つめて言った。
「ヘンリー、アスカの持っている『杜月』の株式を買い取って」



 敵は、アメリカの時価総額ランキングに入る上場企業。狙われたのは飛鳥の会社だけじゃない。このヒット商品ひとつの為に、どれだけの下請け会社が技術を盗まれ、騙され、裏切られて、潰れていったんだ?
 ヘンリーは、自分のスマートフォンをじっと見つめた。

 薄暗がりの中、ソファーに寝転んで足を投げ出し、紫煙をくゆらせながら、ぼんやりと、天井を眺める。
 飛鳥の言った通り、祖父はガン・エデン社の大株主だった。おまけに、アデル・マーレイの一族の経営する銀行までが、株主名簿に記載されている。どこまで、知っていてやっていたのかは判らないが……。

 ロー・テーブルに置かれた、飛鳥に貰ったクリスマス・プレゼントに目をやり、仰視する。
 台座の上で、8インチ(約20cm)程の自分のミニチュアが、ぼんやりと発光しながら、ヴァイオリンで『荒野の果てに』を弾いている。
 スマートフォンで撮影され、動画サイトに投稿されていたものを元に作ったらしい。サラに見せると手を叩いて喜んでいた。
 これなら十分に商品化できるのではないか? 
 と尋ねると、日の光の下でもはっきりと見えるようにできなければ駄目だと言われた。
 でも、初めに見せてくれた蛍よりも、ずっと画像の鮮明さは上がっているね。
 そう褒めると、ガイ・フォークスの時に、いいアイデアを思いついたから、と、飛鳥は嬉しそうに笑っていた。

 どうするのが一番効果的か、冷静に考えなくては。
 飛鳥は、フェイラーでもある僕を本当に信じてくれるのだろうか?

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