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胡桃の中の蜃気楼 作者:萩尾滋

第二章

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  クリスマス・マーケット6

 演奏を終えたヘンリー・ソールスベリーは、少女から豪華な花束を受け取ると、お礼のキスをするように、少女の頬に顔を寄せた。

「邪魔だ。今すぐ、そこをどけ」
 ヘンリーは、少女の耳元でそう囁くと、受け取ったばかりの花束を、第二奏者のエドガー・ウイズリーに手渡した。
 少女は、よろめくように後ずさったが、硬直してしまったかのようにその場に立ち尽くした。
 そんな中、ロレンツォ・ルベリーニが、舞台に上がってきた。
「くそっ」
 エドワードは舌打ちして、足早に舞台に上がると、少女の腕を引いて舞台袖に連れて行った。少女は素直に従いながらも、その視線はずっと悲し気にヘンリーを追っていた。

 ロレンツォとヘンリーは、真正面に向き合ってほんの数秒、視線を合わした。
 ヘンリーは優雅なしぐさで、手の甲を向けて右腕を差し出した。
 ロレンツォは、その手を受け、片膝をついて跪き、ヘンリーを見上げて何か、呟くように告げる。
 ヘンリーが頷くと、その手の甲に接吻キスをした。
 そして、立ち上がると花束を渡す。

 会場でやんや、やんやの喝采が起こる中、驚愕の面持ちで二人を凝視する何人かの年配者たちがいた。
 飛鳥の隣に座っていた老人もその一人で、
「まさか、ソールスベリーとはな」
 とか、
「次代のルベリーニが……」
 と、小声で囁き合う声が断片的に聞こえてきた。
 どういうこと?
 飛鳥は気になって耳を欹てるが、小声のうえ、老人特有の不明瞭な発音でそれ以上は判らなかった。
 飛鳥はたまらず席を立ち楽屋へ向かった。



「キャロライン、お前のせいで台無しになるところだった。お前は僕の邪魔をしに来たのかい?」
 飛鳥がドアを開けるなり、ヘンリーの怒気を含んだ威圧的な、それでいて静かな声が響いた。
 ヘンリーが本気で怒っている時の声だ。
 飛鳥がそっとキャロラインと呼ばれた少女に目をやると、少女は、セレスト・ブルーの瞳を涙で雲らせて、じっとヘンリーの不機嫌な顔を見つめたまま、必死に謝っていた。
 部屋の中には、この二人とエドワードだけで、ロレンツォはいない。
「ヘンリー、ごめんなさい。ごめんなさい」
「お前も、フェイラーの端くれなら、あの意味くらい」
 この子、もしかして……。
「ヘンリー」
 飛鳥はヘンリーの背中越しに声を掛けた。
「アスカ! あれ? 花はないのかい? きみから貰えるのを楽しみにしていたのに」
「ごめん。忘れていた」
「ひどいな」
 ヘンリーは呆れたように笑う。
「じゃ、今から付き合ってくれ。僕の出番はもう終わったし、今日は昼抜きなんだ」

 いつものように柔らかい笑顔と物腰のヘンリーだと、安心したのも束の間、打って変わった冷たい声で、キャロラインに刺すような視線を向ける。
「着替える、出て行ってくれないか」
 キャロラインは俯いたまま、しゃくりあげている。
「ごめんなさい、ヘンリーに会いたかったの」
「エド」
 エドワードは頷くと、キャロラインの肩を抱いて部屋を後にした。
 飛鳥も続いて出ようとすると、
「きみはいいんだ」
 と、ヘンリーに呼び止められた。
「あの子、きみの妹? びっくりしたよ。ロレンツォの持っていたきみの写真にそっくりで」
「写真?」

 しまった! ごめん、ロレンツォ!

「あいつ、まだそんなものを持っているのか……」
 ヘンリーはさも嫌そうに眉根を寄せる。
 飛鳥は話題を変えようと焦って、眼を白黒とさせて言葉を探した。
「あの子、アメリカからきみに会いに、わざわざ来たんじゃないの? 僕はいいんだよ、また今度で。せっかくだし妹さんと……」
「母の娘っていうだけだよ。僕には関係ない」
 ヘンリーは不機嫌さに輪を掛けたように、言い捨てた。

「行こうか」
 と、普段の制服に着替え終わったヘンリーは、荷物と花束を手に取る。
 ロレンツォの渡した花束だ。ホワイトマグノリアと、桔梗かな? 白と紫のコントラストが上品で、強く芳香を放っている。
「すごく甘い香りだね」

 頭がくらくらしそうだ……。

 飛鳥はぼんやりと、その華やかな花束と、それに負けないくらい高貴で美しい、ルームメイトを見つめた。

 ホワイトマグノリアの花言葉は、崇敬。桔梗は、従順。
 ちゃんと、自分の立場をわきまえている……。

 ヘンリーは、薄く笑うと、
「今回は、合格だ」
 と、飛鳥には聞こえないように小さく呟いた。
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