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胡桃の中の蜃気楼 作者:萩尾滋

第二章

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  クリスマス・マーケット7

「さすがに、あそこまでは想像していなかったぞ。」
「僕だってそうだよ。試しに、言い伝え通りにしただけさ。」
 学舎から大聖堂に抜ける小道を、ヘンリーと難しい顔をしたエドワードが歩いていた。
「もし、ルベリーニが接吻キスを拒んだら、どうする気だった? エリオットでの笑い話の接吻とは意味が違う。 」
「別に。普通に握手して、それだけだ。むしろそっちの方が楽で良かったよ。」
「よく言う。世界が見ている前でルベリーニを跪かせておいて。」
「意味を知っている奴なんてわずかじゃないか。」
 ヘンリーは、眉根をしかめて、どうでもいい、といった視線をエドワードに向けた。
 そのわずかが、重要なんだろ……。

 こいつは、本当に判らない……。一貫性がなさすぎる。
 普段は、組織に属することや、権力の中枢に入ることを極端に嫌がるくせに、今みたいに、至上の権力者の振る舞いを当たり前のようにする。矛盾だらけなのに、後からみると、それがベストの選択に見えるから始末が悪い。理念よりも現実に即する英国人らしいと言えなくもないが、ヘンリーの描く最終的なゴールが見えず、結局いつも振り回させている。

 中世から続くルベリーニ一族には、嘘か本当か定かではない伝説があった。
 ルベリー二の当主が跪くのは、その生涯で二度だけ。
 一度目は、生涯の伴侶に求婚する時。
 二度目は、至上の王に生涯の忠誠を誓うと決めた時。
 その誓いの証として、相手の手の甲に接吻する。
 いわゆる『ルベリー二の接吻』は、ルベリー二一族に仕えるに値する王と認められた証だ。

「おおげさだな。時代錯誤だよ。中世じゃあるまいし。今の時代のルベリーニは単なる金融屋だよ。単純に、投資家として、投資対象に僕を選んだ。それだけだ。でも、これで、アスカの心配もなくなるよ。アスカは僕の投資先だからね。」
 ヘンリーは、晴れ晴れとした笑顔をエドワードに向けた。

 素直じゃないな……。アスカが心配だから守ってくれ、そうロレンツォに一言頼めば、奴は喜んで助けてくれるだろうに。
 確かにヘンリーの言う通り、ルベリー二一族は、決して自らが時の権力者になろうとはしない。その時々の権力者に金を貸し付け、影から政治を操り何百年もの間生き延びてきた。
 だからこそ、ルベリーニに選ばれることには意味がある。

 本当にわかっているのか?
 エドワードは訝し気にヘンリーの横顔を眺めたが、その表情からは何も読み取れなかった。いつもの通りヘンリーは飄々として、先程までの威圧的な空気はかけらも残っていない。

「キャロルは、クリスマス休暇中、ロンドンにいるそうだ。」
「母親に似て、我儘で、図々しい。」
 ヘンリーは、不愉快そうに呟いた。
「見た目は、お前にそっくりだけどな。」
「誰が誰に似ているって? 」
 ヘンリーの冷たい視線に、エドワードは苦笑して、
「何でもない。」
 と、首を振った。
「じゃ、今日はもう行くよ。アスカを待たせているんだ。」

 大聖堂の横に併設されたカフェまでくると、ヘンリーは片手をあげて、エドワードと分かれ、所狭しと並べられたオープンテラスのテーブルの間をすり抜けるようにして進んで行く。
「お待たせ。寒くなかったかい? 」
 声を掛けたヘンリーを、飛鳥は少し青冷めた顔で見上げた。
 ヘンリーは、飛鳥の額から髪を掻き上げるようにして、くしゃっと撫でるとすぐに、
「出ようか。」
と、その腕を取って歩き出した。

 大聖堂の裏手には、壁に沿って幾つものストールと呼ばれる木組みの小屋が立ち並んでいる。夜の帳の中、一つ一つが、暖かな柔らかいライトで照らされ、土産物や、クリスマスプレゼントを探す買い物客で賑わっていた。
 ストールを物珍しそうに眺めている飛鳥に、
「乾杯しよう。」
 と、ヘンリーは、紙コップに入った温かな飲み物を手渡した。
「コンサートの成功おめでとう。」
 紙コップを軽く打ち合わせると、飛鳥はかじかんだ手を温めるようにカップを両手で持ち直してゴクリと飲む。
 とたんに、顔をしかめて、怒ったようにヘンリーを睨んだ。
「これ、お酒? 」
「モルドワイン、温まるよ。」
「よく制服で買えたね。」
 英国では、16歳から飲酒が認められているが、購入できるのは18歳からのはずだ。
「クリスマスの飲み物だからね。」
 モルドワインは、温めた赤ワインにオレンジなどの柑橘類を入れ、シナモン、クローブ、ナツメグのスパイスを効かせて、砂糖や蜂蜜で甘く味付けてある、身体を温める冬の定番の飲み物だ。
「駄目だよ。きみは有名人なんだから。」
 ストールの並びから少し離れた横道にいても、通り過ぎる人たちが、時々ヘンリーを振り返って見ている。
「きみがいてくれるから、今日は声をかけてくる奴がいない。ありがとう。」
 飛鳥は、お礼を言われて困ったように笑った。

 これを買ってきてくれたのも、僕のためなのに。
 ヘンリーが最近、頻繁に頭を撫でるのは、子ども扱いしている訳ではなくて、僕がまた熱を出していないか、身体を冷やしていないか、確かめるためだ。
 ヘンリーは、僕を水浸しにした後、ろくに着替えもせずに上映会に連れて行ったことを、ずっと後悔している。あの時は時間が無かったし、別にヘンリーのせいじゃないのに。ヘンリーだって、僕と変わらないくらいずぶ濡れだったのに、僕だけ寝込んだのは、単に僕が軟弱だからだ。
 ヘンリーは、気を使いすぎなんだ。

「さぁ、これからどうする? マーケットを見て廻る?それとも、アイススケートをするかい? 」
当のヘンリーは、石壁にもたれてモルドワインを飲みながら優雅に微笑んで言った。
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