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胡桃の中の蜃気楼 作者:萩尾滋

第二章

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  寮室内の蛍8

 『僕の心を捕らえて放さなかったのは、子どもの頃、海辺の町で見た蜃気楼なんだ。
 海の上に浮かぶ町が余りにリアルで不思議で、僕はその現象に取りつかれてしまった』
 実家の特殊ガラス工場で、家業を手伝いながら勉強し、実験を重ねながらここまできたのだと、飛鳥は話してくれた。
 『だから、この特許は僕ひとりのものじゃない。実家の持つ技術があってこその成果だから。こんな、役にも立たない、中途半端なままで終わらせたくないんだ』
 と、自嘲気味に、悔しそうに口を結んだ。

 次々と見せられる飛鳥の新しい面に、ヘンリーは気圧されっぱなしだった。
 幼稚だと思っていた飛鳥は、ヘンリーよりもずっと大人で、家業を助けるために、新技術の開発を常に考えている。売り言葉に買い言葉のような、「特許を買ってやる」の一言に、真剣にプレゼンテーションを行ってきた。おそらく、いままでヘンリーは、相手にもされていなかったのだ。
 これは、ヘンリーの後ろにいるサラに対してのプレゼンだ。
 『答えが出たら、ちゃんと眠るよ』
 と、以前言った言葉通り、飛鳥は話し終わると速攻で死んだように眠った。

 なんて奴だ。
 この二週間でヘンリーの自尊心は、これ以上どうしようもないというくらいボロボロにされていた。
 これが、サラが、インターネットという虚構世界で、たった一人だけ手を貸そうとした人物……。

 ハーフタームでマナー・ハウスに戻ったヘンリーは、サラに飛鳥のことを話した。
 初めは何の話をしているのか判らない風で、きょとんとしていたサラだったが、暫くして納得がいったようで、
『彼女、あの理論を実用化できたのね!』と、嬉しそうに顔をほころばせた。
 サラは、飛鳥のことを女の子だと思っていたらしく、飛鳥と交流があったのも、2年以上も前のことだと言った。特許のことすら知らなかった。
『あのアイデア、面白いでしょう?アスカの実家では、職人がひとつひとつ手作業で特殊な構造のガラスを作っているんですって』
『特許使用権を買ったんだ。この特許、何かに使えるかな?』
 サラはすぐさま飛鳥の特許を調べて、
『すごいわ、ヘンリー! 以前話を聞いた時よりも、ずっと完成度が上がっている』
と、ペリドットの瞳を輝かせた。
『どれくらいの価値がある? 特許使用料はどれくらいが妥当?』
 サラはクルクルと目を動かし暫く考えていたが、
『三年待って。三年で商品化するわ。独占契約できるなら、七十万ポンド払っても安い買い物だと思う』
『交渉してくるよ。スミスさんに書類を作って貰って。具体的に、僕は何をすればいい?』
 制服代の話はサラにはしなかった。恥ずかしすぎて言える訳がない。
 サラは早速行動に移し、スミスに連絡し、企画書を作り始めた。
 ヘンリーには、この技術からサラが何を作るつもりなのか、予測もできない。それどころか、飛鳥の特許内容も正直なところ、よく判らない。空中に画像を映す技術らしいが、それが何の役に立つ?

 僕は、ちっとも成長できていない……。サラのように未来を見通すことも、飛鳥のように何かを作り出すこともできない。どんなに勉強しても追いつけない。何も変わらない。

 僕が、サラのおもちゃだと思っていたパソコンは、父さんが新しく立ち上げた事業で、イギリスに来る以前からサラは事業に係っていた。出来上がったのは、パソコンではなくて、スーパーコンピューター。僕の知らない間に、何度もテストが繰り返され、去年発売されるなり、世界中に広まった。今まで高額で個人では所有できなかったスパコンを、中小企業レベルでも保有できる値段に抑えた。何よりも画期的だったのは、搭載されている、代表的な3つのプログラミング言語が使えるコンパイラだ。
 僕が、GCSEだのAレベルだの、学校で試験勉強をしている間に、サラは世界を変えていっている。


 サラを喜ばせたい。それだけで、ウイスタンまで、杜月飛鳥に会いに来た。
 僕には飛鳥の価値が判らなくて、彼を疎んじて嫌われてしまった。
 それでも、ここまでこぎ着けることができたのだから、喜んでいいのだろうか?

 ヘンリーは、飛鳥に教えられた黒い箱のスイッチを入れる。
 暗闇に、“蛍”が乱舞する。
 成虫になって、わずかな期間で死んでしまう、と言っていた。
 たとえ僅かの間でも、自ら光を放ち、自らの羽で飛び交う蛍が羨ましい。
 ああ、でも、僕はこの飛鳥の作った蛍の映像と同じなのかも知れない。
 実体はないのに、本物そっくりの光を纏っている。
 サラの輝きを、僕自身だと思って、みんな称賛し、憧れの視線を向ける。
 僕がサラに向けるのと同じ視線を……。
 サラを守るために自分で決めたことなのに、空しくて内側から腐り落ちていっているような気がする。
 飛鳥が、『シューニヤが書いたの?』と言ったとき、嬉しかった。これが、僕ではないと気付いてくれたことが。数式の中のサラに気付いたように、そこに僕がいない事にも気付いてくれたから、僕は本当に救われた。

 蜃気楼のような僕でも、飛鳥なら見つけてくれるかもしれない。

 薄闇の中、ヘンリーは、機械的に飛び続ける蛍の向こう側で、身じろぎひとつせず眠る飛鳥を哀し気な瞳でじっと見つめていた。

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