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胡桃の中の蜃気楼 作者:萩尾滋

第二章

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  寮室内の蛍7

 九日間のハーフタームを終えて、ウイスタンの学寮に戻って来た杜月飛鳥はやっと人心地が付いた。
ロンドン郊外のラザフォード家では、本当に至れり尽くせりしてもらったが、自分の部屋の機械類に囲まれている時が、やはり一番ほっとする。
 休暇中に思いついたことを早速試してみたくて、飛鳥はウキウキとパソコンの電源を入れる。モニターで画像を検索し、解像度を測り、念入りに計算する。イメージ通りのものができそうで嬉しくて堪らなかった。
 いつの間にか日はすっかりと暮れているのに、飛鳥は電気も付けずにパソコン作業に没頭していた。

 門限ぎりぎりに寮に帰りついたヘンリーが自室のドアを開けると、小さく、軽やかな、金属質な高音が、幾つも重なって、柔らかなハーモニーを作り出し部屋を満たしていた。
「アスカ、この音は何だい?」
「おかえり、ヘンリー」
 飛鳥は、喜色満面といったようすで振り返った。
「日本の秋の音だよ。ヘンリーはどう思う? 一般的には、虫の音を西洋人は右脳で聞いて、日本人は左脳で聞くらしいよ。西洋人には、虫の音。日本人には、虫の声。ヘンリーには、どっちに聞こえる?」

 ヘンリーは、唖然として暫く突っ立ったままだったが、荷物を下ろし、制服のガウンを脱ぎ、窓際にある自分の椅子に腰かけた。そして、パソコンから流れるその音に耳を傾ける。
「そうだな、虫の声かな。ヴァイオリンの音に似ている」
「虫は、翅を摺り合わせて鳴らしているから、一番近いかも知れないね。ヘンリーは、今までに聞いたことあった? 鈴虫や、コオロギ、イギリスには、いないんでしょう?」
「初めてだな。こんなのは」
「デヴィッドの家で、ニュースで見たんだ。イギリス人で、コオロギを輸入して自宅の庭に放って、虫の音を楽しんだ人がいるって。西洋人には、虫の音は雑音にしか聞こえないって、聞いていたから驚いたよ」

 飛鳥は、モニターを覗き、マウスを操りながら楽しそうに喋り続ける。普段とは打って変わった饒舌な姿に驚き、ヘンリーは小首を傾げて訊いた。
「それで、日本が懐かしくなった?」
「そうじゃないよ。効果音がある方が、イメージが沸くかな、って思って」
 飛鳥は、机の上のモニターを切って立ち上がると、外灯の明かりの差し込む薄暗い部屋の中、ベッドの隅に置かれた段ボール箱から、三十センチ四方の黒い箱を取り出した。そして、部屋の真ん中に自分の椅子を置き、その上にその黒い箱を置いた。
「ヘンリー、カーテンを閉めてくれる?」
 ヘンリーは黙って飛鳥の言う通りにした。

 暗闇の中で、飛鳥が、黒い箱に触れると、その上方向に幾つものオレンジ色の光の粒が現れた。指の先ほどの小さなそれは、点滅しながらランダムに飛び交う。ゆっくりと空間を漂うように乱舞し、ぼんやりと柔らかい光を放ち、それは、まるで生きている星のように神秘的に輝いていた。

 ヘンリーは、息を飲んで、魅入られたかのようにじっと見つめていたが、光を驚かさないように静かに立ち上がると、そっと、捕まえようと手を伸ばした。
 光は、その手を擦り抜け飛び立っていく。
「これは、何なんだ?」
 驚きから覚め、呟いた。壁や天井に映写するミラーボールの光なんかとは、違う。確かにこの空間の中で小さな光がうごめいている。
「これが、きみが欲しいって言ってくれた特許技術だよ」

 飛鳥は、壁のスイッチを押し電気を付けた。途端に、光は消え失せ、そこにはもう黒い箱しか残されていない。
 ヘンリーは、口のきけぬまま、箱と飛鳥を見比べた。
「さっきの光は、蛍っていう発光する虫を再現してみたんだ。これなら、最大限に欠点をカバーできるかな、って」
 飛鳥は、いたずらっぽく笑って、
「これでも、何を見せたらきみを一番驚かせることができるか、ずっと考えていたんだよ。なんと言っても、まだまだこれは出来損ないだからね」
と、黒い箱を示した。
「僕の持つ特許は、このガラス。簡単にいうと、このガラスを通すことで、蜃気楼を作るんだ」
 飛鳥が、モニターの電源を入れてページを開くと、その中には、今見たままの光の乱舞する映像があった。
「今の技術で動かせられる範囲は、画像サイズの二倍まで。等倍よりも、画質は落ちる。蛍の光なら、倍にぼやけても綺麗に見えるかな、って思ったんだ」
 何も言わないヘンリーに、飛鳥は少しずつ自信を無くしてきたようで、段々と言葉に力が無くなってきた。
「僕の特許は、制服代に見合わなかったかな……」
 すっかり気落ちしてしまって、飛鳥はベッドにへたり込んだ。

「あまりに感動して、言葉が出なかったんだ」
 ヘンリーは、感嘆して静かなため息をついた。
「国際特許は伊達じゃないってことだね」
「でも、ここまでなんだ。行き詰っている。ここから先は、ガラスではなくて、画像処理技術と電気信号の課題だって、“シューニヤ”に言われた。」
「きみのプレゼンテーションは完璧だった。正式に、共同開発を申し込むよ」
 ヘンリーは、真剣な顔で飛鳥を見つめ、右手を差し出した。
「ありがとう、ヘンリー」
 飛鳥は、今まで見たことの無いような大人の顔をして、ヘンリーの手を強く握り返した。


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