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胡桃の中の蜃気楼 作者:萩尾滋

第七章

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  矜持8

 昨日まではあんなに嬉しそうにして、早く行きたい、と想いを熱く語っていたアレンだったのに、いざ憧れのウフィツィ美術館に足を踏み入れても、緻密で壮麗な天井のフレスコ画を、特にどうという反応もなく浮かない顔で、ぼんやりと眺めているだけである。廊下に並べられた古代の彫像群も目に入らないようだ。

 デヴィッドは小さく吐息を漏らし、
「ヨシノがいないからって、そんな風に不抜けていたんじゃ勿体無いよ!」
 と、人差し指を突きつけて、軽く睨んでアレンをたしなめる。アレンは、あっ、と誤魔化すように小さく首を横に振った。
「それはいいんです。いつも彼を付き合わせて、申し訳なく思っていたから」
 ふわりと浮かんだ柔らかな笑顔が、その言葉が嘘ではない事を語っている。
「でも、元気ないじゃん」
 訝しげに向けられるヘーゼルの瞳に、アレンはちょっと肩を竦めて首を傾げた。

「ヨシノが……」
「やっぱりヨシノじゃないか!」
 呆れ声を出すデヴィッドに、アレンも申し訳なさそうに笑っている。
「ヨシノが、何だか変なんです」
「あの子はいつだって変な子だよ! 気まぐれだし、我が儘だし、身勝手だし! だからアスカちゃんが、いつもすっごく心配してぇ、」
「ヨシノの事、すごく好きなんですね」
「へ?」
 思いがけない問い掛けに、デヴィッドはポカンと口を開けたままだ。
「悪口言えるほど、良く知っているって、ヨシノが言っていました」
 アレンは、鼻高々に微笑んでいる。
「あ~、ヨシノがねぇ……。それで、きみ、なんでそんな浮かない顔している訳?」
「ヨシノが、優しくて、」

 話が見えない……。

 狐に摘まれたような顔をするデヴィッドに、アレンは唇を尖らせて、
「だって、彼、いつもはちょっと意地悪でしょう? それなのに、朝食を残しても怒らなかったし、コーヒーに砂糖を三杯入れても何も言わなかったし、それに、出かける前はいつも、うっっ、てなるくらい色々注意されるのに、今朝は何も言われなくて、楽しんでこいよ、って……」
 同意を求めるように小首を傾げる。
「あんまり優しいと、ヨシノじゃないみたいで気持ち悪くって」
 真顔で告げるアレンに、デヴィッドはなんと返答するべきか、遂に思いつかなかった。




「お前、なんで着替えていんの?」
 今夜のパーティーのためにタキシードを着たアレンに、吉野はかすかに眉を寄せている。
「なんでって、今夜は、僕のためのお披露目だよね?」
 ルベリーニ一族が一同に会する席で、四分家からの忠誠を捧げられ、宗主のロレンツォからもう一度指輪を渡される正式な儀式が行われる、確かにそう聞いている。
「出なくていい」
 言葉の通り、吉野は出席する気はないようだ。もう時間も迫っているというのに、Tシャツにジーンズ姿だった。

「いってらっしゃ~い!」
 タキシード姿のデヴィッドがドアにもたれ掛かって、手をひらひらと振っている。
「テストは?」
「問題なし」
「よろしくな」
「しくじって僕がやられちゃったら、屍はちゃんと英国に連れて帰ってねぇ」
 親指と人差し指で銃の形を作り、自分の頭を撃ち抜く素振りをしながら、ディッドは笑っている。
「笑えねぇ」
 そう言いながら、吉野もくすくす笑っている。

「行くぞ」
「え? 何処へ?」
「ミケランジェロ広場に夕日を見に」
 唖然としているアレンの腕を取って、吉野は振り向きもせず歩き出した。



 白を基調とした壁という壁が金縁に収まった絵画に覆われ、同じく金で装飾的に縁どられた天井には、天使の舞う青空の描かれているルベリーニ家大広間は、続々と訪れる正装し、着飾った紳士淑女で溢れかえっている。

 そんな中でロレンツォは、鷹揚な笑みを浮かべて一族の者たちからの挨拶を受けていた。
 今日の主役であるアレンは、ホール最奥の窓際で、真紅の布張りの椅子に腰掛け窓の外に視線を向けたままだ。その横にいるデヴィッドが、まるで番犬のように話しかけてくる相手をあしらっている。
 日没までにはまだ時間があった。このホール内よりも、余程明るい窓から差し込む白い陽の光は、アレンの金髪を透かし後光のように輝かせている。

 こうして見ていると(まさ)しく天使だな、と、ロレンツォは、時折りその姿に目を遣っては吐息を漏らした。ルベリーニ四分家を屈服させたのは、彼ではない。今、この場にはいない吉野だ。

『ルベリーニ一族が東洋人に跪く訳がないだろ?』
 と、吉野は揶揄うような、嘲笑うような瞳を向けて言った。
『王様ってのは、誰もが納得するカリスマじゃなきゃいけないんだ。ヘンリーや、あいつみたいにさ。あいつ、まさに、うってつけだろ? 北も、南も、天使のイメージってそう変わらないんだな。いろんな国の教会や美術館行ってさ、やっと分かったよ。あんた達が、あいつの顔が大好きな理由。ホント、まんまだもんな。外見以上にさ、ぼーとしているくせに、お前らなんか眼中にありません、て、顔つきがさ!』
 そして、当たり前のように付け加えた。
『それにさ、王様ってのは、象徴であり、傀儡である方がいろんな事が上手く廻るもんだよ』

 分家四家がそれを納得し屈したのであれば、宗主として承諾せざるを得ない。が……。何とも割り切れない想いを抱えたまま、この日を迎えてしまっていた。


「宗主」
 呼び掛けられ、意識を現実に引き戻す。型通りの挨拶を終えたマリーネは、どこか影のある所在なさげな瞳を向け、
「ヨシノ……トヅキは、来ているのでしょうか?」
 と、煙る睫毛を瞬かせて、伏せがちの面のままに小声で訊ねた。
「ここに泊まってはいるが、出席はしていない。観光に行くと言っていた。それより、これで揃ったか?」
 ロレンツォは、頷くマリーネに先んじて歩き出した。
 儀式の始まりだ。


 静寂の中、逆光を受け窓辺に佇んだアレンが、おもむろに右手を差し出す。
 ルドルフ・フォン・ヴォルフを筆頭に、マリーネ・フォン・アッシェンバッハ、フィリップ・ド・パルデュ、マルセッロ・ボルージャが、順番にその手を取り、一族の見守る中、忠誠の言葉と接吻を捧げた。
 だが、何故か、ルドルフも、フィリップもアレンの手に触れるな否や怪訝な顔をし、ぎくしゃくと型通りの所作を行った。マリーネはただ、淡々と、そして、マルセッロ……いや、マルセルは、自分の番を終えるなり、背中を向け声を殺して笑っている。

 厳粛な面持ちで指輪を渡すためにアレンの手を取ったロレンツォは、唖然として、柔らかく微笑むアレンの顔を凝視する。そして、すぐに傍らに立つデヴィッドに目を向けると、彼はついっと視線を逸らせ、素知らぬ顔で天を仰いでいる。

 この一族を会しての重要な儀式に、立体映像!

 このルベリーニを小馬鹿にしたとも受け取れる所業に、一瞬、ロレンツォは怒りで頭が真っ白になった。だがすぐに、吉野の真意に思い当たり、笑い出した。

 あいつが仕えるのは、アレンじゃない! この技術を生み出した飛鳥、飛鳥なのか?

 ロレンツォが再び偽りのアレンの手を取り、ぎゅっと握ると、触れた箇所から蒸発していくように、キラキラとした分子に分解され、映像は消えていった。
「ロレンツォ・ルベリーニは、欧州四分家がアレン・フェイラーを象徴とするアーカシャーHDの新技術に、一族の命運を掛けることを、ここに承認する!」

 高らかな宣言と共に、会場から歓声と拍手が沸き起こる。

 命拾いしたデヴィッドは、役目を終え緊張が解けたのか、深い、深い、ため息を漏らした。








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