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胡桃の中の蜃気楼 作者:萩尾滋

第一章

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  真夏のカフェテラス4

 “ヘンリー・ソールスベリー”

 サマースクール滞在中の、ベッドと机があるだけの簡素な二人部屋に戻って来た杜月飛鳥は、パソコンを立ち上げ、彼の名前を検索欄に打ち込んでみた。
 あの子たちが自慢して回ったために、夕食時もその話題で持ちきりだった。余りにしつこく聞かれるので、本来なら自習時間のこの時間に、忘れ物をしたから、と部屋に逃げ帰ってきた。
 やはり、トップにあの動画が出てくる。あとは、SNS,ブログ……。
 本人のものではないらしい。噂話や、ファンの書いたものか……。

 飛鳥はイヤホンを差し込み、ヘンリーの動画を再生してみた。
 カフェでは落ち着いて見られなかったが、改めて聴くと、素人の飛鳥にも、彼が熱狂的に支持される訳がわかるような気がした。
 “嘆きの天使”……。この世の荒廃を嘆き悲しむが、神の国の再構築を誓いこの世の楽園を約束する天使。って、説明してくれたけど、そんな感じじゃない。
 どちらかっていうと……、
 堕天使ルシファー。この世の何もかもに絶望して怒りまくって、神様にケンカ売ってやるって感じかな。でも、それだけじゃない。悪魔では、ないんだよな。
 飛鳥は、ヘンリーの上品そうな、けれど、どこかピリピリとした神経質そうな顔を思い出し、クスリと笑った。
 天使だの悪魔だの、外野から好き勝手に言われて騒がれて、大変だなぁ、あの人も……。
「留学かぁ……」
 ヘンリーの言葉を思い出しながら、飛鳥は頬杖をついてぼんやりと窓を眺める。

 夜の八時を過ぎているというのに、窓の外は、ようやく日没を迎えようとしているところで、赤レンガの街並みにかかる空は、薄紅から夜の闇を纏いつつあった。

 トン、トン。ドアがノックされる。
 開くと、サポーターのアーネストが立っていた。
「体調が悪いのかな? 自習室にいないから心配したよ」
「すみません! ちょっと忘れ物をして。すぐ行きます」
 飛鳥は慌ててパソコンの電源を切り、ノート類を手に持った。
 長い廊下を歩きだしてすぐに、
「ヘンリーが声をかけたっていうのは、きみのこと?」
 アーネストが直球で聞いてきた。

 またか……。

「はい。でも大した話はしていません」
 ネット上の人のプライバシーに係る内容を、誰かれ構わずしゃべるほど飛鳥は無神経ではないつもりだ。
「話の内容よりも、ヘンリーが話しかけたっていうのに驚いてね」
 アーネストは、優しい口調で言った。

 エリオット校の卒業生で、現ケンブリッジ大学生のアーネストは、優し気で、穏やかで、よく気の付く人で、五人いるサポーターの中でも、飛鳥たち留学生の間で一番人気の人だった。
 クルクル巻き毛のブルネットにヘーゼルの瞳、少し女性的な線の細さに整った上品な顔立ちは、女の子たちの憧れを満たすのに十分な要素で、日本語でこっそりエリオット王子さまと呼ばれていた。

「ヘンリーはフレンドリーだけれど、よほどのことがない限り、自分から話しかけたりしないんだ。初対面の相手には、特にね」
 アーネストは、飛鳥に聞き取りやすいように、わざとゆっくりと区切ってしゃべった。
「きみ、ヘンリーに何をしたの?」

 え?

 飛鳥は思わずアーネストを見上げた。ヘンリーのような威圧感はないとはいえ、彼もやはり長身で、一六〇センチしかない飛鳥からしたら頭一つ分は目線が上だった。

 声音は優しいのに、目が笑っていない!

 肌が粟立つような緊張が走る。
「何かって……。何もしていません。僕は、カフェでネットをしていて、その、数学のサイトを見ていて……。ソールスベリーさんが声をかけてきたんです」
「彼、何て? 何て言ったの?」
「“シューニヤ”って、言ったのか、って」
 飛鳥は渋々答えた。黙っていると、とって喰われそうな恐怖感に負けてしまった。
 アーネストはいきなり声を立てて笑い出した。
「そっちかぁ! 心配して損しちゃった。ごめんね、きみ。しつこく聞いちゃって」
 そして、いきなりそれまでの緊張を解いて、今度こそ本当にフレンドリーな瞳で笑いかけてくれた。

「ヘンリーは、お姫さまのこととなったら全身アンテナだな」
「お姫さま?」
「ヘンリーの宝物さ。ごめん、これ以上は言えない」
 アーネストは片目をつぶって、人差し指を唇に当てた。
「きみ、ヘンリーの動画を見たことある?」
「はい、今日教えて貰って」
「あれのせいで、彼、結構嫌な思いをしていてね。ちょっと警戒しちゃったんだ。ヘンリーは、ただの生徒でロックスターとは違うんだ。きみの友達にも、あんまり騒がないでくれ、て言ってくれないかな」
 アーネストは真面目な面持ちで飛鳥を見つめる。
「分かりました。僕が言ってわかってくれるかは疑問だけれど。多分、アーネストさんから言われる方が、みんなずっと聞くと思いますよ」
「どうして?」
「ヘンリーさんと同じくらい人気者だもの。女子の間で」
 アーネストは、一瞬怪訝な顔をして、額に手を当てクスクス笑った。
「それはいい。じゃ、言うだけでも言ってみるかな。それから、ファーストネームにはミスターはつけないよ」
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