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胡桃の中の蜃気楼 作者:萩尾滋

第一章

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  石造りの壁の中2

「ヘンリー、きみ、エドガー・ウイズリーを助けてあげたんだって? 」
 寮長のアーネストの部屋で煙草をくゆらせていたヘンリーは、面倒くさげに首を振った。
「知らない。」
「きみしか考えられないんだけどな。暴漢を一瞬で転がすようなエリオット生は。」
「なんだ、言いふらして回っているのか? あのチビ。」
 アーネストは眉根をしかめて、ローテーブルに置いたティーポットにお湯を注ぐ。
「お茶の時くらい煙草をやめてくれよ。まずくなる。」
 ヘンリーは、ふーと長く煙を吐き出すと、携帯灰皿で煙草をもみ消した。
「だいたい何だっていつも僕の部屋で吸うのかな? 部屋が臭くなる。」
「ここが一番安全だろ。香でもプレゼントしようか? 何がいい?
 ムスク? ジャスミン? ローズ? バンブー……。」
「いらないよ。紅茶の香りが一番だ。」
 アーネストはカップに紅茶を注ぎ、差し出した。

 寮長の部屋は一般生徒と違いかなり広く、簡単な応接セットも置かれている。
 ヘンリーは、その一人掛けソファーで、だらしなくくつろいでいた。
「ウイズリーがお礼を言いたいって、きみを探している。」
「めんどうくさい。」
「じゃ、なんで助けたのさ? 君らしくない。」
「小さくて、黒髪だった。」
「また! 」
 アーネストは、大げさにため息をついた。
「早く帰りたい。」
「休みが終わって戻ってきたばかりだろう!」

 ヘンリーは、ふたつ下の弟デヴィッドの同級生で、かれこれ7年もの付き合いになるが、今ではデヴィッドよりもアーネストの方と仲がいい。
 昔は、真面目で礼儀正しく、親切で思いやりのある、優しいやつだった……。それがこの数年で、いや、この学校に入ってから、すっかりやさぐれてしまった。いや、やさぐれるというのは違うか……。ヘンリーは入学した時から変わらず、先生方の評価の高い、3学年にして、もっともエリオットらしいエリオット生と言われる優等生だ。勿論、先生方は、ヘンリーがヘビースモーカーだということはご存じないが。
 アーネストは、チラチラとヘンリーを眺めながらため息をついた。この時期はいつもなら機嫌がいいのに、今日は思い切り低気圧だ。

「ファッジでも食べる? 」
「嫌がらせか? 」
 ヘンリーは青紫の目を眇めて、露骨に嫌な顔をした。
 いつも以上にイラついているので、少しヘンリーをつついてみたら、大当たりだ。
「また、きみのお姫さまとひと悶着あったの? 」
「あのファッジが、ずっと家に居座っているんだ! 」
 ヘンリーは一気に息巻いた。
「年頃の女の子とずっといっしょにいさせるなんて、スミスさんも何を考えているんだ!」
「年頃? きみの姫君いくつだっけ? 」
 たしか……。
「10歳。」
 アーネストは笑いを噛み殺す。そうだ、この女の子が来てから、ヘンリーはおかしくなったんだ!

「ファッジ。」
 ヘンリーは仏頂面で手を差し出した。アーネストはその手にファッジの入った箱を渡す。
 ヘンリーは憎々し気に2~3個まとめて摘みあげて口に入れると、ガリガリとかみ砕いた。
 アーネストは、たまらずに笑い出す。
「僕も会ってみたいな。きみの姫君に。」
「絶対にダメだ。きみみたいに、手癖の悪い奴。」
「さすがに、10歳じゃ守備範囲外だよ。ああ、それでゆっくりしているんだ?今日は構ってもらえないのか、姫君に? 」
 ヘンリーは、夕食後は消灯まで自室にこもってネットにかじりついていることも知れ渡っていた。社交的で、フレンドリーなのに、談話室で姿を見かけることはなかったからだ。
 ヘンリーは、じろりとアーネストを睨んだ。

 これ以上つつくと本気で怒りだしそうだ。アーネストは、話を変えることにした。
「音楽のクラス、真面目に行っている?そろそろ、クリスマス・コンサートの稽古に入るだろう?」
「下手くそといっしょにやっていると、耳がおかしくなる。先生には、手をケガしたとでも言うよ。」
 この口の悪さも、先生方はご存じない……。
「エドガー・ウイズリーは、音楽でキングススカラーになったんだよ。」
「へぇ、珍しいな。」
 普通キングススカラー(奨学生)は、学業優秀な生徒が入学試験とは別に試験を受けて選ばれる。芸術面からの選考は滅多になかった。ここは、そのキングススカラーのみを集めた寮だが、70名もいる奨学生のことを、ヘンリーはいちいち覚えてはいない。
「君と同じ、ヴァイオリンだよ。」
「じゃ、そいつがソロをやればいい。」
 アーネストは眉根をしかめた。どうしてこう、扱いにくくなってしまったんだろう……。
「彼ならきっと、きみの耳も満足できるよ。」
「興味ない。」
「油断していると、本当にソロを取られるぞ!」
「どうでもいい。」
 どうやら今日は何を言っても、無駄らしい。
「クリスマス・コンサートにきみのお姫さまを呼べばいいのに。」
 アーネストは、何気なく呟いた。
 エリオット校のクリスマス・コンサートは音楽のクラスを取っている生徒の発表会だが、収益金を寄付するチャリティーコンサートとして、校内のホールではなく、町のコンサートホールで行われる恒例行事になっている。勿論、この日は生徒だけではなく一般の人たちも鑑賞できる。
「…………。」
 ファッジをガリガリと食べ続けていたヘンリーが手を止めた。
 お、反応があった! 
 アーネストは畳みかけるように続けた。
「お姫さまも、きみの活躍を見たいんじゃないかな? 」
「そうだね……。」
 ヘンリーの苦虫を噛み潰したような表情から、険が取れてきている。もう少しだ。
「早朝練習しているそうだから、行ってみれば? 」
「キャンベル先生に頼まれたの? 」
「さぁ、どうだろうね。」
「まぁ、のってあげるよ。」
 ヘンリーは、口の端を上げてにっと笑った。
 全く、手のかかるやつだ……。
 アーネストは先生に頼み込まれた問題が、取りあえず何とかなりそうで胸を撫で下ろした。が、そんなことはおくびにも出さずに笑った。
「お茶、おかわりする?今日は、ヒマなんだろう? 」
 ヘンリーは、黙って空になったカップを差し出した。
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