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胡桃の中の蜃気楼 作者:萩尾滋

序章

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  春の墓廟5

「コンサバトリ―(温室)の方に、朝食を用意してくれる?」
 玄関先で出迎えたマーカスに伝えると、部屋へは戻らずヘンリーはそのまま温室へ向かった。サラは、ヘンリーの背中ですやすやと眠っている。
「サラは、ここに寝かせておきたいから、用意を」
 起こさないようにそっとソファーにサラを横たえた。

 出発までまだ時間がある。僕も少し寝ておかないと……。
 籐椅子に深く腰掛け、身体の緊張が解けると、どっと疲れが出てきた。クッションを枕にして目をつぶる。けれど、身体は確かに疲れているのに、神経が高ぶっているのか眠れそうになかった。

 まるで、鳥籠のようだな。

 ヘンリーは、頭上から高く等間隔に白い鋳鉄が渡されたガラスのドーム天井を眺めて、皮肉に笑った。ガーデンテーブルの周辺には幾種もの南国の観葉植物が植えられ、ジャングルさながらに濃い緑の葉に囲まれている。頭上のアビシニアバショウの大きな葉越しには青空が広がり、さんさんと陽光が降り注いでいるというのに、ガラスに閉じ込められたこの空間にいると、息が詰まりそうだった。
 母のことを思い出す度に、ヘンリーは例えようもない閉塞感と、嫌悪感を覚えずにはいられなかった。どんな場所にいようとも。

 三年前、父が脳梗塞で倒れ、左半身に重度のマヒが残った。母は実家のあるアメリカに戻ったまま、見舞いにすら来なかった。ヘンリーの二つ下の妹も、その下の弟も。
 ヘンリーだけが、父の爵位と領地を継ぐために、英国で教育を受けている。八歳まで、この屋敷で育ち、その後はロンドンの全寮制のプレップ・スクールへ通った。今はパブリック・スクールの寮生活だ。

 母と、妹や弟に会うのは年に一度、クリスマスだけ。
 ヘンリーが母の実家に招待されるのが習わしだった。それに何度か、思い出したように母がロンドンに来たこともあった。父が倒れるまでは……。
 アメリカでもロンドンでも、母はいつもヘンリーの知らない男といっしょで(それも毎回違うので名前を覚えることすら無かった)、所かまわず下品に笑い、ふざけあっている母を見るのがヘンリーは嫌でたまらなかった。
 自分に課せられた義務として、母に会う度に、ヘンリーはますます母を嫌いになっていった。
 あんな女が自分の母親だなんて! この髪とこの瞳がこんなにも同じでなかったら、何かの間違いではないのかと思えるのに!

 ヘンリーは、眠ることを諦めて、食べ残していた朝食のベイクド・ビーンズをつつき、冷めた紅茶を口に運んだ。
 用意してもらった時には食欲がわかず余り食べられなかったのに、嫌な事を思い出していたせいか、やたらとお腹が空いてきた。
「紅茶を淹れ直してまいりましょう」
食器を下げに来たのか、マーカスが傍に立っている。
「いや、これでいいよ。……ああ、やっぱり淹れて来てくれる? またしばらく美味しい紅茶は飲めないからね」
 ヘンリーはひょいと肩を竦めて苦笑いして続けた。
「寮の紅茶は最悪なんだ」



 
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