depot:零・ZA・音編
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山の奥―――
あまりにも田舎過ぎて、世間から少しずれている感覚があるこの村に、俺のじい様は住んでいる。
空気がいいせいか、それとも食べ物がいいのか、それは分からないがとにかく元気なじい様だ。
そんなじい様の家で遊んでいたが、休みも残すところあと数日となって、今から家に帰ることになっていた
…のだが―――
「ぐあっ…乗り遅れたぁ!」
大きな声で叫んでも電車は帰ってくるはずも無く…途方にくれていた。
駅のホームに立ち、だんだんと小さくなっていく電車を眺めながら、思い出していた…朝の出来事を―――
朝、帰る仕度をしている俺のそばに、ひょっこりと現れたじい様。いつもの事だから別に気にも止めていなかったら
急に、組み手をしようといいだした。最近は元気とはいえ、「腰が痛い」とか「調子が悪い」とか言っていたはずなのに…。
その時のじい様の顔が、やけに真剣に俺は組み手を承知したんだ。結果は惨敗―――未だに一勝もした事がない。
歳をとったとはいえ、有段者に勝とうというのは至難の技だ。じい様が生きているうちに勝ちたいものだと考えていたら
じい様も「いつになったら。わしに勝てるかの…もう直ぐ、お迎えが来るご老体に勝てんとは情けないのぉ」と―――。
ちょっとしんみりしていたら、次の組み手の始まりまたしてもボコボコにされた。それから数本やって、気づいたら
いつの間にか夕方。確か組み手を始めたのは朝だから、俺達は半日も組み手をやってたのかっ!
っと言う訳で、今に至るのだが―――
「しかし、困った…一時間、何すりゃいいんだ?」
しかたなく駅のホームのベンチに腰を下ろして、ぼんやりと空を眺めていた。
この駅で電車に乗るのも今年が最後だ。今年でこの路線は廃線になる事が決定している。
寂しいが時代の流れってやつかな…利用客がいない電車なんて儲けもないからしょうがないか…。
八月の終わり…とんぼがゆったりと飛んでいる風景はやっぱり田舎だ。
目で追っていると、次第に眠気が俺を満たしてきた。それに誘われるように、ゆっくりと瞼が落ちていく。
「うおっ」
いつの間に眠っていたらしくビクッとなって目が覚めた。
ぼんやりする頭を振って、辺りを見渡して―――
「そう言えば俺、何してたんだ?―――あっ、そうだっ!電車っ」
急いで時計を見たが、時間にして三十分くらいだろう…俺が眠っていた時間は。
一時間も時間があった待ち時間が、後三十分で電車が来るのか…なんか得した気分だ。
凝り固まった体を動かしてほぐし、首を廻して辺りをぼんやりと眺めると視界に不意に入ってくるものがあった。
―――誰だ?この女の子は…。
いつの間にか俺の座っているベンチにはもう一人の客が座っていた。
年の頃なら俺と同じくらいだろう。どこかこの風景に馴染んでいるのは、その純朴そうな表情のせいだろうか。
隣を盗み見るようにして見てみると、優しそうな瞳がとんぼを追いかけては、キョロキョロと忙しなく動いて
それにつられるようにして、足がパタパタと動いて楽しそうに空を眺めていた。
俺の存在が目に入ってないのか、それとも自分の世界に入っているか…まったく素振りを見せない。
それにしても、ここ最近は毎年のようにじい様の家には来ているが、始めて見る子だな…。
こんな子には会った事がない。それに、ただ女の子を眺めていたら、俺は変態の仲間入りだ。
ここは一つ…話し掛けてみるか―――
そうしないと、なんだかまた眠ってしまいそうだ…ほのぼのしたこの空気は眠気を誘発してくる。
「君…誰?」
なんと切り出していいか分からずに、なんともぶっきらぼうな聞き方になってしまった。
それでも、俺の声が聞こえたのか―――いや、聞こえるだろう…隣にいるんだからと思っていたら
ゆっくりと空から俺の方に目を移して、しっかりと俺を見て暫くして―――
「きゃっ」
「な、なんだっ」
悲鳴をあげられてしまった。
少し怯えたような表情で俺を見ている女の子に、上から下までじっくりと観察されてしまった。
「あの…あなたは?えっ?あの?えっ?」
「んっ…俺?」
「あっ、はい…」
かなり、パニック気味の女の子はオロオロとして辺りを見渡している。それにしてもどうして
ここまでパニックになっているんだ?俺より後に来たはずなのに…なんで俺よりパニくってんだ?この子は…。
何とも意味不明な会話を連発している気がするが、どうしたものか…。ここは一つ
笑いを取れれば―――いけるかもしれないっ!
「俺は、この町に遊びに来ている風来坊さっ」
「えっ?あっ……私は、巡です」
至極真面目に返されて思いっきり滑ってしまって、かなり変な自己紹介をしてしまった。俺とした事が何たる失態っ!
そのまま黙り込んでしまった俺達だが、この気まずいものをどうにかしないと、俺には耐えられないぞ。
こういう雰囲気は大嫌いなんだ…俺はっ。
「それで…何してんの?」
「えっ…?」
「いや…別に何でもない」
おかしな質問をしたもんだ…何してるも何も、ここにいるんだから電車に乗るに決まってるんだろ。
なんであんな質問をしたのか分からないが、どうにも調子が狂ってしまう。
「私は…ここで空を眺めているだけ……です」
頭の中で一人でツッコミを入れていると、控えめな声が聞こえてきた。
「空…?」
「うん…空」
夕刻の空を二人で見上げる。とんぼがあちらこちらで飛んでいるのが目に入ってくる。
赤く染まった空はとても綺麗で、俺が住んでいる町ではこんなにきれいには見えない。
だから俺はこの村が好きなんだ…いつまでも残っていて欲しいと思っている。
「綺麗ですよね…私の住むところでは、こんなに綺麗には見れない…」
「そうだな…綺麗だな」
「はい…ここには毎年くるんです。でも―――それも今年で最後になるかも知れないんです」
「えっ…?」
そう言って女の子――巡は下を向いてしまった。俯いた顔から覗くのは、寂しそうな表情をしていた。
何があったのかは知らないが、俺にはそれは他人事のようには思えなかった。
「おじいちゃん…体調崩して―――」
「…それは大変だな」
「はい…おじいちゃん、とても元気だったのに…」
悲しみが支配する顔をして、何かを必死に我慢している様子の巡。
「そっか…俺もじい様が倒れたら心配だな。でも大丈夫だっ!」
「えっ…?」
驚いて俺を見ている巡に俺は―――
「巡がそばにいてやれば、きっと元気になるってっ!」
なんの根拠もないが、俺自身にも言い聞かせるように俺に言っていた。
大切な人がいなくなったら誰だって寂しいものだ。ましてや、こんなにも思ってもらえているのなら尚更だ。
頑張って欲しいっ!巡の為にも…元気になって欲しい。
「ありがとうございます…」
少し涙目になりながら俺に礼を言っている巡は、微笑みながら話し出した。
「おじいちゃん…この場所で見るこの空が好きだって言って、いつも連れてきてくれてたんです」
「俺もこの空が好きで、いつもここからの帰りには眺めているよ」
同じように流れていく雲を眺めていると―――
「おじいちゃん…昔、ここで女の子に会ったそうなんです」
突然、思い出したように話し出した。
「女の子…?」
「はい…私の顔を見ながら、楽しそうに話してくれるんです」
巡がゆっくりと、おじいちゃんから聞いたと言う話を、俺に聞かせてくれた。
「何となく、今の私達に似てますね」
「そうだな…」
おかしそうに笑う巡を見て俺も笑っていた。
確かに今の俺達にそっくりなシチュエーションだ。微妙に内容が違う所を除けばの話が…。
「おじいちゃん、毎回話す度に内容が微妙に変わるんですよ。絶対にわざとですけど…」
「ボケてるわけだな…」
「ぼけてはないですよ」
「いや…そっちのボケではなくて―――」
なんでか、俺はそのおじいちゃんのボケの説明をしていた。聞いていて飽きない為に、工夫していたんだと…。
どうしてこんな説明をしているのか分からないが、巡も「そうかもしれません」と言ってくれた。
「それにしても、よくおじいちゃんの気持ちがわかりますね?」
「んっ?…まぁ、俺にも似たようなじい様がいるから…」
「そうなんですか」
それでじい様の気持ちが分かる訳でもないだが…。なんでか、巡のおじいちゃんの気持ちは分かる気がしていた。
クスクスと笑う巡を見ていると、何とも言いがたい気持ちになるのは何故だろう。
「―――って、俺は巡のおじいちゃんって事か?」
「そんな事あるわけ無いじゃないですかぁ」
さらに笑い出した巡の手が俺の腕に触れる。刹那、体の中を何かが駆け抜けていった。
それは巡も同じだったらしく、驚いた表情をして手と俺を交互に見比べている。
「い、今のは―――」
「さぁ…俺にも分からん。なんだったんだ…」
「そう…ですか」
納得したのかそれ以上は深くは聞いてこなかった。しげしげと手を眺めては握ったり、開いたりしている巡。
その様子は不思議と俺の心を満たしてくれていた。会ったばかりなのに、それが懐かしいと感じしまうのは何故だろう…。
「…どうしたんですか?」
「―――いや、別に。なんか不思議な感じがしてるんだ…」
「そうですか…私もなんです…なんだか、不思議な感覚が体を包んでいるようで…」
どうやら同じように感じているらしい巡は、俺を見て優しく微笑んでいた。
触れられた腕が妙に熱い…それは人の手のような温もりを持っていて、それにとても優しいものに
触れられている感覚がする。
「手が暖かい…この感じは―――」
「俺もだ…暖かい」
手を眺めていた巡が、何かを思い出したのだろうか…瞳には薄っすらと涙を浮かんでいた。
「おじいちゃん…」
「大丈夫だ…きっと良くなるって」
本当におじいちゃんの事が好きなんだな…そこまで好かれているおじいちゃんを一度は見てみたいものだ。
この村にいるのだろうけど、どのおじいちゃんかは分からない。でも、きっと巡がこれほどまでに
好きになれる人だ…優しい人だったんだろう。
俺が見ている事に気づいたのか、恥ずかしそうに手の甲で涙を拭ってから顔を上げた。
「えっと…その、風来坊…さん」
「んっ…あぁ、俺の名前は―――」
そう言えば、名前を訂正するのをすっかりと忘れていた。風来坊っていうのは無いよな…。
そう言いかけている俺の目に入って来たのは、だんだんと大きくなってくる電車の姿と到着を知らせる駅のベルが
鳴り出した。
「おっ…やっと、電車が来たみたいだな」
「えっ…?」
不思議そうな顔をしている巡が、俺を見ながら―――
「電車って…ここはもう50年以上も前に、廃線になってるって父さんが…」
「はっ?…何を言って―――」
「だから、ここにはもう、電車は通ってないんですっ」
ベルの音が鳴り響き、声が聞き取り難い。それよりも、巡の声がどこか遠くで聞こえるようになっていた。
目の前にいるのに壁一枚向こうにいるような感じ…。それは巡も感じたのだろうか…同じような顔をしていた。
「何言っているんだ?現に電車は来てるんだぞ―――ほら」
「あっ…本当……」
「これに乗るのも最後だけど―――な」
何故か、何かを納得した様子の巡は俺を見て優しく微笑んでいた。
ゆっくりとホームへと滑り込んでくる電車は一両編成。単線の田舎村…利用客も少ないし、こんなもので十分だ。
完全に停止した電車のドアが、少し軋みながら開いてゆく。
「さてと―――巡は乗らないのか?」
「私は…いいです。乗れないですから…」
ベンチに座ったまま、俺を見ている巡は何だか寂しそうな、それでいて少し嬉しそうな顔をしていた。
電車へと近づいていく俺の後ろを付いてくる巡。見送りでもしてくれるのだろうか…。
電車の中に乗り込み、荷物を下ろして順の方へと向き直る。
「あっ…そうだ。俺の名前だけど―――」
そういえば、さっき言いかけたままだったので、俺は名前を名乗ろうとしたが―――
「知ってる…頼―――」
語尾が地小さくて聞き取り難かったが、クスリと笑いながら微笑んでいる巡がそこにいた。
「なんで、俺の名前を…」
「知っているよ…だって、私―――」
その瞬間、扉が閉まり始めて声がかき消されていった。いや、周りの音全てが掻き消されていた。
何故か、その先の声は俺の耳には届かない。必死で喋っている巡が目の前にいるのに…。
何も音が聞こえない…どうなっているんだ?
「聞こえないっ!何を言っているんだっ」
ゆっくりと動き出した電車は徐々にスピードを上げていく。
巡は、それを追って一緒に走っているが、巡の周りの風景がどこか霞んで二重に見えていた。
その風景が一瞬だけ重なる…それは、今よりも古くなった駅の姿。朽ち果てようとしてる駅舎と雑草の生えた線路。
もう随分と使われていない事を示していた。そこを一生懸命に走っている女の子が一人―――
ホームの端まで走り、そこからずっと手を振ってくれている女の子が、口元に手を当てて叫んでいた。
あの時、俺の声は巡に届いたのだろうか…ほんの少しだけだが、声が聞こえた。
その声は、とても心に響いてきて俺は驚きよりも、自然と笑みがこぼれていた。
「そっか…」
名前以外は分からない…その不思議な女の子は、俺の知っている子だった。
だが、今は知らない。そのうち、分かる時が来るのだろう…。
何十年もたったある日…ひょっこりと―――
『元気でね―――おじいちゃんっ』
―――その言葉を信じていれば…。