序章
夜。
星空も見えない強いネオンが彩る、3千万強の人間が犇きあう大都会。
世界最大クラスの経済都市、ここは東京。
漆黒の闇夜に僅かに光る夜光虫のように、この眠らぬ街を俺達は走る。
沈む黒い眼が仕事だと呼んでいる。
自らと同じ力を持つ影を追え……と。
ざわめく人間たちの合間に、虚ろに動く影、影、影。
人と変わらぬ姿を持つ影、しかし俺たちは影の姿を捉えることが出来る。
沈む黒い眼が影の方向を指し示すからだ。
俺たちはただ、それに従うだけ。
眼の向くほうへ、影を追う。
不夜城、新宿歌舞伎町。
今日の標的はどうやら此処に逃げ込んだらしい。
並ぶ街灯の焦がすように光る白いライト。
誰が見るのかオールナイトで上映される映画館。
赤や青、ネオンが点滅しながら営業を知らせるパチンコ屋、スロット場。
虫と人を呼び寄せる、看板が黄色に発光するファーストフード店。
七色の照明を妖しげに光らせるラブホテル。
走りながら影を追う俺たちには、眩しすぎる光と闇のコントラスト。
文字通りの昼夜逆転。
この街に静寂など存在しない。
夜を照らすには明る過ぎて、影を探すには騒がしすぎる。
しかし、それでも眼が教える。
この息吹く光に隠れた、影の場所を。
人間の疲れを癒す歓楽街と言えば聞こえは良いが、夜のこの区域は、まさに欲望の掃溜め。
黒いスーツで女を口説き、抱き込むチンピラ。
見知らぬカタギを煽る半裸の薬漬け。
夜の主役気取りで男を誘う金髪虚言癖。
浅ましいブランド狂いの貴婦人モドキ。
治安と保安の目を掻い潜って外貨を稼ぐ海の外の異人。
ここに居るのは、どいつもこいつも闇に蠢く弱者の血をすする無法の商売屋たちばかり。
まともな人間は誰一人として居ない。
欲望の亡者が忌々しく闊歩している中を、俺達は眼に従われるように影を追った。
そして……
「割と近いところまで来たみたいだね……」
「ああ、間違いねえ。小汚え街に、一際臭うハイエナが一匹紛れ込んでやがるな」
「…Telepathy(精神感応)ッ!!ていうかーマジあのビルに隠れてるぽくないー?」
「さっすが精神感応のスペシャリスト、鼻がいいぜ!」
「まっ、そうじゃなきゃ勤まらない仕事だからね」
「そんじゃ、さっさと仕事を終えに行きますか。掴まってな、飛ぶぜ」
影を追う黒い眼を持つ狩人たちは、数度の会話を繰り返した後、その場で円陣を組んだ。
すると、彼らの段々姿は薄くなり、今居たその場所から忽然と消え去った。
場に残っているのは、数コンマ秒の残像だけ。
だが、そんなおかしな状況に誰も眼を留めやしない。
この街は能力を持つ俺達にとって、良い目隠しだ。
この街の人間は皆、目先の欲望に眼がくらんでいるから、やりやすい。
「キャアアアーッ!!」
「な、なんなんだね君達は!」
切り裂くような二つの声が俺たちの耳に入る。
俺たちが街の真ん中から瞬間移動した場所、それはラブホテルの一室だった。
やけに低く感じる白い天井。
安普請なのか狭い灰色のコンクリート壁に簡素なベッド。
淫らをイメージさせる暖色の照明と、設置された絵画には無数のいたずら書き。
部屋伝いに続く透明の浴室の窓越しには、降り注ぐ湯のシャワーを浴びながら全裸の女がこっちを見て怯え、頭髪の薄い中年の男は、上に乱れたネクタイと濡れたYシャツを着てはいるが、ほぼ半裸の姿でその場にへたり込んでいた。
「っていうかー盛りの最中? キャハハ、相手あたしと同じぐらいだし、最近流行の売りって奴? こんなオジンとまじありえねー」
「へっ、こりゃ失礼。お楽しみの所すまねえなお二人さん。また間違えちまったぜ」
「こう悪趣味なものを見せられていると反吐が出るね。さっさと影を追うぞ」
「はいはい。…ケッ、優等生はこれだから困るぜ!」
どうやら、いつもの失敗だったらしい。
俺たちはまた、残像を残して瞬時にその場から消えた。
そして、次に移動した部屋には、ベッドに横たわる男が一人。
「ドンピシャ! 見つけたぜ!」
そこには俺たちが狙う標的が、居た。
「ばっ、馬鹿な! てめえらどっから!」
「蛇の道は蛇ってね。こっちにも居るんだよ、精神感応と瞬間移動のエキスパートが」
「く、さっき仲間に知らせた波長だけで、この場所を突き止めやがったのか!」
「ご名答」
目の前に現れた標的の姿。
黒いサングラスに銀髪、顔には『それもの』を思わせる数箇所の傷があり、南国系を思わせるひらりとしたアロハシャツに汗を滲ませながら、大事そうに銀色のトランクを抱える、中肉中背の男だった。
「そのトランクの中身は能力を使って稼いだ金か?アフマド・ザライエフ!」
「へ、へへっ、俺達にはこんな能力があるんだ。それを使って何が悪いって言うんだよ」
「お前を不法能力収賄罪で連行する」
「てめえらの好きにさせるかよ!」
「抵抗すれば消すだけだ。お前だってわかっているだろう? 僕たち狩人の仕事の内容ぐらいさ」
「知らんね、国に飼われた番犬のやることなんざ!」
バッ!!
苦虫を噛み潰すような口元、額にあぶら汗を滲ませながら、吐き捨てるようにアロハの男がそう言うと、札束がはみ出したトランクをギュッと左手に握って、俺達に向けて真っ直ぐ右手を出す。
力を込めた男の指が震えて、その構えは力強さを増す。
俺たちは「ヤレヤレ」と言いながら、それを見守る。
「失敗だったなぁ、この場所にお前らが来たのは……」
そう男が低い声で唸りを上げた後、男は眼をクワッと見開いた。
すると、血管が浮き立つほど力んで伸びていた右手には、陽炎のような紫色の瘴気が浮かぶ。
「まいったな。こんな狭い場所で毒の瘴気か。俺達を窒息死させるつもりらしいぜ!」
「案の定、下品な能力を使う奴だ」
「うっわっ! 臭ッ! 酷っ! ていうかー、こんな能力聞いてないし、まじありえないんですけどー!」
ニヤリと笑う男の右手の紫の瘴気から放たれたのは霧状の毒ガス。
コンクリートの壁に密閉されるように囲まれた小部屋には、空調設備も整っていなかったため、霧はすぐに部屋全体を充満し始め、俺たちの鼻には、火山帯から吹き出る硫黄とアンモニアが混ざったような胸焼けする刺激臭が感じられた。
それに慌てた仲間の一人が言う。
「毒ガス密室殺人なんて洒落になんねえな。こうなりゃ仕方ねえ。おいリョウマ! 瘴気のガスが周る前に、壁をぶち壊して外にでるぜ!」
慌てる仲間の一人の台詞を尻目に、いち早く男の行動に気付いていた俺は、言われる前に小部屋の分厚いコンクリートの壁に開いた両手を押し当てていた。
そして頭の中で力強く念じた。
変われ、と。
ボォンッ!!
俺が強く念じたその瞬間。
押し当てていた掌が太陽のように光り輝き、人智を逸した驚くべき現象が起こった。
分厚いコンクリート壁の一分は、一瞬にして密度を上げて結晶化し、瞬間的な結晶化は密度の凝縮と供に、他の部位との軋轢を……つまり、それまで繋がっていた部分がひび割れを起こし、凝縮された部分に引っ張られるエネルギーに耐えかねて崩壊する。すると、内外の部位に留まっていた空気が、コンクリートのひび割れに入り込み、その空気は結晶化によって追い出される様々な物質と反作用を起こして小さな空間を飽和し、物体ごと爆発する。
そう、コンクリートの壁は粉微塵になって破壊されたのだ。
震動が建物を揺るがす間に、俺たちは毒ガスが充満する部屋を離れ、即座に外へと飛び出した。
飛び散る小さな破片と伴に、空中へ躍り出る俺たち。
眠らぬ街の光をバックに、地上からおよそ14m程離れた位置に俺たちは居た。
だが、この星の重力が俺達を捉えることはない。
上下、前後、左右、360度、四方には何もない空だけが広がる。
飛ぶと念じれば、俺達は重力の鎖を断ち切って自由に飛べる。
それが、この黒い眼の能力者たちに与えられた力だ。
「壁ごと粉砕するとは上出来だぜ、リョウマ」
「ヒャーッ、て、てゆうかーここ高すぎぃ〜! こりゃ怖いよぉぉ〜」
「ふん、じゃあ後始末は僕がやろう」
ざわめき始めた下の人間たちの声を耳にしながら、仲間の一人が、粉塵の中から俺たちと同じく空中に躍り出たアロハの男を見た。
男はトランクを左手に持ちながら、下卑た笑いでこちらを覗いている。
「ケェッヘッへェ、案の定なのはこっちの台詞だぜ。さては、お前達は馬鹿だな? 空中から俺が毒の瘴気を使えば、お前たちが最も大切にしている無関係の人間が死ぬぜ。」
「……」
「いいのかぁ? いいのかぁ? お前等国家の犬は、一般人の被害を一番怖がるよなぁ? それでもぉーいいのかなぁー?」
「……本当に下品な男だな」
アロハの男に侮蔑に似た視線を飛ばしながら、仲間の一人が呟く。
その間に、男の右手にたまっていく紫色の瘴気。
次第にどす黒くなっていく紫色に比例して、辺りにはあの刺激臭が立ち込め始めた。
普通の人間であれば五秒と持たない猛毒を持つガスを、アロハの男は平気な顔で、この欲望渦巻く眠らない街に広げようとしていた。
欲望渦巻く街一つを、人質にとられた俺たち。
普通なら、犯人を逃がすか、人質の命を優先するか、選択を迫られる絶体絶命の状況。
「ダイスケ、カレン、リョウマ。すぐ済むからちょっと待っててくれ」
だが、後始末を買って出た仲間の一人が、俺たちを見ながら呟く。
そして、かけていた眼鏡を外し、それを黒いロングコートのポケットにしまうと不敵に笑った。
「さ、て、と。帰りは久々に何か飲むかなぁ」
「てゆーか、今のでネイル剥れちゃったしー、あたし帰って休みたいんですけどー」
俺たちは、まだ緊迫している現状に対して、あくまでも冷静に緊張感を解いた。
「お、おい……お前らどういうことだ。俺はまだ絶対的優位なんだぞ!」
それを覗いていたアロハの男は、俺たちの奇妙な行動に下卑た笑いを止める。
動揺しているのか、紫色の瘴気が宿った手を下に向けて、何度も振っては俺たちを見て挑発するような言葉を吐く。
「いいのか、お、俺は本気だぞ! 俺を逃がさないとお前等! 下に居る人間たちを殺すぞ! この街の人間を! 殺すんだぞ! 俺は! 良くないよな? あん? それとも、やっていいのかよ!?」
「あーはいはい。どうぞ勝手にやってくれよ」
「てゆーか、お前もう終わってるしー。焦りすぎて動揺が思念波になって聞こえて、マジうけんだけど」
俺たちは、男の挑発の意味の無さに呆れるように余裕をもって私語を交わしていた。
逆上よりも先に、その行為に唖然とするアロハの男。
いつの間にか、絶対優位であると思っていたアロハの男からは笑みが消え去っていた。
今まで構えを解かなかった心の『たが』が外れ、同じ能力者に心を読み取られるほど狼狽した。
アロハの男は、余裕過ぎる俺たちの行動に、ついに疑心暗鬼にかかり焦りを露にする。
何故だ、何故なんだ。と考える男の手には、未だ消えない毒の瘴気が見える。
一旦放たれれば、この街にいる欲望に狩られた数千人の人間が、一瞬にして物言わぬ死体に成り代わるというのに、何故こいつらはこんなに余裕でいられるのだ、と考えていた男にざわめきを切り裂くような、思念波の声が直接届く。
「考えるまでもないだろう。終わりなんだよ、お前はもう」
「えっ……?」
声の主は、後始末を買って出た目の前の狩人。
男の焦りと疑問を生ませた、俺たちの余裕過ぎる行動の答えは、意外と簡単なものだった。
俺たちは、知っていたのだ。
仲間の力を。
「闇夜の黒眼!!」
黙っていた仲間の一人が高らかに呪文を唱えた瞬間。
何処からか風が吹き、たなびく銀髪が吹き上がり、それに隠れていた彼の眼を闇に晒す。
何もかもが吸い込まれてしまうような、沈んだ黒さを保つ眼が、一瞬の光沢を放つと、仲間の前には黒い眼の紋章が浮き上がっていた。
瞳をモチーフにした紋章が、黒い一閃となって真っ直ぐに飛んだ。
狙い済まされたような紋章の一閃は、アロハの男の服を焦がし、突き通して男の肉体に刻むように、紋章の焼印を押す。
小さな痛みがアロハの男を襲ったが、体は自由に動くし、手の瘴気は消えていない。
男は強がるように言った。
「な、なんだ。へっ、ただ服に黒い染みが出来ただけで、なんともねえじゃねえか。ご大層に技の名前なんぞ叫びやがって、そんなんで俺がビビるとでも思ってるのかよ!」
仲間が、風に乱れた銀髪を整えながら、落ち着いて吐き捨てるように男に言い返す。
「いや、お前はもう終わった」
その余裕さに、ついに男の苛立ちはクライマックスを迎え、逆上は行動に現れる。
視線をそらし、街を見下ろした男が、毒の瘴気の宿る右手を人間たちに向けた。
「ち、ちくしょう……俺にその気が無いとでも思ってるのか? なめやがってッ! てっ、てめえら、今さら後悔しても遅いぜぇ。俺がやる奴だって言うことを見せてやるよ。この紫の瘴気の力を! たっぷりと下の人間に味合わせてやるぜぇーッ!」
バッ!!
ついに淀みに淀んだ禍々しい紫色に光る毒の瘴気が、下界の人間達に放たれようとした、その瞬間のことだった!
「あ…な…ん…だ…か…らだ…う、ごか…」
男の体に異変が起きた。
空中に毒気を染み込ませていたアロハの男の周囲の闇が一瞬広がったように見えた。
すると男の肉体は硬い金属のように固まり、いつの間にか身動きがとれなくなっていた。
「お…い……こ、れは……ど、う…いう…」
下を向いている顔、首すら背筋に針金を通したように動かない。
そして、男の焦りを飲み込むように、彼に刻まれた黒い眼の紋章がギラッと光りを上げたかと思うと、男を囲っていた周囲の闇が、まるでその紋章に急激に吸い込まれていくように、空間ごと侵食していった。
「な、んだこれ…て、てめ、え、何、をしやがっ…う、うぐぐ、苦し、い…」
闇の侵食は、まるで男の体という餌に貪るように食いついたハイエナの群れ。
覆いかぶさるように侵食する闇は、男の体をも紋章の中へと引き込まれた。
痛みや、それを表す音などない、ただ漆黒の闇の中へ誘われるまま、消えてゆく男の姿。
そして、ついに彼の右手に存在した毒の瘴気もまた、その中へと吸い込まれていった。
「オゴォォォ、オボォ、オゴボボ!!」
能力者といえども、中身は並の人間。
自分で作った猛毒のガスを吸い込めばすぐに死ぬ。
息を止めてガスを吸い込まないようにしても、呼吸をしなければ何れ窒息で死ぬ。
どちらにせよアロハの男を待っているのは確実な死。
それは否定しようのない事実だった。
「ウガボボボォッ!!」
彼の能力を皮肉るような汚らしい断末魔の声を聞きながら、アロハの男は空中の闇へと消えていった。
「自らの造った毒で死ぬ。自業自得だな」
「最後まで、きったねえ奴だったぜ」
「つーか、今回も一件落着だけどさ。マジサイテーな奴だったよねー。あーあ早く帰ってシャワー浴びたい」
空中に浮かぶ俺達は、騒がしくなり始めた下界の様相を見て、西の空へと消えていった。
不夜城に生きる人々は、空に消えた俺達を指さし、どいつもこいつもおかしな事だと口々に言ったが、それも眠らぬ街の欲望に駆り立てられた人間の好奇心を、ずっと満たし続けるには程遠い物だった。
今夜の事件と俺達の事は、千夜の内の一夜のおとぎ話。
時間とともに次第に忘れてしまう、そこにあったはずの偶然の一つ。
「…ピースフル。実に平和な街だ。本当に」
その平和の中に蠢く影を追い続ける彼ら……
『奇妙な黒い眼の狩人たち』は、欲望渦巻く歓楽街を後にした。 |