愛しき、世界 後編
総隊長の執務室に、墨の匂いが漂う。書類にさらさらと筆を滑らせながら、山本元柳斎重國はそれで、と問うた。
「あの子供の様子はどうじゃ、卯ノ花」
報告を終えた卯ノ花は、わずかに目線を下げた。
「酷く衰弱しています。まだ幼いものですから、あの場で何が起きたか聞き出すには、時間が必要となりましょう」
死に満ちた街の中で唯一見つけた、あの子供。発見した際、血にまみれ怯えきった様子から、いとけない瞳でさぞ恐ろしいものを目撃したに違いない。そう思うと、哀れで胸がしめつけられるような思いがする。
「出来うるのならば」
これが許されるのかどうか、分からない。だが言わなければ後悔するだろう。卯ノ花は山本と視線を合わせ、穏やかに言った。
「出来うるのならば、わたくしは、あの子を預かりたいと思っています。少なくとも、日常生活を送れるようになるまでは」
「ふむ」
山本は顎髭をしごいて唸った。考え込む様子でしばらく黙り込んだ後、よかろう、と頷く。
「世話はおぬしに任せる。時間がかかってもかまわん。今回の事態について、少しでも聞き出すように。何しろ、あの子供は唯一の目撃者じゃからの」
「……はい」
卯ノ花は静かに頭を垂れた。その時が、まだ先である事に少しほっとして。
* * *
子供の名は、雪音と言った。
言葉がたどたどしく、大人を見るといつも怯えた目をして逃げようとするから、あの街ではよほど酷い暮らしをしていたのだろう。
やせこけ、あちこちに暴力の跡を残した体も哀れで、治療に当たっている間、卯ノ花は涙がこぼれるのを禁じ得なかった。そしてつきっきりで看病しようと決意し、隊舎にある卯ノ花の自室で起臥させ、隊長職の傍ら、根気よく世話を続けた。
その献身的な介護のためか、最初の内は目を合わせる事無く、ただひたすら怯えていた雪音は、徐々に緊張を解していった。
身体がすっかり回復した頃には、卯ノ花の後をどこへでもついて行くようになるほどに、なついた。
一度部屋の外に出ると雪音は、その目に映るもの全てが物珍しいのか、瞳を大きく開いて、きょろきょろと落ちつきなく辺りを見、興味のあるものには躊躇いなく手を伸ばした。
しかし誰かに話しかけられると、さっと卯ノ花の後ろに隠れてしまう。
卯ノ花はそんな雪音へ常に優しく暖かい言葉をかけ、その手をとって導き、夜は添い寝をして寝付くまで子守歌を歌った。
卯ノ花は子供を持った事は無い。だが、もし自分の子がいれば、こんな風なのだろうと思えたから、自然、愛着がわいた。
だから雪音を預かり、一年が経過した頃、そろそろ事の真相を聞きたいと総隊長から催促された際には、胸がつぶれそうな思いで、彼女を伴い、執務室を訪れた。
「おうおう、雪音よ。この間よりもまた、美人になったの」
雪音を前にした山本は、護廷十三隊の総隊長というよりは、孫を可愛がる祖父のようだった。目尻をさげて微笑み、あめ玉を雪音の手に握らせる。
「ありがとう、山本おじいちゃん。これ、好き。甘くておいしい」
雪音は恥ずかしそうに、しかしはっきりした口調で答えた。その可愛らしい様子に、山本はますます笑み崩れた。
しかし、来賓室へ卯ノ花と共に招き入れ、給仕が茶と菓子を差し出して下がってから、山本はすぐに本題を切り出した。
「それでどうじゃ、卯ノ花。雪音はあの時の事をなんぞ、語ったかの? 以前は話そうとすると、頭が痛くなる、というておったが」
卯ノ花は顔を曇らせた。
「いいえ。ですが時折、夢を見ているようで、うなされて跳ね起きる事があります。言葉に出して言いはしませんが、おそらく、少しずつは思い出しているのでしょう」
「そうか」
山本は、無心にあめ玉をしゃぶる雪音を見て、目を細めた。少し間を置いたのは、山本もまた、あの時の惨事をこの幼子の胸に蘇らせる事が哀れと思ったからだ。
しかし総隊長は雪音の顔をのぞき込むと、穏やかな、それでいて拒絶することを許さない強さで語りかけた。
「雪音。一つお主に聞きたい事があるんじゃ」
「?」
真剣な様子に何事かと、顔をあげる雪音。
「お主が生まれ育った、あの街――骸鴉の事を、聞きたい」
「!」
雪音の顔がこわばる。問いを拒むように、小さな手が卯ノ花の羽織を握りしめた。山本はそれを見て、穏和に微笑む。
「うむ、思い出すのは怖かろう。辛かろう。じゃが、わしらはあの街で、いったい何が起きたのかを知らねばならぬ。なぜあのような惨状となったのか、知らねばならぬ。それを知っておるのは、雪音、お主だけじゃ」
雪音の華奢な身体が震え始める。
「ほんの少しでも良い。お主があの時何を見たか――語ってはくれぬか。お主の言葉だけが、唯一の手がかりなのじゃ」
「……」
「雪音」
言葉を失ったかのように、雪音の唇だけが動く。卯ノ花はその背をそっと撫でて、名を呼んだ。雪音は卯ノ花の顔を見上げ、泣きそうな表情でしがみついてきた。
「……て」
肩に手を回した卯ノ花に、鼓動の音が伝わってくるほど動揺しながら、雪音が小さく呟く。身を乗り出して耳を傾ける山本の目を、怯える小動物のように落ちつきない瞳で見つめ返しながら、
「手が、ぶった」
震える言葉を、紡ぎ出した。
手が、ぶった。壺、落ちた。地面、濡れた。手、ぶった。何度も、ぶった。白。黒。気持ちわるい。お腹、けられた。吐いた。頭、ふまれた。赤い。痛い。
耳がきーんとなった。音。たくさん、音。さっきより、いたい。すごくいたい。頭われる。耳いたい。じめん、ゆれる。
あつい。お湯みたいにあつい。音。どくどく。耳こわれる。かわく。見えない。白とくろ。たくさん、ひと。おなじひと、なんにんも。こえ。こえ。知らないこえ。ゆれる。ぜんぶゆれる。じめん、われた。
じめん、われた。ゆれた。こえ。おおきいこえ。おとな、さけんだ。しろ。ひかり。くろ。ぜんぶみえない。きこえない。まっしろ。ぜんぶまっしろ。ぜんぶ。ぜんぶ、ぜんぶ……
「……雪音!」
不意に雪音の身体が痙攣したかと思うと、床に落ちた。がくがく震える身体がど、と大きくのけぞる。驚いて伸びた卯ノ花の手が、雪音の身体に触れるより前に、
バシッ!
大きな破裂音をたてて弾かれる。
「!」
卯ノ花は目を見張った。
白目を向き、えびぞりになりながら痙攣する少女は、不意に喉の奥から笑い声をしぼりだした。気が触れたように明るいその笑いと共に、目に見えるほど濃密な霊圧がど、と噴き出した。
霊圧は一度もがくように小さくなった後、渦を巻いて部屋の中に吹き荒れた。烈風を伴った霊圧で卓や椅子が弾き飛ばされ、窓ガラスが粉々に砕け散る。
「総隊長!」
吹き付ける霊圧に押されながら卯ノ花が叫んだ時には、山本はすでに行動していた。
「縛道の三十二、過墜天!」
裂帛の気合いと共に紡ぎ出された白色の巨大な光が、吹き荒れる霊圧の上にのしかかった。一時、光と霊圧の力は拮抗してきしみ、耳障りな甲高い音を奏でたが、しかし次の瞬間光が霊圧を飲み込み、破裂し、降り注いだ。
「雪音……!」
まぶしさに目を半ば閉じながら、卯ノ花は名を呼ぶ。
光の雨の中、体を丸めた少女は、床の上でひくひく蠢く。卯ノ花はとっさに駆け寄って、脈をとり、口元に手をあて、まぶたをめくった。
「卯ノ花、どうじゃ。加減はしたが」
山本もそのそばに膝をついて、雪音をのぞき込む。卯ノ花は、ほ、と息をついた。手をかざして治癒の光を注ぎながら、
「大丈夫。気絶しているだけです」
「そうか」
山本も音の無いため息を吐いて、それから部屋の中を見渡した。
整然と片付けられていた部屋はいまや見る影もなかった。卓や椅子は半ばひしゃげてひっくり返り、壷は砕けて飛び散り、ずたずたに裂けた壁掛けがぷらんとぶら下がり、書類は散らばって、枠の弾けとんだ窓からひらひら飛んでいく。
コレクションの和食器がことごとくひび割れているのを見て、山本がむぅ、と思わず肩を落とした時、
「総隊長、これは……何事ですか?!」
騒ぎを聞きつけた副隊長の雀部長次郎が、貴賓室に飛び込んできた。惨状に驚いて足を止めるのに山本が向き直り、
「不測の事態じゃ、騒ぎにするな。急ぎここを片付けい」
ぴしゃり、と疑問を受け付けずに言い放ったので、雀部は背筋を伸ばして「はっ」と応えた。そして、使用人を呼ぶため、足早に去る。
それを見送った山本は、卯ノ花の腕に抱かれた雪音を見下ろした。先ほどまでりんごのように頬を赤らめ、嬉しそうに飴をしゃぶっていた幼子は、紙のように真っ白な顔色で、目を閉じたまま、ぶるぶる震えている。
「卯ノ花」
呼びかけに顔を上げた卯ノ花の表情は固い。
「雪音の力、お主は知っておったか」
「……いいえ。多少の霊力を持ち合わせているのは承知しておりましたが、まさかこのような……」
「わしも気づかなんだ。先の力、自身の魂魄さえ壊しかねぬほどの大きさ。しかも、まだ霊圧は上がると見た」
「…………はい」
卯ノ花はぎゅ、と雪音を抱きしめる。珍しく恐れを含んだその表情は、おそらく山本と同じ可能性を考えてるのだろうと思う。山本は、しゅ、と髭をしごいた。うっすらと目を開き、
「卯ノ花、空躯の件。技術開発局と協力して、至急調査を進めよ。……極秘にの」
優しく聞こえるほど穏やかな声で言うと、卯ノ花はハッと顔をあげ、それから頷いた。雪音を抱く手に、震えるほどの力を込めて。
ここまでお読みいただいて有り難うございました!作者の南条です。
これはBLEACHの十一番隊三席・斑目一角と、四番隊のオリジナルキャラ・鑑原雪音を主人公にしたラブコメ&シリアスなお話です。
一話完結の長編連作ですので、基本的にどこから読んでも楽しめると思いますが、ぜひこのお話から順に、二人がどう出会い、どう関わっていくのかを見ていただきたいと思います。(この二人以外の死神も頻繁に顔を出します)
元のお話は自サイト「南通り」(http://members2.jcom.home.ne.jp/south45/)にて連載中です。
まだ完結しておらず、間の話が抜けている部分もありますが、先が気になる方はそちらをご覧ください。ちなみに現在掲載中の作品の内、後半のほうは甘かゆい感じの展開です(笑)
では、今後もよろしくおつきあいくださいませ。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。