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双心 〜SOSHIN〜 第一部:恋哀
作:井上清二



第一部 第三章 第二片 想い、言葉にせん 



 彼は少しも私のことを聞いてこなかった。何があった?どうしたのか?って。
 それは決して居心地の悪い沈黙ではなかったけれど、私は自然と喋りだしていた。
「ラヴァさん、何があったのか聞かないの?」
「聞いて欲しいのか?」
「うん」
 ラヴァさんは意外そうに私を見て、そして笑った。
「ソフィアって変わってるな」
「よく言われるわ」
 私達は静かに笑った。そして、私は一人話し出した。
「私、今日振られたの。ずーっと好きだった人にね。ウォルフさん、ラヴァさん知ってるでしょ?」
 彼は静かに頷く。
「恩人で、優しいし、誠実な人だから、私、あの人に惹かれていったの。それと、ラヴァさんたち二人がうらやましかったのもあったと思う。だから私も恋人が欲しかったんだと思う。・・・・・・がんばったんだよ。あるだけの勇気振り絞ってさ。・・・・でも、振られちゃった。仕方ないよね。私、エリスみたいに魅力ないもの」
 笑顔で言ったつもりなのに、目から涙がこぼれたのがわかった。私はあわてて涙を拭った。
「あ・・あれ・・?・・・ごめんなさい」
 彼は優しい微笑を浮かべてそんな私を見ていた。 
「やっぱり、二人とも似てるな」
「え?」 
「エリスとソフィア、やっぱり双子の姉妹だよ」
「そんなこと。私なんかよりエリスの方が・・・」
 思わず口ごもってしまう。
「エリスの方が、何?」
 地面を見て、ぶつぶつと、
「・・・・エリスの方が、きれいだし、おしとやかで優しいし」
 いきなりラヴァさんが声を出して笑い出した。
 驚いて彼を見ると、彼は笑うのをやめて言った。
「そんなことないさ。ソフィアもエリスと同じくらいきれいだよ」
 きれい、と言われて思わず赤面した。男の人に面と向かってそんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。
 そんな私を無視してラヴァさんは続ける。
「違う所があるとすれば、エリスの方が意地っ張りな所かな」
「エリスが意地っ張り?」
「あいつも、ソフィアみたいにつらいならつらいって言ってくれたらいいんだけど。あいつ、がんばるだろ?」
「あ・・、うん。・・・・あっ・・・それ、私のせいかもしれない」
 エリスが強いと決め付けて、きれいなエリス。優しいエリス。お母さんのようなエリス。そんなイメージをエリスに押し付けていたのかもしれない。
 私はエリスに支えられてきた。じゃあ、エリスは?誰に?
 今まであれだけエリスの助けになりたいとか思っていたくせに、そんなことにすら気づけなかった。
 今なら、ラヴァさんがいるかもしれない。でも彼と付き合う前は、エリスはいつも私と一緒にいて、いつも姉でいてくれた。
 私は、ずっとエリスに重荷をかけてきたのかもしれない・・・・・。
「でも、俺が好きなエリスは、今のエリスなんだよな」
 深い自責の念に沈みこんでいた私は、はっと彼を見上げた。
「そんな風に弱いくせに強がる、そういう強いエリスが俺は好きなんだ。ああいうがんばってる女を、男はほっておけない。あいつが強くいられたのはソフィアがいたからだから、そのおかげで俺はあいつのことを好きになれた。ありがとう、ソフィア」
「そんな・・・」
 彼が微笑むと、なんだか恥ずかしくなってきて両手で半分顔を覆ってしまった。
「二人は似てるよ」
 ラヴァさんはまた繰り返す。
「今度から言葉遣い、無理しなくていいよ。俺は今のほうが好きだから」
「え。・・あっ・・・」
 敬語が消えていることにはじめて気づいて、思わず手で口を覆った。
 そんな私を見て、ラヴァさんはおかしそうに笑う。
「やっぱり、気づいてなかったのか」
「・・うん」
 ちょうど、私の家が見えてきた。
 ラヴァさんが立ち止まり、私も立ち止まる。
「じゃあな、ソフィア」
「帰るの?エリスに会ってけばいいのに」
「いや、そろそろ日も暮れるし、帰るよ」
「そっか。・・・・ラヴァさん、さっきはありがとう」
「俺も、エリス以外の女の子の感触は久しぶりだった」
 カーッと顔が赤くなった。それを見てラヴァさんはまたおかしそうに笑う。
「じゃあな」
 離れていく彼の後姿を見送りながら、私は自分の鼓動がいつもより早いことに少し戸惑いを感じていた。でも、よくわからないうれしさで、すぐに私の胸は一杯になった。彼の笑顔が消えなかった。それはまた戸惑いを呼ぶ。けれど、嫌な気分じゃなかった。自分のことがひどく幸せに思えていた。
 愛しい人、大切な人、そして優しい人。私の周りにはこんなにもいい人達がいる。
 そして、そのことに今日改めて気づいた自分がいる。
 さすが新緑際。今日はやっぱり良い日だ。


 
 

「ただいま」
 扉を開けるやいなや、湿ったい空気になるのが嫌で私は喋り続けた。
「エリス、今日は楽しかった?私、ウォルフさんに振られちゃった。見事にノックアウト。でも、すごくすっきりしたよ。それに、ラヴァさんに慰めてもらっちゃったし。やっぱりラヴァさんは優しい・・ね。・・・・エリス、どうしたの?」
 いつもと違う空気に気づき、喋るのをやめた。
 明かりのない薄暗い家の中で、私の記憶の中でもっとも痛々しい憂いの表情を浮かべて、彼女は座っていた。
 不安が一瞬で胸を占めた。
「エリス?」
 エリスはあの綺麗なドレスから普段着に着替えていて、でも明らかにいつもと違っていた。
「おかえりなさい、ソフィ」
「ねぇ、何かあったの?」
「・・・・なんでも・・・・ないよ」
「なんでもないって・・・、うそ!ぜんぜんなんでもなくないじゃない!」
 いつもなら、ラヴァさんの話が出てきた時点でエリスは変わる。いつもなら、やきもちの嵐のはずなのに!
「・・・何か言いなよ、エリス」
 エリスはふっと俯いた。
 かける言葉が出てこなかった。
 エリスは笑っているはずなのに、今日はそう、楽しんできたはずなのに・・・・。
 どうして?どうして、エリスはこんなに悲しそうな、寂しそうな顔をしているの?
「エリス、本当にどうしちゃったの?・・・・ねぇ?」
 しばらくの沈黙の後、エリスの口元がゆっくりと動いた。
「・・・・・プロポーズされたの」
「え?」
 静かな言葉は、いやにはっきりと私の中に入ってきた。
「ラヴァに・・・・結婚しようって言われたの。・・・・すごく嬉しかった。ずっと・・・ずっとその言葉を待っていたんだもの。いつ言ってくれるんだろ?早く言って、早く言われたい、って・・・・心の中で、ずっと思ってた」
 エリスはそう言って私を見上げた。その赤く充血した瞳には大粒の涙が浮かんでいて、・・・そして、溢れた。
 エリスは叫んだ。
「私断ってた。気が付いたら断ってたの」
 必死に、堪えるように両手で握り締められたスカートの上に、ぼろぼろ大粒の涙が落ちていく。
 エリスはずっと泣いていたのだろうか。ずっと一人で・・・・・


『あいつも、ソフィアみたいにつらいならつらいって言ってくれたらいいんだけど』


 自分が情けなくって仕方がなかった。エリスの支えになるどころか、エリスに支えられ、そしてエリスの大切な人にまで支えてもらっている自分が。
 ラヴァさんだってつらかったはずなのに、頭でどう思っていようが、実際にプロポーズを断られたのだ、すごくショックだったと思う。それなのに、ラヴァさんは、私にあんなに優しかった。そんな無理している彼に、私は少しも気づけなかった。

 ・・・・ラヴァさんだって無理しすぎだよ。

 自分のことがひどく小さな人間に思えた。恥ずかしくって、悔しくって・・・・・だけどまだ、・・・・まだ、間に合うはずだ。今からでもできることはきっとある。手遅れになんて、せっかくの幸せをこんなことで失わさせはしない。
「エリス、行って!まだ間に合うよ!」
「・・・い、く?」
 私を見上げる瞳は、力なく揺れていて痛々しい。
「ラヴァさんとちゃんと話してきて。エリス後悔してるんでしょ?なら、本当の気持ちを伝えてきて」
「私の・・・本当の、気持ち?――私・・・」
「好きなんでしょ、ラヴァさんのこと。まだ日は沈んでないよ」
 エリスは動かない。
 瞳には迷い、・・・そして怯えが見えた。エリスには似合わないと思った。
 私はエリスの支えになりたい。その気持ちに嘘はない。
 

『それ私のせいかもしれない。・・・・・私、エリスは強いって思い込んでた』


 そうはわかっていても、エリスに無理させたくないと思っていても、私にとってのエリスは、やっぱり姉のエリスだった。


『でも、俺が好きなエリスは、今のエリスなんだよな』


 私も、意地っ張りなエリスが大好きだ。

「・・・私の憧れてたエリス・ミシェルそんなんじゃないよ。どんなときも、どんなにがんばっても追いつくことができない。いつもその背中が目の前にある。それが私が憧れていたエリス・ミシェルだよ」
「・・・ソフィ」
「ごめんね、エリス。私にはこんな励まし方しかできない。でも、二人には幸せでいて欲しいの。・・・・私の憧れだから。・・・・だから、お願い。あの人のところに行ってあげて」
 彼女を見つめて私は笑顔を浮かべた。涙が目の端から溢れた。それは、悲しみからではなかった。悔しさからでもなかった。もっと温かいものが胸の内から込み上げてきていた。
「・・・まだ、間に合うんだよね」
エリスは呟くように言う。

「間に合うよ、絶対」

 私は優しく答える。

「私、あの人のことが好き。・・・うん、好きなのよ」

「知ってるよ」

「あの人の一緒にいたい、もっと、もっと。・・・いいんだよね?」

「あなたがそう望むなら」

 エリスは立ち上がって、服の袖で涙を拭いた。
 私はその間にランプを用意して、エリスに渡す。
「ありがとう、ソフィ」
「お礼は帰ってきてからいくらでも聞いてあげるから。ほら、早く行って」
「うん、行ってきます」
「がんばって」
 扉から夕焼けの大地に足を踏み出す、私と同じ小さな背中はさっきまでの泣き顔が嘘みたいに背筋が伸びていて、走り出した彼女の後姿を見て私は思わずにはいられなかった。
 
 やっぱり、エリスにはかなわないや。
 
 姉を見送る私の心は穏やかだった。
 安心したのかもしれない。そう、私は追いかけるものを、夢をなくさずにすんだ。
 エリスがエリスでいてくれたら、私は私でいられる。今が、大好きな今のままで過ぎていく。それは私にとってかけがえのない幸せだった。





――――――――――――――――――◆――――――――――――――――――
 私は走った。
 ただ、彼に一言だけ謝りたかった。
 ただ、彼に本当の自分の気持ちを言葉で伝えたかった。
 荒れた大地に何度も足をとられ転びそうになる。それでも私は走るのをやめなかった。
 日が、太陽が完全に沈むことがすべての終わりに思えた。
 だから、私は走った。
 弾む息とは反対に、私の心は不安と後悔で押しつぶされそうになる。
 

『エリス・ミシェル、俺と結婚してくれないか』


 嬉しかった。ずっとその言葉を待っていた。
 涙がこぼれると思った。
 胸がギュッと締め付けられた。
 息が詰まった。


『ありがとう』


『・・・・・ごめんなさい』
  

 彼は優しく笑って、謝った。
 胸に鋭い痛みが走った。
 彼は何も悪くない。彼の顔を見て気づいた。私は彼を傷付けたのだと。そして、自分自身も・・・・。
 自分で自分がわからなかった。
 断った理由も、そのまま彼と別れることができたことも、理解できなかった。
 まるで別人が私の体を操っているかのようだった。
 心の中で叫ぶ私がいた。
 狂ったように言葉を否定する私がいた。
 でも、それは決して表には出てこなかった。出すことができなかった。
 

 どうして、彼のプロポーズを断ったのか、今でもわからない。
 私はそれを知るために彼の元に向かっているのかもしれない。
 自分の気持ちすら解らない自分。彼を求める自分。そして、彼を拒んだ自分。そのすべてが一緒で違う。

 ラヴァ・・・・

 ラヴァ・・・・

 心の中で彼の名前を繰り返すだけで、森の漆黒も、木々のざわめきも、すべての恐怖が消えていく。
 森の中に一人で足を踏み入れたのは初めてだった。
 私達は付き合っている。なのに、今まで彼の家にさえ行ったことがなかった。
 私は、彼のことを何もわかっていなかったのかもしれない・・・・。
 彼はいつも優しく。私は甘えることができた。
 始まりは私の一目惚れだった。だから、彼に自分のイメージをすべてを押し付けて、本当の彼を知ろうとしなかった。裏切られることなんてないと信じていながら、一方で彼のすべてを知ることを恐れる。ああ、そうだ。私は彼に支えられて、彼といることに安らぎを見出しながら、どこか不安を感じてきた。だから、プロポーズを断ったの?何かが抜けている。けど、なにが?
 初めて見る彼の住む小さな小屋。その小屋にたどり着いて、扉をノックし、しばらくして彼が出てくる。
 彼の顔を見て、あんなことを言ってしまった理由がふと理解できた。
 それはきっと、どこから渇いてくるあの不安のせいだ。
 私は恐れたのだ。彼とのことを、ソフィとのことを――
 この世のすべてが儚く、切なくそしていとおしく思えるこの幸せな瞬間。信じて疑わなかったものに、音もなく忍び寄る崩壊の足音。私はそれを身をもって知っている。
 忘れもしない十六の誕生日、私は懐かしい、そして、悲しい幸せの中でかけがえのないものを失った。
 思い出すのは優しい父の声。

『お父さん、約束だからね』
『ああ、ほかのなんでもないお前達の誕生日だ。楽しみにしておくといい』
 そして、温かな母の声。
『あらあら、よかったわね、エリス、ソフィア』
『『行ってらっしゃい、お父さん、お母さん』』
 私達は二人を送り出した。たった四晩の別れのはずだった。


 ・・・・・・・・・・


『露店を覗いているとこに馬車が突っ込んできたらしい』
『かわいそうに。あんなかわいい娘さん達を残して。いい人達だったのに・・・・・』




 あの頃、私はこの世のすべてが確かなもので永遠のものだと思っていた。たとえ、女神様が失意のうちに目覚められても、この世界は消え去ることはないと信じきっていた。
 父と母の突然の死はそんな私に現実を突きつけた。あの時、神父様のおっしゃる悪夢の意味が初めてわかったような気がする。あの現実は悪夢という以外に形容のしようがないものだった。
 絶望・・・・絶望・・・・絶望に彩られた世界。そこいるのが私だった。日に日にすべてのものが光を失っていった。以前はあんなにも輝いて見えていたものが、単調な、疎ましいものに思えていた。
 このまま世界が終わってしまえばいい。そんな風に思ったこともあった。
 けれども、私は一人じゃなかった。たくさんの人たちに助けられて、立ち直って、顔を上げて今まで生きてくることができた。生かさせてもらった。
 確かに、あの時、私達は幸せを失ったのかもしれない。けれど新たに得た幸せもたくさんある。色を失っていたものが、より光輝き、私を包んでくれている。それに――

『私はエリスの重荷じゃないよ』

 私にはいつも支えてくれる半身がいる。
 私も・・・、私もそろそろ勇気を持たなければいけないようだ。―――そう、恐怖に打ち勝ち、進む勇気を。
 がんばってみようと思う。迷わず、恐れず、前に・・・、前に進んでみせる。
 今までは彼と一緒にいるだけで、満たされていた。
 でも、今は彼ともっともっとお喋りしたい。もっともっと、彼の癖、彼の好み、彼の顔、彼の瞳、彼のすべてを知りたい。きっとある彼のいやな所も含めてありのままの彼をもっと好きになりたい。不安に打ち勝つ。そして、誰かに与えられたものじゃない確かな幸せを自分の手で築きたい。
 これはそのための第一歩。彼の優しく澄んだ瞳を見て、ゆっくりと自分の想いを伝え始めた。








―――――――――――――――――◆―――――――――――――――――
「おめでとう!」
「おめでとう、ラヴァ、エリス!」
 数え切れないくらいのたくさんの暖かな拍手に包まれて、二人は今までのどのときよりも輝いた、そして幸せな表情を浮かべている。
「ありがとう、みんな・・・」
「ばか、なに泣いてるの。あなた達の結婚式なのに」
「・・・うん、そうだね。・・・泣いてちゃおかしいよね。ありがとね、フレデリカ」
「そうそう、花嫁は笑ってなくちゃ。ね?」
「ラヴァさん、エリスのこと大事にしてあげてください」
「ミリー・・・・」
 そして、またエリスは泣き出した。
 誰かがスプーンを鳴らす。
 結婚式恒例のそれはキスの合図。
「やめてくださいよ、ケビンさん」
 スプーンを両手に彼は楽しそうに笑う。
「馬鹿野郎、そんないい娘嫁にもらった罰だ。少し見せびらかせ」
「そんな・・」
 ラヴァさんはため息をついてエリスを見て、驚く。
 エリスは目を閉じて、彼に唇を差し出していた。
 逃げ場を失い、彼はあたりを見回す。
 みんなニヤニヤと笑いを浮かべてそんな彼を見ている。もちろん私も。
 ラヴァさんはとうとうあきらめて、エリスとキスした。
 寄り添い唇を重ね合う二人は美しいと思った。
 みんなが、そんな結ばれたばかりの夫婦を静かに見守っていた。
 やがて、二人が離れると暖かな拍手がまた起こった。
 口々に「おめでとう」「幸せになってね」といった言葉を二人に贈っている。
 二人は恥ずかしそうに顔を赤らめて、お互いの手をつなぎ合っていた。その顔に浮かぶ表情は本当に・・・、本当に幸せそうで、目の辺りがかーっと熱くなった。
 みるみるぼやけていく視界の中で、エリスは恥ずかしそうに、でも優しく私に微笑みかけていた。






「エーリス」
「ん?・・・ソフィ?」
 エリスはちらっと横目で私を見て微笑を浮かべた。
「こんにちわ。ねぇ、ラヴァさんは?」
「下にいないならスコールさんのところよ、きっと」
 エリスは椅子に座ったまま編み物を続ける。
 編んでいるのは白い小さなセーターだった。
「赤ちゃんの?」
 エリスは小さく笑って言った。
「当たり前でしょ。こんな小さいのほかに誰が着るの?」
「それもそうだね」
 エリスの横に立って、お腹を見下ろした。
「もう完璧妊婦さんだね」
「うん。最近は中で動いてるのわかるのよ」
「え!ほんと!――ねぇ、聞いてみていい?いいでしょ?」
 エリスは静かに笑って、ふと目を細めた。そのやさしい表情に私は一瞬心を奪われた。
「いいわよ。でも、そっとね。・・・ソフィ?」
「あ、うん―――わかってる」
 エリスの大きなお腹に、私はそっと耳を当てる。
 久しぶりのぬくもりを耳と頬に感じ、なんだか恥ずかしかった。
「どう?聞こえる?」
「うーん・・・・・全然・・・」
 目を閉じ意識を集中しても、少しもそれらしい音は聞こえない。
「・・・・もしかして、嫌われてるのかな」
「まさか、寝てるのよ、きっと」

 聞こえたのはとく、という音だった。
 
 小さな、でも力強い音。
「あ・・・動いた。――ソフィ?」
 私は無言でうなづいて答えた。
 さっきまでの沈黙が嘘のように、まるで早く出たいと言わんばかりにエリスの中の小さな命が動き回っている。それは音というよりも温もりがそのまま耳の中に入ってくる、そんな感じだった。 
「・・・元気だね」
「うん」
「ラヴァさんがんばるわけだ。なんか妬けるなー」
「あなただって、ウォルフさんが優しくしてくれるんじゃない?」
 私はため息を付いて首を横に振る。
「全然。忙しいからって会いにきてくれないもん」
「あら、長いことキスしてたのに?」
 一瞬、息が詰まった。
「・・・いつ?」
「ん?一週間ぐらい前かな」
 エリスはにっこりと笑って答える。いつになく意地悪だった。
「・・・・あれ以来、来てくれてないもの」
「やっぱり、仲良いじゃないの」
 そう言って、エリスはまた微笑を浮かべた。
「そんなこと・・・・」
「照れるな照れるな」
 何か言い返そうとしても、言ったら言っただけからかわれそうで、言葉が出てこない。
 少し前まではこうやって顔を真っ赤にするのはエリスの方だった。
 まさか自分にその番が回ってくるなんて夢にも思わなかった。
「ウォルフさんも急がしいのよ。わかってあげなさい」
「わかってるわよ、そんなこと。・・・・でも――」
「はいはい、ごちそうさま。のろけ話はそこまで、ね」
「もう、・・・・いじわる」
「あら、大変。早く治さないと性格が赤ちゃんにうつっちゃうわね」
 エリスは愛おし気に自分のお腹をさすりながら言った。
 最近、彼女の表情が以前以上に私と違ってきたと思う事がよくある。
 そう、たとえば今みたいな瞬間、優しげな、そう、まるで聖母のような暖かい表情。
 それを見るたびに、エリスはお母さんになるんだなと思う。
「・・・エリス」
「ん?」
「今、幸せ?」
「うん、幸せだよ、とっても」
 エリスは、幸せそのものの笑顔で言った。
 私も、自然と暖かな微笑を浮かべていた。
「良かった」 

 良かった・・・。本当に良かった。
 今、あなたは幸せなんだね。ねぇ、エリス。あなたが幸せだと私も幸せなんだよ。だから、だから、いつまでも幸せでいて、お願い。私はただそれだけで良いから――――




 ソ・・・ィ・・・

 
 ソフ・・・・


「ソフィア!」
「ふぇ?」
 光がぼやけた私の視界に入り込んでくる。一度開きかけた目を反射的に細めた。
「・・・エリス?」
「こんなとこで寝ると風邪ひくよ」
 頭が動かない。思考が空回りする。
 部屋が薄ら明るいのはランプの光のせいだ。
 ランプ・・・どうしてつけてるんだっけ?
 答えを求めてエリスの顔を覗き込み、視線はさらに上に行く。
 ・・・・ラヴァさんがいた。
「ラ、ラヴァさん!」
 立ち上がった勢いで、椅子が倒れて盛大な音を上げる。
「ソフィ!大丈夫?」
「え・・・えっと・・」
 必死になって今の状況を整理する。
 今日は私ウォルフさんに告白して・・・帰ってきたら辛そうなエリスがいて・・・
 私はエリスを送り出した。それからそれから・・・・
「・・・私、寝ちゃったんだ」
 倒れた椅子を直しながら、二人を見る。
 その手はしっかりと繋がれていた。
 突然胸が一杯になって、涙が溢れそうになった。
「そっか、仲直りできたんだ」
「うん」
 エリスは恥ずかしそうに微笑む。ラヴァさんも少しばつが悪そうに苦笑した。
「もう暗いし、さっさと帰るよ」
「え・・」
 エリスが残念そうに顔をラヴァさんを見上げる。
「また明日会えるだろ」
「・・うん」
 寂しそうな、でもどっちかというと甘えているような表情だった。
 そんな二人は明るい未来を私に確信させた。
「あの、ラヴァさん。こんな姉ですけど、よろしくお願いします」
 ラヴァさんは一瞬驚いたようだったけど、すぐにうなずいてくれた。
「ああ、約束する。必ずエリスを幸せにするよ」
「ラヴァ・・・」
 さっきの幸せな夢が思い出される。
 私がのろけ話をできるようになるのはずいぶん先のことになりそうだ。
 でも、エリスが幸せだと、私も幸せだ。
 私はくるっと回って二人に背を向けた。
「ソフィ?」
「キス」

「え?」
「は?」

「したいんでしょ?ほら、こうしとくから早く済ませちゃって」

 目を閉じるとすぐに、ラヴァさんの苦笑が聞こえた。
 そして床の軋む音。きっとエリスが背伸びした音だ。
 高鳴る鼓動。頬が紅潮しているのを自覚する。
 これじゃあまるで道化だわ。そう思いつつも嫌な気はしない。


「もういいよ、ソフィ」
 心臓の鼓動を何とか抑えてから私は二人のほうを向いた。
 すると、ラヴァさんの手が差し出されていて、そこには丸い白く輝く金属の塊があった。
「時計。エリスにも上げたんだけど受け取ってくれるかな?」
「え、でも」
「私達のために作ってくれたんだって。受け取ってあげて、ソフィ」
 恐る恐る彼の手の収まったものを両手で触れた。冷たい感触、そしてずっしりとした感触。
 ラヴァさんが私の手に収まったそれに触れ、ふたのような部分を開ける。
 その時、黒い針が動いた。
「あ、動いた・・・。すごい、動いたよ!」
「当たり前だろ。俺が作ったんだから。後でエリスに読み方教えてもらったらいい」
「ラヴァさん、ありがとう」
「どういたしまして。――じゃあ、おやすみ。エリス、ソフィア、よい夜を」
「よい夜を」」
 二人、手を振って彼を見送った。それから、ランプの火を消し、ベッドに入って、少し話をした。
「エリス、明日時計の読み方教えてね」
「いいよ。機織しながらでも教えてあげる。・・・・・・ソフィ、ありがとね」
 私はエリスの手を握った。温もりが掌に広がってゆく。
「私達双子なんだよ。当たり前じゃない。エリスが幸せなら私も幸せなの」
「でも・・」
「ウォルフさんのことはいいの。告白したらなんか本当にすっきりした。それにまだあきらめたわけじゃないもの。今日のあの人、なんかいつもと違っていたから。だから、また今度聞いてみるわ」
 エリスは体を回して、私をそっと抱きしめた。
 いきなり暖かくてやわらかい感触に包まれて、少しびっくりする。
「がんばって。私、応援するから」
「うん」
 目を閉じてエリスの体温を感じた。それは幸せの温度だった。
 寄り添う姉とその恋人の姿を思い浮かべた。それは幸せの記憶だった。
 あの人のことを想った。それは幸せの欠片だった。
 手に入れたい。
 まだ終わったわけじゃないよね?
 自分に問いかけ、うなずき返す。そう、まだ終わったわけじゃない。こんな形で終わってなるものか。絶対絶対あきらめない。
 だって、私にはエリスがいる。双子なんだもの。エリスが手に入れられたのに、私が手にいれられないわけがない。
 だから、がんばってみる。がんばってみたい。
「・・・・エリス、おやすみ」
 エリスはもう、静かな寝息を立てていた。疲れたのだろう。今日はいろいろあったのだから。


 がんばったんだね、エリス。

 
 私は、彼女を起こさないようにそっと抱きしめ返した。






 あのとき、幸せの予感がしていた。事実、幸せというものはそこにあった。
 それなのに、あの夜、私達の家の扉はたたかれた。


                                                                           第三章 完







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