第4話 おもちゃの戦争
女王ネズミは滑稽なおもちゃですが、かじられているピエロはお化粧こそ派手で滑稽ですが見た目は人間そっくりです。おまけに悲鳴を上げて人間と同じ声でしゃべるのでその恐ろしさと言ったらポーの怪奇小説のようです。
女王ネズミはギザギザの歯でピエロの首にかじり付くとぐいと皮膚を引っ張りました。今にもプチプチと音がして破れそうで、クララはもう見ていられない思いがしました。
ダララララララララ。
部屋の隅から勇ましくもかわいらしい太鼓の打ち鳴らされる音がしました。
「ぜんたーい、すすめー!」
ズンチャカズンチャカ、きれいに整列して暗がりから行進してきたのはおじさまの作ったおもちゃの兵隊たちです。そしてその兵隊たちを先頭で指揮しているのはあのイワン雷帝のくるみ割り人形です。指揮棒を握った右手を高々と振り上げて、なんとも勇ましい指揮官ぶりです。
クララはくるみ割り人形の右腕が直っているのを見て嬉しくなりました。
「ぜんたーい、とまれー!」
号令の下、隊列はぴたりと止まりました。
ネズミたちとおもちゃの兵隊たちが睨み合いました。
「来たな、くるみ割りめ」
女王ネズミはピエロの肩からギギギと嫌な声で笑い、くるみ割り人形は眼光鋭く睨み付けました。
「大砲隊、前へー!」
ゴロゴロゴロと四門の大砲が兵隊たちに押されて前に出ました。
「撃ち方、はじめー!」
ドーン、ドーン、
ゴムの弾が弾んでネズミたちの群れに飛び込んでいきました。ネズミたちはいっせいに逃げましたが、女王ネズミが叱りつけました。
「バカもの! そんな物しっぽで打ち返してやれ! さっさとおもちゃどもをやっつけるんだよ!」
ネズミたちはチューチュー鳴いてドドドドドと列になって駆けずり回り、兵団の横に回り込んで襲いかかりました。ドーン! 突撃の勢いでおもちゃの兵隊たちは突き飛ばされました。ネズミたちはこれは面白いと突き飛ばし、払い倒し、兵隊のおもちゃで遊び始めました。兵隊たちはサーベルをふるって応戦しましたがおもちゃなのでぜんぜん効き目がありません。
一人大きなくるみ割り人形だけが太い腕でネズミを打ち据え、鋭い歯と強靱な顎で噛みつき、奮戦しましたが、勢いの差は歴然です。
女王ネズミの高笑いの声にキーンと甲高い風を切る音が重なりました。近代兵器戦闘機の登場です。戦闘機は上空を旋回してネズミの目を回し、急降下でパパパパパと機銃の閃きでネズミどもを脅かしました。でも弾は出ないのでずる賢いネズミはすぐに慣れてしまいました。
おもちゃ兵団絶体絶命。
ネズミたちの群れに押し倒されながらくるみ割り人形が叫びました。
「爆弾投下!」
キーンと上空を旋回してきた戦闘機がネズミたちの群へ狙い澄まして爆弾を投下しました。
ヒューン・・、ドカーン!
爆弾が破裂して茶色い煙が噴き上がりました。
クシュンクシュン、ネズミたちはいっせいにくしゃみを始め、目をこすり出しました。コショウ爆弾です。台所から拝借してきたのでしょう。
「大砲隊! ペッパー弾で反撃だ!」
ドーン、ドーン、パアーン!
大砲隊もゴムの弾からコショウを固めた弾に切り替えて猛烈に反撃を開始しました。パアーン、パアーン、コショウの煙が舞い上がり、ネズミたちは逃げまどい、脱走を始めました。形勢大逆転です。
「おのれ、こしゃくなー!」
ダダダダダと女王ネズミがピエロの体を駆け下り、コショウの舞い上がる中おもちゃの兵隊に突進しました。ボーン、ボーン、兵隊たちはボーリングのピンのように跳ね上がりました。おもちゃの女王ネズミにはコショウは効きません。猛り狂った女王ネズミは一人残らず兵隊をはじき飛ばし、大砲を遠くへ蹴り飛ばしました。
くるみ割り人形と女王ネズミの睨み合い。両軍大将の一騎打ちです。
女王ネズミはしっぽを回転させながら後退しました。照準を合わせ、ギギギギギ、恐ろしい声で鳴いて猛突進しました。ガオー! くるみ割り人形も吠えて受け止めようとしましたが、ドーン!と突き飛ばされてしまいました。
ゴロゴロ転がったくるみ割り人形は顎をガチガチ動かしてむっくり起き上がりました。ドーン! またも女王ネズミの突進で突き飛ばされてしまいました。女王ネズミは得意になってしっぽをグルグル回し、ギギギと嫌らしく笑いました。
ああ、くるみ割り人形のピンチ! クララは握りしめた手にじっとり汗をかいていました。
ああ、頑張って、イワン雷帝! あんなネズミに負けないで!
怖さを忘れて思わず前のめりになるクララの足元から女王ネズミに蹴散らされたコショウの煙がもくもく舞い上がってきました。
「ハ・・、ハ・・、ハック、ションッ!」
クララは大きなくしゃみをしてしまいました。
ジロリと女王ネズミが凶暴な目でクララを睨み、後足で立ち上がると「ギギギギギ」と鋭い歯をガチガチさせて、目玉をグルグルビヨンビヨン飛び出させて立ったままダダダダダと猛烈な勢いで走ってきました。
「キャッ!」
クララは思わず尻餅をつき、その拍子にピョーンとスリッパが片方、まっすぐ女王ネズミ目がけてすっ飛びました。女王ネズミはひょいと頭を下げてうまくすれすれでよけた、つもりだったのですが、グルグル回るしっぽにたまたま引っかかり、ぐにゃりと、針金のしっぽを曲げてしました。
「ギギッ?」
ネズミ女王はバランスを崩してその場でグルグル回ったかと思うとそのままの勢いで「ギギギギギーッ」と悲鳴を上げてあらぬ方へ走っていき、あちこちぶつかりながら部屋の隅の暗がりに消えていきました。
「ハ、ハ、ハクション! ハクション! ハクション!」
クララは猛烈にくしゃみをして、まったくなんてリアルな夢なのかしらと思いました。
コロンビーヌとピエロがバンザーイバンザーイバンザーイと両手を振り上げました。オルゴールがまた「花のワルツ」を奏で始め、二人は踊り出しました。でも曲のテンポは速く、二人の踊りは夕方見たのよりうんと弾んで乱暴なものでした。
クララは真夜中にこんな大騒ぎしていいのかしらと思いましたが、どうせ夢なんだからかまわないだろうとニコニコ二人の喜びのダンスを眺めました。
二人は手を取り合うとひょいとオルゴールから飛び降りクララのところへやってきました。
「クララさん、ありがとう。いっしょに踊りましょう」
クララは二人に両手を取られ、三人で輪になってくるくるくるくる踊り出しました。
まあ、なんて楽しい夢かしら!
クララは嬉しくてたまらなくなりました。キラキラ輝くツリーの前で踊っていると床のコショウがまた舞い上がってきましたが、それはキラキラ輝く光の粉になりました。モクモクモクモク、クララは光の雲に包まれていきました。見るとその雲の上をクリスマスツリーがにょきにょき天に向かって伸びていきます。いいえ、ツリーが大きくなっていくのではなくクララたちが小さくなっていっているのです。夢の魔法のなせる業です。さらに見るといつの間にか大きな大きなドロッセルマイヤーおじさまがニコニコ優しい笑顔で一生懸命オルゴールのハンドルを回してくれています。ああ、これはおじさまがクララにプレゼントしてくれた素敵な夢なのです。クララはコロンビーヌとピエロとクルクル回りながら顔を動かしておじさまの姿を追い続けました。
「ハクション、ハクション、ハクション!」
誰かがくしゃみをしているので見るとおもちゃの兵隊を整列させた将校さんです。青い制服に黒い毛の帽子をかぶり、黒いマントをなびかせています。
クララたちはとうとうおもちゃの兵隊さんたちと同じ大きさになってしまいました。
「ハクション、ハクション、ハクション」
将校さんはくしゃみを連発して真っ赤になった鼻をぐずぐず言わせました。
「こ、これはしつ・・、ハクション!
しつれいしました、クララさん。よくぞあの女王ネズミを撃退してくださいました」
くしゃみで鼻がぐずぐずですがよく見ればきれいな凛々しい顔立ちの王子様です。王子様はクララの手を取りかっこよく膝を折ると手の甲に口づけし、顔を上げるとにっこり親しみのこもった笑みを浮かべました。
「あなたはくるみ割り人形の皇帝さま?」
「いえいえ、皇帝などと言う身分ではありません。わたしはプリンシバルト、人形の王子です」
ピエロとコロンビーヌのお仲間ですからバレエのプリンシパルのもじりでしょう。
「ありがとう、クララさん。女王ネズミをやっつけたので呪いが解けてわたしは本来の姿に戻ることができました。さあ、お礼に夢の国にご案内いたしましょう」
クリスマスツリーの根元にうろが開いて七色に揺らめく光があふれ出しました。クララは笑顔でプリンシバルトに手を引かれながら、ふとおじさまを見上げました。
おじさまは暗がりを背に優しい笑顔を浮かべて言いました。
「行っておいでクララ。おまえの運命の人が待っているかもしれないよ」
「行ってきまーす、おじさまー!」
クララは元気に手を振って光の中に入っていきました。
ピエロとコロンビーヌが後に続いて、二人が入ってしまうとうろは閉じていき、漏れ出る光も細くなり、とうとう消えてしまいました。
クリスマスツリーのお星様の光も消えています。
すっかり元通り暗くなった部屋で、ドロッセルマイヤーはオルゴールのハンドルを回すのをやめました。
「クララをよろしく頼むよ、クラリッサ」
暗がりの中でドロッセルマイヤーは実に満足そうに微笑みました。クララといっしょに光の中へ消えていったはずのピエロとコロンビーヌのオルゴール人形は元通りちゃんとオルゴールの上に立っています。ゼンマイが切れてだらりとうなだれて。足元にはこれまた人間に変身したはずのくるみ割り人形が仲間のおもちゃの兵隊たちと転がっています。
「さて、わたしもそろそろ眠るとするか。ごくろうだったね、くるみ割り君よ」
ドロッセルマイヤーがしみじみ言ってくるみ割り人形を拾おうと疲れた体を下に向けたとき、何者か小さなものが素早く走ってきてドロッセルマイヤーの腕に取り付き、肩までよじ登ってきました。
「お、おまえ、まだ・・」
ドロッセルマイヤーの顔に子どもたちには決して見せたことのない剥き出しの驚愕が浮かんでいました。
ギギギギギと女王ネズミは笑いました。
「見たぞ見たぞ。やつらはどこに逃げていった? さあ、あたしにもあの光のドアを開けな!」
うむむむむ・・・
ドロッセルマイヤーはひきつった顔でおもちゃネズミを睨み、いったいどうするべきか、脂汗を浮かべました。
フィリップは騒がしさに目を覚ましました。
まったく、なにをしてやがるんだ?
下の階でドタンバタンと何やら大騒ぎしています。
うるさくて腹が立って、怒鳴りつけてやろうとベッドを起き出しました。廊下に出ると二階はしーんと静まり返っています。階下からは今度は音楽までにぎやかに聞こえてきて、他の者たちはどうしてあの騒音が気にならないのだろうと不思議に思いました。
ともかく怒ってやろうと階段を下りていくと、騒音の元はどうやら居間のようです。誰かがあのくだらないオルゴールを回しているなと思い、まさかそれが妹クララではあるまいなと思いました。どうしてあいつはいつまでもあんなくだらないおもちゃに夢中になれるんだろう? いつまでも子どもで困った奴だ、この際きつく説教してやろう、と思っていると音楽はやみ、静かになったかと思うとまたドタンと激しい音がしてフィリップはまたカーッと熱くなりました。
しかし待てよと思いました。まさか泥棒ではあるまいか?
そーっとドアの隙間から中をうかがうと、一人男の影が何かと話していました。
ドロッセルマイヤー伯父です。あの子供じみた発明狂が誰かと話していますが、相手が見あたりません。
フィリップはさらに目を凝らしました。
ドロッセルマイヤーは肩に乗せたおもちゃと話しています。
「おまえの敵のくるみ割り人形は、ほら、そこにいるじゃないか」
「やかましい! あれは空っぽの影武者だ。本物はどこだ?どこに隠した? さあ、さっさと扉を開けろ!」
とうとうフィリップの堪忍袋の緒が切れました。
「おじさん! いいかげんにしてくれ! あんたはいつまでこんな馬鹿げたおふざけをしている気だ!?」
突然現れたフィリップにドロッセルマイヤーはギョッとしました。
「いや、フィリップ、違うのだ、これは遊んでいるわけでは・・」
ドロッセルマイヤーはぎゃっと悲鳴を上げました。女王ネズミが首に噛みついたのです。
「分かった、ハンドルを回す。しかし扉が開くかどうかはわたしにも・・、イタタタタ、分かった、分かったよ」
フィリップの目にはどう見てもおじが一人芝居をして大騒ぎしているようにしか見えません。
ドロッセルマイヤーはヒーヒー言いながらオルゴールのハンドルを回し始めました。するとクリスマスツリーの根元の幹に穴が開き始め、眩しい光が漏れだしました。フィリップはこんなところにも仕掛けをしていたのかと呆れる思いがしました。
ギギギギギ。女王ネズミは喜んでドロッセルマイヤーの肩から飛び降りました。床に転がっていたおもちゃの兵隊たちがむっくり起き上がり、なんとしても女王ネズミから扉を護ろうとタックルを組んで立ちふさがりました。今度は女王ネズミも簡単にははじき飛ばせません。フィリップは良くできた仕掛けだなとちょっと感心しました。ドロッセルマイヤーがネズミを捕まえようと飛びかかりました。ネズミは素早く逃げてちょろちょろ走り回り隙をうかがっています。ドロッセルマイヤーはぴょこんぴょこん必死になってネズミを捕まえようと躍りかかります。フィリップはもう呆れ返っています。ドロッセルマイヤーはツリーの幹の扉を見ました。ゆっくりゆっくり穴が閉じていきますが、なかなか完全には閉まりそうもありません。
ドロッセルマイヤーはフィリップを見上げて言いました。
「フィリップ、頼む、そいつを捕まえてくれ!」
フィリップはしらっとした目で見下ろしています。
「頼む、あいつを逃がしたらクララが危ない!」
信じたわけでもありませんがあんまり必死な様子にしょうがなくお付き合いしてやることにしました。
若くて俊敏なフィリップが加勢したことで女王ネズミは明らかに戸惑い苛立ちました。フィリップの広げた腕に行く手を包囲され立ち往生したところにドロッセルマイヤーはそれっと躍りかかりました。女王ネズミはくるりと振り返るとギザギザの歯で思いっきりドロッセルマイヤーの指に噛みつきました。
「ぎゃっ、」
大事な人差し指をグサリと噛みつかれてドロッセルマイヤーは悲鳴を上げ、振り払おうと腕を振り、立ち上がった拍子に足を絡ませ後ろに大きく転倒しました。
ガッシャーン。
ドロッセルマイヤーは後頭部をコロンビーヌのオルゴールにしたたかに打ち、コロンビーヌはどさりと倒れ、オルゴールの重いふたがバーンと跳ね上がりました。
「おじさん!」
何もそこまでこんな馬鹿なお芝居を、とフィリップはあせって駆け寄りました。ドロッセルマイヤーはうめきながら頭に手をやり、噛みつかれた指先からはドクドク血が流れ出していました。フィリップは驚きました。芝居にしてはやりすぎです。
ガッシャーンと音がして、見ると女王ネズミがとうとう兵隊たちを跳ね飛ばしてツリーの光の穴に入ろうとしていました。女王ネズミはフィリップをチラリと見て勝ち誇ったように「ギギギ」と笑い、光の中に消えていき、穴は閉じ、光は消え、部屋は暗くなりました。
フィリップは真っ青になりました。まさかこれが本当に魔法の出来事なのではとようやく本気で疑ったのです。
「おじさん! クララがどうしたって?」
フィリップはドロッセルマイヤーを抱きかかえて訊きました。
「ああ・・、うん、いや、だいじょうぶだろう、クララはクラリッサが守ってくれる。これもみんな彼女のいたずらなんだろう」
ドロッセルマイヤーは薄目でフィリップを見て弱々しく微笑みました。
「フィリップ、すまなかったな。我が同胞のしたことを謝るよ。申し訳なかった。それから、あいつを捕まえるのを手伝ってくれてありがとう」
ドロッセルマイヤーは疲れたように目を閉じました。
「おじさん? おじさん!」
フィリップはまさかと思ってドロッセルマイヤーの首や口や胸を探りました。
ドロッセルマイヤーはもう息をしていませんでした。
フィリップは愕然としてドロッセルマイヤーを横たえるとよろよろ立ち上がりました。ショックで頭が働きません。ぼんやり目をやると倒れているコロンビーヌが見えました。しかしそれはお面をかぶったただの木の人形で夕方見た生きているような蝋人形とはまったく違っていました。ピエロも同様ダブダブの服にお面が乗っているだけでした。さらにふたの開いたオルゴールは、美しい音楽を奏でたはずの中身は空っぽでした。
フィリップは悪夢を見ているのだと思いました。床にあの不愉快なくるみ割り人形が転がっています。なんとなく拾い上げてマントのレバーを引いてみます。すると両腕がきれいに揃って上がり、大口が開きました。なんとも間抜けな愉快な顔です。あのクリスマスの日、本当は自分がこの人形を欲しかったのを思い出しました。レバーを上げ下げしながら、ふと、右腕の違和感がきれいさっぱり消えているのに気付きました。
自分は本当に何ものかに護られていたのか、とフィリップは思いました。
フィリップは夢うつつでドロッセルマイヤーを見下ろしました。
ドロッセルマイヤーは、それだけは決して夢ではないように、静かに目を閉じ、横たわっていました。
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