第38話 金の精
クララは人々の見守る中フィールドの中央でノアと向かい合いました。右手の指輪を外し、祈る気持ちでノアの指輪と交換しました。二人の指が互いの指輪に触れたとき、パアーッと、まばゆい黄金の輝きがあふれ出し、キラキラ黄金の粉が現れると一つに固まり、空中に金色の髪、金色の瞳、金色の衣、金色の羽根をした金の精が現れました。
おお、と人間たちから感嘆の声が漏れましたが、はて?どうしたことか、見るからに豪華なこの金の妖精さん、現れたはいいがなんだかいたたまれない感じでやたらとおどおどして、前回のやたら高飛車なルビーの精とは正反対です。
おどおどキョロキョロしていた金の精さん、クララに目を止めると他の人の目から逃れるようにクララの下に下りてきて体をすり寄せるようにして言いました。
「あのー、あなた人間ですわよね? ひょっとして、あなたが勇者さん?」
「そうですけど」
「ああ!よかったあ!」
子どものようにパアッと顔を輝かせて両手でクララの手を取って胸にぎゅうっと抱きしめました。
「ああ、懐かしいわあ、確かに人間だわ! ずいぶんちっぽけだけど。ああ、これでもうクラリスにいじめられないで済むわ!
ねえねえひどいのよ、あの子ったら、魔女のくせして妖精のわたしをビンに閉じこめてランプ代わりにこき使って、文句を言うと錆の精の変えてやるぞなんておどすのよお。ねえ、信じられる?わたし、金の精なのよ?妖精の中で一番綺麗で豪華で美人で力があって、人間たちに人気ナンバー1だったのよ?それがあんなちんけな娘にとっつかまって、おまえは自由にしておくとろくなことにならないからおまえも金の置物にしてお城に飾っておくぞなんて脅されて。そりゃまあたしかに、わたしも人間に頼まれてちょっとそんなイタズラもしちゃったかなあー?なんてこともあったけど、わたしは金、黄金なのよ?わたしが妖精の中の女王様なの!別に妖精の国の女王って意味じゃなくってね、ほら、宝石の女王とか果物の女王とかって言うじゃない?そういう女王様よ。わたしが現れると人間はみんな大喜びするのよ?銀とか銅なんて二流三流よ、なんと言っても金!金が一番。ダイヤモンドなんて砕けてしまったらなんの値打ちもないじゃない?金なら集めて溶かして、いくらでも美しい形が作れるわ。ね?金の方が優れているでしょ?ダイヤなんて駄目よ、駄っ目!あの石頭の分からず屋め!金が女王なのよ!それなのにダイヤと仲のいいあのクソガキめ!あ、いや、ごめんなさい、クラリス怒らないで!あの子ったらひどいんだから、せっかくわたしが作った金をみんなきったない泥に変えちゃったのよ?信じられる?ああ、もったいない!あのバカ娘!ああ、ごめんなさいごめんなさい」
えーい、鬱陶しい!
この金の精、たしかにとびっきりの美人には違いありませんがやたらべたべた甘ったるくって、そう、あのオーロラ女王様より10倍砂糖が利いている感じです。
「ようするにあなた、クラリスが恐いんでしょ?」
金の精はビクリとしてクララから離れました。
「いますの?クラリスが?」
「いや、いない・・と思うけど」
金の精はなーんだと言ってしらっとした目になりました。クララはおや?と思って、この金の精さん、お金持ちにありがちな裏表の極端な人のようです。
『ハアーイ。ちょっと金の妖精さんにインタビューしてみたいと思いまーす』
マイクを引っ張ってコロンビーヌが割り込んできました。
『初めまして。クラリス様の臣下のコロンビーヌと申します』
「クラリスのお?」
金の精はビクリと身を引いて疑い深そうな目でコロンビーヌを眺め回しました。
「あなたどこかで会ったことない?」
『ありませんよおー』
と言いながらマイクから口を放してそっと耳打ちしました。
「本当はあるんですよ。あなたがこの指輪に封じ込められる前に。でも今は会ったことないことにしておいてくださいね。クラリスの命令ですから」
クラリスの命令と聞いて金の精は震え上がりました。
コロンビーヌはニッコリ笑って質問しました。
『金の精さんはとってもきらびやかで豪華なお姿をしていらっしゃるんですけれど、どのような妖精の力をお持ちなんですか?』
金の精は褒められてえっへんと胸を張りました。妖精ってみんなこうみたいです。
『わたしの力はね、どんな物でも金に変えてしまうことなのよ。すごいでしょう? それだけじゃなくってね、わたしが居るだけで、その人や家には様々な富が集まってくるのよ』
「座敷わらしみたいですわね」
とベニオがまた訳の分からないことを言って金の精は耳ざとくそれを聞いてベニオをジロリと横目で睨みました。
『何、そのザシキワラシって』
『わたしの国に伝わる幸運を呼ぶ子どもの精霊のことですわ』
『ふうーん・・』
まだジロジロ見て、
『あなたも勇者さま?』
『はい』
『ふうーん・・』
なんかむかつくわね、このガキ、と金の精はマイクに拾われないように口を横に向けて小さく悪態をつきました。クララに聞こえているからとなりのベニオにも聞こえていると思いますが、この子は相変わらずニコニコしています。金の精はますますむかつくように地を出して嫌な顔をしました。
『金の精さん』
コロンビーヌがニコニコ呼びかけると、
『ハイ?』
金の精もニコニコ応じました。二人とも実に嘘っぽい笑顔です。
『素晴らしい力をお持ちなんですね。ところで、その力が人間の世界に災いをもたらし、戦争が始まったということですが、それについてはどう思われているでしょうか?』
ずいぶん痛い質問ですが、
『人間ってほんとバカねえー』
と、金の精はまるっきり人ごとのように呆れて言いました。
『わたしの与えてあげた金を取り合ってケンカするなんて。それ相応の礼を以て頼めばいくらでも金なんて出してあげるのに』
たしかチョウ先生の授業では金の精は誘惑には弱いがバカではないということでしたが、この発言を聞くに、けっこうバカっぽいです。何故戦争が起こってしまったのか、本質的な理由がまるで分かっていません。ところが、
「狡い方ですわね」
とベニオが聞こえよがしにクララに耳打ちして金の精はまたもの凄い目でベニオを睨みました。クララはギョッとして、なるほど、金の精はわざととぼけて責任逃れをしているのだ、と気付きました。オーロラ女王様どころか、とんでもない裏のある悪女です。
金の精はニコニコしているベニオをフンと無視しました。
コロンビーヌはなだめるように、
『そうですね、金はとても利用価値の高い美しい金属です。せっかくその金を生み出してくれる妖精さんを悪者にしてしまうなんて、人間は愚かですね』
『そうよ』
『ご心配なく。このくるみ国ではそうした醜い争いは決して起こりませんから』
くるみ国ではそうかもしれませんが、この放送を聞いているカメリア国ではどうでしょうねえ?
『ところで金の精さんはご自分が託されたこの使命をちゃんと理解しておられるんでしょうか?』
『どういうこと?』
『つまり、新天地とそこに向かう舟についてです』
『さあ、知らない』
コロンビーヌはお得意の困った顔で小首を傾げるポーズを取りました。金の精は当然知っていると思っていたようです。
クララはクラリッサを見ました。コロンビーヌにこのインタビューをさせているのは彼女でしょう。この際国民に新天地の具体的な情報を与えて現在の不安な状況を落ち着かせたいと考えているのでしょう。それなのにベニオは横から余計なチャチャを入れるし、そのせいか金の精はすっかりごきげん斜めになってしまうし、クラリッサも平静を装いつつ内心かなり苛立っているようです。
『では女神さまからどのようにお聞きになってこのお役目を引き受けられたのです?』
『女神さま?』
金の精はもともとの底意地の悪い性格を取り戻して嫌味たっぷりな笑みを浮かべて困っているコロンビーヌとベニオを見やって言いました。
『ああ、そういえばそう呼ばれているんだったかしら、あの元黒魔女』
クラリッサの目が三角に吊り上がりました。頭から角が生えて空から雷を降らせそうな気配です。
『だいたいあの黒魔女がなんで偉そうに人間から崇拝されなきゃならないのよ? あら、勘違いしないでよ、わたしはあなたたちをバカにして言っているんじゃないのよ。わたしは人間が大好きだったのよ。わたしほど人間が大好きな妖精は他にいやしないわ! 本当よ。だって、人間たちが一番好きな妖精が他でもないこのわたしなんですもの、ダイヤモンドじゃなくってね!』
どうやら金の精はダイヤモンドの精に相当なライバル心を持っているようです。話によるとクラリスはダイヤモンドの精の方をかなりご贔屓のようです。そのせいで母親のカラベラスのことも・・
『ねえ、あなたたちもわたしのことが大好きでしょう?』
金の精は大きく手を広げてスタンドの観客たちに呼びかけましたが、観客たちの反応ははかばかしくありませんでした。そりゃそうでしょう。
金の精はつまらなそうに肩をすくめ、わざとらしく頭を振りました。
『あーあ、まったく・・。だからこんな国嫌いなのよ』
あーあ、クラリッサの頬がぴくぴくひきつっています。
『ねえあんたたちこんな国に住んでてつまらなくない? わたしは富をもたらす最高の妖精なのよ? ところがあのバカ魔女のバカ娘の作ったこの国ったら、その富を求めちゃいけないって言うじゃない? アホらし。人間富を求めないでなんの生きる気力がわいてくるって言うの? あなたたち、ちゃんと生きてる? 半分くらい死にながら生きてるんじゃないの?』
金の精は自分の言葉にウケて、おほほほほほ、と小指を立てた手で口許を押さえて笑いましたが、もちろん誰一人笑う者はいません。
金の精もしらっとした目で笑うのをやめました。
『つまらない。
ねえ、誰かいないの、あのバカ魔女母娘を退治しようっていう力のある者は? あんたたちいつまでこんな鳥かごの中で我慢している気よ?』
たいへんです! まったくこのバカ妖精はいったい何を血迷ってこんなことを言い出したのでしょう?
金の精は危ない目でクララを見ました。
『ねえ人間の勇者さん。あなたはどう? 悪い魔女を退治して人々を解放して本物の勇者になりたくない?』
「い、いえ、けっこうです」
冗談じゃない、そんな危ないものになりたくありません!
金の精はなおもギラギラ危ない目でクララに迫ってきました。
『考えてみてよ。いい?わたしは力も妖精の中で最高に強いのよ? わたしは魔女退治なんて野蛮なことまっぴらごめんだけど、あなたにその気があるならわたしの力を全面的に貸してあげてもいいわよ?』
『いりません!そんな気ぜーんぜんありません!』
まったくどうしちゃったんでしょう?
『あなた、クラリスが恐かったんじゃないの?』
『恐いわよ、そりゃあね。なにしろあいつは母親の黒魔女さえ手こずって卑怯な手で追っ払った大魔王を、正面切って真っ二つに切り裂いたもの凄い奴だからね』
スタンドからざわめきが起きました。彼らの見知っているクラリスの姿からは想像も付かないでしょう。
『だったらなんで?・・』
『あなたよ。あなたが誰か思いだしたのよ。間違いない、あなただわ。クラリスはずうっとある人間の生まれ変わりを捜していた。あの娘が生涯で唯一負い目を感じている人間の娘よ。いえ、人間じゃないのかしら?翼があるんですものね。ふふふふ、何故知っているの?って顔ね。その指輪、それにクラリスは仕掛けを施して持ち主の前世の記憶を呼び覚ますようにしておいたのよ。その中に封じ込められていたわたしもぼんやりだけどその記憶が頭の中に伝わってきたわ。あなたの前世は・・・・』
巨大に迫った金の精の目玉が飛び出るほどに剥き出されました。
『が、・・・んん、んがっ・・・・』
どうしたのでしょう、金の精の様子が変です。目玉を剥き出し、苦しそうに喉を押さえてよろめいています。
「ち、ちくしょう、あの小娘、このわたしに呪いをかけていたね。よくも、よくもこのわたしに・・・・」
金の精は自分の口を押さえ、気持ちを落ち着かせるようにすると喉の奥の苦痛も落ち着いてきたようです。恨めしそうにクララを見て、
『分かったわよ、あなたの正体はどうしても他人に知らせたくないようね。いいわよ、言わないわよ。でもクラリスはあなたには絶対に手出しできないわ。あなたが何をしようとね。だから、ねえ、わたしの言うことを聞きなさいよ。あなたならクラリスを倒せる、あなたがその気になってわたしの力を受け入れさえすれば』
『嫌よ、クラリスを倒すなんて。わたしはそんなつもり、これっぽっちもないわ!』
『何もクラリスを殺せというんじゃないわよ、そんなこと無理に決まっているもの。あの娘の馬鹿げた野望を打ち砕きさえすればいいのよ。このちんけな鳥かごを打ち破り、この世界を外に解放すればいいのよ。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。わたしの力を受け入れなさい。わたしに力を貸して! わたしをここから解放して! こんな世界はもううんざりよ! わたしを懐かしい人間たちの世界へ! さあ、
言うことをお聞き!』
「コロンビーヌ!」
クラリッサが叫びました。
「その愚か者の妖精を取り押さえなさい!」
コロンビーヌが金の精が振り向く暇もなく背後から左手で両腕を腰ごとガッチリ押さえつけ、右手で口を塞ぎました。金の精はじたばたしましたが、コロンビーヌはビクともしません。
ち、ちくしょう、ぶ、ぶれいもの! は、はなしなさい!
金の精は口の中でもごもご言いましたが、ふと、何かに気付いて、ニヤッと笑いました。
眩しい黄金の輝きが散って、金の精の姿は消えました。
押さえつけていた金の精の体を失ったコロンビーヌが前につんのめるようなかっこうになって、ギクシャクと変な動きをし始めました。
「どうしました?」
クラリッサが尋ねると、
「ハハハハ」
コロンビーヌが大口を開けて笑いました。
「コイツハトンダミツケモノダワ」
腹話術みたいな変に平坦な声でしゃべりました。
『オモイダシタワ、コイツノコトモ。くらりすガドコカラカツレテキタオトコトオンナノカタワレダ。ヘエー、コイツがこんな仕掛けになっているとは驚いたわ。まったくどこからこんな奴連れてきたのかしら?』
『あなた、金の精なの?』
『そうよ。この女の体は乗っ取らせてもらったわ』
『あなた、そんな力もあるの?』
『ないわよ。でもこの女は特別よ。へえー、これはいいわ。最高の鎧だわ!』
金の精に乗っ取られたコロンビーヌはピョンピョンとその場で跳ねると、
ビュー・・・・・ン・・・・・・
思いっきり跳ねると空の雲の上まで飛んでいきました。
しばらくして、
・・・・・・・・・イイイイイイイイインンンンン・・・
ズッズー・・ンンンン・・・
地響きを立ててもとの場所に降り立ちました。
『あっははははは。もうー、最っ高! へえー、なんなの、この体? 妖精の体よりすごいじゃない?』
コロンビーヌは天に向かって叫びました。
『やい、バカ魔女のバカ娘! このわたしに手出しが出来るか!? こいつはあんたの大切な部下なんだろ? ふん、そうでなくたってこの体、ひょっとしてあんたの魔法でもどうにも出来ないんじゃない? あっははははは。最高だわ! あんたに捕まってからこんないい気分になれたのは初めてよ! もう人間なんかいらない、このわたしの力とこの体だけでじゅうぶんだわ! 新天地だかなんだか知らないけれど、行きたければ勝手に行くがいいわ! わたしは帰る!懐かしい、欲と俗にまみれた人間たちの世界へ! あんたなんか始めからお呼びじゃないのよ! 人間たちにとって妖精の女王はこのわたしなのよ! ふん、ざまあ見ろ、ダイヤモンド!もうあなたなんかわたしの女王じゃないわ! 人間の世界で、わたしこそが妖精の女王になるのよ!』
コロンビーヌは高いスタジアムの天上の外を見上げました。コロンビーヌの脅威のジャンプ力なら、開いたところはどこでも外への出口になります。
「待ちなさい!」
クラリッサが決死の表情でコロンビーヌの前に立ちふさがりましたが、
『お退き。蹴り殺してしまうわよ』
ゾッとする冷たい顔です。それがコロンビーヌの本当の力なのです。
コロンビーヌは勝ち誇り、余裕の態度でクララに言いました。
『勇者さん。もう一度よく考えるのね。こんな国、とてもまともじゃないわ。あなたはすぐに大いなる力を手に入れることになる。その気になればクラリスでさえ本当にうち破れるほどのね。あなたは、ただ、望めばいいのよ、こんな世界、消えて無くなれ、とね』
ふふ、ふふふふ、あーっはっはっは。
どこかで聞いたことのあるような高笑いを残してコロンビーヌはビュンと飛び上がり楽々スタジアムのひさしの向こうへ消えていきました。
クラリッサが放心したようにポツリと呟きました。
『・・・・・最悪だわ・・』
もう夕暮れです。
ショックがあまりに大きすぎたようで、クラリッサはどこかの部屋に引き払って音沙汰がありません。
クララたちもスタジアムのスタッフ控え室に集まってひたすら暗〜く、ただ何か連絡があるのを待っています。クララと、ベニオと、ノアと、パディーさんと、ベルナールさんと、ロベルトと、ルピネー少年です。
「ハアッ」
と大きくため息をついてベルナールさんが勢いよく椅子から立ち上がりました。
「わたし、帰る」
「えっ・・・・」
クララは胸がギュッと痛みました。見捨てられてしまったのでしょうか?
ベルナールさんは泣き笑いのような表情でクララを見て言いました。
「ごめんね。わたしも最後まであなたにつき合って結末を見届けたいんだけど、子どもたちがいるから」
「あ・・・」
そうでした、ベルナールさんは明日からまた学校のお勤めです。
「クララ」
手を引いて立ち上がらせるとぎゅうっと抱きしめました。
「頑張って、クララ。わたしは信じている、女神さまのことも、あなたのことも、それからちょっぴり疑いの気持ちもあるけどクラリスもね」
顔を離してニイッといたずらっぽく笑いました。
「まったく最悪の妖精だったわよね、あの金の妖精。さすが世界に戦争をもたらした張本人だけのことはあるわ!」
「でも・・・」
クララは言おうとしてやめました。これ以上ベルナールさんに重荷になるようなことは訊けません。
「わたしは女神さまを信じている」
ベルナールさんはもう一度力を込めて言いました。
「クラリッサ様がおっしゃったように女神さまもわたしたちを試していらっしゃるのよ。そして、わたしは、女神さまもわたしたちを信じていると信じるわ! だからクララ、あなたも自信を持って。あなたは女神さまがわたしたちに与えてくださった希望の星なんだから!」
ベルナールさんはニコッと笑ってクララにキスしました。
「それじゃ、」
じっと潤んだ目で見つめて、
「さようなら。あなたのこと絶対に忘れないわ」
「うん。ありがとう。わたしもあなたのこと絶対に忘れない」
クスッと笑って、
「忘れようったって忘れられないわ。いろいろ悪いこと教えてもらっちゃったものね、先生」
クララは思い付いてパッと顔を輝かせました。
「わたしも自分の世界に帰ったら小学校の先生になろうかしら」
「あら、それは嬉しいわね。でも、わたしみたいな先生にはならないでね」
「ううん。あなたのような先生になりたいの!」
「あらあら、それは困ったわね」
「ううん。あなたはわたしにとっても素晴らしい先生よ!」
「それはどうも。勇者さまの先生だなんて、子どもたちに自慢できるわね」
もう一度笑い合って、しっかり手を握り合いました。
「さよなら。頑張ってね。まずはわたしたちを新天地に連れていってちょうだいね」
「さよなら。お元気で。旦那さんにもよろしく」
「あ、そういえばそんなのいたっけ?」
笑って、握り合っていた手が離れました。
「さよなら」
「さよなら」
ベルナールさんがドアを開け、閉めました。姿はドアの向こうに消えて、もうありません。
お別れです。
クララはどうしようもなく寂しさが胸に溢れ、声をあげて泣きたくなりました。
「生徒さん思いの良い先生ですわね」
ベニオが言いました。
「先ほどのラジオ放送、当然子どもたちも聞いていたでしょうからね、きっと混乱して不安な気持ちでいっぱいでしょう。ベルナール先生はそんな子どもたちが心配でならないんでしょうね」
そうです、クララ以上にこの国の人たち、この国の子供たちは不安と恐怖でいっぱいのはずです。
ベルナールさんは子どもたちに一番人気の先生です。子どもたちは誰より彼女に話を聞きたがっていることでしょう。
それに、クララは思います。昨日から彼女といっしょにいていろいろ話を聞いて、今彼女はこう言っているように感じます、
「わたしにはここでの生活があるから」
怠け者のどうしようもなくいいかげんな人ですが、魔女や女神や妖精や勇者や、そういった特別なおとぎ話より、自分の当たり前の生活を一番大切にしている人です。天地がひっくり返ろうと、その信念に変わりはないでしょう。
たぶん本当のところ新天地より女神さまより何より、当たり前の日常生活と子どもたちの方がずうっと大切なのでしょう。
本当にいい人です。
出会えて良かったと心から思います。
「まさか先ほどの出来事も計画の内とは思いませんが、見事にやられたという感じですわね」
クララの感傷などまったく無視でベニオが勢いづいてべらべらしゃべり出しました。
「そもそもテロとは何かといえば、わたしはプロパガンダ、政治的な宣伝活動だと思います。つまり、正義は我にあり、ということですわね」
「何が正義よ」
クララはベニオの無神経にプンプン腹を立てて言いました。
「それにねえ、あなたなんでさっきはあんなに非協力的だったのよ? そうよ、あんたが余計なチャチャ入れるから話が変な方に行ってあのバカ妖精がトチ狂っちゃったんじゃない?」
ああ、いけないと思いつつついベニオに当たってしまいます。でもやはり先ほどの彼女の態度は解せません。
「わたし、あの人嫌いです」
つんとした顔で言いました。
「クラリッサさんの狙いは分かっています。しかしどうもそのやり方も気に入りません」
「犯人たちが悪い、でいいじゃない?」
「そんなことは決まっています。ただ彼らをテロリストに祭り上げて全部一切合切彼らの背中におっかぶせてそれでお終い、と話を持っていこうとしているところが気に入らないのですわ」
「なんで? いいじゃない?」
どうもクララも同じ言葉しか出てきません。
「コロンビーヌさんがクラリスの臣下だと名乗っていましたね」
クララの質問は無視です。
「誘拐されたユリアは国民と女神さまを結ぶ唯一の存在でした。人間たちと別に女神さまとつながりがあるのは娘のクラリスだけです。だからくるみ国で神秘でありアイドル的な存在であるコロンビーヌさんをそのクラリスと結びつけたのでしょう。クラリスの存在も、かなり疑わしいものになっていますからね」
そうでした、国民の間にラジオ無線のネットワークが出来上がり、そこで情報交換が行われ、意見交換が行われているなら、クラリス偽者説もすでにかなり広まっていると見てよいでしょう。
クラリッサはそのクラリスの存在ももう一度確固としたものにしたいと狙っていたのでしょう。
結果は、見事に大失敗でしたが。
「そういう姑息なやり方が気に入りません」
一番のお気に入りにこんなひどいことを言われて、クラリッサも気の毒です。
「間違ってはいないでしょう。しかし彼ら、過激派たちは、むしろそういう扱い方をされることを望んでいるでしょう。先ほどの放送はかえって彼らに受けて立とうと勢いづかせることになったと思います。わたしはその反動が恐いのです。現にクラリッサさんのもくろみはあっけなくついえました。過激派たちは勝利の雄叫びを上げていることでしょうね」
気に入りません。
「じゃあどうしたらよかったって言うの?」
「簡単なことです。彼らは明らかな犯罪者です。単なる犯罪者として追跡し、逮捕すればよいのです。クラリッサさんの失敗は、彼らを政治的に利用しようとしたことです」
クラリッサは本当に失敗したんでしょうか?
「先ほども言ったようにテロとは政治的なプロパガンダです。宣伝であるからにはまず派手により多くの人目を強く引くことが第一です。この点では決定的に彼らの勝ちです。
第二に、自分たちの主張を広く伝えることです。そのためにはその犯罪行為が、単なる犯罪ではなく、政治的な目的を持ったものだと広く人民に訴えることが必要です。ここで、この犯罪を政治的なものに結びつけてしまったクラリッサさんは、完全に対応を誤りました。まったく彼らの思うつぼです。
第三に、テロリストは自分たちが体制の正義によっていかに不当に不利益と犠牲を強いられているか、人民に理解させることです。ここがテロの第一の目標と言っていいでしょう。ここまで彼らに許したら、ひとまず我々の完全な負けです」
この十歳の小娘は、なんて恐ろしいんでしょう。クララは顔が青ざめてきました。
「テロリストが悪い。テロリストを倒してみんな仲良く共に暮らしていきましょう。
それはとても良いことです。
しかし、何故テロが起こったかという根本的な原因を無視して実際にテロを起こした犯人たちだけ悪いということで収拾がつくほど、事態は単純でしょうか?
それでお終いになればそれに越したことはありません。実際、十歳の少女を誘拐するなど、その卑劣な犯行にはまともな神経を持っている者なら誰でも強い嫌悪感と反発を感じるでしょう。これはそれだけの事件として片づけるべきなのです。
テロとは人々の注目を集めることが第一の手段です。そこで彼らは宣言するのです、正義は我にあり、と。我々を見ろ、決して目を逸らすな、我々の存在を認知しろ、お前たち普通の善良な市民たちが普通の生活を営む中で我々に何を押しつけ、奪っているのか、それを見よ! 決して目を逸らすな、これはお前たちの問題だ、お前たちが、我々少数の弱者に何を強いているか、それを直視しろ!」
ベニオはビシッと人差し指をクララに突きつけました。恐いです。まるきりテロリスト本人です。
「すごいな」
ルピネー少年が感心して声をあげました。
「テロリストの言い分をすごくまともに言い当てているじゃないか。君、くるみ国の全面的な支持者かと思ったら、案外批判的なところがあるのかな?」
「おあいにく様。わたしはくるみ国の味方です。敵を倒すにはまず敵をよく知ることですわ」
「ああ、そうかい。そうだろうね、君は」
ルピネー少年は残念そうに肩をすくめ、ロベルトに同意を求めるような笑みを向けたのでクララはおや?と思いました。ロベルトは硬い顔でじっとうつむいていますが、やたら反発していた二人がどこかしら意気投合するところがあるようです。やはりロベルトはくるみ国が社会主義の国であるということに強いわだかまりを持っているようです。そこにルピネー少年がつけ込んだとすると、やはりこの男の子、油断できないところがあります。
「でもベニオ。本当にあなたテロリストの味方みたいに聞こえるわ。なんだかクラリッサの方が悪いみたい」
「ま、正直言って非情に拙かったとは思いますわ。
テロリストとは体制の中の弱者です。有利な立場にある者ならテロなどという脅しをかける必要がありませんからね。体制の側にある強者は言うでしょう、我々は決してテロなどという卑怯な脅しには屈しない、と。
では、尋ねましょう、体制の中の弱者はいったい誰に向かってどのような方法で正義を訴えればよいのです? 正義を訴えても体制の中でもみ消されるか無視されるか、いずれにしろ体制にとって都合の悪いことは一般人民のレベルにまで広く知られることはありません。一般人民もまた、自分たちの生活に都合の悪いことは見て見ぬ振りをするのが落ちじゃありません?
我々を見よ、正義は我にあり、というのはそういうことです。
テロを起こさない唯一絶対の方法は、自分たちにとってどんなに都合の悪いことでも決して逃げることなく正面から正義を戦わせることです。もちろん、話し合いで、ですわ。
その場で体制が自分たちの有利を背に正義から逃げ、都合の良い理屈を押しつけるようなら、テロは絶対になくなりません。
クラリッサは、いえ、このくるみ国は、そこから逃げました。女神さまの威光を背に、カメリア国の求める正義を最初からまるっきり相手にしてきませんでした。そのツケが、こうして極端なテロという形で噴出したのです。
彼らは明らかな犯罪者です。しかし彼らの訴えるところに賛同する者は多いでしょう。そうした者たちにとってテロリストは自分たちの信条を代弁してくれる英雄と映るでしょう。そして更に多くの者たちが彼らの訴える正義こそが真の正義だと感じるようになったとき、体制は内部から覆り、テロリストは勝利するのです、犯罪者ではなく不正義と戦った戦士として」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
ベニオの論理は明らかに暴走しています。
「なんなのよ、体制の弱者とか強者とかって? くるみ国がカメリア国に何か強制するようなことをしている? 自分の国の中で平和に暮らしているだけじゃない? 好き勝手なことをしているのはどっちかと言えばカメリア国の方でしょ? それなのにあなた、まるでくるみ国がひどく強権的な暴力的な国みたいじゃない?」
「そうだよ、冗談じゃないよ!」
おとなしく話を聞いていたノアも反発して言いました。
「あんたさあ、子どものくせに頭良すぎんだよ。まったく、わっけ分かんないよ。あたしらがいつ何をカメリアの奴らに要求したって言うんだよ? そんなもんあるわけないだろ? あるとしたら、それはあいつらが勝手に被害妄想いだいているだけだよ。もともと自分さえよければそれでいいっていう自分勝手な奴らの集まりだからね!」
ああ、両者の和解の道のりは険しいようです。
しかしベニオは物わかり良く頷きました。
「そうですわね。カメリア国の人々がくるみ国に不満を持つのは筋違いというものですわね」
「そうだよ」
分かればいいんだよと言う感じでノアは腕を組みました。
「ですから、相手が違うのです」
「は?」
みんなハテナマークを浮かべてベニオを見つめました。
「今回のテロの標的はくるみ国ではありません。テロリストたちの敵視するのは、女神カラベラスと、その娘クラリスです」
ドーンと頭の上に爆弾を落とされた感じです。
そうでした、あの赤毛のノアの恨んでいるのは何をおいても女神カラベラスその人でした。
「テロリストたちはむしろくるみ国の人たちも自分の味方につけようと考えているでしょう。先ほども言ったとおりテロリストは基本的に弱者です。その弱者が正面切って体制と戦って勝てるわけありません。だから手段はどんな卑怯な手を使おうと、最終的に自分たちが正義となり、体制を覆すことを勝利の条件としているのです。体制を覆すには、外からより、内部から、その体制の中で生活する人々が自分たちの体制に疑問を持ち、不正義を感じ、自分たちの体制を嫌悪するように仕向けるのが賢いやり方です。
敵は手強いです。頭の良さではクラリッサさんの方が勝っていると思いますが、弱者の側特有の屈折した複雑な心理があります。その屈折した心理が、いかに民衆の不満を喚起し、熱狂に巻き込むか、実にしたたかに作戦を練っています。クラリッサさんはその点駄目です。あの人はまっすぐに正しすぎます。この勝負は、分が悪いです」
そんなあ! テロリストとの戦いなんて、全然ファンタジーじゃないじゃない! しかも、分が悪いなんて! 話が違いすぎじゃない!?
ドアが開きました。
「誰が分が悪い、ですか?」
クラリッサです。眉は不機嫌にねじれていますが、口許は意外に薄笑いを浮かべています。
「皆さん、すみません、ご心配をおかけしました。確かにわたしもかなりのショックを受けましたが、もうだいじょうぶです。改めて宣言しますが、わたしはテロになど断じて屈しません」
クラリッサは挑戦的にベニオを見つめて言いました。
「なに、簡単なことです、勇者さま方がヒントを集めて舟の鍵を手に入れればそれまでのことです。テロリストたちが何をほざこうと、新天地に移ってしまえば女神さまのご威光は改めて人々にあまねく降り注ぎ、女神さまに異を唱えるものなど瞬間で立ち消えとなります」
クラリッサはすっかり立ち直り、テロリストとの戦いにファイトを燃やしているようです。その熱はクララにも伝染してクララまでもりもりファイトがわいてきました。
そうです、ベニオは物事を難しく考えすぎです。自分たちの仕事は勇者さま、おとぎの世界で魔女の問題を解くファンタジーです。結果的にそれが現実的なテロまでやっつけるのですから、それこそファンタジーです。
「さあ勇者さま」
クララに向かって言いました。
「お務めを果たして女神さまのご威光を証明してくださいな」
そうです、コロンビーヌがいなくなったどさくさで指輪は交換してそのままでした。
「それじゃ、ノア」
「ああ」
二人して立って、向き合いました。深呼吸。
改めて指輪を交換すると・・・
クララの指につままれた指輪がキラリンと輝いて、
・・・・・・・・シュル。
「え? な、なに!?」
クララは思わずきゃあっ!と悲鳴を上げました。
金の指輪がアメ細工のように伸びて、クララの右の手の甲を這い上がりました。そのまま伸びて、中指と手首を輪に包んで、手の甲に三角形を張りました。
ガタン、と椅子が倒れました。クララのものではありません。ベニオのです。
ベニオは、先ほどあんな恐ろしいことを平気で口にしていたくせに、顔を真っ青にして目をまん丸く剥いて、口を半開きにしてわななかせ、見るも恐ろしい恐怖の表情を浮かべてクララの手を見つめています。
息を飲み、喉の奥から絞り出すように言いました。
「この世の破滅だ!」
その声は、明らかに十歳の少女のものではありませんでした。
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