ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
第28話 天上の歌声
 くるみ国の結婚式は、二人の立会人の見守る中、役所からもらった婚姻届を持った書記の前で新郎新婦が誓いの言葉を述べ、婚姻届に署名し、立会人、書記が署名すると結婚成立、新郎新婦は晴れて夫婦となる、という段取りで行われます。
 オプションで指輪の交換と誓いのキスがつきます。
「パディー・ブロンシェ。ノア・リパートン。二人は幸いなるときも病めるときも、常に互いを助け、慈しむことを誓いますか?」
 書記の役は頼まれてクラリッサが務めています。
「誓います」
 新郎パディーが言い、
「誓います」
 新婦ノアが言いました。
「指輪の交換を行います」
 立会人の男性が預かっていた指輪をクラリッサに渡し、クラリッサは確認してパディーに渡しました。金の指輪です。パディーはノアの左手を取り薬指に指輪をはめました。
 今度は女性がクラリッサに指輪を渡しました。こちらも金です。クラリッサからノアに返され、ノアはパディーの左の薬指にはめました。互いにニッコリ。
「誓いの口づけを」
 二人は真剣な面持ちでキラキラした瞳を見つめ合い、目を閉じ、唇を重ねました。
 わーっとお祝いの歓声と拍手が響きました。東側のスタンドにお客さんがいっぱい並んでいます。六万人収容の大スタジアムはさすがに満員にはなりませんでしたが、一万五千人以上のお客さんが入っています。
「はい、じゃここに署名して」
 クラリッサが革のバインダーにはさんだ婚姻届を差しだし、金の万年筆でパディーが署名し、ノアが署名し、それぞれの友人の立会人が署名し、最後にクラリッサが署名しました。
「はい、確かに。これで二人は正式の夫婦です。おめでとうございます」
 盛大なお祝いの拍手。ノアは満面に笑みを溢れさせて大きく手を振って温かいお祝いに答えました。
 結婚式はフィールドの中央に親族友人たちが集まって行われています。その中にケイトさんも、おまけにクララたちも加わっているので、スタンドのお客たちはどれが誰だか一生懸命見極めようと目を凝らしました。もちろんお目当てはケイトさんです。
 無事結婚が成立したところで、
『みなさーん』
 ノアが大きく手を広げて言いました。マイクが引かれて、スタンドに据えられて高い位置から音を拾っています。舞台の大スピーカーはまだ稼働せず、柱や屋根に備え付けられたスピーカーから観客席に声が届いています。
『あたしが誰か知ってるよねー?』
 ノア・リパートン!
 新記録金メダリスト!
 と声が上がりました。ノアは満足そうに頷き、
『ありがっとー! ところでねー、このあたしに100メートル走で挑戦状を叩きつけたおバカさんがいるのよー』
 ブーとブーイング。
『アハハハハ、ごめんごめん。勇気ある挑戦者よ。
 紹介するわ、魔女の課題に挑戦中の勇者さんの一人、ロベルトさんよ!』
 ノアに主役の場を明け渡され、ロベルトは前に出ると観客に手を振りました。ガチガチに顔が緊張しています。やっぱり口先だけは達者な小心者です。観客の方も完全にバカにして笑い声や冷やかしの口笛が聞こえてきます。
 クララはムッとしてロベルトの後ろから思いっきりバッシーンと背中を叩いてやりました。
「いってーな! なにすんだよ!?」
「なにじゃないわよ!」
 思いっきり恐い顔で睨み付けてビビらせてやります。
「あんた勇者代表で、大事な祝福の印がかかってんのよ? おまけに、あたしたちはありがたい勇者さまなのよ? ここの国民どもにあんなに笑われて悔しくないの!?」
「お、おまえってさー、」
 情けない、ロベルトは目にうっすら涙を浮かべています。
「凶暴な奴だよなー?」
「なんですってえー!?」
 たしかに、こっちに来てからクララは自分でも乱暴者になってしまった気がしますが、それというのも周りの男どもがどいつもこいつも情けないからです。
 特にあなた、ロベルト! しっかりしなさい!
「わかったわかった」
 クララに凄まれてロベルトは慌てて手を振りました。
「よし、やるぞ! そうだ、俺は選ばれた勇者なんだ! あんな生意気女に負けてたまるか!」
 よしよし、ようやく自信を取り戻したようです。
『ゴーゴー! 女の子に負けるな!』
 観客からドッと笑いが起きました。しまった、声がみんなマイクに拾われているんでした。えーい、こうなればヤケです。
『フレーフレー、ロベルト! 負けたら承知しないわよ!』
『おまえさー、恥ずかしいからやめてくれよ』
 ワハハハハと笑われていますが、もうどうでもいいです。これで本格的に逃げ場がなくなってロベルトもやる気満々に燃えてきたようです。
「ちょっとクララー」
 クラリッサが恨めしそうな目で見て言いました。
「わたしがいない間にどうしてこういう話になっちゃったのー?」
「わたしに言わないでください。ぜーんぶロベルトの責任です!」
「まったくもー」
 腰に手を当てて怒ったポーズを取りながら顔は笑っています。
「ノアさんがこけてくれることを願いましょうか」
 クラリッサもロベルトが勝つなんて万に一つも思っていないようです。
「タイムは計るの?」
 ノアに訊きます。
「まっ、走るからには一応ね。あたしより勇者さんのためにね」
「それじゃあしょうがない、ストップウォッチを用意しましょうか」

 というわけで、くるみ国ご自慢のクオーツストップウォッチが用意されましたが、
「ほー、これが噂の」
 ベニオがまた興味津々で見学しています。
 またまた大がかりな装置です。
 ゴールラインの上に細い棒のゲートが立てられました。ゴールラインからこの上部に向けて赤外線光線が走って、ゴールの瞬間その一部でもさえぎられると時計に時間が記録されるのだそうです。
 で、そのクオーツ時計本体は、真っ黒な鉄の箱に内蔵されて、箱は腰の辺りまでの大きな物なのに文字盤は上の方にほんの小さなものが八つ縦に並んでいます。トラックのラインは八本、八人全員の正確なタイムが計れるというわけです。
 時計の黒い箱に、出ました、人力発電器です。車輪のない自転車が台に乗り、これはたいした電力は必要ないようで一人乗りです。コードが伸び、時計本体と同じ大きさの白い箱につながっています。これが電池。時計から1メートル離れて置かれ、コードでつながれています。メーターとつまみがいくつもついて、なるほど、早くも自転車をこがせてずいぶん慎重に調整しています。
 準備の間ノアはウォームアップにトラックをゆっくり一周し、大歓声に答えてすでに凱旋気分です。ロベルトもピョンピョン跳ねて屈伸運動をして、真剣に調整しています。
 ノアが戻ってきていよいよ勝負の時です。
 ストップウォッチの準備も整ったようで、二人は審判に促されてスタート位置に着きました。
「おい、本当にそのかっこうでいいのかよ?」
 ノアは約束通り頭と背中に大量の羽根を生やしたドレス姿のままで、このかっこうは登場時から観客に大うけしていました。
「オッケーよ。さすがに新記録は狙えないけどね」
「へんっ、負けてそのかっこうのせいにするんじゃねえぞ」
 ロベルトは走りやすくポロシャツ、短パンに着替えています。卑怯にも勝つ気満々です。
「位置について」
 二人はスタートラインに手をつき、片膝をつきました。ノアの顔が勝負の顔になります。審判が違反がないか確認します。
「用意」
 二人のお尻が上がり、ぐうっと体を前傾させます。
 スターターは二人の後方に見えない位置にいます。
 このスターターがまた変わっています。
 遊園地にあるハンマーゴングです。ハンマーを振り上げ、打ち下ろすと、筒の中の鉛が飛び上がり、二メートル上のゴングに当たって「カンッ!」と鋭い音が響きました。スタートです。音と共に上部についた黒い丸い板にパッと白い粉が噴き上がりました。機械の故障に備えて手動のストップウォッチでもタイムが計られます。本格的です。
 二人は猛然とダッシュし、わーっと歓声が上がりました。
 フィールドの中央から見ていたクララは思わず我が目を疑いました。
 早い!
 羽根をビュービュー後ろになびかせて、ノアが機械の正確さで手足をなめらかに力強く運動させてまさに極彩色の鳥が一直線に空を駆けるように走っていきます。
 ロベルトも度肝を抜かれたようです。
 ちっくしょおー、
 歯を食いしばって全力で走りますが差はぐんぐん開いていきます。2メートル、4メートル、6メートル・・
 ノアはゴールしました。
 ずいぶん差を付けられてロベルトもゴールしました。
 大歓声。ノアは余裕で両手を振って答えています。
 ロベルトは両手で膝を押さえ、頭をがっくり下に垂れて、ゼイゼイ肩で大きく息をしています。
 記録は・・
『ノア選手、11秒10。ロベルト選手、13秒50』
 わき上がる大歓声。得意のノア。ゼイゼイ息をついて顔を下に向けたままのロベルト。
 クラリッサが、はい、とクララにバスタオルを渡しました。
「汗をかいてあのかっこうのままじゃ風邪をひいてしまうわ」
 優しく微笑んでいます。クララは頷いてロベルトのもとへ駆けました。
 ふわっとタオルを肩に掛けてあげて、
「お疲れさま。最後まで頑張ったじゃない。見直したわよ」
 ロベルトは顔を上げず、
「ちっくしょー・・」
 と小さな声で言いました。
「なんなんだよ、あの速さ? 人間じゃねえぞ、まったく、ちくしょーめ・・」
 涙声でもの凄く悔しそうです。クララは微笑みながら自分も思わず目が熱くなってしまいました。
「そうね。ちょっと・・、相手が悪かったわね」
「わるかったなあ・・」
 ロベルトはタオルでごしごし顔を拭いてようやく体を起こしました。
「祝福の印、手に入れ損なって」
「ああ・・」
 あんな約束本気にしていたのでしょうか?
「こんなに健闘したんだもの、あの子もきっとそんな意地悪しないわよ」
 スタンドのお客さんに投げキッスをしていたノアが二人のところへ来ました。
「へー、13秒50か。素人にしちゃけっこうやるじゃん」
「こっちは男だぞ、バカにするない」
「アッハハ、ごめんごめん。あたしはね、子どもの頃からずーっと競技で走ってるんだ、いわば短距離走のプロさ。男だろうとそんなに簡単に負けられないね。でもさ、楽しかったよ。あんたはどうよ?楽しくなかったかい?」
「楽しかねえよ。悔しいさ」
 アッハハハハとノアはまた大笑いしました。
「へー、やっぱりマジだったんだ? 嬉しいよ。あんたこの国の国民になりたいんだって? だったらさ、いつっでも相手してやるよ。あんたもマジにやる気あるならオリンピック目指してみなよ。楽しいよ。そうだ、あんたらに見せたいものがあるんだ。後で案内してやるよ。その前に、」
 ノアはロベルトの腕をつかんでぐいと上に上げさせました。
「素晴らしき挑戦者の走りに拍手ー!」
 わーっとまた歓声と拍手が盛り上がりました。皮肉ではなくロベルトの真剣な走りに対する賞賛です。ロベルトもちぇっと言いながら照れ笑いを浮かべました。
 クララもニッコリ笑って拍手してやりました。
 拍手が一通り収まったところで、
「あのー、ところで、お願い! そのトパーズ、ちょうだい!」
 手を出しておねだりしました。
「ああ、人形王子に聞いたよ。けっきょくあたしんところに戻ってくるんだよね? だったらいいよ。あげるよ」
 ノアは快く承諾してくれました。

 今度は勇者のお仕事です。
 前回の復習をすると、まず勇者の一人が新しい石で祝福を受けて、その祝福の印の石をノアの祝福の印の石と交換すると、新しい石が輝いて本物の宝石に変わり、その宝石の妖精が現れる、ということに今回もなるはずです。
 クラリッサに訊きます。
「また黄色いガラス玉があるんでしょう?」
 はい、と答えて巾着袋から取り出しました。
「さて、今度はどちらが祝福を受けます?」
 ベニオが前回ルビーの祝福を受けたので今度はクララかロベルトです。
 ロベルトが訊きました。
「その黄色の宝石・・、トパーズか? そのトパーズの精ってどんな力があるんだ?」
 もの欲しくて嫌らしいですが、クララも大いに聞きたいです。
「トパーズの精は強力な守りの精です。病気やケガなどからももちろん、悪い誘惑などからも正しい心を守ってくれます」
 悪くはありませんが、なんというか、もうちょっとこう、派手で積極的な効能が欲しいところです。ロベルトはあからさまにがっかりした顔をしていますし、クララも似たようなものです。
「あなたにはぴったりなんじゃありませんか?」
 とクラリッサはロベルトに勧めましたが、
「なあ、次のノアも分かってるんだろう? 今度の宝石はなんなんだ?」
 なによおー、あたしの祝福の印じゃ不足だって言うのお?とノアが怒っていますが、ごめんなさい。
 クラリッサは、
「お教えできません。勇者の務めをなんだと思っているんですか」
 と、質問を却下しました。
 ロベルトは考え、
「俺、パス。おまえに譲るよ」
 とクララに押しつけました。
 なによおーと思いましたが、ノアの手前断るわけにもいきません。
「じゃあ、わたしが祝福してもらっちゃおうかなあ・・・」
 まあ、ありがたいお守りですから素直に受けなければバチが当たります。
 結婚式のお祝いの人々、観客席のお客さんたち、ほんとうに多くの人たちに見守られてクララはクラリッサから祝福を受けました。
 額に黄色いガラス玉を当てられ、目を閉じました。ああ、そういえば祝福を受けると前世がよみがえるらしいのです。心の準備もできないまま祝福されちゃいます。
「われ名付け親の名において、汝に友愛に満ちた縁と幸福に満ちた時間が末永く・・・・・・」
 あれ?どうしたのでしょう、クラリッサが途中で祝福の言葉をやめてしまいました。クララが恐る恐る目を開けると・・・
「やーめた」
 何を思ったかクラリッサがガラス玉をぽーんと投げ捨ててしまいました。クララも呆気にとられましたが、会場中ざわざわ不安と疑問が渦巻きました。
 クララは自分が何かいけないことでもしたのだろうかと不安になりましたが、クラリッサは何かを問うようにじいっとクララを見つめています。笑っているようでもあり、怒っているようでもあり・・、なんなのでしょう?
 ベニオが芝生の上から黄色いガラス玉を拾い上げました。
「なるほど、違いますのね」
「なにが?」
 ベニオは歩いてくると、クラリッサにニヤニヤ笑いかけてクララにガラス玉を渡しました。ロベルトも覗きに来ます。
「あ・・・」
 クララも気付きました。
「これ、違うわ!」
 ガラス玉にNOAHの文字が入っていません。
「どうしてえ?」
 クララには分かりません。
 ロベルトは、
「おまえ本当にノアなのか? ノアーとか、ノーアとか言うんじゃないか?」
 とノアを偽者扱いしました。
「なんだって、今度はあたしの名前に文句を付けようってのかい!?」
 ふたたびスタンドからブーイングの嵐を受けてロベルトはうっと怖じ気づきました。まったく、せっかくみんな味方になってくれたのに。
「バカ。そんなわけないでしょ。でも、何故かなあ? 今度は祝福の印がヒントじゃないのかなあ?」
 クラリッサに目を向けても、ニヤニヤしているばかりで絶対教えてくれそうにありません。
 こうなれば頼れるのはベニオですが、
「不思議ですわねえー・・」
 と、本当にそう思っているのかどうか、こちらも教えてくれる気がないようです。
「おいおい、どうなってるんだよー?」
「うるさい! あんたも勇者のメンバーなんだから自分で考えなさい!」
 さてさて、どういうことでしょう? 本当にヒントは他にあるんでしょうか? どうしてガラス玉にNOAHの文字が入っていないのでしょう?・・・・・
「なんでだろう、なんでNOAHの文字が入ってないんだろう・・・・・・・」
 !
 閃きました!
 あるじゃないですか、もう一つ、NOAHの文字が入った物が!
 腰に腕を当ててふくれっ面のノアを見て、
「指輪!」
 と叫びました。
「あなたのその指輪! NOAHの文字が入っているんじゃない!?」
 金の結婚指輪です。
 ノアはダメ!と言うように右手で包んで左手を隠しました。
「冗談じゃない、嫌だよ、こんな大事なもの!」
 やっぱり入っているようです。
「ねえ、そんなこと言わないで。お願い。ねえ、どうせ交換してすぐ返すんだから・・」
「嫌ったら嫌! バッカじゃないの!? 結婚指輪なんか一瞬だってあげられるわけないじゃない!」
 うーん、困りました。たしかに結婚早々に指輪をよこせというのは心理的に抵抗があるでしょう。
「あのー、僕のでよかったら。僕の指輪も彼女のと同じく二人の名前が彫ってあるから・・」
 親切にパディーさんが申し出てくれましたが、
「あんたも駄目! あたしがあげた指輪なのよ? あんたもう結婚の誓いを破る気?」
「もちろんそんなことはないよ。でも、しかし、困ったねえ・・」
 本当に困りました。ノアはすっかり意固地になってしまっています。まったく、ロベルトが怒らせることを言うから。
 クララは救いを求めるようにクラリッサを見ました。もう自分の手に負えそうもありませんし、だいたい、本当に結婚指輪が正解か分からないのです。
 クラリッサも仕方なく頷き、巾着袋から金の指輪を取り出しました。
「ちょっと拝見」
 ベニオが受け取って調べると、
「どうやらこれが正解のようですわね」
 指輪の表にしっかりNOAHと刻印されています。ベニオから渡されると、ずしりと重く存在感があります。
「これ、本物の金?」
「そうです」
 クラリッサが頷きました。
「この国には宝石はありませんが金銀銅の鉱物は豊富にあります。それぞれ加工して使うのに便利ですからね」
 金銀銅と言えば外の世界の戦争の元になった貴金属ではありませんか。たしか魔法で作られた金銀銅はクラリスがみんな元に戻したはずですが、この国の物はどうなんでしょう?
「クラリスが外から持ち込んだ物です」
「えー、それって狡くありません?」
「まあ、ズルイですねえ」
 クラリッサも苦笑しました。
「クラリスは魔法の金銀銅を消すためにそれを作った金銀銅の妖精たちをことごとく殺してしまったのです。かわいそうですが。しかし金銀銅の妖精は人間が特別な欲望をいだくようになるずうっと前からいたのです。そのいわばオリジナルたちまで殺すのは気の毒です。それでクラリスがオリジナルの三人だけ保護してやって、そのお礼に彼女たちの作った金銀銅をこの国にもらったのです」
「ふうーん・・。クラリスって昔はけっこう恐い人だったんだあ・・・」
 クララは指輪のぬらりと光るなめらかな表面を撫でました。血塗られた黄金・・なんて言うと大げさですが。
 チラリと見るとノアもクララの持つ指輪に興味を持ったらしく、クララの視線を受けて慌てて顔を逸らしました。
 クラリッサが言いました。
「ノア。気持ちは分かりますが、わたしたちには、いえ、この国の将来のためには是非その指輪が必要なのです。とにかく、先にクララをこれで祝福しなければなりませんから、それを見てからでも考えていただけませんか?」
 みんなの視線をじっと受けて、
「わ、分かったよ、ま、考えるだけね・・・取り敢えず」
 と、一応、承知しました。
 クララはクラリッサに指輪を渡し、ドキドキ胸を高鳴らせると・・
「ちょっと待った!」
 ロベルトが叫びました。
「おいこら、狡いぞ! なーんでおまえが黄金で祝福を受けるんだよ!? 金なら俺だって祝福を受けたいぞ!」
 まーったく、なんて勝手な奴でしょう?
「あなたさっきパスって言ったじゃない?」
「それはトパーズなんていう地味な宝石だったからだ。金なら俺も祝福を受けたい!」
「あんたって人はあ・・・」
 腹が立つやら呆れるやら。でも、正直なところクララに金に対する執着はありません。あんな話を聞かされちゃったのでちょっと嫌な感じもします。それに、やはり前世を思い出すのは恐いです。ロベルトが代わってくれるならほっとする気持ちもあります。
「それでは」
 クラリッサが言いました。
「二人いっしょに祝福しましょうか? 交換は対等であるべきですから、結婚指輪に対しては結婚指輪というのが本来あるべき姿です。それにこれはいままでのガラス玉ではなく本物の金ですから、二人分くらいの効力は十分あるでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 クララは慌てました。
「それじゃわたしがこの人と結婚するってことーお?」
 思わずロベルトと顔を見合わせて、
「それは嫌!」
 はっきり言ってやりました。
「俺だって冗談じゃねえや!」
 フン!とそっぽを向きました。
「じゃ、やーめた。やっぱりクララさんを祝福しましょう」
「待てってば。だから、オレを、祝福してくれよ!?」
「あなたは駄目です」
 クラリッサは冷たくピシャリと言いました。
「歴史のお勉強をしたでしょう? 金の精はとても強い力を持つと共にとても欲望に弱い妖精なのです。そんな妖精にあなたみたいな人が祝福されたら、外の世界の二の舞です」
 クラリッサの有無を言わさぬ強い視線にロベルトは叱られた子どもみたいに黙り込みました。
「わたしも恐いわ」
 クララも泣き言を言いました。クラリッサはクララには優しく微笑み、
「ま、たしかに、あなたもちょっと心配なところはありますけれど、だいじょうぶです、あなたには黄金の天使様の加護がありますから」
 あ、そういえばそうでした。クララには最初から黄金と縁があったのです。
「はい、それではちゃんとこっちを向いて」
 クラリッサに額に金の指輪をかざされ、クララは思わずぎゅっと目をつむりました。
「われ名付け親の名において、汝に永遠の愛と豊かな人生と永遠の出会いが訪れるよう、この名と共に祝福せり」
 ああ、いよいよ来ます。
「スワン」
 指輪からまばゆい黄金の光があふれ出し、クララを包み込みました。光が体を突き抜け、自分の内面の全てが洗い流される感じがします。ハッと見開いた目には黄金の激しい奔流しか見えず、クラリッサの姿は消え、立っている感触が失われ、自分の肉体も消え、光に溶け込み、どこか遠いところへ連れ去られていきます。ふたたびクラリッサが現れたかと思うと、それは別の女の人で、なんとも美しい翼を広げた銀色の天使様でした。天使様はこの上なく優しい天上の微笑みを浮かべられ、クララの名前を呼んでくださいましたが、声は聞き取れません。でもなんと優しい愛に満ちたお声でしょう。クララは天使様に出会えた嬉しさに涙が溢れました。涙にぼやけて天使様のお姿が消え、慌てて追い求めると、クララは空を飛んでいました。周りが全て黄金の光に溢れているので自分がどこでどうしているのか分かりませんが、とにかく、自分も背中に翼を生やして空を自由に飛んでいるのです。空を飛んで誰かを捜しています。天使様。そうでしょうか? 銀色の天使様、金色の天使様、女神さま、クラリス。ああ、すべて知っている気がします。とても親しい人たちです。でも、クララが追っているのは、その誰でもないもう一人の特別の人。天上ではなく、地上にいる人。会いたくて、会いたくて、熱い思いが溢れて胸が張り裂けそうです。地上にその姿を捜し、白馬にまたがったその姿が見えたように思ったその瞬間、
「・・・・・・・・・」
 誰かが何か鋭い警告を発しました。クララはそれをうるさく思い無視しましたが、
「!」
 突然視界がぐるぐる回転しました。地上に向かって落下していくのが分かります。ぐるぐる回る視界の中に、クララは恐ろしいものを見て悲鳴を上げました。黒い大きな翼。自分が背中に羽ばたかせていた翼。それが無惨に引き裂かれ、もぎ取られ、宙を舞っています。
 死。
 前世の終わり。
 クララは、
 見開いた目から滝のように涙を溢れさせ、
 止めどなく悲痛な悲鳴を叫び続けました。
 ・・・・・・・・

「クララさん、クララさん!」
 クララはブルブルふるえ、ビクリビクリと痙攣しました。
「クララさん!」
 歯をガチガチ言わせて、う、う、と怯えた声を呻きました。
「クララさん! 目を覚まして! 正気に戻って!」
 抱きかかえて必死に呼びかけますがクララはこちらの世界に戻ってきません。
「わたしが」
 ベニオがクラリッサに代わってクララにぐーっと顔を寄せました。
「クララ。クララ。クララ・スターリング。
 思い出しなさい、あなたはクララ・スターリングです。
 あなたはここに、生きています」
「クララ・・、生きて、い、る・・・・」
 クララの目にようやく生きた光が戻ってきて、おどおどとベニオを見ました。
「生きている・・、クララ・・、ベニ、オ・・・・」
「そうよ。わたしたちはここで生きている。あなたが見たのはぜんぶ過去の夢」
「過去・・、生まれる前の・・・、やっぱり前世はあったんだ・・・・・」
「どうやらそうらしいですわね」
 安心したベニオの笑顔にクララも釣られて笑いました。
「はあー・・・・・、びっくりしたあ・・・・・・・」
 クラリッサに体を起こしてもらって礼を言いました。クラリッサは泣きそうな目をして笑っています。周りから安堵のため息が漏れ、クラリッサとベニオに支えられながら立ち上がると、スタンドからわーっと拍手が起こりました。
 クララは急に現実に戻って恥ずかしくなりました。
「ね、ねえ、ベニオ」
 慌ててベニオに尋ねました。
「光が出たわよねえ? 妖精は現れたの?」
「いいえ。妖精は現れていません。わたしの時ともだいぶ様子が違うようですわねえ?」
「そう? すっごい光だったじゃない? 空気が震える感じとか、何かの鼓動みたいなの、なかった?」
「光は、確かに眩しかったですが、震動のようなものはありませんでしたわねえ」
「ふうーん・・、そうなんだあ・・・」
「ちょいと女の勇者さん」
 ノアが寄ってきました。
「みんなずいぶん心配したんだよ。ほら、安心させてやりな」
 後ろに回ったノアに腕を上げさせられ、手を振らされました。スタンドからまた大きく拍手が鳴って、クララは、ああ本当にここに生きているんだなあ、と改めて実感しました。
「それで、ノア。指輪を交換してくれる気になった?」
 うーん・・とノアは顔をしかめて考えました。
「まだ考え中。あたし正直言ってちょっと恐くなっちまったよ。指輪を交換してまーたあんたがぶっ倒れて泡を吹くんじゃないかってさ」
 クララはカーッと赤くなりました。
「わたし、泡なんて吹いたの?」
「吹いた吹いた、ぶくぶくぶくうって、カニみたいにさ」
 ノアはケラケラ笑いました。
「やだなあ、本当? みっともないなあ。あー、どうしよう? ベッドに潜って誰にも会いたくないわ」
「そんなこと言わないでさ」
 肩に手を回して抱き寄せました。
「これからみんなお待ちかねのコンサートじゃん。美しい音楽を聴いて恥ずかしい醜態なんて忘れちまいな」
 あんまり慰めにもなっていませんが、いいです、ケイトさんに慰めてもらいましょう。
「指輪の交換のことは、その後でね」
「うん」
 クララは少し元気に頷きました。

 4時になり、コンサートの開始です。
 結婚式の招待客とクララたちは特別にフィールドに椅子を並べて観賞です。スタンドの観客たちは羨ましくてしょうがないでしょう。
 クララはベルナールさんとベニオに挟まれて座っています。
「ああ、そういえば旦那さんは?」
 ベルナールさんに訊くと、
「ああー、そんなのいたっけ?」
 おいおい。
「どうでもいいわあ、わたし、ケイトさんと結婚するうー」
 目をキラキラさせて完全に恋する乙女です。そんなにいいのでしょうか? まったく小学校の生徒たちに見せてやりたいものです。
 そろそろ空が暗くなってきています。西側の舞台は高いスタンドの陰になってすでに真っ暗ですが、パンッとスポットライトが灯され、コロンビーヌがマイクを持ってお辞儀しました。
『皆さまお待たせしました。ご紹介します、ケイト・ブロンシェさんです』
 万雷の拍手に迎えられてケイトさんが現れ、にこやかにお辞儀してピアノの前に座りました。
『皆さん、こんにちは』
 こんにちはー、ケイト! 待ってたよー!
 うわーっと盛り上がって、ピタリと止まりました。次の言葉を全身を耳にして待っています。
『ありがとう。今日は甥っ子の結婚式に招かれてやってきました。まさかこんなことになるなんてわたしも思いもよらなかったので戸惑っていますし、ごめんなさい、実はぜんぜん歌う準備なんてしていなかったのよね』
 おー・・とため息。
『でも、素晴らしいサポートメンバーが加わってくれて、短い時間でしたがこのコンサートの構想を練ることができました。ご紹介します、ピエロさん、コロンビーヌさん』
 ピエロは化粧を落として赤白黒のまるで毒蛇みたいな柄の燕尾服を着て、例のアコーディオンギターを構えています。手を振ってお辞儀をすると女性陣の黄色い歓声。コロンビーヌはずらりと並んだ打楽器群の向こうに座って、白いフワフワのスカートに、上半身は黒のノースリーブシャツ一枚きりです。髪の毛も上に高々結い上げて、いつものコロンビーヌではありません。こちらも手を振ると今度は男性陣の野太い声援。
「キャー、かっこいいー!」
「いよっ、男前! コロンビーヌ、かっわいいー!」
 アリーナ席でノリノリなのはベルナールさんとノアです。
『二人がいてくれてわたしも心強いです。コンサートの前半は新曲です。と言っても、息子相手に歌っていた遊び歌と子守歌ですけれど。甥っ子のパディーに歌ってあげた曲も含まれています。では、聴いてください。「お山の王様」です』
 ケイトさんはニコッと笑うとピエロに頷きました。
 ピエロは細かく指で弦を震わせ、レバーを操作して音色を揺らめかせ、なんとも不思議な音を奏で出しました。
 続いてコロンビーヌが鉄琴を柔らかく叩きだし、二つの音が合わさると霧の湖に水滴が落ちて波紋が広がっていくような、幻想的な情景が思い起こされました。巨大なスピーカーからいったいどんなすごい音が飛び出すのかと思ったら、実に静かで美しい音が広がってきます。
 そして、

  女の子たちが列をなしているわ
  男の子たちも
  あなたの家来にしてもらおうと勇んでいるわ
  あなたはみんなの人気者
  みんなあなたの名前を呼ぶわ
  王様 王様 わたしたちの王様
  あなたを愛しているわ
  あなたは僕らの英雄だ
  王様 王様 お山の王様
  王様 王様 お山の王様 物語の中
  おかしいわね
  この国に王様なんていない
  でもあなたは王様 わたしの王様 みんなの王様
  おチビさん
  あなたの言うことならみんな喜んで聞くわ
  みんなあなたのお姫様で あなたの家来
  王様 王様 お山の王様
  ちっぽけだけど あなたの山
  上ってくる敵は勇ましく振り払う
  王様 王様 あなたは暴君
  おチビさんの みんなの王様

 金管の笛のような声です。芯が細いくせに響きがとても深くてまろやかです。静かな歌い出しは優しく響きだけが伝わってくるようで、曲が盛り上がってきて声量が上がると管全体がビリビリ響くようで、特に高い音が強く耳の底に突き刺さってくるようで鋭いです。なんともつかみ所のない不思議な声です。一度聴いたらけっして忘れられない歌声です。
 そして、なんと美しいのでしょう!
 天使の声か、魔女の声か。
 船乗りを惑わせ船を岩にぶつけて沈めるというライン川のモンスターセイレーンはきっとこんな声をしているのでしょう。
 クララもすっかりその声に心を奪われてしまいました。
 曲も穏やかに穏やかに、頂上知らずの山をひたすら高みに登っていきます。へんてこりんな子供向けの歌詞ですが、それがなんでこんなに幻想的で崇高に感じられるのでしょう?
 クララは魂を引きずられて雲を突き抜け、黄金の雲海を見下ろし、さらにさらに高みへ連れられていきます。もはや宇宙の広がりです。無数に星が瞬き、雲の向こうに沈んだ太陽がまた天上高く上ってきました。その太陽は白く輝く大きな星でした。その星の上に白い人影が立っています。
 ああ、天使様。
 銀色の天使様は両手を広げてクララを受け止めてくれました。限りない嬉しさと安心感に満たされます。
 ああ、天使様は何故こんなにもわたしに優しくしてくださるの?
 天使様はご自身も心から嬉しそうに微笑まれてクララを優しく抱きしめてくださいます。
 クララはとても幸せを感じ、天使様の胸に甘えて心地よい安らぎに落ちていきました。
 ・・・・・・・・・・

 クララは夢を見ています。
 あんまりケイトさんの声が美しく心地よいのでつい心地よいままに眠ってしまったのです。
 が、
 ケイトさんの歌声に聴き惚れながら眠りに落ちてしまった者はクララばかりではありませんでした。なんとあれほど大騒ぎしていた熱狂的ファンのベルナールさんも、ノアも、はるばる駆けつけたスタンドのファンたちも、
 それどころか、
 全国にラジオ中継されているコンサートを、くるみ国の国民のおよそ70パーセントが聴いていましたが、その内の90パーセント以上が同じく一曲目が終わるか終わらないかのうちに眠りに落ちてしまったのです。
 みんなこの上なく幸福な夢を見ながら子どものような顔をして眠りこけています。
 そして、
 国中が幸福な眠りに落ちているおよそ30分の間に、くるみ国始まって以来と言っていい恐ろしい事件が起きていたのですが、国民の誰一人、それに気付く者はありませんでした・・・・


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。