第1話 クリスマスイブのお客様
戦争が終わりました。
今夜はクリスマスイブです。
イエス様のお誕生日を心から嬉しくお迎えすることができるのはなんと素晴らしいことでしょう。
夕刻になってスターリング家の居間には続々嬉しい懐かしいお客様たちが集まってきました。
小さな子どもたちは大きいお姉さんに手伝ってもらって大きなモミのクリスマスツリーにリボンやキラキラのボール、ベルやモール、サンタクロースやエンジェルのお人形さんを飾り付けています。もちろんてっぺんには大きな銀色のお星様が輝いています。
大きなお兄さんたちは大人たちに混じって気取って難しい話をしています。
しかし大人の、特に男の人の中には、残念ながら欠けている人が何人かいます。戦争が終わって半年も経ちますが遠く遠征に出かけた人の中にはまだイギリスに帰れないでいる人もいるのです。
でもクララは心配していませんでした。まだ誰かが亡くなったと言う知らせは一つも届いていませんし、我がスターリング家の一族はみな運がいいのです。ただ一人を除いては・・・・・。
兄のフィリップもそうでした。でもそのことを言うと兄はとても不機嫌になりました。
クララは精霊様が護っていてくださるのだと信じていました。どうしてそう思うのか自分でもよく分かりません。子どもの頃お母様に読んでもらったおとぎ話が頭に残っているのかもしれません。
それともあの方の聞かせてくれたお話だったでしょうか。
クララはその人の来るのを待っています。
去年も一昨年もその前も、五年前のクリスマスから来てくれていません。兵隊に入ったということは聞いていませんが、一族の誰も彼がどこで何をしているのか知りませんでした。
『おじさまが来てくださったらこのクリスマスはこの上なく素晴らしいものになるでしょうに』
小さな子どもたちはおじさまのことを覚えていないでしょう。大人たちはおじさまのことをすっかりあきらめてしまっているようです。お母様に今年は来てくださるかしらと尋ねたら困った顔をして寂しそうに「さあ、どうかしら?」と言いました。
おじさまはお母様の遠縁に当たる方で、奥さんがイギリス人だったのでイギリスに渡ってきて、お母様の一家と親しくお付き合いするようになり、お母様がスターリング家に嫁いでからはスターリング家とも親しくなったそうです。
クララのお母様はドイツ系の人で、おじさまは生粋のドイツ人でした。
おじさまはもう二十年来ずっとイギリスに住んでいるはずですが、このひどい戦争で祖国と敵味方になってしまってずいぶん心を痛め悩まれたのではないでしょうか。
あのおじさまの心がうち沈み、思い悩まれているかと思うとクララも我がことのように胸が痛みました。
クララはおじさまが大好きでした。
クララばかりではありません。クリスマスにスターリング家に集う子どもたちはみな愉快なおじさまが大好きでした。
戦争が始まるまでは。
でもおじさまはかわいそうな人です。
謹厳な大伯父はおどけてばかりいるおじさまが気に入らずよく「あいつはおかしくなってしまったんだ。あんなに陽気なドイツ人がいるものか」と陰口をきいていました。
大伯父の言うことももっともなのです。おじさまはお気の毒に結婚してまだ一年しか経っていない奥さんが突然いなくなってしまったのです。
亡くなった、のではないようです。
本当に突然消えてしまったのです。
おじさまは移り住んだイギリスの街で奥さんと二人で暮らしていましたが、奥さんの姿が見えなくなったのを気にした近所の人が尋ねたところおじさまは実に寂しそうに微笑んで「妻は天国に帰ってしまいました」と答えたそうです。近所の人たちは当然奥さんはお亡くなりになったのだろうと心を痛めましたが、病気で亡くなったのでも事故で亡くなったのでもないらしく、尋ねてもおじさまは「天国に帰った」と言うばかりで、どうもそのおじさまの様子もおかしい。気の毒がっていた近所の人たちもやがて怪しみだして警察の出動する騒ぎになったのですが、おじさまが奥さんに何かしたという証拠は一つも見つからず、奥さんは「行方不明」ということで失踪者のリストに載ることになりましたが、以降奥さんの行方が知れることはありませんでした。
おじさまが奥さんに何かしたなど絶対にあり得ません。二人はとても仲が良かったとクララのお母様も懐かしいような寂しいような微笑みを浮かべて教えてくれました。
お母様は「クラリッサさんはきっと本当に天国に帰ってしまったのよ」と言いました。
クラリッサというのが奥さんの名前です。
明るい茶色のフワフワの巻き毛、宝石のように綺麗な緑色の瞳をした、それはそれは本当に天使のように美しくかわいらしい人で、お母様は大好きだったそうです。
ただ不思議なのは、奥さんがいなくなってあらためて考えてみるとお母様の実家でもこのスターリング家の家族でも誰一人奥さんがどこの誰なのかまったく知らないのでした。
とても不思議な人だったとあらためて思ったそうです。彼女と会った人は誰でも以前から旧知の仲であったように当たり前のように親しく楽しくお話ししていました。それでいて彼女自身のことはまったく知らないのです。
イギリスに住んでいるからイギリス人と勝手に思い込んでいただけで、本当は違ったのかも知れません。
そこで疑われたのは彼女は敵国のスパイだったのではないかということです。先の大戦以降ヨーロッパではずっと緊張状態が続いていましたから。
でも彼女を直接知る人は誰一人そんな風には考えませんでした。ただひたすら彼女の身を案じ、懐かしがりました。
それほど、魅力的な人であったようです。
ですから残されたおじさまはとてもお気の毒なのですが、もう一つおじさまがひどくお気の毒なのは、奥さんがいなくなったとき奥さんのお腹には赤ちゃんがいて、もうすぐ生まれる予定だったそうです。
おじさまは赤ちゃんが生まれるのを本当に心から楽しみにしていたそうです。
それからだそうです、どちらかというと物静かだったおじさまが急に明るい愉快な人に変身したのは。
クリスマスに遊びに来ては様々なおもちゃをプレゼントして子どもたちを喜ばせてくれるおじさま。
クララはおじさまに会いたくて会いたくて、馬車の到着するたび、自動車の到着するたび、今度はおじさまかと胸を躍らせ、やがてがっかりして、気を取り直して笑顔を作ってお客様をお迎えするということを朝からずっと繰り返していました。
子どもたちのツリーの飾り付けも終わり、ご馳走のよい匂いが漂ってきました。お母様が近くのおばさまと家政婦さんたちと朝から張り切って準備をしていました。クララもお母様に呼ばれて食器の準備にかかりましたが、さて何組用意したらいいのかしらとちょっぴり寂しく思いました。
表でリンリンリンと鈴の鳴っているのに気付きました。どうやら馬車のようです。
台所の小さな窓を見ると外はもう真っ暗で雪がぼさぼさ降っています。どうやら積もりそうです。
クララはお皿を運ぶついでに今度はどなたかしらと半分以上あきらめた気持ちで耳を傾けました。
家政婦さんがはいはいと忙しそうに返事をしながらエントランスに向かいました。
ドアが開けられると、
「やあやあこんばんは。いやいやメリークリスマス! さあさあ子どもたちを呼んでおくれ。プレゼントの欲しい子は表の馬車までかけっこだ!」
ちょっとしわがれたテナーの声が元気に呼びかけました。
クララは危うくお皿を落としそうになって慌ててテーブルに置くとはしたなくも両手を大きく振ってエントランスに駆けました。居間の子どもたちは元気な来客の声に不思議そうにおっかなびっくり半分廊下に出てたたずんでいました。
クララは一人エントランスに飛び出して、信じられない思いで立ち尽くしました。
黒いインバネスをまとったその人はすっかりしわの多くなった優しい目をしばたたかせながらクララをじっと見つめました。
「やあ、クララ嬢。メリークリスマス」
「メリークリスマス。ドロッセルマイヤーおじさま」
クララがドロッセルマイヤーおじさまを居間に案内すると大人たちは一瞬息を飲んで目を丸くし、喉につっかえるようにして歓迎の言葉を述べ、手を差し出しました。お客様がドロッセルマイヤーおじさまと聞いてお母様が台所から飛び出してきて笑顔に涙を滲ませながら抱きしめました。大人たちの中でおじさまを一番歓迎したのはお母様です。
しかしおじさまは大人たちなんて眼中にないようで小さい子どもたちを集合させるとすぐに表に待たせてある馬車にプレゼントの箱を取りに戻りました。クララも付いていきましたが年長の子どもで付いていったのはクララ一人だけでした。
箱はいくつもありました。大中小赤青白きれいに緑色のリボンが掛けられて五十あまり、子どもたちは無邪気に歓声を上げて二度三度と居間と馬車を往復しました。
「クララ嬢、これを手伝っておくれ」
腰掛けにでーんと特大の真っ黒な箱が四つ載せられています。
せーのとかけ声を合わせて持とうとしましたがとても重くて持ち上がりません。いったい何が詰まっているのでしょう? それにどうやってこんな重い物を馬車に乗せたのでしょう?
御者が降りてきて、クララも同い年のいとこたちと兄を呼んできてみんなでうんうんうなりながら運び出しました。
いったい何が入っているのか訊いてもおじさまは笑うばかりで教えてくれません。クララは早く中身が知りたくてワクワクしましたが、兄フィリップはぶつぶつ文句を言ってちっとも楽しそうな顔をしませんでした。
居間ではおチビさんたちがさっそく紙を破いてプレゼントを取り出し、見せ合い、取り合いっこを始めていました。
子どもたちのプレゼントは男の子向けにおもちゃの兵隊や自動車や列車や飛行機の模型、女の子向けに熊や兎のぬいぐるみ、フランス人形、クララたち年長の子どもたちには男の子向けに万年筆やかっこいいベルトのバックルやネクタイピン、女の子向けにビーズの美しい宝石箱、小鳥のさえずる鳩時計などでした。
ぜんぶおじさまの手作り品でした。
おじさまは玩具屋さんではなく、時計職人です。それもとびきり手先の器用な。
男の子たちの兵隊は手足が動き、弾は出ませんがライフルはパンッと音が鳴りました。大砲はボーンとゴムの砲弾が飛び出しました。自動車や列車はゼンマイ仕掛けで走り、飛行機はさすがに飛びはしませんがプロペラが回って機銃がパパパパと音がして中の鏡が回転して銃口がキラキラ輝きました。男の子たちは夢中で戦争ごっこを始め、大人たちは眉をひそめて渋い顔をしました。
女の子たちのぬいぐるみも中にワイヤーが仕込まれていて自在にポーズを付けられました。フランス人形はとっても美人で、まぶたがパチパチ動いてまるで生きているようでした。
年長の男の子諸君はちゃっかりしていてどの品物が価値が高いか品評し合ってそれぞれの取り分を計算しています。
クララたちお姉さんたちはさすがにお兄さんたちのような浅ましい真似はせず、気に入った物を宣言し合ってジャンケンで自分のプレゼントをもらいました。クララは木彫りのブレスレットと様々に音色の変わる小さな銀の笛をもらいました。
兄フィリップはぶっきらぼうに万年筆をもらっていました。
お母様が笑顔を作って「さあさあお料理が揃いましたよ、テーブルに着いてくださいな」とみんなを追い立てました。戦争ごっこに夢中の男の子たちは父親に叱られてつまらなそうに立ち上がりましたがご馳走の匂いを嗅いではしゃいで駆け出しました。男の子たち以上におじさまは特別のプレゼントを披露し損なって残念そうでしたがお母様とクララに背中を押されて「分かった分かったよ」と食堂に向かいました。
でもクララもおじさまと同じくらいあの四つの大きな黒い箱の中身が気になってしょうがありませんでした。
主イエスへの感謝の祈りを捧げてクリスマスイブの晩餐会が始まりました。お母様とおばさま方の腕によりをかけたご馳走は素晴らしく美味しく、こうして多くの家族と共に穏やかでにぎやかなクリスマスを迎えることができてクララは幸せで胸がいっぱいになりました。
ところがそのせっかくの幸せな雰囲気を兄フィリップが台無しにしてしまいました。
フォークの手元を狂わせて甘く煮たニンジンをポーンとテーブルの反対に飛ばしてしまうとひどく苛々と機嫌を損ね、お詫びを言う代わりにドロッセルマイヤーおじさまにこの五年間どこで何をしていたのか鋭い口調で問い質したのです。大人たちが敢えて訊かずにいたことをそれを承知で口にしたのです。
食卓は静まり返り、大人たちのある者はうつむき、ある者はフィリップをとがめるように睨み、ある者はやっぱりおじさまの答えが気になって遠慮がちに視線を向けました。
ところがおじさまときたら、
「おお、フィリップ君、よくぞ訊いてくれた! 実はわたしも早くそれを言いたくてウズウズしておったのだよ! 実はわたしは秘密の隠れ家にこもってずっとある研究をしておったのだよ! ああしかしそれをここで言うことはできない、せっかくのお楽しみが半減してしまう。このご馳走を平らげたらぜひとも皆の前でその成果を披露させていただくよ!」
と大はしゃぎでニコニコして実に美味しそうに食事を続けました。それでこの話もおしまい、大人たちはほっとしたようにまた楽しい食事に戻りました。
クララは兄に腹を立て、一方、ひどく気の毒に思いました。
フィリップは五年前ロンドンの寄宿学校にいて空襲に遭遇し、右腕を負傷し、今も後遺症が残り時々手がけいれんすることがあるのです。そんなこともあってフィリップは自分にドイツ系の血が流れていることをひどく嫌っているのです。
かわいそうなフィリップ。かわいそうなおじさま。
クララは二人が仲直りするのを心から願いました。
さて晩餐が終わり、男の子たちは戦争ごっこの続きに、女の子たちはプレゼントのボードゲームをしに、大人たちはブランデーやコーヒーを片手に談笑しながら居間に戻ってきました。お兄さんたちはまた大人たちにまじって難しい国際情勢の話を気取り、お姉さんたちはひとかたまりになって自分たちだけの秘密の話に花を咲かせ始めました。
クララもお姉さんたちの話にまじりながらおじさまの黒い箱が気になって仕方ありませんでした。でも他のみんなはもうそんなことすっかり忘れるか興味がなくなってしまったようです。
おじさまは周りの雰囲気などお構いなしでクリスマスツリーの前で両手を大きく開いて呼びかけました。
「さあ紳士淑女の皆さんご注目あれ! これから世にも珍しい芸術品をごらんいただきましょう!」
おじさまはよいしょよいしょとまず二つの箱をツリーの前に揃えました。パチンパチンと留め金を外すと黒い箱が割れ、中からまた四角い木の箱が現れました。ハンドルを取り付けているところを見るとどうやらオルゴールのようです。それも人が乗れるくらいの大きながっしりしたオルゴールです。その上にガシャンガシャンと金属の筒を連結して立てました。上の先がこちらを向いて、丸い内部に細かな銀色のボタンがぎっしり並んでいました。さらにまた太い筒で二台の大型オルゴールを連結しました。
おじさまは残りの二つの箱をまたよいしょよいしょとそれぞれ二台のオルゴールの横に持ってきました。
子どもたちはこの大がかりな見せ物に遊ぶのを中断して集まってきて、大人たちも興味を持って見守りました。
おじさまは額を拭ってふーと息をつきました。
「さーて、誰かに手伝ってもらおうかな」
とニコニコ優しい目で子どもたちを見渡し、クララに目を止めました。
「それではまずクララ嬢、こちらの箱を開けて中身を取り出してもらえるかな?」
小さな子どもたちからブーイングが飛び、クララはおじさまが自分を選んでくれたことがすごく嬉しくて、ちょっぴり優越感を味わって箱のところへ行きました。
おじさまに指で教えられ今度はふつうに上に開くふたの留め金を外しました。ドキドキしながら開くと、
「キャッ」
クララは思わず悲鳴を上げてふたを閉めてしまいました。
「だいじょうぶ、とてもかわいらしい物だよ」
おじさまに励まされてクララはおっかなびっくりもう一度ふたを開きました。
中には白布に埋もれて女の人の首が入っていました。つやつやの金色の髪をカチューシャを巻き込んできれいに結った真っ白な肌の若い娘の顔が死んだように目をつむっていました。
中を覗き込んだ子どもたちもわあっとかきゃあっとか悲鳴を上げて逃げ出しました。
クララもおじさまがどうかしてしまったのではと疑いながら恐る恐る白い肌に触れてまたキャッと手を引っ込めました。まるで本物のように弾力のある質感です。クララはもう泣きそうになってしまいました。
おじさまもさすがに困ってしまい、
「うーむ、これは失敗、あんまり精巧に作りすぎたか」
と娘の首を掴んで引っ張り上げました。
カチカチカチッと何かのはめ込まれる音がして白いタイツをはいた娘が箱の中に立ち上がりました。
「もちろんこれは人形だよ」
おじさまはクララを安心させるように言って飾り紐の付いたセンスを娘の手に握らせました。
等身大のバレリーナ人形です。人形と言うにはあまりによく出来過ぎていますが。
おじさまはどっこいしょとバレリーナ人形をオルゴールの一台に乗せ、筒の先を背中にカチリと取り付けました。
「さあ、もう一つの箱を開けたい子はいるかな?」
おじさまは呼びかけましたが誰も怖じ気づいて名乗り出ません。
「僕がやるよ」
と名乗りを上げたのはフィリップです。
フィリップは大股で近づいていくとパチリと留め金を外し無造作にふたを開きました。
今度は黄色い布にピエロの顔が埋もれていました。
フィリップはピエロを掴んで立ち上がらせると目を閉じた顔をまじまじと見て憎たらしく言いました。
「フン、マダムタッソーの蝋人形だな。悪趣味だね。人形は人形らしい顔をしていればいいんだ」
おじさまは突き出されたピエロ人形を静かな笑顔でもう一台のオルゴールに据え付けました。
「さてお待たせいたしました。それではご覧いただきましょう、コロンビーヌ嬢とピエロの踊ります『花のワルツ』でございます」
おじさまは膝をついて重そうにバレリーナ人形コロンビーヌのオルゴールのハンドルを回しました。
内部でゼンマイがキリキリ巻かれていくと、だらりとうつむき加減だった二体の背筋がグググと伸び上がり、二体は同時にパッチリ目を開きました。
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