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庸滅亡 作者:文叔

第二章 宮廷

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第二章 宮廷 1

 城壁の守備兵が五百人は少ないと見る向きも多いかもしれないが、もちろん長城全線を五百で守るわけではない。守備隊は長城の様々な場所に点在しており、敵の襲撃があり次第他の守備隊へ連絡し、その都度集結して防御に当たるのである。通常であれば、敵兵を見つけ、連絡を取り、集結してからでも迎撃は充分間に合うし、たとえ間に合わないにしても、城壁がある以上、他の守備隊が駆けつけるまで持ちこたえることは難しくない。長城はそれ自体が鉄壁であったが、それ以上に守備隊の防衛組織化の妙が長城をより不落の城壁としていたのだ。
 だが今回はその組織がまったく働かなかった。そもそも敵を見つけることができず(内応者がいるのだから当然だが)、それゆえ他の守備隊へ連絡することもできず、加えて長城に自ら「穴」を開けた上、兵が酩酊して戦うことすらできなかったのだ。全滅は必至であった。
「よし、このまま千五百ずつに分かれて東西へ攻めよ。主力が到着するまでに、可能な限りの守備隊を壊滅させる」
 炎に彩られた兵舎に、動く敵兵が一人もいなくなったことを確認すると、ズタスは三千の兵に隣接する守備隊へのさらなる奇襲を命じた。この炎はすでに近くにいる守備隊の目に入っているであろう。しかし事情をつかめてはいないはずである。混乱が起こり始めているに違いない守備隊へ奇襲を仕掛け、その混乱を増大・拡大させる。それらが大きければ大きいほど、自分たちに対する組織的な反抗は遅れるはずである。その間にこちらは主力と合流し、さらに戦果を拡大する。いずれ庸軍本隊と正面から対峙せねばならないだろうが、それまでに主導権を握り、自分たちに優位な形で彼らを迎え撃ち、撃滅せねばならない。
 ズタスは一部の兵をこの場の確保のため残すと、東へ向かう部隊の指揮はケボルに任せ、自身は西の守備隊を撃滅する部隊の指揮をることにする。最前線に立つ族長の姿は騎馬民族の兵を鼓舞するに充分であったが、ズタス自身、庸侵略の最中にある自分を抑えることができずにいた。
 漆黒の闇の中、炎の矢と見まがう速度と迫力で「東軍」と「西軍」は、なにが起こったかわからない庸守備隊へ突撃していった。


「北狄数千、長城を越えて侵入。鶏門けいもん雁門がんもん厳門げんもん燈門とうもんの守備隊を襲撃、これを撃滅す。さらに二万から五万の北狄も侵入、先鋒の数千と合流の上、近隣の邑落ゆうらくを襲撃。殺人と略奪をほしいままにしながら南下中」
 帝都・寧安ねいあんにこの報が届き朝廷に激震が走ったのは、ズタスたちが長城を越えて丸一日がすぎた頃だった。実は半日前には「北狄襲来」という報告はあったのだが、そのこと自体はめずらしくなく、朝廷としてもさほどの緊張は覚えていなかった。長城の防衛組織は機能しており、それさえあれば多少の大軍が相手でも比較的容易に撃退できることはこれまでの経験から承知していたのだ。
 が、数万を越える大軍が長城を越えて侵入してきたとなれば話はまったく違う。よろいの下の生身に刃を突き刺されたようなものである。しかもその刃はとどまることなく庸の肉体を深くえぐりつつあるのだ。蒼白になって当然であった。
 朝廷には今、皇帝の他に二十人ほどの重臣がいる。全員が男であるが、ひげが生えていない者と生えている者とに分かれ、無髭の者の方が皇帝に近い位置に席を占めている。
 宦官であった。
 後世の人たちはそれぞれの勢力を宦官派、士大夫派と呼び、二党政治がおこなわれているとしている。国の中枢と言えるこの場所で、宦官派は六人、士大夫派は十四人ほど。数からいえば士大夫派より少ないのだが座る位置でわかるように、権勢では宦官派が士大夫派の遥か上にある。
 彼ら六人は「賢花けんか」と呼ばれ、事実上庸の最高指導者の地位にある。
士大夫派にすれば歯ぎしりを禁じえない状況だが、この時この場では両党とも思いは等しかった。


「し、しかしどのようにして北狄ほくてきは長城を越えたのだ。これほど簡単に長城が破られるなどこれまでありえなかったぞ」
 宦官の中では比較的若く、賢花の中で最下位の「六花」である符易ふいが言葉を詰まらせながら報告のために平伏する臣下に尋ねる。臣下が平伏しているのは皇帝に対してだが、宦官にとっては自分たちに低頭しているのと同じ感覚であった。
 尋ねられた臣下が硬い声で答えた。
「それが長城の内側から扉が開けられた形跡があります。北狄はそこから容易に侵入できたのかと」
「我が国に内通者がいるというのか!? 誰だ、それは!」
 符易とは違う宦官「四花」の簫允しょういんが高い声を上げる。変声期以前の少年の声と大人の男の声が混ざったような耳障りなそれに嫌悪感を見せる者もいたが、今はそれ以上の衝撃が重なる。
「まだ確認できておりませぬが、どうやら張重仲どのの手引きではないかと…」
 その名に士大夫派は表情を蒼白にする。重仲じゅうちゅうは張堅のあざなである。張堅は士大夫であり、そして反宦官の急先鋒であった。それを嫌った宦官派が今回彼を北方の長城への査官として左遷したのだが、彼はそれを好機と見たのであろうか。いや、それ以前に自らの左遷を必至と見た張堅は、「であるならばせめていくさ場に近い地へ赴任したく存じます」と希望を申請していた。それはやや性急ではあるが、国を想う気持ちの強い張堅ならば充分納得のできる希望であったし、宦官派にしてみればそれで張堅が戦死でもしてくれれば手間が省けるというものである。実際は北狄も最近は大規模な戦いを仕掛けて来ないので、小競り合い程度の戦いが散発する程度である。ゆえに戦死者が出ることは稀であり、また張堅は兵としてではなく文官として赴任するのだからそのような機会はまずないであろうが、それでも危険は宮廷にいるより遥かに大きい。
 ただ長城近辺での戦いは少ないとはいえ、北方では遊牧民族、騎馬民族が徐々に糾合されつつあるという。庸ではそのことが懸念されていた。
 騎馬民族は分裂していればさほどの脅威でないが、糾合された時は北河の氾濫はんらんを越えるほどの暴威となる。
 聞くところによると一部の部族に強力な指導者が現れつつあるらしい。もしその指導者が北をまとめあげでもしたら、庸帝国にとって容易ならぬどころか存亡の危機をもたらすほどの勢力になりかねない。
「そやつらが攻めてきて張堅を殺してくれれば重畳なのだがな」
 ゆえに彼らは急いで北へ対して分裂工作をおこなうべきであるのに、それらの報告を受けた宦官派が考えることはこの水準であった。士大夫派はまだましではあるが、それでも目の前の相手――宦官に対する敵意の方が強く、またそのような重要な国策をおこなう権限も与えられていなかったため、そこまで北へ目が向いていなかった。


 とはいえまさか宮廷内にこのような暴挙に出る者が現れるとは…
 士大夫派にしてみれば張堅の気持ちはよくわかる。自分たちには武力がない。それらはほとんどすべて宦官派に抑えられているのだ。そのこともまた士大夫派が身動きを取れない大きな理由の一つであった。巨大な武力があれば多少強引であっても宦官派を一掃することができるかもしれない。しかしそれは宦官派にしても同様であった。その気になれば士大夫派を武力によって全滅させることは可能である。士大夫派にしてみればいくら法や理によって彼らを攻撃し、そのことによって優位を確立したとしても、一瞬でひっくり返される可能性と恐怖に脅かされているのだ。手足を縛られ、口にも無形の猿ぐつわを噛まされているようなものであった。
 張堅はその状況に耐えきれなかったのだ。ゆえに自分たち士大夫も「すべてをひっくり返す力」を得なければと考えたのである。それが地道であり困難でもある「自分たちで武力を養う」という方法ではなく、「もともとある強い力を招き入れる」という安易で危険と被害の大きい方法を取ったのは、彼の浅慮というより忍耐力の限界を越えたためであろう。北狄を国境内に無傷で大量に招じ入れる危険より、宦官への憎しみが上回ってしまったのだ。
 士大夫派の人間たちはその気持ちがわかった。痛いほどにわかった。だがこれは、宦官と共に自分たちも焼き尽くす炎が放たれたのだということを彼らの理性は深く理解しており、感情はさらに強く理解していた。恐怖とともに。
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