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庸滅亡 作者:文叔

第十一章 サガルとタクグス

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第十一章 サガルとタクグス 5

 そして遅すぎるということはないが速いとは言えない速度での行軍も三日を過ぎた頃、前方を偵察に行っていた斥候が息急き切って戻ってきた。
「前方に北狄軍! 数、一万以下! おそらく五千程度と思われます」
 やはり騎馬民族は残っていた。一万と五千では相当に違うが、これは斥候が騎馬民族軍を見つけた時点で及び腰になり、詳細を調べる前に急ぎ逃げ戻ってきたためである。これでは斥候の役目を果たせていないとも言えるが、そのことに構う余裕は今の庸軍にはなかった。
 騎馬民族軍の名を聞いただけで全軍にピリッとした空気が走る。が、その過半は緊張ではなく恐怖に満たされていた。
「どうする、進路を変えるか」
「いや、それでは敵軍に有利な土地に迷い込む恐れがある。我らにとって最適な行軍路を取っていることを忘れるな」
「そもそも敵は戦う気があるのか。わずか一万以下では威力偵察の可能性も充分あるぞ」
「わかるものか。連中は我らのことを弱兵と思いこんでおる。十分の一以下の兵力でも勝てると踏んでいてもおかしくない」
「確かにそうであろうが、しかしそれでも真正面からとはさすがに思い上がりも過ぎよう」
「我らはそこまであなどられておるか」
 首脳陣の軍議も真剣さは増すが、根底に騎馬民族への恐怖がある。最後の台詞は激昂げっこうしながらはなってもおかしくないのに、沈鬱ちんうつさとともに発せられたあと、全員が重苦しく押し黙ってしまう始末である。

 が、さすがにそのことに気づいた一人が、椅子蹴るようにして立ち上がると、自らを鼓舞こぶするためにも全員に怒声を発した。
「我らはなんのために十万の大軍をもって北上してきたのだ! 北狄の影におびえ、逃げに逃げた挙げ句、何の成果も得ずに南へ取って返すためか! 諸卿しょきょう、敗北とともに皇帝陛下と社禝しゃしょくへの忠誠も、祖先への孝心も、自らの誇りも、北狄に与えられた恥辱も、すべて忘れ去ったか!」
 その声に、その場にいた面々がハッと我に返る。が、それも半数である。それほどまでに騎馬民族への恐怖は大きかった。
 だが結局は全員がその恐怖をいて振り払った。彼らがすべきことをしなければ、庸(南庸)帝国は滅亡への転落を止めることができないのだ。総司令官もうなずく。
「よく言ってくれた。我らが武器をたずさえてきたのは、北狄どもの不当な占拠に断固 いなをとなえるためだ。まして前方にいるのはわずか一万弱の寡兵かへい。この程度の敵すら殲滅せんめつできずに北狄を長城の北へ押し返すなどできようはずもない。交戦あるのみ! 諸卿の存念ぞんねん如何いかん?」
 総司令官がそのようにただすと、全員も同様に力強くうなずいた。
「異議なし。我らの意志を北狄どもにぶつけてやろうぞ!」
「そうだ、大庸帝国の威信を北狄へ存分に味わわせてみせよう」
「皇帝陛下万歳! 大庸万歳! 父祖と神々も我らの戦いをご照覧しょうらんあれ!」
「よし、それではこれより、前方の敵軍を撃破。しかるのちに寧安へ進撃する。全軍、出撃!」
 総司令官の命令が発せられ、全員が起立とともにときの声を挙げた。


 さて庸軍の前方にいるという一万弱の騎馬民族軍は誰の麾下きかにあるものか。
 タクグスである。すべて騎兵だった。
 兵数は五千。庸軍斥候の観察は正しかった。
 この近辺で公に存在する騎馬民族軍はタクグス軍だけであり、他のほとんどは北河を渡って北へ帰っている。それゆえタクグスは孤軍で庸軍十万と戦おうとしているように見えた。いかに庸が弱兵の群といっても二十倍。しかも真正面から戦おうというのであっては、いささか分が悪すぎる。
 が、タクグスは意に介さなかった。進軍が止まっていた庸軍に再始動の動きが見え、それがこちらに向かっているとの報告を聞くと、一つうなずき、兵たちに向かって告げた。
「では手はず通りに行くぞ。全軍出撃」
 大声だがどちらかといえば落ち着いたタクグスの命令に、全兵がときの声で応じ、進軍を開始した。


 庸軍は進軍を始めてからも斥候を放っており、前方の騎馬民族軍が自分たちに向かって動き始めたと知ると緊張を走らせた。それは恐怖と紙一重のものだったが、無理矢理奮い立たせた気力で士気に変える。
 また騎馬民族軍と激突する戦場も彼らの士気に大いに影響した。そこは多少の起伏はあれど、十万の兵を活動させるに充分な広さがあり、周囲の見晴らしもよく、伏兵を潜伏させる場所もない。
 つまり詭計きけいろうする余地が少なく、いかに騎馬民族であっても正面から対決するしかない土地だったのだ。
「これほどの兵数差がありながら、なぜやつらは正面から戦おうとするのだ」
 庸軍首脳の中にはそう疑問を抱く者もいたが、たいていは「やつらはそれほどに我らを見下しておるのだ」という理由をもって思考を停止する。それはもちろん憤慨ふんがいの種になるが、これまでの庸対騎馬民族の戦歴や、騎馬民族の気性からすれば、充分説得力のある理由でもあった。
 ゆえに庸軍は、誇りを傷つけられた怒りと、恐怖の裏返しから来る士気によって、騎馬民族軍へ突進してゆく。が、彼らは目の前にいる敵軍の指揮官がそのような騎馬民族的気質や思考法から最も遠い場所にいる人物だとは知らなかった。


 庸軍は敵軍が見えるほど距離が縮まっても止まることはない。騎馬民族軍も同様である。五千の騎兵の疾走は確かな圧力をもって庸軍の緊張――恐怖――を強めはしたが、やはり自分たちの二十分の一の勢力であるだけに、庸兵の恐怖が臨界水位を越えることはなかった。

 矢いくさの距離になると庸軍は騎馬民族軍へ矢の雨を降らせる。しかし騎馬民族の速力は矢による被害を最小限に済ませると、庸軍へ肉薄してくる。
「よし、揉み潰せ!」
 庸軍総司令官は自軍の分厚さを背景に、騎馬民族軍の突撃を正面からまともに受けた。被害は出たが庸兵は持ちこたえる。騎馬民族軍は「どうせすぐに逃げ出す」はずだった庸軍が意外な粘りを見せたことで動揺を覚えたようだ。戸惑う気配を見せたのである。
「よし、行け、鏖殺おうさつしろ!」
 見たことのない騎馬民族軍の弱気な姿に、総司令官をはじめほとんどの庸兵が勢いづいた。二十倍の兵力をもって五千の騎馬を包囲殲滅ほういせんめつしようとする。
 が、それを感じ取ったか狼狽したままの騎馬民族は馬首をひるがえし、そのまま逃走に移った。
 逃げ出す敵の背中が庸軍を激しく駆り立てた。
「いけ! 逃がすな! 追え!」
 それはそうだろう。これまで勝ちに勝ち、殺しに殺し、侵しに侵し続けてきた無敵の騎馬民族が、なんと自分たちに背を見せて逃げ始めたのだ。恐怖の裏返し、あるいは恐怖からの解放を求めて庸兵の士気が爆発するのも無理はなかった。
 暴走する士気は庸軍自身を見失わせ、目の前の逃げる騎馬民族以外、視界に入らない状態におちいららせた。


 騎馬民族軍は逃げる。ひたすら疾走して逃げる。が、全員が騎馬である彼らに庸軍の歩兵も輜重しちょう隊も追いつけるはずもない。なんとか追いすがれるのは騎兵隊だけであるが、その数、騎馬民族軍の十倍近くになる。殲滅せんめつは充分に可能だろうと思えた。
「追え! 追え! 追え!!」
 頭の中でそのような計算を終えた庸軍総司令官の命令はひたすら単純であった。勢いに乗らねば絶対に勝てないと思いこんでいることもあり、追っている彼らの方が心理的に追いつめられている面もあった。
 それゆえ庸軍は気づかなかった。本来、庸軍よりずっと巧みに馬を操る騎馬民族に、なぜ自分たちが引き離されず追い続けられているのかを。
 そして騎馬民族軍五千に引きずられるように、十万の庸軍が細く長い隊列を敷き始めていることを。
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