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庸滅亡 作者:文叔

第十一章 サガルとタクグス

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第十一章 サガルとタクグス 3

「なるほど…」
 山羊やぎの乳と砂糖をたっぷり入れた北方の茶を飲みながらサガルの話を聞き終えると、タクグスは静かにうなずいた。
「いかがであろう、タクグスどの」
 タクグスのうなずきに、サガルはもう一度尋ねる。その真摯しんしな様子にタクグスは脳内で二つの思考を重ねた。一つはサガルの問いについて。もう一つはサガル自身について。
 この若く勇猛な族長は大きな可能性を持っている。そのことをあらためて確認した思いであり、ズタスに続いてこのような逸材が排出されるというのは、時代のうねりに意思というものがある証明かもしれない。そのようなことまで考えもしたが表には出さず、タクグスはサガルの問いにのみ答えてやった。
「高く売りつけてやりなされ」
「…は?」
「言葉通りの意味でござる。サガルどのはまだ去就きょしゅうを明らかにせぬがよろしかろう。今のサガルどのの名声は天下を覆うに等しいが、その名声のみを求めて勧誘してくる者がほとんどでありましょう。彼らはサガルどのの真価をわかっておらぬ。ゆえにサガルどのを誘うにおいての条件や報酬も過少に相違ござらん」
「いや、おれとしては充分好条件というものも多いのだが…」
 事実、彼を誘引しようとした者たちが出してきた条件や報酬は、戦場で有力な敵将を五人や十人討ち取らねば得られぬほどのものばかりで、サガルとしてもまったく心が揺らがないというわけにはいかなかったのだ。
 が、タクグスは断言する。
「足りませぬ。その者たちがサガルどのにどれほどの報酬を積んだかは存じませぬが、明らかに足りぬと言い切れます」
 報酬や条件の内容を知らないのなら断言もできないだろうにとサガルは思うが、タクグスの言にも表情にも確信が満ちていて、そこに裏打ちすら感じられたため反論は控えた。だいたい自分をより高く評価してくれているというのにそれに反論するなど、どこかおかしい。
 いささか表情の選択に困っているサガルに、タクグスは内心で小さく好意的に笑うと、表情をあらためて告げた。
「近く、庸軍が北上してきます」
 一言だけだがその内容にサガルも表情を硬化させる。彼自身そのような事態を考えなくもなかったが、あれだけ徹底的に痛めつけられた庸軍がさらなる反攻をおこなうかどうか、半信半疑だったのだ。
「そのような情報がありますか」
「ちらほらと。おそらく我らの内乱が燃え上がったところで攻め上がってきましょう。ゆえに、そう遠くない将来になります」
 タクグスは「内乱が起こる」と言い切った。騎馬民族の半ばもその覚悟はできているだろう。人界に起こることのすべては人の意志に因がある。大半の人間がそのことを望めば、起こらない方がおかしいのだ。
 サガルもそのことは承知しており、それ以上は聞き返さなかった。そのサガルにタクグスは、少し表情をゆるめて続けた。
「サガルどのはそのときに、存分に武勲をお立てなされ。それによりサガルどのにふさわしい報酬をもって迎え入れようとする者が必ず現れます。もし現れなければその時は北へお帰りなされ。このような場所にいてもしかたありませぬ。あなたにふさわしい長はおらぬということですから」
「なるほど… して、わしにふさわしい報酬とは?」
 タクグスの言うことにサガルは得心とくしんした想いだった。できるだけ高く自分とシン族を売りつけるには打ってつけの状況が迫っているということだ。その好機を活かさない手はない。が、肝心の「ふさわしい報酬」がわからなければ、誰についていいか判断のしようがない。それゆえサガルはタクグスに尋ねたのだが、問われた方はさらに表情をゆるめた。
「それはその時になればおわかりになりましょう。そして失礼ながら、その段になってもおわかりにならないようであれば、サガルどのの将来はさほどのものにはなりますまい。が、サガルどのならきっとわかる。私はそう思っておりますよ」
 笑顔に近い表情でタクグスはそう言うと、少し手を伸ばして背後にある書物を一冊取り、それをサガルに差し出した。
「よければこれをお持ちなされ。こたびのこととは直接関係はありませぬが、央華における最上の兵法書です。きっとサガルどののお役に立つ」
「いや、おれは字が読めぬゆえ…」
 いささか狼狽ろうばいするサガルは、常の彼らしい一人称を使ってしまう。文盲ぶんもうは騎馬民族では珍しくないためそのことを恥じたわけではない。単に思いもかけぬ物を差し出された困惑が狼狽の理由であった。が、タクグスはそれには何も言わず続ける。
「では読める者に音読してもらえばよろしい。あるいはこれからでも字を覚えればよろしい。これはズタスどのの愛読書であったといえば、そのための意志も湧きましょう」
 ズタスの名を聞いて、サガルの表情に緊張が走った。それは鋭かったが冷たくはなく、自身の目指すべき、超克ちょうこくすべき対象に対するものだった。サガルにとってズタスはそのような存在なのだ。
「受け取ろう。感謝する」
 ゆえにそれ以上 逡巡しゅんじゅんすることもなく、サガルは差し出された書物をしっかりと受け取った。それを見てタクグスも温顔でうなずき、茶をすする。
 と、ここで話が終わってしまったことにサガルに気づき、もう一つのことにも気づいた。
「…そうだ、タクグスどの、礼物は何がよろしいか」
 相談に乗ってもらったことと、押しつけられた形だがズタス愛読の兵法書の礼について尋ねる。本来であれば最初から用意してくるべきものであったが、いささかサガルも煮詰まっていたらしい。そこまで気が回っていなかった。であるならタクグス本人に何が欲しいか尋ねた方がよかろう。騎馬民族はあくまで率直で合理的だった。タクグスは自分の問いにはっきりとした解答を与えてくれたわけではないが、それでも方針は決まったし、なぜかすっきりした気分にもなっていたため、サガルとしては充分礼をする気になっていたのだ。
 が、その問いに対してもタクグスは明確には答えなかった。
「それについては追い追い。いささか意表を突くものになるやもしれませぬが、サガルどのにとっても益となるものにするつもりですので、今明かさないのはご容赦を」
 茶をすすっていたタクグスの澄まし顔での思わせぶりな答えに、常のサガルなら不機嫌、場合によっては怒気を発するところだが、どうにもつかみどころのない「寧安の英雄」に、苦笑を漏らすだけだった。
「さようでござるか。ではその時を楽しみにしております」
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