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庸滅亡 作者:文叔

第十一章 サガルとタクグス

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第十一章 サガルとタクグス 1

 決壊したといっても騎馬民族の団結は表面上、すぐには崩れなかった。一応の後継者であるクミルの存在が、その理由である。
 クミルはズタスにとって次男であり末子だった。騎馬民族は農耕民族と違って末子相続が普通である。上の者は成長して自立する力ができたらさっさと家を出て、自力で勢力を作るからだ。実力本位の騎馬民族ならではである。ゆえに父親の勢力は、必然的に末子が継ぐことになる。
 クミルは次男だが現状は一人息子でもあった。彼の上には一人兄がいたのだがすでに戦死しており、彼がズタスの跡を継ぐのに理としては何の問題もない。

 それでも全員が感じたのは決壊だった。
 実力本位の騎馬民族から見れば、クミルにズタスの後継者としての力はない。正確には器がないと見られていた。
 彼は純粋な騎馬民族の長としては充分な力量を持っていた。勇猛で恐れを知らず、武勇も秀でて略奪品の分配も公正だった。だがそれでは長城の向こう側では族長を張れても、こちら側では足りないのだ。彼ら自身にその自覚はほとんどなかったが騎馬民族にも変化が始まっていた。その変化がクミルの族長としての器量に「否」を突きつけたのだ。


 ズタスの葬儀は簡素なものだった。騎馬民族は央華文明と違って葬儀にさほど特別なものは込めない。
 だが葬儀までの期間はそれなりに長かった。ズタスの遺体は故地に葬ると決めたからである。ズタスは波濤はとうのように侵略した央華の大地を、南下してきたときに比べれば静かすぎるほどに北上していった。
 一応は馬車に遺体を載せての帰郷だが、央華人のようにのんびりと進むことはない。かなりの速度で進み、一ヶ月もしないうちに故郷へ帰り着いてしまった。
 遺体を迎えるのは老年や子供が多かった。壮年の者はほとんど兵として従軍していたのだ。それでも略奪品は定期的に彼らの元へ送られており、生活に困ることはほとんどない。その観点でいえば、彼らも侵略者の一員であった。


 そして分裂は実体化しはじめた。
 現在、騎馬民族が治める央華大陸の領域は、大陸の上方約四分の一。北河以北と北河流域である。その領域を治めてきた将軍たちがクミルの統制から離れてきたのだ。
 クミルが各地を治めている将軍を召集しても「庸遺民の叛乱のため」などと取って付けたような理由を告げて断ってくる。さほど諜報ちょうほうに力を注いでいないクミルの耳にさえ、将軍たちが独自に動き、互いに争いはじめたとの情報は入ってきていた。叛乱・独立を計った勢力、大小あわせて実に十有余。報告に入ってこない極小勢力まで含めると数十にすら及ぶかもしれない。これがズタス崩御から半月も経たないうちの状況で、すでに北河以北は内乱状態と言ってよかった。


「陛下、今こそ!」
 過去最大級の諜報力ちょうほうりょくを北へ向けて放っていた臨時帝都・紅都こうとは、ズタスの死から騎馬民族の分裂をこれまでにない早さで察知した。
 これこそ彼らが待っていた好機である。早晩必ず訪れるとわかっていた機会だが予想よりずっと早かった。なにしろ南庸側も徴兵から訓練までがほとんど終わっていない状態だったのだ。数からしてようやく十万に届く程度である。強大な騎馬民族軍に対してあまりに不足で非力だが、これでも度重なる戦乱と敗戦による国力の限界値だった。騎馬民族の侵略による農・工・商業の壊滅状態を考えれば、たとえ勝っても国は滅亡しかねない。
 それでも将も兵も志気だけは高かった。彼らとて今が国家存亡の分かれ目だと実感している。自分たちが自分たちのままで滅亡するか、騎馬民族に占領され自分たちでなくなった上でほろぼされるか、それだけの違いになりかねないとすらわかっていた。徴兵された民の故郷は男手もなく、すでに壊滅状態である。滅亡の実感は朝廷より彼らの方が切実に感じ取っている。
 それでもなお、彼らは戦おうとしていた。これはすでに生き死にだけの問題ではなく、民族として、人としての存在を賭けた戦いなのだ。


 多数の勢力に分裂した騎馬民族だったが、その中でもやはり大小はある。最大勢力と言っていいのはズタスの息子であるクミルのものであるが、各地に彼に匹敵する大勢力はいくつかあった。
 が、彼らは直接おのおのの大勢力に当たることはせず、周囲の少数勢力を潰し、吸収してゆく。猛々しい気性と荒々しい血流を持つ騎馬民族だが、同時に現実感覚は鋭いほど怜悧れいりだった。まずは勝てる状況を作り出すために強大化をめざすのは当然であった。


 そんな中、韓嘉かんかが死んだ。
 殺されたのではない。自害だった。
 クミルは父親の重臣であった韓嘉を冷遇した。彼は父ほどに開明的でなく、韓嘉の「価値」がわかっていなかった。
 また「先王」の重臣が次代において冷遇される例は多々ある。クミルはあくまで騎馬民族の枠から出ることができず「常識的」であり続けることしかできなかったのだ。
 そうであってもクミルは父の師を殺そうとまでは思わなかった。韓嘉が彼のやることに口を出して来なかったため、殺すまでもないと考えたのだ。が、この時点で韓嘉は自害を決意していた。

 彼はズタスが亡くなるとわかった時点で、おのれのこの世での仕事が終わったと悟っていたのだ。彼がここまで生きてきたのは、騎馬民族に無意味に殺され不幸にされる同胞を一人でも少なくするためだけだった。クミルの代になってもそのための勤めを果たすつもりだったが、弟子の嫡子ちゃくしの性情を知ると、それもあきらめざるを得なかった。韓嘉が何を進言してもクミルは聞く気がないとわかっていたし、何かを言えばそれだけで殺されることもわかっていたのだ。からめ手でクミルを操ることも出来たかもしれない。が、韓嘉は知性はあってもそのような奸計かんけいに類する策謀は不得手であり、効果が上がらないどころか返って同胞に悪影響を与える危険があった。
 であるならば、彼にはもうこの世に存在する意味も価値もなかった。それどころかクミルが亡父の師であり重臣だった自分を目の上のこぶのように感じ、それをもって庸人への悪感情を想起させる可能性すらある。韓嘉が同胞のためにできることは、もう自害しかなかったのだ。

 一日、彼は自邸の一室で、首をき切って死んでいるところを発見された。遺書も遺言もなかった。そんなものを遺した場合、そこに書き遺されていることを理由に、クミルが庸人への迫害を増加させかねない。また遺言がなかったことで妻子のない彼の財産はクミルのもとへ吸収され、それにより彼の韓嘉への、ひいては庸人への感情はやわらぐに違いない。韓嘉はそこまで計算していたのだ。
 韓嘉はそれなりの礼をもって寧安の墓地に葬られた。ズタスが生存中に亡くなれば国葬を与えられたかもしれないが、師の苦悩を知る彼であれば返ってそれはなかったかもしれない。韓嘉は自分が――心ならずも――同胞を裏切ったことを忘れた日がなく、そんな自分が、しかも寧安で国葬をり行われるなど、死ぬに死にきれなかっただろう。
 ズタスはそのような師の心情を知っており、また彼に祖国を裏切らせたのが自分であることも忘れておらず、師への罪悪感も思い合わせれば、むしろひっそりとした葬儀で済ませたに違いない。そこに心からの感謝と謝罪を込め、常の墓参りや供養を忘れないにしても。
 どちらにせよ一つだけ、韓嘉を心から喜ばせたに違いないのは、自身の遺体が寧安に葬られたことだろう。同胞への限りない罪悪感はあるにせよ、生まれ故郷に葬られることを望まない央華人はおらず、おそらく韓嘉の唯一の念願であったに違いないから。


 余談だが、後世「庸史ようし」と呼ばれる国家編纂こっかへんさんの正式な史書において、韓嘉は奸臣かんしんの第一として銘記めいきされることになる。国を根本から腐敗させた賢花を筆頭とする宦官や、長城を開いてズタスを招き入れた張堅ちょうけん以上の、庸帝国史上最大の奸物かんぶつ・裏切り者としてである。
 張堅の行為は愛国の念が強すぎた上の愚挙ぐきょであるため、同時代人の心情としては情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地があった。宦官は自分たちの富貴や栄誉のために他者を犠牲にし、国を崩壊させる直接の原因を作ったのだが、最後に騎馬民族に絶滅させられたため、史家の筆もわずかにゆるんだのである。
 が、韓嘉はおのれ一人の富貴ふうきのため祖国を裏切り、侵略者に協力した者として断罪された。

 だがさらに後の「南庸史なんようし」において、韓嘉の評価は大幅に好転する。彼がなぜ騎馬民族にくみしなくてはならなくなったか、なぜズタスを教示したのか、なぜ騎馬民族の世界に残って彼らに協力し続けたのか、その真意が明らかになったのだ。強いられたためとはいえ裏切りは裏切りであり、ズタスを教育して大きな意味で敵に利したことは確かなので完全に一変というわけにはいかなかったが、それでも彼によって救われた人民が万単位でいたことも知られたのである。
 なぜそのような事実や韓嘉の真意が後世に伝わったのか。
 ズタスが伝えさせたのである。
 ズタスは韓嘉の手紙や手記、事績のすべてを残し、すべてを記録させていたのだ。
 それが完全に央華化した騎馬民族国家の中で残り、さらに南庸に伝わったのである。その記録は騎馬民族ではなく――そもそも当時の彼らはそのようなことはできない――同じ庸人に命じて残させたもので、記録の正確さや客観性も充分に考慮されたものだったため、南庸でも真実として認められたのである。
 さらに韓嘉によって救われた者の中に南庸建国の功臣が幾人もいたこともあり、韓嘉は一度も南庸に臣従したことがなかったにも関わらず、建国の功労者として史書に名が残ることになった。
 ズタスは師の名誉を回復せしめ、彼の人生における最大の懸念も払ってみせたのである。
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