挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
庸滅亡 作者:文叔

第十章 北へ帰る

66/81

第十章 北へ帰る 3

 建国の宣言にズタスは続けた。
「遺言を、のこしておくべきであろうな」
 たくましかった筋肉はげ落ち、全盛期の半分になってしまったかという肉体になりつつも、ズタスはいささか皮肉な笑みを浮かべながら言う。「族長、そのような」となだめる者もいたが、ズタスは意に介さなかった。
「ここから生還するのは、央華を一人で征服するより難しいであろうよ。とにかく、わしの遺志を遺しておく」
 そう言ったズタスは、一呼吸置いて遺言した。
「好きにせよ」
「…は?」
 それを聞いた近くにいた者たちは、思わず首をかしげた。それを知ってか知らずかズタスは続ける。
「誰かを奉戴ほうたいしようが、互いに相争あいあらそおうが、好きにせよと言っているのだ。わしが死んだ後のことは汝らの思うようにやれ」
 その言葉に困惑さを深める者もいたが、戦慄せんりつを覚える者もいた。ズタスの真意を察したのだ。
「賢明にまとまって央華大陸を支配するか、愚かにも分裂してせっかくの好機をつぶすか、どちらでも好きな方を選べ」
 ズタスはそう言っているのである。
 後継者を決めるのも支配者の責務と考える者は、この遺言を無責任とそしるかもしれないが、ズタスに言わせれば大の大人がいちいち指図を受けなければ最善の途を選べないという方が情けない。自分たちは央華大陸を支配できるだけの実力者だと自負するのなら、なおさらである。
「わしは誰にも指示されなかったし、誰からも譲られなかった」
 その自負がズタスにはある。それは央華の半ばを侵略したことのみでなく、生まれた時から今までの人生すべてにおいてである。コナレ族の族長の座を得たのも、央華のことを学んだのも、長城を越えることも、越えた後に他部族を従え統一した騎馬民族軍で征服行を続けたのも、すべて彼の意志と、身につけた実力においてであった。
「わしの成し得なかったことが出来るというのであれば、その程度のこと、やってみせよ」
 ズタスは、死の寸前まで甘くはなかった。


 そうは考えつつも分裂が必至であることはズタスもわかっていた。だが彼は、その分裂がこれまでの征服を無にすることのないよう手を打つことも忘れてはいなかった。それが建国の目的の一つである。
 ただ分裂するだけなら、互いに争い、勝った者が央華大陸の手の届く範囲を蹂躙じゅうりんし、略奪品を持って北へ帰るだけになるかもしれない。だが央華化が始まっている騎馬民族に国という「枠」をはめたことにより、彼らはその中でのみ領土の奪い合いを始めることだろう。勝利し、奪った後、北へ帰ってゆく「族長」ではなくその国の「国主」になることを望むだろう。仮に分裂したままであっても、それぞれが「国」を建て、それぞれの領土を治めながら戦い奪い合う「央華風の戦争」に移ってゆくことだろう。
 ズタスは死の床にありながらすら、これからの歴史を創造し続けていた。


 正負どのような感情だろうが、ズタスに死期が近づいていることで心揺らされぬ者は、騎馬民族に限らず当時の央華大陸にはほとんどいなかっただろう。
 口裂けサガルもその一人であった。若き勇将であり、騎馬民族内では英雄視されている彼であるが、それはまだ「敬意を伴った人気」でしかなかった。
 人気と人望は似て非なるものである。彼は若く未熟だったが、そのことをわきまえる知性はあった。ゆえにサガルは自分がズタスに取って代わろうとまでは考えていなかった。そこまでの実力は、今の自分にはまだない。
 そうであるのに、ズタス亡き後の自分がどのような行動を取ればいいかがわからない。正確には、誰に付けばよいかがわからなかったのだ。
 これは一部の去就がはっきりしている者以外全員が迷うことであったが、サガルの場合、彼の「人気」を取り込もうと、様々な有力者たちから誘いがある。それもまた若いサガルの戸惑いと困惑に拍車をかけていた。
 中には脅迫じみた勧誘をおこなう者もいたが、これは逆にサガルの心を離す結果にしかならなかった。彼は脅迫に屈するような脆弱ぜいじゃくさは持ち合わせていなかったし、仁義に欠けるやり方に不快感を覚える性質でもあった。ズタスに対する恩は生涯忘れることなく、それだけに彼がまだ生きているというのに自立を画策するような連中を好きにはなれなかった。それが生き残るために、野心のために必要ということが頭ではわかるのだが。
 それだけに、サガルは考えつつも動くのをやめた。この時期に動くのはズタスへの忘恩だと気づいたのである。たとえそれで出遅れたとしても、彼は構わなかった。シン族内で部下たちにはその覚悟を話し、彼らに了解を得たこともあるが、何よりたとえ初動が遅れようとすべてを乗り越えてすべてをつかみ取る自信がサガルにはあったのである。
 若き勇将は、野心と自負の大きさではズタスにも負けていなかった。


 寧安ねいあんにも不穏な気配が漂い始めた。この都市に住む人たちの中で最も数が多いのは、当然ながら庸人である。だが支配者は騎馬民族であり、最大の力――軍事力を持つのも彼らだった。支配側が不安定で不穏な状態になれば、寧安すべてがそうなるのも必然である。
 すでに街中では治安が乱れ始めていた。騎馬民族に法は通用しない。彼らにも法はあるが、それは大都市を統べるものではなく、高原での生活と戦場を律するためにもちいられるものであった。
 そして彼らにとって最大の法は、支配者個人の力量であった。支配者が「ならん」と言えば、それは無形のむちとなって彼らをぎょせるのである。
 が、その支配者の力が弱ってきた。病に倒れ衰えること、それ自体が罪となるのが騎馬民族である。老衰や事故死すらが罪であった。彼らには道理ではなく、力のみが効力を持つのだ。
 それがただの病どころか死病に侵されたとなれば、重石おもしとしてのズタスの存在も軽みを覚えてしまう。寧安帰還の途上はズタスの騎馬姿があったため彼らに対して重石の役を果たしていたが、宮城の奥に引っ込んで姿を見せなくなってはそれも不可能である。かといって寧安に帰ってからのズタスは衰弱がいちじるしく、そのやせ細った姿を兵に見せても逆効果であることは明らかだった。
 さらにズタスの後継者は定まっておらず、新しい重石もないのだ。
 すでに悪循環は始まっていた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ