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庸滅亡 作者:文叔

第九章 南庸建国

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第九章 南庸建国 4

 陳戎が新皇帝に即位したことは、すぐにズタスたちの知るところとなった。それも当然で、紅都の「新宮廷」は全庸人を糾合きゅうごうするため、陳戎の即位と紅都の「臨時帝都化」を全土に発布はっぷしたのである。これにより庸人はおのおのの心の中にり所を、しっかりとした足場を持つことができた。
 つまり折れかけた心を立て直したということで、ズタスたちが最も避けたい事態が完成してしまったのである。
 あきらめた者たちなどいかに数が多かろうと、枯れ枝を踏み折るように進むことができる。だが小さくとも生木となった彼らは、簡単に折れる相手ではなくなったのだ。これはこれからのズタスたちの侵略にとって、大いに不都合なことであった。
 だがこれは皇帝一家を死なせてしまった時から覚悟していた事態である。いまさら落胆など表情にすら出さぬズタスだった。

 が、ズタスの落胆がさほどではなかったのは心構えだけの問題ではなく、ここから先に庸の組織的抵抗はほとんどないとわかっていたからでもあった。
 庸はこれまでの戦いで将や兵の主力や精鋭をことごとく失っており、最後の本格的な防衛戦とも言える摂津の戦いですら弱将と弱兵を使わざるを得なかったのである。長城を破り、北河を越え、庸軍のほとんどすべてを壊滅させたズタス率いる騎馬民族軍に、すでに敵はいなかった。
 いないはずであった。


 ズタスは間を開けなかった。寧安を占拠してもそこに居座るつもりはない。とにかく攻めに攻め、おかしにおかす、そのことしか考えていなかった。
 これは彼の野心や性情によるものでもあるが、「ひとところにとどまった騎馬民族に、なんの脅威があるか」という現実からも来ていた。
 何度も言うが、ここまで破竹の快進撃を続けている騎馬民族軍といえ、征服したのは央華大陸の四分の一でしかない。ここでとどまるということは守勢に回るということ。攻城は騎馬民族の不得手とするところだったが、守城はさらに苦手であった。なにしろ城など持った経験がないのだ。不得手とはいえ、何度もやったことがある攻城戦の方がまだましである。仮に庸が新たな軍を率いて攻めに来たとして、いかに高く厚い城壁に守られているとはいえ、寧安を維持出来る自信はズタスにも他の将軍にもなかった。
 攻撃のみが自分たちを守る最大の防御であることを、彼らは自覚していた。


 ズタスは北河以北から軍隊の到着を待ちつつ、兵には寧安での快適な生活と、厳しい訓練とを交互に与えた。
 これまで激闘が続いたため、ある程度のあめを与えなければ兵はまともに動かない。といってあまりに甘やかせば厳しい戦いにおもむくことをいとうようになる。
「南方はさらに豊かだぞ。寧安のような都市はいくらでもある。そこまでたどり着けば、また奪い放題喰らい放題だ」
 将軍たちはズタスの指示のもと、飴にさらなる甘さを加えることによって兵の質を保ち向上させていった。騎馬民族にとって略奪品の質と量は士気に直結するのだ。率直と言えば率直だが、それだけに扱いさえ間違えなければいくらでも戦力たりえた。


 北河以北にある程度の数を残し、残りすべての兵が北河を渡ってズタスのもとへたどり着いたのは、寧安陥落から二週間後であった。それからさらに二週間を使い「飴と鞭」の生活で兵を鍛えたズタスは、ついに進撃の再開を決意する。
 兵数は三十万。
 すでにまともな戦力もない庸軍に対して圧倒的な数だったが、これからのズタスの「新しい相手」の力を考えれば、必ずしも多い数ではなかった。
「出撃!」
 全軍を整備し終えたズタスは、彼らへ向けて侵攻再開を指示した。


 当然の事態であるが、騎馬民族侵攻再開の報を聞いた「帝都」の宮廷は、やはり蒼ざめた。それも無理はない。なにしろ今の庸には彼らに対抗できる武力など皆無だったのだから。
「当然兵を集めて迎撃せねばならぬが…」
「これまですでに相当の無理を民に強いておりますが、亡国の危機なれば、それでもなんとか兵は集められましょう。集めるだけならば…」
「わかっておる…」
 突如、「紅都の高官」から「国家の高官」へ格上げされた宮廷の人々だが、そのことを喜ぶ余裕はどこにもなかった。彼らとて庸の高官である以上それなりの能力はあるが、やはり凡人の域は出ない。もし凡人以上の能力があるのなら、寧安の宮廷で力を発揮するか、あるいは逆に宦官たちの嫉妬や恐れにって殺されていただろう。そんな彼らではこの非常事態に有効な手段を思いつくことは出来なかった。
「……」
 それは新たに玉座に座った陳戎ちんかいも同様だった。彼も皇帝に即位できたこと自体はうれしい。兄帝への哀惜も偽りではないが、皇族男子に生まれてきた者の本懐は、やはり即位なのだ。それは本能に近いものである。
 だがやはり、この時期の即位は喜びよりうれいの方が圧倒的に強かった。
 普通に考えればいかに正統性があろうとも、陳戎の即位に反対意見が出てもおかしくなかった。しかし彼以外に帝位に就く資格のある皇族男子は誰一人として反対せず、すぐに忠誠を誓ってきた。彼らもこの時期に帝位に就くことの困難と恐怖をよく知っていたのだ。
 そのことを自覚しつつも帝位に就いた陳戎は、あるいはこころざしや心構えにおいて誰よりも皇帝にふさわしかったかもしれないが、能力の点で心許こころもとないのは致し方なかった。
「陛下…」
 恐怖に後押しされながら、有効な手立ては一つも出てこない会議の中、一人の臣下が気弱さを漂わせながらも皇帝へ言上してきた。まだ年若く、縁故でこの場にいる者であり、やはり能力の点では頼りにならない。それがわかってはいても、陳戎には何かにすがりたい思いは消せなかった。
 彼に対し、気乗り薄と期待を交ぜた表情と声音でわずかに身を乗り出す。
「なんだ、なにかよい策があるか」
「いえ、臣のような非才の身には何も…」
 しかし臣下は気弱さをより強めながらあわてて否定し、皇帝を落胆させる。
「では何だ。無用のことでもよい、申してみよ」
 それでも臣下を無碍むげにはしない陳戎は彼に続けるようにうながし、若臣もやや気を改め言上する。
「は、確かに我が大庸は北狄ほくてきどもに対抗するすべを持ち合わせてはおりませぬ。しかしこの央華には、まだ味方がおります」
「味方? どこか別の国から救援が来ると申すか。南方の兵は弱兵で当てにはならんし、西方は遠い。東方に到っては海を挟んでの間柄だ。どこからも兵など借りられぬぞ」
 なによりこの「兵を借りる」という発想自体が今の庸にとっては禁忌に近い感情がある。なにしろ現在の苦境は、張堅ちょうけんが宦官を倒すためズタスたちコナレ族を長城内へ引き込んだのがすべての元凶なのだ。異国・異民族から兵を借りるなど、新たな敵を呼び込むこと以外にありえないという感覚が今の宮廷にはあった。
 だが若い臣下が言いたいのは、まったく別のことであった。
「いえ、そうではありませぬ。すでに味方は我らのもとにあります。そして北狄に対し戦いを始めてくれておりましょう」
 彼の言うことに皇帝たちは疑問符を浮かべたが、すぐに了承した。彼らも忘れていた「味方」のことを思い出したのだ。
「なるほど、確かにかの者らが最後の防壁になってくれるやもしれぬな」
 皇帝たちは、わずかながら希望を見いだした表情になった。それがわずかなのは、たとえその「味方」が有効な防壁になってくれるとしても、民の犠牲は減らない。そのこともわかっていたからだった。
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