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庸滅亡 作者:文叔

第八章 寧安陥落

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第八章 寧安陥落 3

 民衆は殺された。タクグスにやりすぎるなと釘を刺されていたにもかかわらず殺しすぎたように見える。が、そうではなかった。もし指揮官に抑え込まれていなかったら、彼らはもっと殺していた。その証拠に、彼らはもう一つの厳命である放火はおこなわなかった。それどころか庸人が逃げる際に起こした失火を消すことすらしている。
 が、制動が制動に見えないほど、やはり彼らは殺した。血に酔っていたのだろう。そうとしか言えなかった。

 略奪もおこなわれた。彼らにとっては殺人よりこちらが主目的である。「遺漏いろうなく」おこなわれるのも当然であった。
 騎馬民族の感性では夢のような時間であった。寧安は東方大帝国の帝都である。央華大陸どころか、西方まで含めた大陸全土で三本の指に入るほどの豊かな都市である。そこを好き放題 蹂躙じゅうりんし、奪うことが出来るのだ。人生で二度とないであろう僥倖ぎょうこうである。人には幸福を求める権利も力もあるが、彼らのそれは他者の不幸のもとに成り立っている。それだけが問題だったのだが、今の彼らにそんなことを思う余地は一片もなかった。

 東門から突入した兵が最も多いのは、西へ「押し出す」ためである。といって逃げ出す民衆はそこまで多くない。そのための時間がなかったというのもあるが、逃げ出したとて行く場所がない者も多かった。一度門から寧安から逃れつつ、しばらくして結局戻ってきた都民も少なくない。

 が、この時タクグスが指揮したのは、北門から突入した七千五百の兵だった。
 なぜか。寧安の北に皇宮があるからである。
「絶対に皇帝は逃がさん」
 という意図のもと、タクグスは北門突入軍を指揮していた。
 とはいえ皇宮も無防備なわけではない。寧安の都市全体をかこう城壁の内側に、皇宮の周りにも城壁が張り巡らされている。そこは「街の中の街」という風情で、皇室関係者のやしきや彼らの使用人のための住まいなどがあった。
 そしてさらにその内側にもう一つ城壁があり、その内部にあるのが皇宮である。皇帝やその家族、帝国の重臣たちがいる場所であった。いわば庸の中枢と言っていい拠点だが、それだけに防備は厚い。まともにぶつかればもともと攻城戦に弱い騎馬民族軍は、城壁の外で立ち往生するしかなかっただろう。
 だがタクグスには成算があった。皇宮にしたところでこの奇襲はまったくの予想外、想定外の事態だろう。もちろん門は閉まっていようが、守備をにな近衛兵このえへいも油断しきっているはずである。
 ゆえに速攻であった。タクグスは第二城壁の門の一つへ兵を集中させた。その圧力は圧倒的であり、なにが起こったのかわからない近衛兵に何もさせないまま城壁を乗り越え、兵を殺し、城門を内側から開け放ち、兵を突入させる。
 さらに間髪入れず第三の、つまり最後の城壁へも同様の集中攻撃を仕掛け、城門を突破してしまった。近衛兵たちに状況把握の余裕さえ与えない速攻は、まさに騎馬民族軍の面目躍如めんもくやくじょであった。


「なにが起こった! 何なのだ! 叛乱か!? 叛乱なのか!? 叛逆なのか!?」
 にわかに宮廷に響きだした叫喚きょうかんと尋常でない空間の圧力に、皇帝より先にうろたえ騒ぎ立てたのは、賢花けんかを含む宦官たちだった。
 彼らの世界は皇宮の中だけ、広がったとしても寧安の中だけにしかなかった。寧安の城壁の外は、彼らにとって支配すべき世界であり、脳内と机上の世界であった。その「別世界」が自分たちの世界へ侵入してくるなどありえないことだった。少なくとも想像は出来ても実感は出来ないことだった。
 それだけに叛乱や叛逆をまず疑ったのだが、これは彼らの無意識の傲慢ごうまんだった。叛逆は皇帝に対しておこなわれるもので、彼らに向かっておこなわれるものではないのだから。

 彼らの甲高い声を不快に聞きながら士大夫派はそのことに気づいたが、指摘したり糾弾きゅうだんしたりはしなかった。彼らとてそんな余裕はなかったのだ。
「陛下、何が起こっておるかわかりませぬが、ここはひとまず玉体ぎょくたいを安全な場所へお移しくだされ。その後事態を納めますゆえ」
 士大夫派の長である徐雄じょゆうは彼自身蒼ざめつつも、皇帝・陳徹ちんてつの前へ進み出て言上ごんじょうした。彼としてもそれ以上出来ることがなかったのだが、最も肝要なことであるのに間違いはない。皇帝の身に何かあっては庸のすべてが大激震に見舞われる。すぐに新しい皇帝を立てるにしても、それまでの間、屋台骨やたいぼねが崩れるほどの揺動ようどうが庸を襲うだろう。
 まして陳徹にはまだ明確な皇太子は存在しなかったのだ。何人かいる皇子の中で、賢花が自分たちに最も都合のいい者をまだ見極めていなかったからである。

 その賢花の長である王潔おうけつは徐雄の言上に色めき、彼を押し退けるように皇帝へにじりよった。
「陛下、そのような弱気な。叛乱などと申せど、民の祝日の隙を突くような姑息こそくなものでございます。大庸最強の近衛兵であれば、ものの半刻で鎮圧ちんあつしてみせましょう」
 他の宦官のように目に見えてうろたえてはいなかったが、王潔も遠方からの叫喚きょうかんに蒼ざめてすところがなかった。それでも自分たち以外に皇帝の思考や行動を左右する者が現れるのは絶対に許さなかった。彼らにとって、それは本能のようなものである。
 彼らには皇帝しかいなかった。皇帝が自分たちの手元から離れれば、彼らには何も残らない。誰からもみずからの身を守れない。
 ゆえに事実の確認も深い考えもなしに、ただ徐雄と真逆の進言をして皇帝を自分たちの元へ置こうとするのである。ここに至ってなお、彼らにとって外界の現実は二の次であった。
 そして士大夫の宦官への反発も反射の域に達するほど骨髄こつずいに染みている。徐雄のような年配の重臣ですらそのへきから自由ではなかった。皇帝への配慮をわずかに残しつつも、王潔の自己中心と無礼とへいきどおる。
「まだ何が起こったかすら判明しておらぬではないか。陛下に安全な場所へ移っていただくは臣下としての義務であろうが」
「では徐どのは、他に何が起こったとおっしゃるか。北狄ほくてきが攻め入ってきたとでもおっしゃるのか。いかにかの者どもが卑しき蛮族といえ、空を飛んでこられるわけでもございますまい。まして我が軍に撃滅させられた弱軍が、しかも寧安の皇宮へ侵入してくるなど、天地がひっくり返ってもありえぬではござらぬか」
「わしは何も北狄が侵入してきたと言うておらぬ。何が起こったかわからぬと言うておるのだ」
「北狄の侵入はありえぬ。北狄以外の外敵の侵入もありえぬ。叛乱ならば近衛兵が収める。徐どのはなにがご心配か。失礼ながら徐どのは、ご自分の臆病を陛下の安全のためと口実をつけて正当化なさっておるとしか臣には思えませぬ。臣下として陛下をそのような卑しき行為に巻き込むなど、許されぬことでござる。ご自重なされよ」
「わしがいつ臆病を示したか! 無礼を申すと許さぬぞ」
「臆病者は真実を突かれると、うろたえて大声を放つと申します。徐どのの大声はその類ではございますまいか?」
「つい先刻まで蒼ざめて腰を抜かしていた汝に言われとうないわ!」
「徐どのこそ無礼をおっしゃるな。私は陛下のおんために沈思ちんししておったにすぎませぬ」
「その結果があの愚策ぐさくか。愚考ぐこうにふさわしい結論だな」
「臆病者の拙案せつあんよりは、よほどにましでございましょう」
 宦官派、士大夫派、双方の長が現状を忘れてまたしてもののしりあいをはじめる。陳徹は近づいてくる叫喚と圧力と悲鳴とを聞きながら、絶望感を深めていた。
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