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庸滅亡 作者:文叔

第七章 摂津(せっしん)の戦い

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第七章 摂津(せっしん)の戦い 8

 船を岸に着け直接大地に、あるいはやや沖合いから小舟に分乗して騎馬民族軍は続々と上陸してゆく。船の大きさや位置によって多少方法は違うが、整然と素早く上陸してゆくことに変わりはない。このあたりの統率力の高さは庸軍には存在しなかった。
 船団から上陸した五万の兵を指揮するのは、なんとタクグスであった。有力者だが新参者の彼がこの「別働隊」の指揮権を手に入れられたのは、当然ズタスの許可と命令があったればこそだが、軍議で披露された彼の作戦が大胆でありながら合理的であったことと、なによりその気迫が諸将にまさったからである。
「この作戦が失敗すれば、おれのすべてをくれてやる」と言わんばかりの迫力は、諸将にタクグスの覚悟を感じさせた。
 騎馬民族は勇猛さだけでなく男気おとこぎが大好きである。人生を懸けたようなタクグスの気迫は、彼らの新参者への軽蔑を好意の方向へ曲げさせることに成功した。また諸将にとってタクグスの作戦は戦意と高揚感を心地よく刺激するものであり、図に当たればかつてないほどの武勲を手に入れられるものであったことも大きい。
「よかろう、一度くらいは汝の言うことを聞いてやろう」
 そういう気運が軍議を覆い、タクグスは機会を得たのだ。
 が、これが失敗すれば彼の人生は大きな挫折ざせつを余儀なくされる。それは北方で再起をはかるために奮闘している叔父の前途も閉ざすことになってしまうのだ。
「絶対に、落とす」
 五万の兵のうち二万はこのままズタスの指揮下に入って庸軍撃滅に加わる。言ってみれば「とどめ」のための予備兵力で、庸軍にとっては地獄の門番に等しい兵団であった。
 潰乱寸前の庸軍へ突進してゆく彼らを見送ったタクグスは、凄まじいばかりの気を込めた眼を南西に向ける。その方向にこそ庸帝国の帝都・寧安があるのだ。
「出撃!」
 タクグスは、整然と並んだ三万の先頭に馬を立て、背後に向かって大音声で命令を下すと、馬腹を蹴って疾走を始める。喚声かんせいをあげて三万の人馬が彼に続いた。


 一息に百人単位の人間が水へ落ちてゆく様は、見ている者に現実感を失わせる。が、それは遠くから見ている者に与えられる特権だった。当事者たちには総毛立つような現実である。前を走る兵のかたまりが「ボゴッ」と没し消えてゆく光景は、彼らを本能の域で恐怖させる。
 当然立ち止まってその地獄を回避しようとするが、そんな彼らの運命も同じであった。後ろから押されて地に倒れた者は、肉塊になるまで数千人に踏み潰され、そうでない者は水中に塊となって落ちてゆく。
 そんな天災にも近い惨状が二度、三度と繰り返されると、さすがに彼らの足も止まった。だがそれは彼らの死因が、圧死と水死から斬死ざんしに戻るだけのことだった。

 斬る。斬る。斬り伏せる。突く、突く、突き殺す。
 コナレ族どころか騎馬民族史上最大の族長に率いられた最強の兵である。彼らは戦闘(というより虐殺)に全身を煮えたぎらせていたが、血に酔ってはいなかった。ゆえにその攻撃は残忍であっても秩序が消えず、より効果的に、より効率的に庸兵を殺してゆく。
 十万の兵は一万の兵にむしられるように殺され、数を減らしていった。


 時間は、どれほどだったろうか。
 朝のさわやかな空気が消え去る前に、すべては終わった。
 庸軍十万は惨殺された。十万という兵を一つの人体と見れば、その表現が最も適切だった。
 死傷者は六万。うち水死は半数に近く、残りは圧死と斬死。二万は逃亡に成功し、二万は捕虜となった。
 司令官である孫佑は行方不明だが、その後、皇帝に復命することもなく二度と表舞台に出てこなかったことから、逃亡して一庶民として生を終えたか、あるいは戦死したと考えられており、おそらく後者であろうと推察されていた。逃亡は彼の人となりにそぐわしくないというのもあるが、あの大混乱と潰乱に巻き込まれ、圧死か水死したと考えるのが最も妥当だと思われたのだ。
 騎馬民族側の戦死は二十。十倍の敵に対し、彼らはまたしても完勝した。だがそのことに感慨を覚えるズタスではない。彼の意識はすでに次の段階へ進んでいた。
「そうか、タクグスはすでに道半みちなかばか」
 捕虜をまとめていたズタスの元へ、タクグスから派遣された別働隊二万を率いてきた将軍から「寧安攻撃軍」の進撃について報告があった。実は戦闘の最中にタクグスの伝令は到着していたのだが、ズタスは最前線で猛攻撃をおこなっていたため知らせようがなかったのである。
 本来ズタスが手こずる事態になっていれば、タクグスたちも庸軍攻撃のため駆けつけるはずであったが、その必要なまったくなかった。それを知ったタクグスは当初の予定通り進撃を開始したのである。
「ここから先は緻密ちみつな奇術を見ることになるかな」
 ズタスはタクグスの計画を思い出し、小さく笑った。奇術とは見た目の華やかさと違い、絶対的な理と、周到で徹底的な準備と、芸術的な技巧とによって成り立っている。タクグスは奇術をろうする性格の人間ではなかったが、それゆえ今回の奇術的作戦を成功させる能力があった。
「捕虜をまとめて北河を渡らせよ。その準備ができ次第、我らも寧安攻撃の別働隊を追う」
 騎馬民族にとって人材はいくらあっても足りない。特に様々に技能を持つ者は統治やいくさのために必要不可欠であった。捕虜は兵であるが民でもある。全員がなにがしかに「使える者」であるはずだった。
 が、貴重な捕虜より今のズタスには南へ向かった「奇術師」たちが気になる。
「できるだけ早く進発したいものだ」
 騎馬民族が庸軍十万を惨殺したこのいくさは、戦場の近くにあったみなとの名を取り「摂津せっしんの戦い」と命名された。この戦いは北河という巨大な「防波堤」が破られ、騎馬民族の前に庸が丸裸にされたに等しい歴史的会戦であった。またこのような壮挙をやってのけた北の民はズタスが初めてで、この一戦だけでも彼の名は後世に刻まれるに値する。
 それほど貴重で重大な戦いが終わったばかりであるにも関わらず、奇術の客のような心情で、ズタスはもう一度小さく笑った。
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