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庸滅亡 作者:文叔

第七章 摂津(せっしん)の戦い

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第七章 摂津(せっしん)の戦い 7

「数は! 敵の数は何人なのだ!」
「わ、わかりません! どこもかしこも大混乱で報告も上がってこないのです」
「それでは迎撃の命令も出しようがないではないか! 全軍に一度下がれと伝えよ。そこで態勢を立て直して…」
「なりません。退却するにも北へ下がるしかありませんが、そこには北河があります。全員が追い落とされてしまいます!」
 孫佑は天幕で臓腑ぞうふまで冷える恐怖と屈辱に焼かれていた。敵が攻め入ってきたという報告以外、味方の混乱の報しか入ってこないのだ。敵の規模すらつかめない。これでは戦いようがなかったが、孫佑に兵を責める資格はない。そもそも水の近くに陣を張るなど愚行の極みであった。いや孫佑とてそれなりに北河から離れて陣を張ったのだが、河上に浮かぶ騎馬民族船団の動きに即応できるよう、そこまで離れるわけにはいかなかったという事情はある。
 それでも油断はあった。まさか敵が南からやってくるとは。なにが起こるかわからないのが戦場ということをわきまえていれば、やはりこれは孫佑の失敗であった。
「それにしても連中はどこからやってきたのだ」
 そんなことにこだわっている場合ではないとわかってはいても、最悪の戦況はこの疑問が最大の要因であるため、考えるのをやめられない孫佑であった。


 もちろん騎馬民族が馬ともども空を飛んできたわけではない。南から湧いて出たわけでもない。
 彼らも船を使って北河を渡ってきたのだ。彼らは完璧に近い隠密行動を取ることに成功していた。

 まず彼らは、そもそも大船団に参加していなかった。本拠地に残留する部隊にまぎれこんでいたのだ。そして船団の渡河準備に庸軍が気を取られている隙に残留部隊から抜け、船団の渡河地点からはるか下流の地点へ集合していたのである。しかも残留部隊から抜け出る際にすら、数騎、十数騎と小出しに出発する細心さを見せ、庸の斥候の目を完全にくらました。

 そうして下流地点に集まったのは騎馬民族軍の中でも精鋭中の精鋭。大船団の精鋭たちを越えるほどの精鋭一万だった。
 だがここで彼らはすぐに進発したわけではない。完全に身を隠しつつ大船団が進発する時を待つ。その間に、これも完全に身を隠したまま大船団を抜けてきたズタスが到着する。ズタスが率いる以上、この一万が「本隊」である。この「本隊」の成否がズタスの野心の結末を大きく左右するのだ。彼自身が指揮する以外ありえず、また彼以外には困難な用兵だった。

 そして大船団が北河渡河を始め、南岸へ到達した頃を見計らい、ようやく彼らは進発した。すでに庸の斥候たちも本軍へ戻って戦いに集中しているはずである。それでも静かに、さほど大きくなく目立たない船に分乗して彼らは北河を渡りはじめた。

 隠密船団が北河を渡る中、大船団はコナレ族の族旗を掲げ、ズタスがいることを偽装する。そして南岸で庸軍と対峙してからは、彼らに上陸をはばまれ、右往左往する様を見せる。当然これはズタスたちが北河を渡るまでの時間稼ぎで、庸軍の目を自分たちに向けさせるための陽動である。
 勇猛であっても粗暴な者の多い騎馬民族の中で、これだけ細密な作戦を成功させられる者は多くない。この渡河作戦に集められた兵が精鋭であるゆえんは、戦闘より困難なこの作戦を実行し達成してのけたことにこそ証明されていた。

 大船団が庸軍の注意を引きつけている間、ズタス率いる本隊は丸一日をかけて北河南岸へ上陸。その際、誰一人声を立てず、ばいを噛ませているとはいえ馬すらもほとんど鳴き声を上げなかったのは見事というより異様と言っていいほどだった。選りすぐられた兵と馬たちが、この時代で最上といえる将軍に率いられていればこその隠密行動である。
 彼らはそのまま行軍に入る。南岸の地理や道は、占領した北河北岸に住む庸人にに入りさいに渡って確認している。北河の北岸に住むとはいえ、河を使って商売や生活をしている以上、彼らにとっては南岸も庭同然であった。さらに何枚もの地図も手に入れ、斥候を放って現地を確認させてもいる。
 兵たちの脳にはそれらの情報はすべて書き込まれており、彼らが道に迷ったり移動をとどこおらせる心配はなかった。また移動は夜、しかもこの日を選んだ月のない夜である。彼らの姿はますます庸軍の目に入らない。
 騎馬民族は夜目が利く。それでもほとんど真っ暗な初めての土地では行軍速度は落ちるものだが、夜明け前に庸軍の南方に到着できたのはズタスと最精兵の面目躍如であった。
 そして夜明け、彼らは起き抜けの庸軍へ突入したのである。


 戦いは――正確には最初から戦いではなかった。庸軍の中にも判断力と勇気があり、何が起きて、何をせねばならないかを自分で考え、武器を持って反撃する兵もいたが、数は少数であった。そのような兵ですら騎馬民族軍にはまともに抗し得なかった以上、他の兵たちは逃げまどうだけである。
「なんだ、なにがあった!」
「わからん! とにかく逃げろ!」
 と、他の兵たちに巻き込まれ、何がなにやらわからないまま走り出す兵も数え切れない。加えて流言も凄まじい勢いで飛び交った。
「コナレ族が襲ってきた!」
北狄ほくてきどもがやってくるわけがないだろう、連中は河の上だ!」
「いや援軍がおれたちを敵と間違えて襲ってきたんだ!」
「そんな間抜けがいるか!」
「じゃあなんなんだ! 北狄でもなければ味方でもない。どこから現れた敵なんだ!」
「おれが知るか!」
 このような会話になっているものはまだしもで、
「悪鬼が湧いたんだ!」
「この土地の呪いだ!」
 等々迷信めいたものもあり、中には、
「ズタスが陣頭にいるぞ!」
 というありえない「事実」も叫ばれ、混乱に拍車をかける。
 そのせいか、彼らは逃げる方向にも気を払う余裕がなかった。南から襲われたから逃げるのは反対側になるのも無理はない。が、その方向にはさらなる地獄が待っていた。
「ま、待て、止まれ! 北河に落ちる!」
 多少離れた場所に陣を張ったとて、敵が上陸しようとすればすぐに駆けつけられる距離でなければ意味がない。甲冑も着ず武器も持たない兵が全力で走れば、対岸が見えないほどの大河にたどり着くのにさほどの時間はかからなかった。
 そのことに気づいた兵は蒼ざめて止まろうとするが、後ろから来る兵たちは止まれない。押し倒され、踏みつぶされ、血と肉と骨の残骸になって大地に擦り込まれる末路を迎える兵が続出する。そして悪気なく戦友を解体した兵の方は目の前の水の連なりに、立ち止まろうとした兵を押し出しながらかたまりとなってぼっしてゆく。

 目の前の河岸かわぎし阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図が繰り広げられる中、北河上に浮かぶ騎馬民族船団も何もしていなかったわけではない。地上での戦いを避けるように上流へ向かうと、そこから上陸を始めたのだ。
 上流へまわったのはその場で上陸すれば乱戦に巻き込まれ被害が大きくなるからだが、下流を上陸場所に選ばなかったのは、これからその方向へは大量の水死体が流れてくるとわかっていたからである。
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