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庸滅亡 作者:文叔

第七章 摂津(せっしん)の戦い

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第七章 摂津(せっしん)の戦い 6

 が、破局はいきなり、庸軍にとってまったく思いもよらぬ形でやってきた。
 夜ともなれば騎馬民族軍も上陸はあきらめる。暗闇での上陸など水に慣れた庸軍ですら危険が大きい。まして泳ぐこともままならない騎馬民族であっては。
 ゆえに庸軍も夜はそれなりに緊張をゆるめることができた。もちろん警戒を解くことなどありえず、交代で騎馬民族の船団を見張ることはやめない。が、緊張の持続に耐えるのが難しい弱兵にとって、夜は比較的心平らかに過ごせる時間であることも確かだった。
 そして北河へ向かってはともかく、絶対安全であるはずの南――後背への警戒はより薄くなる。一応そちらへも歩哨ほしょうなどを配しているが、北に比べてぞんざいになるのは無理からぬことだった。

 騎馬民族の船団が北河の南岸に現れて三日目の朝である。
 太陽が最初の光を発した直後、陣の南側を警備する若い歩哨の一人は、大きく伸びをしながらあくびを漏らす。もうすぐの交代時間を楽しみにしていた。朝食を食べたらそのまま眠りこけよう。きっと今日も北狄ほくてきどもは北河を右へ行ったり左へ行ったりするだけだ。連中が北へ帰るまでいくらだってつきあってやるが、今日だけはおれは蚊帳の外だ……
 が、次の瞬間、歩哨はいぶかしげに目を細める。若いがゆえに目がよく、誰よりも早くそれを見つけることができたのだ。
「なんだ…?」
 砂塵さじんである。左――東からの薄い陽光の中でもわかるほど大量の砂煙であった。最初はつむじ風や竜巻のたぐいかと思い、自然の猛威への警戒心を強めた歩哨だったが、それ以外に伝わってくるものもある。地鳴りだった。小刻みに地面が揺れている。地震とは違うそれが、新兵である彼には何によるものかわからなかった。
 が、少し離れたところに立っていた古参兵は、砂塵と地鳴りの原因が同一のものであることを知り、反射的にその正体に気づくと、一瞬にして総毛立って悲鳴に近い叫びを上げた。
「…北狄だあっ! 北狄が南から来たぞぉッ!」
 その叫びが他の歩哨や急を全軍に知らせるための銅鑼どら係に届くには時間がかかった。彼らの耳に届かなかったわけではない。頭が理解することができなかったのである。
 それも当然だった。北狄は今まったく正反対の方向、北河の上で立ち往生しているはずではないか。どこからどうやって現れたのだ。
「連中は空でも飛んできたのか!?」
 半ば腰が引けたまま、しかし現実が信じられない彼らは「ありえないだろう!」「敵ではなく味方ではないのか!?」「あんな数の騎兵隊が今の我が軍にあるものか!」と異口同音に声を上げるだけで行動がともなわない。これもまた弱兵の証である。自分たちで考えるのは後回しにして、まずは上官と味方へ急を告げるのが彼らのすべきことなのに、それすらもおこたった。
 その結果、事態はさらに悪化した。彼らの報告が遅れたため、もともと完全に出遅れた庸全軍は、半分は寝起き、半分は眠りこけたまま、精強な騎馬民族軍の急襲を、背後からまともに受けてしまったのである。誰よりも先に騎馬民族の馬蹄ばていに踏みにじられたのは、他ならぬ報告を怠った彼らだったが。


 騎馬民族軍は庸軍駐屯地へ乱入した。いや、それとも印象は異なる。
 乱入というにはあまりに鋭く、あまりに統一されすぎた行軍だったのだ。それでいて剥き出しの剽悍さとたぎる暴力性は、溶岩流さながらの炎熱をもっている。
 統率力が圧倒的だったのだ。火口部からぶちまけられた溶岩に意思を与えることができる人間がいるとすれば、それはこの日この時、庸軍へ突入した騎馬民族軍を指揮していた男だけだろう。そのような男は一国に匹敵する人口を誇る騎馬民族の中でも、唯一人しかいなかった。
 その恐るべき男に指揮された騎馬民族軍は、自分たちより遙かに多数を誇る庸軍を、溶かし、焼き、蹂躙じゅうりんしはじめた。

「なんだ! なにがあった!?」
 庸軍総司令官用の天幕の中、あわただしく甲冑かっちゅうをつけさせながら孫佑そんゆうが問う。彼はすでに起き出していたが、朝食前の寝起き同様であり、気持ちに体も頭もついていかない状態だった。
 それでも外の異様な状況は感じ取れる。兵同士の喧嘩けんかなどではありえない喧噪けんそうと切迫感で、孫佑は兵が叛乱はんらんが起こしたのかと勘違いしたほどであった。
 だが孫佑の受けた報告は、彼の想像を越えて血の気を引かせるものだった。
「北狄の攻撃です! 兵数不明! あるいは五万以上!」
「北狄だと!? しかも全兵力が攻撃してきた!? ありえるはずがなかろう、ならば目の前にいる船団はなんなのだ!」
「わ、わかりませぬ。とにかく北狄の攻撃であることだけは確かなようで、その他のことは皆目…」
「ならばその事実だけ報告せよ! 憶測を交えるな!」
 後方官僚なだけにどちらかといえば穏健な孫佑が全身で叱声を発し、兵は縮みあがる。報告の仕方一つとっても不備であった。致し方ないとはいえそんなことを言っていてはどれだけの被害が出てしまうか。
「いずれにしても少数による奇襲であろうが、こうまで混乱しては…」
 少数、あるいは百単位かそれ以下の兵数であろうと孫佑は考える。それくらいならばこちらの目をのがれ、いずこからか渡河とかに成功する可能性はあった。少数の兵による奇襲でこちらを混乱させ、その隙をついて本隊が上陸をはかる。そういう意図の攻撃だろうと考えた孫佑は、とにかく全軍を落ち着けるように指示を出し、突入してきた敵軍の兵数をはじめとした正確な情報を集めて報告するよう命令した。
 落ち着きさえすれば味方は十万。多少の出血があろうとも致命傷にはならないはずであった。


 が、孫佑そんゆうの考えは甘かった。半分は当たっていたが半分ははずれていた。突入してきた兵は十万の庸軍に比べれば確かに少数だったが、彼の予想を遙かに越えた数、一万騎もいたのだ。
 それでも庸の全軍に比べれば十分の一。数においては圧倒的に有利のはずである。
 が、有利なのは数だけだった。襲いかかってきた一万は、精鋭ぞろいの騎馬民族軍の中でも最精鋭、精鋭中の精鋭であった。それが弱兵の上に起き抜けで、まったくの無防備だった庸軍に襲いかかってきたのである。たとえ二十万の兵がいてもこうるはずもなかった。
 しかもこの一万は別働隊ですらなく「本隊」であった。血風をき散らし、逃げまどう庸兵を草木のように刈ってゆく騎馬民族軍の先頭に、幾人もの兵や士官が、信じられないものを見たのだ。
「なぜズタスがここにいる!?」
 ありえない光景だった。ズタスは今、北河に浮かぶ船団を指揮しているはずではないか。それが突然現れた騎馬民族軍の先頭で馬を駆り、剣を振るって庸兵をなぎ倒している。
 その姿は鬼神きしんごとしであった。突入してきた騎馬民族の兵たちの中で誰よりも強く、誰よりも存在感を放ち、つまり誰よりも目立ち、それであるのに庸兵に討ち取られるどころか傷一つ負っていない。他の騎馬民族たちが庸兵の群に行く手をはばまれ馬速をゆるめざるを得ない中、ズタスのみが突出しかねないほどであった。
 いや、ズタスの背後には必ず一人いた。その男はズタスほどではないが圧倒的に勇猛で、若く精悍せいかんであり、そして片頬に口が裂けたような大きな傷があった。族長の武勇にわずかに及ばないためズタスに付き従っているように見えるが、彼もまた鬼神と見まがうほどの強さであった。


 若き鬼を従えたズタスは孤立するように見える。が、それでもなお討たれない。庸兵たちはズタスの凄まじいまでの形相と風貌、暴勇としか思えないほどの武に畏怖すら覚え、泣きながら背を向けて逃げ出す始末だった。
「あ、悪鬼だ! 鬼神が、じ、地獄からやってきたんだ!」
「に、逃げろ! かなうはずがねえ!」
「お助け、お助けくだせえ!」
 徴集ちょうしゅうされてきた兵は地方出身者も多く、帝都などの大都市に比べて信心深い者も多い。彼らの目にズタスは数倍の大きさに映っていたかもしれない。逃げるだけではなくいつくばって祈りをささ命乞いのちごいをする者も多数現れた。彼らのほとんどはズタスに見向きもされなかったが、逃げてゆく他の兵たちに踏みつぶされて死んだ者も多かった。
 一万の鬼竜きりゅうは、十万の鈍牛どんぎゅうを食い破ってゆく。
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