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庸滅亡 作者:文叔

第七章 摂津(せっしん)の戦い

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第七章 摂津(せっしん)の戦い 3

 このように北河以北は騎馬民族の手中に入ったが、急速に荒廃への道をたどっている。これを止めるには新たな支配体制を確立しなくてはならないが、そのためには年単位の時間や、質量そろった豊富な人材が必要だった。
 が、ズタスは北河以北にとどまろうなどとは考えていなかった。
「このまま北河を渡り、庸を完全に攻めほろぼし、央華大陸の全土を征服する」
 そのことをズタスは主立おもだった部下たちに宣言した。それは好戦的で奪い足りない大多数の騎馬民族と、柔軟な戦略眼と高い見識を持つ少数の騎馬民族と央華人との双方から賛成される方針であった。前者は感情の面から積極的に、後者は理性の面から積極的に(あるいはやや消極的に)との違いはあったが。


 前者については説明の必要はほぼない。北河を渡ったその先には、今自分たちがいる大地よりはるかに芳醇ほうじゅんな土地が待っているのだ。北河以北は長城の北の高原からすれば充分に満たされているが、央華全体から見れば実り少なき土地なのだ。南へゆけばゆくほどさらなる沃野よくやが待っている。それを知る彼らは、欲望のままに南下を求めていた。
 ズタスが兵たちの略奪を抑えなかったのはこのためである。騎馬民族の士気の大部分は欲望である。ただ奪って故郷へ帰るだけならこれまでのままの欲望で充分だが、ズタスが呑み干したいと思っているのは央華大陸全土なのだ。
 これから南下して大陸の奥へと進めば進むほど、思いもかけない事態が待っているに違いない。庸軍の反撃だけでなく、自然の脅威、疫病、補給、帰心、その他もろもろの困難である。その困難の巨大さと兵たちの士気=欲望のどちらがまさるか。ズタスにとってそれは、これからのために見過ごせない重大な要素である。野放しの略奪にさらされる北河以北の庸人は、騎馬民族たちの士気をげるための「生けにえ」にされたようなものなのだ。
 ズタスは器量の大きな男ではあるが決して甘くはなく、聖人でも君子でもなく、野心に全身を満たした侵略者であり征服者であった。


 央華大陸南下支持の理由の後者、理性的な判断からのそれについては、現在の自分たちと庸との勢いの差を考えてのことである。庸が建国する以前から見ても、騎馬民族がここまで広範囲に央華民族の土地を征した例は歴史に存在していない。空前の勢威が今の騎馬民族にはあった。
 重要なのはそれをより強く感じているのが、攻められる庸の方であるということだった。北河以北を失ったと言っても庸が有している国土の方がはるかに広大で、人口も多いのである。国力=人口の時代、やりようによっては騎馬民族への抵抗もまだ不可能ではなかった。
 しかし今は庸自身がそのことを信じられずにいる。ここまで連戦して連敗、しかもほとんどが大敗に惨敗なのだ。宮廷はもとより民衆に至るまでが「北狄ほくてきには勝てない!」という恐怖と敗北感が刷り込まれている。恐怖に支配された人間は、たとえどれほどの力があっても役には立たない。今の彼らは騎馬民族が攻めてきたら、あっという間に恐慌きょうこうおちいって逃げ去るだけだろう。それなのにここで下手に時間をかければ、彼らの恐怖心は薄れ、勇気と対抗心をよみがえらせてしまうかもしれない。この機を逃す手はなかった。

 さらに感情的・理性的な理由だけでなく、実質的な事情もあった。このままでは北河以北は自分たちの兵の略奪によって食い潰されてしまう。何年もかけて兵を欲望より理性がまさるよう教導し、支配体制を固めようとしても、それが間に合わない恐れがあったのだ。
 それほどまでに兵たちの略奪は凄まじかった。教養や広い視野を持たない彼らであっても、今自分たちが歴史の分岐点にいることを漠然とながら感じ取り、その高揚感が後押ししての蛮行かもしれない。が、だとしても余りにも度が過ぎている。これでは北河以北を貪り尽くした後、なにも得る物なく北の平原へ帰らなくてはならないかもしれず、そんな不毛な結果になるくらいなら、さらなる獲物を求めて南へ攻め入る方がはるかにいい。そこにある美果は、彼らをしても食い尽くせないほどの質量を持っているかもしれず、そうでなくとも時間が稼げる。兵たちを教え導き、支配体制を築くための時間が。
 騎馬民族は、自らが起こした凄まじいまでの風に乗って驀進ばくしんしているように見えるが、同時にその暴風にあおられ、南へ侵攻しないことには立ちゆかない状況でもあったのだ。


 騎馬民族が北河以北を征服して二ヶ月が過ぎた。彼らは今、北河の北岸に在る。全軍ではない。もともと精強な彼らの中でも精鋭の五万である。
 北河は対岸が見えないほどの大河だ。水深が浅い場所もない。渡るには必ず船を必要とする。
 が、騎馬民族には造船技術も操船技術もなかった。当然である。大河どころか水そのものが乏しい世界で生きてきた彼らなのだ。泳げる者自体ほとんどいなかった。
 それゆえ北河のような大河は彼ら騎馬民族にとって未知と恐怖の存在であった。地上馬上では恐れるものなど何もない男たちが、北河を前に尻餅しりもちを突くほどのひるみとおびえを見せることも珍しくなかった。それは恐怖というより畏怖と言うべきかもしれない。自然には、特にその人が触れることの少ない巨大な自然には、そのような力がある。

 いま北河を前に馬を立てる五万は、ただ戦いに強く、勇気があり、規律正しいというだけでなく、そのような畏怖や恐怖を乗り越えた男たちだった。
 そんな彼らを前にズタスは告げる。
「汝らは我ら騎馬民族でも有数の勇者である。河を越え、庸の弱兵を斬り伏せる一剣と化せ。もって央華をみ尽くせ!」
 演説とも言えぬ短い文言だが、騎馬民族の族長としてすでに最大の存在となったズタスの言葉はそれだけで兵を奮い立たせる。ズタスの存在自体がすでに彼らの士気そのものであった。

 彼らが乗り込むのは庸から奪った軍船である。百を越える人馬が乗れるほど巨大なものもあれば、十人がやっとという小舟もある。前述したように騎馬民族には造船技術も操船技術もなく、艦隊運用の知識も経験もなかった。ゆえに彼らはこの点では庸人に頼らざるを得ない。いずれ自分たちもそれらを学び身につけなければならないが、現時点ではそれしか方法がなかった。
 家族を人質に取られ、あるいは殺すと脅されてやむなくという者も多かったが、自ら率先して騎馬民族に協力する庸人も多かった。
 彼らにしてみればこの世はすでに生き地獄である。せめてほんの少しでも生きやすくするためには、地獄の鬼が相手だろうと取り入らなくてはならない。またさらに野心を持つ者は、庸の将来を見限り、ズタスたちの時代が来ることに賭けたのだ。その中で栄達をはかるためにはできるだけ早い段階で彼らに協力する方が恩を売れるというものである。
 北からの突風は、庸人の生き方や考え方を根本からくつがえすほど強大なものになりつつあった。
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