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庸滅亡 作者:文叔

第七章 摂津(せっしん)の戦い

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第七章 摂津(せっしん)の戦い 2

「寧安が北狄に攻められたならば、抗戦するにしても勝利はおぼつかず、であれば降伏する以外結末はありえませぬ。であれば誰が残ったとて何の意味もございませぬ。民には最初から降伏の許可を与え、また寧安から避難する者にもその許可も与えればよろしい。さすれば無駄に死者が出ることもございますまい」
「正気か。この寧安にどれだけの民がいると思っている。百万以上だぞ。避難といってもそれでは大混乱になる。加えて逃亡中は北狄に対して無防備になり、やつらにとっては殺し放題奪い放題ではないか。そもそも避難するとてどこへ逃げるというのだ。寧安の民をすべて受け入れられるような都市は央華には存在せぬ。様々な都市へ分配など出来ればよいが、そのような計画を立てる余裕はない。それでは彼らは流民るみんになるしかないではないか。せめて我らのうち誰かが残り、彼らを率いて降る程度のことをせねば、それこそ民が無駄に死に、国に混乱をもたらす元となる。我らのうち誰一人残らぬなどありえぬ話だ」
「我らが庸の民はそこまで愚かではない。我らの指示なくとも自分たちが逃げる先を定め、自力でたどり着くことも可能であろう。北狄の襲撃から逃れることも同様。徐どのは陛下の臣民しんみんの力をさげすまれるか」
 王潔の、民を信用しているように見せかけて彼らに責任を押しつける暴論に、徐雄は憤慨して再反論しようとする。が、それにかぶせるように王潔は言いつのる。
「さらに徐どのはたったいま臣を正気かとののしられた。そのことについて正式に謝罪を求める。臣は陛下のおんために常におのれを殺し、国民くにたみのために身を砕いて生きてきた。その臣が狂人であるかのようなおっしゃりようは臣には受け入れがたい。どうぞ徐どの、謝罪を」
「そのような揚げ足を取っている場合か。わしが残るのが気に食わぬのであれば、汝が残ればよかろう」
「そのようなことを申しているのではござらん。それに臣の名誉に関わることを些末事さまつごとのようにおっしゃられるは許しがたいことにござる。陛下にすべてを捧げている臣の名誉をそこなうは、陛下の名誉をけがすも同様にござる。不忠不敬ふちゅうふけいの極みでござるぞ、徐どの。さらにただいま我らがるは陛下の御前なれば、そのような口汚さも礼に反すること。陛下のご寛恕かんじょ無辺むへんなれど、それに甘えるは臣下として許されぬことでござろう。陛下がお許しになっても臣らが許しませぬぞ」
「汝に許してもらうことなど何一つない!」
 士大夫派の能力の多寡たかは、賢花のこの程度の論旨のすり替えに正面から憤慨して乗ってしまうことからも知れる。それが若い臣下であるのならまだしも、重鎮である徐雄からしてこの様であることが絶望的であった。

 王潔が徐雄たち士大夫派を寧安に残したくない理由は、純粋に自分たちに不利になるからである。たとえ最終的には降伏するにしてもここで士大夫たちが寧安に残れば、民を身をていして守る気概きがいを見せた勇気ある英雄として国内で認知される可能性があった。北狄に処刑されでもすれば悲劇性が加わり、その観はさらに強まるであろう。
 さらに万が一、籠城戦ろうじょうせんで士大夫たちが北狄を撃退でもしたら、彼らの名声は央華大陸をおおうほどになってしまうに違いない。そうなれば宦官派の面目は丸潰れで、下手をすると反動から粛正されてしまう怖れすらある。
 そのような危険な可能性は芽にもならないうちから潰しておかねばならなかった。
 それゆえ王潔は続ける。
「それに徐どの、北狄にくだるにしても、それは本当に寧安の民のためでござるか?」
「どういうことか」
「あるいはすでに北狄に通じておる、ということはございますまいな。寧安を無血で明け渡すことを条件に助命をはかろうとなさっておるのでは… いやそれどころか、北狄の武力を背景に、陛下が去った後の玉座にお座りになろうと画策なさっているのでは…?」
「言うに事欠いて! 汝こそそのような破廉恥はれんちなことを考えておるのであろう。いや、汝らのような不浄ふじょうの者でなければ思いつけぬいやしい考えだろうよ!」
「我らは陛下をお守りし、どこまでもついてゆく所存であることはすでに明らかにしております。徐どのでござろう、陛下から離れた場所に居りたいとおっしゃっているのは。そのような疑いをかけられるいわれは充分にございますぞ」
「貴様…!」
「陛下の御前でござる。品のない物言いはお控えくだされ」
 皇帝の眼前での口論、どころかそれ以下の水準のののしり合いを繰り返す二人であり、彼らの熱に当てられて互いに憎悪をむき出しにする賢花と士大夫派たち。彼らに挟まれた皇帝はむなしさに天をあおぐだけである。
 こうして、元々どのような対処を計るにしても足りない時間は、彼らの愚かさのため無駄に消費されてゆき、取り返しのつかない事態へ転げ落ちてゆくのであった。


 実は騎馬民族側も厳しい。
 ここまで庸に対しては連戦連勝、それもすべて完勝と言っていい結果だったが、それでも得たのは央華大陸の北河以北のみである。しかも力ずくで奪っただけの話で、まだ完全に自分たちの支配下に置いたわけではない。庸の統治が南へ追い出され、かといって騎馬民族の政権が確立したわけでもない北河以北は、実質、無政府状態である。騎馬民族の軍隊が駐留している地域はまだしも、他の土地の治安は悪化し民の生活に悪影響を与え続けている。
 ことに経済は壊滅的であった。経済とはつまるところ、他の地域とのやり取りがなければ発展しようがないし維持することもできない。何か商品を持って他の土地へ売りに行こうとしても、治安が悪ければ道中で襲われて身ぐるみはがれ、殺されてしまう恐れすらある。
 北河以南との交通は難しくなり、以北内での往来もままならない。各都市、各邑かくゆうが孤立している状態で、これでは商い=貿易が成り立つはずもなかった。

 そこに加えて騎馬民族たちの略奪である。軍を維持するための徴収と言えば聞こえはいいが、そんな水準はとうに越えている。騎馬民族たちにとって略奪は戦闘の目的であり同義でもあった。なるべく良い物を、なるべくたくさん奪うために命懸けで戦うのである。勝利した以上、彼らにとって略奪は当然の権利であった。
 これはズタスたち首脳部からすると眉をしかめる話ではある。ズタスのような一部の人間には、騎馬民族のこの「習性」は恒常的こうじょうてきな支配において有害以外の何物でもないことはわかっていた。
 それにズタスの師匠である韓嘉かんかとの「なるべく略奪は少なくするように」という約束もあった。
 ズタスも師との約束は守りたいと心から考えていた。だが習性と書いたように、進歩的な一部の者をのぞいて騎馬民族のほとんどはいまだ生来のままであった。上からの命令で抑えられるものでもなく、また抑えようとすれば大反発を招くことも必至である。それどころか一気に反乱へ移るほどの絶対的な破滅につながる恐れすらあった。ズタスも生きてはいられないであろう。

 彼らを変えてゆくには時間が必要で、そのための時間はまだズタスらの手の内になかった。
 が、それでもズタスであれば兵たちのこの蛮行をある程度抑えることはできる。というより軍律の面からいえばやって当然であった。現にズタスも、軍の物資を盗んだり、行軍や訓練で命令を聞かない兵は容赦なく斬り捨て、全軍を引き締めていた。
 しかし兵たちの欲望そのものに関しては、あえて野放しにしているもあったのだ。師に破門され、これ以降の協力を得られないかもしれないという恐れはあれど、さらなる庸侵攻を企図しているズタスにとって、今はどうしようもなかった。
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