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庸滅亡 作者:文叔

第六章 河北統一

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第六章 河北統一 2

「久しいな、タクグス」
 椅子に腰掛けたままバジュは甥に言う。わずか四日前に会ったばかりだが、タクグスにとってその言葉に違和感はなかった。叔父の声音が以前と違っていたからだ。正確に言えば以前に戻っていたからである。互いにとって久しぶりの叔父と甥、そして族長と軍師としての対面であった。
「は」
 タクグスはそのことに喜びとむなしさを覚えながら、小さく返事をした。その甥の声音に微妙なものを感じたバジュは、それでも覚悟を決めたように続ける。
「…わしは汝に謝らねばならぬ。すべて汝の申す通りになってしまった」
 視線をそらしたい衝動に耐え、バジュは甥を直視したまま率直に自分の誤りを認めた。その叔父にタクグスは自然な敬意を覚え、肉親の情として安堵する。
 が、何も言わない。叔父に含むところがあるわけではなく、何も言えなかったのだ。
「…汝がわしに怒りを覚え、見限っていたとしても仕方がない。が、もしまだ力を貸してくれるのであれば、頼む、この苦境を打開する方法を教えてくれ」
 黙ったままの甥に対し、バジュも不愉快さを覚えないわけではない。だが彼は、ズタスに劣る自分を認めた以上、彼を越える器量を身につけねばならない。そのためであればこの程度の屈辱には耐えられる。ゆえにバジュは甥に頭を下げた。
 その叔父のあまりに意外な行動にタクグスは目を見開き、そしてようやく口開いた。その声音に叔父への恨みはなく、ただ無念さのみがあった。


「…申し訳ありませぬ叔父上。私は叔父上に腹を立てて何も申し上げぬわけではないのです。私自身の無能さに腹を立て、叔父上への申し訳なさから何も言うことができぬのです」
「…どういうことだ」
「今の状況に至っては、私のような非才の身では、すでに打開策を思いつけないのです。それほどにズタスの勝利は素早く、完全なものでした」
 苦渋がにじむ表情でタクグスは告げた。
 事実、ここまでの速攻・完勝は、タクグスの予想を上回っていた。彼が考えた最悪の速度と完璧さを越えるほどで、これだけでもタクグスはズタスの恐ろしさを感じざるを得ない。タクグスは戦況の膠着と二族の消耗を期待していたのだが、現実はまったくの逆、最悪の結果になってしまった。ズタスは消耗するどころかギョラン族のすべてをほぼ無傷で吸収し、勢力と戦力を激増させた。これでは三すくみや漁夫の利を狙う余地もない。「圧倒的ないち」と「弱小」との戦いにしかならないのだ。
 これほどの戦力差を逆転させる術は、タクグスには思いつけなかった。


 だがこれはタクグスの買いかぶりでもあった。この事態はズタスにとっても意外な幸運であったのだ。
 すべてはサガルの突出と勝利が要因であった。
 若者は自分でも知らぬうちに、歴史を一気に加速させてしまったのである。
 だがこれもズタスの強い運を物語っているかもしれない。サガルのような男を麾下きかに持ち得たことは彼の強運であろう。そして歴史を作るような男には、この手の運も不可欠なのである。


「そうか…」
 苦渋に満ちた甥の言葉を聞いて、劣らぬ苦渋の表情となったバジュは小さくつぶやいた。
 甥を責めることはできなかった。この状況を招いたのは誰より自分に責任があるのだ。そのことがわからないほどバジュは愚かではなかった。つい先日までは愚かだったが、今は違った。そのことがさらなる愚かさの証明だとバジュは自分でよくわかっていた。
「叔父上、選択肢は二つです」
 そんな叔父にタクグスはぐっと顔を上げて告げた。表情はすでに改まっている。悲愴ひそうさを漂わせつつも確固たる意志がそこにはあった。その甥の言いたいことは、今度はバジュも聞かずとも理解していた。
「わかっておる。くだるか逃げるかどちらかであろう」
「さようです。どちらも叔父上にとって死にまさる屈辱でございましょうが、今すぐの逆転がかなわぬ以上、今は耐え忍び、捲土重来けんどちょうらいはかるしかありませぬ。そして私見しけんを申し述べるなら、降るより故地へ帰り、力を蓄え直すがよろしいかと存じます」
 叔父に明晰めいてつさが戻ってきていることにうれしさと虚しさを覚えつつ、タクグスは力強く断言した。現状ではこの二択以外彼も思いつけない。そしてどちらを選ぶかと言えば、やはり後者であった。

 降伏であれば、あるいは逆転の好機は意外に早くやってくるかもしれない。今のズタスは強大だがまだ完成されていない。ギョランやスンクをほろぼぼすなり吸収するなりしても、央華全土から見れば北河以北を征したに過ぎぬ。ここから央華大陸を南下して庸を攻め滅ぼさねば真に征服を完成したとは言えないのだ。
 だがいかに弱体化した庸とはいえまだ抵抗勢力はあるし、なにより広大な大地があった。
 さらにそれらの困難を排して庸を滅ぼし天下を統一したとて、その権力を維持し継承していくのは、これまた困難の極みである。
 それら苦闘の道程でズタスが悲運に倒れることもあるであろうし、越えがたい障害に出会うこともあるだろう。その機を狙って反乱を起こせば、ズタスに代わりバジュが草原と央華の覇者となれる可能性は多分にある。


 が、それはやはり紙一重の危険がともなう。一つ間違えば返り討ちにってバジュたちがほろぶだけである。それどころか投降したその場で殺されることも充分にありえた。スンクのような大族の族長という「火種」を抱え込む危うさを思えば、その可能性が最も高いとすら言ってよかった。
 タクグスはそれを恐れた。彼は一時の冷遇れいぐうで叔父を見捨てるほど器量の小さい男ではない。バジュをうれう心は誠心せいしんであった。
 バジュも確かにそれを感じた。それゆえ彼の返答の意外さはタクグスに目をかせた。
「いや、わしはくだらぬ。汝が一族を連れて降れ」
「叔父上!?」
「勘違いするな。わしは自死するわけではない。北へ落ち延びる。汝はズタスのもとで獅子身中しししんちゅうの虫となれ」
 バジュは自嘲じちょうをふくませた笑みで甥に告げ、それだけでタクグスは叔父の真意を察した。
「北で捲土重来けんどちょうらいをお謀りになりますか。そして機を見て内部で私の率いるスンク族と呼応しズタスを討つと」
「わし好みのやり方ではない。だが今はこれしかできぬであろう。ズタスに臣従しんじゅうせず殺されず、再起をはかろうと思えば」
 自嘲の色は消えないが、バジュは確固たる決意をもってこの策を取った。このまま自分が降ればズタスは受け入れはするだろう。だが同時に強すぎる支配欲を持つ自分に警戒心を抱かぬことは不可能で、結局殺されるしかない。同じ死ぬのなら正面から戦って討ち死にする方が本懐ほんかいだが、それでは自己満足と自己憐憫じこれんびん以外得るものはない。
 かといってこのまま軍を連れて北へ帰っても、央華で勢力を増すコナレ族を凌駕りょうがする機会は減ってゆくばかりであろう。自分たちは北を支配できるかもしれないが、広漠とした実り乏しい高原では、央華大陸で得られる成果とは比べるのも恥ずかしいほど微々たるものしか手に入らない。そのような馬鹿馬鹿しい話があってたまるだろうか。

 そこで「伏兵」である。自分は逃げたことにし、甥であるタクグスが兵を率いてズタスへ降伏する。これであればズタスも過剰な警戒心は抱かないであろう。そして伏兵と化したタクグスとスンク族が機を見て反乱を起こし、それに応じて自分も北で集めた新戦力で攻め入る。すでにほとんどの兵を央華に投入している以上、北で新しく徴収した兵は、数も少ない上に精強であるはずもない。だがそれでも機さえ誤らなければ充分に勝算は立てられる。そしてその機をつかむ力は、バジュにもタクグスにもあるはずだった。

 それでも勝算の少ないことは、バジュもタクグスも承知していた。タクグスはその点をただす。
「…問題は山積でござるぞ叔父上。私が偽りの投降をしたとて共に降るスンクの兵たちがそのつもりであろうはずもありませぬ。ズタスに取り込まれ、真に彼の配下に収まってしまう可能性は充分にございましょう。残念ながら、奴の器量は本物です」
 勝機をつかむ云々もだが、敵中で叛意を気づかれずに何年も過ごすなど至難である。それが一般の兵ならなおさらで、彼らに腹芸など望むべくもない。ゆえに彼らにタクグスたちの真意を伝えるわけにはいかず、投降する彼らは本心からズタスの傘下さんかに入るであろう。しかも喜々として。騎馬民族は、力を見せつけられての投降ならば、恥とは思わないのだ。
 それゆえいかに勝機をつかんだとてタクグスについてくる兵が一人もいないという事態は充分考えられた。それではせっかくの叛乱も何の成果を得られぬ愚行でしかない。タクグスにとってこの策は、やはり積極的におこなうべきものではなかった。

 が、叔父はそんな彼の意表を突いた。
「なに、ともに降る兵は目くらましと汝の踏み台よ。わしがズタスめに送る伏兵は、汝一人だ」
 その言葉にタクグスは驚いて目を剥き、そして徐々に瞳を潤ませ始めた。
「叔父上…」
 バジュにとって多数の兵は、ズタスを信用させるための迷彩でしかなかった。同じ投降をするにしても、一人で降るのと多数の兵を従えて降るのとでは投降後の重さが違う。タクグスがコナレ族内でより重用されやすい状況が作り出せるのだ。ここで図に乗れば怪しまれ、粛正しゅくせいされてしまうかもしれないが、タクグスであればうまくやる。そのことをバジュは疑っていなかった。その信用をもってタクグス一人の投降を真実のものと見せかけようとしているのだ。
 タクグスの能力であればズタスに重用される可能性は大いにある。そうして高い地位にいたタクグスであれば突如の叛乱も、困難ではあっても不可能ではないはずだ。そのための同志をコナレ族内でズタスに気づかれないようにつのることも出来ようし、場合によってはズタスの暗殺も可能かもしれない。

 が、タクグスを感動させたのはバジュがここまで自分の能力を買っていてくれたからだけではない。そこまで自分を信じてくれたことに対してであった。
 彼は短い時間とはいえ不遇ふぐうかこった。それはバジュの愚かさのためであったが、叔父はそのことを誰よりも恥じ、後悔していたのだ。そして今度こそ全面的に甥を信用すると決めたのである。タクグスが裏切ると疑っていれば、彼に全戦力を与えて自分は一人寂しく落ち延びるような真似をするはずがない。タクグスは、涙を浮かべぬことはできなかった。
「叔父上…」
「わしは汝の言うことを聞かなかったがゆえにこのていたらくにおちいった。が、汝の助けがあれば必ず再起できる。ゆえに汝にすべてをたくす。頼まれてくれるか」
 バジュは愚行の代償はすでに払ったが、完済されたわけではない。それはこれからの苦労に加算されてゆくだろう。それでも逆転のための資産は敵中に残してゆく。今度こそ彼の軍師を信じるのだ。
 バジュの言にはその覚悟とあたたかさがあり、タクグスの心と体を震わせる。彼の頭は自然に下がっていた。
「叔父上…必ずやコナレ族を滅ぼしましょう。いや、コナレ族を我がスンク族のものとするのです。そして央華を我らの手に。そのために私は身命と存在のすべてをすつもりです。それは叔父上の志にすべてを賭すことと同義とお考えください」
 甥の満身の言葉にバジュはうなずいた。
「数年後の再会、楽しみにしているぞ、タクグス」
 叔父と甥のこころざしは、完全に一つとなった。
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