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庸滅亡 作者:文叔

第五章 荊上峠の戦い

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第五章 荊上峠の戦い 12

 ギョラン族の傘下さんかにいた部族のうち、ズタス率いるコナレ族に降った数は八割を越えた。残る二割のうち一割弱は戦死や行方不明で、逃走したのは一割強である。逃走したといっても一丸となってではない。めい々が勝手に、ばらばらに、自らの判断で命からがら逃げ出したのだ。彼らの中にはコナレ族へ帰順しても処刑されるだけのことをした者もいるし、勢いで逃げてしまった者もいる。そして中にはギョラン族に純粋に忠誠を誓う者もいた。だがそのような者たちは珍しく、彼らの数は絶対的に少なかった。
 その少数派の中に、オドーと呂石はいた。
 命がけの師弟関係を築いてから間を置かず、彼らは遁走とんそうへ移ったのだ。そのことにオドーは激しい屈辱とためらいをおぼえたが、呂石に強くにらまれたため、折れた奥歯を噛みしめながら素直に従った。もし呂石がオドーの尊敬を勝ち得るのにもう少し時間がかかっていたり、遁走までの決断を遅らせていたりしたら、彼らの身柄はコナレ族に捕獲されていたかもしれない。彼らの脱出直後からギョラン族による雪崩なだれのような帰順きじゅんが始まっただけに、その可能性は高かった。それまで彼らを守っていた味方がすべて敵に変わったのだ。彼らにしてみれば前族長の孫を捕らえてズタスに差し出せれば、これ以上の手土産はない。
 オドーの彼らの変節に対する怒りは、強くはあっても深くはなかった。強い者、勝った者に従うのは騎馬民族にとって本能に刻み込まれた摂理せつりといっていい。オドーの心身にもすでにそれは刻み込まれており、そして彼はおのれの無力さを知っていた。
 ゆえに帰順者への怒りは浅いが自分の無力さに対する怒りは深かった。
「おのれ裏切り者ども。必ずまたわしの膝下しっかいてやるからな。五年後、十年後を見ていよ…!」
 自らの屈辱と祖父の無念を晴らすには、それしか方法はなかった。
 いま彼につき従う兵はわずか百騎弱。目もくらむほどの大敗である。
 しかしそれゆえにいまだオドーとギョラン族を見捨てない彼らの忠誠心は、疑う余地のないほど強いものであり、オドーはそのことをすでに理解していた。
「見ておれ。汝らをいずれ央華の財宝でおぼれさせてやろうぞ。そこでの溺死できしが汝らの死因だ」
 後ろを走る彼らを振り向きつつ、オドーは心中でそのことも約した。

 その精鋭とともに北へ向けて馬を走らせながら、オドーはふと思い出したようにかたわらを走る呂石に尋ねる。
じじを直接討った者の名は、わかるか」
「聞きおよんだところでは、シン族族長だそうだ。名は、確かサガル。汝と十も違わん年齢らしいな」
 まだ敬語をうまく使えない――使う意志もなさそうなオドーへの教育は後回しに、呂石は弟子の質問に答えてやった。その答えにオドーは軽く目を見張った。
「それほど若い男に爺はやられたのか」
 十歳の少年が言うには滑稽こっけいさがにじむ言葉だが、さすがにオドーにも事の異常さはわかった。祖父ほどの猛者もさを倒したとなれば、さぞ名のある男であろうと考えていたのだ。特に片腕を斬り落とされ、胴から胸にかけてを斬り上げられたあの姿を見れば、ズタス本人と一騎討ちをしたと言われても信じるほどである。
 それがまだ二十歳にも満たぬ男が相手とは。
「爺はそれほどにおとろえていたか」と反射的に考えてもしまったが、それはないとすぐに思い直す。祖父の最期を見ている以上、あの剛毅ごうきさを疑うなどできようはずもなかった。
「…それほどの男か、サガルとは。よかろう、わしがじき々に、必ず倒してのけてやる」
 サガル本人に対して深い怨恨えんこんはない。堂々たる一騎討ちでの勝敗や生死は、たとえ負けたとしても戦士の本懐ほんかいである。
 が、それとは別に祖父のあだは必ず討たねばならない。孫としての心情と、新しい族長としての責務として、必ず。
「それまで死ぬなよ、サガル」
 祖父の死から失ったものの巨大さに反比例するように、オドーは急速になにかを得ていた。彼はスッヅが血統ではなく非凡さを見込んで選んだ後継者である。オドーはそのことをこの短い時間ですでに証明しつつあった。
 その少年の姿に、呂石は自身の過酷な運命を忘れるほどなにがしかの高揚感こうようかんを覚えていた。
 北へ走る百騎弱は、太陽を右手に見ながら、央華からひとまず退場し、長城を越えて故地へ帰る。
 数年後、十数年後の捲土重来けんどちょうらいを誓って。
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