挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
庸滅亡 作者:文叔

第五章 荊上峠の戦い

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

37/81

第五章 荊上峠の戦い 8

 奇妙な空白ができた。
 勝者であるサガルは地に倒れ、敗者であるスッヅは馬上にある。二人の死闘を息を殺して見守っていた少数のシン族と多数のギョラン族は戸惑った。
 ギョラン族はスッヅが勝てば余勢を駆って、逆に負ければ報復として、勝敗に関わらずシン族を覆滅ふくめつしてしまえばよいだけである。
それが勝者と敗者の姿があまりに真逆であるため、判断にまどってしまっているのだ。
 シン族も同じである。彼らはここに死ぬつもりでやってきていた。もしサガルが勝てば勢いに乗ってギョラン族へ突撃するつもりであった。それでも多勢に無勢、殲滅せんめつさせられる可能性の方が高かったが、あるいは族長を失ったギョラン族が混乱し潰乱かいらんすることもありえた。
 サガルが負けた時は逃げるだけである。もし若き族長に息があれば彼を守っての敗走になるし、死んでいても遺体は絶対回収せねばならない。どちらにせよ多数のギョラン族に追いつかれて壊滅かいめつさせられること確実であった。自分たちが死んでも残ったシン族はズタスが生きながらえさせてくれると信じればこその覚悟であった。


 だが今、こうして勝ちながら動けない少年族長と、負けてなお剛毅さをたたえたままの老族長の姿は、彼らにどの行動を取らせればいいかを迷わせたのである。
 が、それも数瞬のこと。状況が飲み込めれば次にすることもわかる。固まった空気が溶け始め、彼らが死線に身を投じようとした瞬間、しかし状況は、まったく違う方向から突き飛ばすように動かされた。
 とどろ馬蹄ばていが大地と空気を伝わってきたのだ。
 それも多数の。大多数の。
「……シャアッ!」
「コナレ族だあ!」
 突撃してきたコナレ族の大喚声だいかんせいと、相手の正体を知ったギョラン族の叫びとどちらが早かったか。狭い空間に凄まじい密度の騎兵が突入してくる。そして当然、突進してきたコナレ族の方に勢いがあり、出遅れたギョラン族は受け身に回った。それはサガル勝利の余勢を駆った、絶妙の時機タイミングであった。


 偶然ではない。その機を狙っての突撃である。
 なぜそのようなことができたのか。
 当然、二人の死闘を見ていたからだ。
 誰が。もちろんコナレ族の族長がである。
「押し潰せ!」
 コナレ軍の前線指揮官たちが口々に部下へ命じる。狭い土地ゆえ騎馬最大の長所である速度は殺されている。だがそれはお互い様である以上、あとは力強さのみが勝敗を決するのだ。
 そして勢いも機先も完全にコナレ族のものであった。全体的な戦力ももともとコナレの方が多いとはいえ、決定的な差ではない。互角の状況での押し合いとなれば簡単に優劣はつかなかっただろう。しかし虚を突かれ、守勢に回ったギョラン族に、コナレの猛進を押しとどめ押し返す力はなかった。騎馬民族はもともと守勢に回ると極端に弱いのだ。

 だがなにより族長の有無が大きかった。中心であり核である族長は、騎馬民族の力量を決める絶対の要素とすら言ってよい。
 コナレ族にはズタスがあり、ギョラン族にはスッヅがいる。だがギョランの族長はたった今、若き少年族長に斬られ、負けた。生死は全軍にさだかではないが、スッヅの核としての盤石さは消え去った。ギョラン族は心のどころをへし折られ、急速に解体していった。


 人馬が入り乱れる中、サガルは大の字に倒れたまま荒い息を繰り返していた。突然の味方の大群に驚いたシン族だったが、我に返ると自分たちの族長へ駆け寄り、安否を確かめる。
 が、若き族長はそんな彼らを怒鳴りつけた。
「なにを、している! 早く、ギョラン、に、向かえ! 武勲、を、他の部族に、奪われる、ぞ!」
 命令が途切れ途切れになるのは、まだ呼吸が整っていないためである。それでも全身全霊を使いきり、顔中を自らの血で、全身をスッヅの返り血で染める族長を置いて戦いへくのはためらわれる。
 そんな部下たちにカッとなったサガルは、一人の部下の腰から短剣を引き抜くと、それを当の部下の喉元に突きつけた。
「おれの、めい、が、聞けないので、あれば、死ね! シン、族、に、臆病者、は、いら、ぬ!」
 喘鳴ぜんめいの隙間から苛烈すぎる命令がほとばしる。サガルはまだ動けないのだが、そのはげしさは、それでも部下たちを圧するに充分すぎるものだった。
「…族長、お先に!」
「、おお! すぐ、に、追いつ、く! おれの、分、を、残して、おけ、よ!」
 族長を振り切るように、あるいは彼に押しやられるように、シン族たちもギョラン族へ突進してゆく。それを見届けたサガルは、天に目を向け、今度こそ必死に体力の回復をはかりはじめた。
 わずかに頬が痛み始める。それまでまったく麻痺していた痛覚が戻りはじめているのだ。それほどまでに彼は疲労し、スッヅとの戦いに集中していたのである。

 そのサガルの視界に一つの騎影が映った。彼を見下ろしてはいるが、怒りは湧かなかった。それはサガルを見下ろしていい、数少ない人物の一人だったからである。
「…族、長、」
「見事だ、サガル。シン族の族長にふさわしい戦いぶりだったぞ」
 戦いの怒号と喧噪けんそうが満ちる中、自然な剛毅ごうきさとともにズタスはサガルに褒詞ほうしを与え、少年族長は瞳に誇りと鋭気をもって答えた。
「族、長、感謝、する。あんたに、見逃してもらって、はじめて、戦え、た。シン族、の、ため、に、感謝、する」
 途切れ途切れのサガルの言に、ズタスはいまさら驚きはしなかった。自分がわざとシン族の突出を黙認したと、サガルならば見抜いているとわかっていたからである。智勇兼備ちゆうけんびのこの若者を、さらに評価せざるを得ないズタスであった。
「感謝はいらぬ。わしは汝らを見殺しにするつもりでもあったのだからな」
「それも、わかって、る。であって、も、やはり、感謝、す、る。我らの、誇りは、族長の、おかげで、たもたれ、た。その程度、の、こと、意に介さ、ぬ」
 徐々に呼吸は収まりつつあり、その中でサガルはさらにズタスに言い募った。サガルの言葉に嘘はなく、これもまた彼が族長にふさわしい冷徹さを持っていることを示し、ズタスは深くうなずいた。
「さて、どうする。汝はすでに巨大な武勲を立てた。ここで治療に専念して戦線を離脱しても、誰も汝を臆病者とはそしるまい」
 今宵こよい、体力のほとんどを使い、顔に重傷を負っているサガルだ。このまま戦いに参加すれば、それだけで死んでしまうかもしれない。だがサガルの鋭気と闘志は一人後方に下がるをよしとすまい。ズタスとしてはサガルを死なせたくはないのだが、傷と疲労を理由に戦場を去るのも彼らしくない。


 そのようにズタスが軽く逡巡しゅんじゅんを覚えていると、サガルは荒い息のままゆっくりと身を起こした。胡座をかいて座る姿にも疲労に震える腕にも回復が見える。
 サガルはその腕を伸ばし、近くに落ちていた矢をつかんだ。なにをするのかといぶかしむズタスの前で、サガルは矢を地面に置く。と、剣の柄でやじりを砕いた。そして砕けた金属片の中から最も細いものを選び出すと、今度は服の一部を切り裂き、繊維せんいの一本を引き出す。
 ここでズタスはサガルのやろうとしていることを察し、目を見開いたが声は出さない。
 そのコナレ族族長の目の前でサガルは、なんと自らの手で裂けた頬を縫い始めたのだ。細く砕いたやじりといっても極太の針より太く、繊維の方も本来の糸よりずっと太い。裂けた傷口が縫い合わされていく代わりに新しい傷口を作っているようなもので、糸(というより紐)は見る見る血に染まってゆく。
 が、サガルはまったく意に介さない。裂かれた頬に新しい傷も加わり、凄まじい激痛が襲っているであろうに、闘志に満ちあふれた表情からはそんなものは欠片かけらも感じさせなかった。
「……これで問題はない。族長、おれもゆくぞ」
 縫い終え、すでに整った呼吸とともにサガルは立ち上がる。彼の顔面は不自然に縫い合わされ、太い糸がき出しになっており、見る者に異様さを与えずにはおかない。まして彼の顔面から全身は、自分と老族長の血にまみれているのだ。それどころか彼自身の血は、いまだ頬からしたたり続けている。その様は衆を圧するほどだった。
 それでもズタスの目に映るサガルには、奇妙な清廉せいれんさも感じられた。それがなにかはわからないが、ズタスは小さく笑うと自分の腰にあった剣をサガルに放った。
「スッヅとの斬り合いで汝の剣は使い物にならなくなっておろう。持ってゆけ」
 ズタスの剣は、全軍の司令官であり全コナレの長のものだけあって名剣だった。何人斬っても刃こぼれどころか血脂ちあぶらさえつかないと言われるほどの業物わざものである。コナレのみならず騎馬民族の勇者ならば誰でも欲しており、当然サガルも「手に入れられるものならば」と考えること一再ではなかった。

 それゆえさやごと放り投げられた剣を反射的に受け取ったサガルは一瞬目を見開き、動きを止めて手の中の名剣に見入ってしまった。そんなサガルに小さく笑うと、ズタスは馬腹を蹴り、戦場へ向けて疾駆しはじめた。
 族長のその動きに我に返ったサガルは、手の中にある剣に若者らしい喜笑を浮かべると、よく鍛えられた愛馬に跳ねるようにまたがり、剣を抜き、喊声かんせいを挙げながら戦場の最激戦区へ向けて突進した。
「シャアッ!」
 それは先ほどまでの喊声かんせいと同じであり、どこか違うものになっていた。彼はすでに、ただの少年族長ではなくなっていた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ