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庸滅亡 作者:文叔

第五章 荊上峠の戦い

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第五章 荊上峠の戦い 7

 不自然な音がしてサガルの槍が折れた。焦りを覚えたサガルの動きが乱れた瞬間をスッヅが見逃みのがさず、剣で彼の槍を巻き込み、もぎ取ろうとしたのだ。が、サガルは当然のように抵抗し、結果、槍の耐久力を越える負荷がかかってしまったのである。
 しかし少年の闘志はおとろえず、折れた槍を捨てて剣を抜くと、何度目かの喚声かんせいで自らを鼓舞し、スッヅへ突進する。
「シャアッ!」
 馬による突進と剣の突きの動きを合わせる。強弓から放たれた矢さながらに老人の心臓を狙う剣先は、スッヅに跳ね返される。だがサガルはあきらめることなく剣を立て続けに繰り出した。それはまるで十数本の矢が同時に放たれたかのようで、スッヅの心臓だけでなく、腹、脚、腕、顔、その他の部位を同時に攻撃するかに見えた。
 が、スッヅはそれすらもすべて受けてしまった。
「……!」
 この攻撃はサガルにとって奥の手と言っていいほどのもので、少年族長をさすがに愕然がくぜんとさせた。
 彼の半瞬の自失とともに、再度サガルとスッヅは馬体を激突させ、互いの体をぶつけ、剣と剣できしむ音をさせるほどに押し合う。
「…小僧、わしにくだれ。ズタスのところにいるより良き目にあわせてやるぞ」
 スッヅも疲労していた。呼吸は荒くなりかかり、汗もにじみそうになる。しかしそれを精神力で抑え、サガルに帰順をすすめた。
 スッヅのサガルを欲しいと思う心は真剣だった。本物の勇者はどの族であろうと欲しい。サガルの武勇と気骨は、充分に勇者と言ってよかった。だがそれ以上にスッヅは自分の後継者である孫のオドーのためにサガルを欲したのだ。
 スッヅはもうすぐ死ぬ。もうすぐが数年後か十数年後かあるいはもう少し先かはわからない。だがオドーが成人し、真実ギョラン族を率いる頃には、たとえ生きていたとしても自分の力は孫の役には立たないであろう。その時のために、孫に有力な部下を残しておいてやりたかった。サガルはそのために必要な力量も若さも充分に持ち合わせていたのだ。

 だがもし帰順せぬとなれば、なんとしてもここで殺さねばならぬ。サガルを無事に帰せば、彼はこれから先もギョラン族の敵として自分たち――ひいては孫の――眼前に立ちふさがるだろう。それも有能で強力な敵として。孫の脅威となる存在を残して死ぬわけにはいかなかった。
 それゆえサガルの返答は重要なものだったのだが、若きシン族族長は荒い呼吸の下、あっさり拒絶した。
「…断る。おれの族はコナレ族長の下にある。汝を殺さぬ限り、おれは生きて帰るつもりはない」
 スッヅは少年を見誤っていたことを知った。彼は若くとも一族のおさなのだ。配下にある者たちに責任がある。彼らを裏切れば、ズタスは残されたシン族を許すはずがない。一族を捨てて自分だけが富貴を得るなど、騎馬民族族長には絶対にできないことだった。
 少年の誇り高さに気づかなかったスッヅは、むしろ恥入った。
「…つまらぬことを口にした。忘れよ。そしてあの世で一族の行く末を見届けよ。わしの配下として富貴を味わわせてやるゆえな」
 敬意をこめて言い放つと、スッヅはサガルの剣を彼の体ごと弾き飛ばした。サガルはよろめくが、スッヅは傲然ごうぜんと馬上にある。
 スッヅはズタスを倒し、コナレ族を自らの勢力に加えるつもりだった。その中には当然シン族もあり、彼らにも征服した央華の美果を存分に味わわせる。そのことを馬上の威風いふうに劣らぬ剛毅ごうきさで、サガルに約したのだ。それは同時にサガルへの死刑宣告だった。
「…シャアッ!」
 よろめく馬体と自らの四肢ししむちを入れ、サガルは再度突進する。すでに体力は限界に近く、剣を持つ腕も重さを覚えてきた。だが闘志と怒りは消えず、さらなる猛火となる。サガルは誇り高きシン族の長である。自らの族を奪うなどと宣言する者を許すつもりはなかった。
 怒りは、疲労を忘れさせたかのように剣の暴風を作る。だがそれが一時的であることは明らかだった。スッヅは暴風が収まるまでいなしながら待つだけでいいのだ。
 だがそうはしない。サガルの最後の猛攻を正面から受け、叩き返す。それができずに彼の率いる族をむしり取るなど、騎馬の民の誇りが許さなかった。
 互いの誇りが激突する。
 そして恐るべきは老族長だった。サガルの捨て身に近い凄まじいまでの攻撃を上回る猛攻で、若きシン族族長を圧倒したのだ。
「……!」
 サガルは声にならない叫びを挙げた。それは驚愕の叫びであり、怒りの絶叫であった。スッヅにここまでの力があるとは。彼は自分の甘さに怒ったのだ。
 それでも闘志は薄れない。猛攻にさらなる猛攻を返すが、限界が近いことはサガル自身にもスッヅにもわかっていた。
「…シャアッ!」
 瞬間、スッヅはこの日最初で最後の喚声を挙げた。サガルが自棄やけに近い反撃のため剣を振り上げた瞬間、その隙を見逃さず、己の剣の向きを急激に変えたのだ。剣先がサガルの顔面、絶叫をあげるために開いていた口へ矢のような速度で突き込まれる。振り上げられていたサガルの腕に、剣を防御へ回す余裕はない。スッヅの剣はサガルの口内を突き刺し、首の後ろまで抜けるはずだった。

 が、その刹那、サガルは首を横にひねった。のどを突き刺すはずだった剣先は彼の左頬を突き破り、口の端まで斬り裂いた。血がはじける。
 この時この瞬間まで、ぎりぎりでありながらサガルの行動はすべてスッヅの許容内にあった。央華の遊戯ゆうぎである将棋でいえば「詰み」だったのだ。この最後の行為、反射そのもの、本能のままの行為だけがスッヅの予想を上回り、そしてすべてをくつがえしたのである。
「……!」
 勝ちを確信していたスッヅも目を見開いて驚愕し、すきを作る。
 よけるのも反射だったサガルの攻撃は、これも反射だった。
 上段に振り上げていた剣を剛速と共に振り下ろす。速度に劣らぬ重さを持った剣は、スッヅの左腕を斬り落とした。サガルの頬に咲いたものとは比較にならないほど大きな血の華が咲く。さらにサガルは振り下ろした剣を斜め上に斬り上げた。左腕がなくなり、がら空きになったスッヅの胴は、左脇腹から右胸にかけて大きく斬り裂かれる。返り血が、少年族長の身体に振りかかった。

 が、サガルはそのことに構う余裕がなかった。斬り上げた剣に振り回されて身体の均衡きんこうを失い、馬上から地面へ落下してしまったのだ。打ちつけられた背中に痛みは感じない。それ以上に、もともと苦しかった息が落下の衝撃で詰まってしまったのが耐えがたかった。
 永遠に等しい数瞬後、詰まった呼吸が抜け、全身で酸素をかき集めるように大きく荒くあえぎながら、サガルは仰向けに倒れて動けなくなってしまった。こんなことは彼の人生で初めての経験で、それほどまでに消耗しきっていたのだ。


 勝者は少年だった。だが敗者である老人は左腕を失い、全身をあけめながら、傲然ごうぜんと勝者を見下ろしている。
「見事だ、シン族族長よ」
 スッヅはすでにサガルを小僧と呼ばなかった。自分に勝った勇者を小僧呼ばわりなど、勇猛を至上とする騎馬民族の「礼」に反する。
 スッヅの声に弱々しさはなかった。右手はすでに剣を放しており、代わりに手綱たづなを握っている。左腕がないその姿は見る者に奇妙な違和感を与えるが、彼の剛毅ごうきさは誰一人として見誤みあやまらなかった。
「…、…、…、…!」
 サガルは返答すらできなかった。肺が、口と鼻を数個必要とするほどに酸素を求めていたのだ。声を出すために使う余裕などない。斬り裂かれた左頬から血を流し続けながら、まったくの無防備でスッヅを見上げるしかなかった。
 しかしその目には、凄まじいまでの烈気がこもっていた。もしスッヅが倒れて動けない自分を攻撃してきたら、動かない体を無理矢理にでも動かして反撃するつもりだったのだ。
 その少年族長に小さく笑みを見せると、スッヅは馬首を返し、蒼白そうはくになって彼を見つめる部下のもとへ歩み去っていった。
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