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庸滅亡 作者:文叔

第五章 荊上峠の戦い

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第五章 荊上峠の戦い 6

 ギョラン族の陣も、当然無防備のはずがなかった。それなりにきちんと陣をき、歩哨ほしょうも立てて、夜襲に備えていた。
 が、彼らの前に現れたのは、夜襲のために息を殺して近づいてくる部隊ではなく、かといって松明たいまつを掲げて堂々と進撃してくる大軍でもなかった。百騎から二百騎程度の部隊である。
 百騎程度では自分たちと戦うのに戦力としては不足にすぎる。敵であることは確かだと思われたが、その数にしては堂々としすぎており、あるいはコナレ族を裏切り、自分たちへ降伏してきたのかとも考えたが、それとも違った。なにをしにきたのか、先頭にいる騎士が大音声で告げたからである。
「我はシン族族長サガル! ギョラン族族長スッヅとの一騎討ちを所望しょもう!」
 声からして若者であることは確かだが、聞いたことのない名である。シン族はコナレ族に類する一族であることは知られていたが、最近族長が変わったということまではギョラン族は知らなかった。
 だがこの状況、この時間に突然現れて、族長と一騎討ちを望むなど、いかに勇猛さを誇る騎馬民族とはいえ、非常識であった。
「小僧! まだ夜は明けておらぬぞ。寝ぼけて世迷い言を言いにきたのなら、さっさと寝なおして、しゃんと目を覚ましてから出直してこい!」
 歩哨の報告を聞いてやってきた士官の一人がサガルの申し出を嘲笑ちょうしょうする。事実、この状況で聞いたこともないような若僧の挑戦を受ける利は、ギョラン族にもスッヅにもなかった。
 だが若き族長は、まったく引き下がらなかった。
「スッヅは騎馬の民の誇りを失ったか! 軟弱な庸の地に来て、その惰弱さに染まるを恥とは思わぬか! おれを小僧とののしるのであれば片手で斬り伏せてみせよ。おれの方もじじいゆえ手加減はしてやる。片手の指でつまんだ剣で相手をしてやろうか。それでもまだ怖いのならば素手で戦ってやろう。これですらまだ足りぬか。誇りも力も失った者は赤子相手でも震えて泣き叫ぶというが、汝も同様であるかよ!」
 挑戦のための挑発である。サガルは思い切りスッヅを侮蔑ぶべつした。最も騎馬民族としての誇りを傷つける形で。騎馬民族にとって実力と勇気を軟弱と臆病にすり替えられるほどの屈辱はない。実力は人生を懸けてつちかってきた証、勇気は存在そのものである。芯も身もけなされて黙っていられる者は、騎馬民族、ことにすべてを統べる族長ではなかった。

 それでも相手がズタスのように、実力も実績も充分以上の壮年の男が相手であれば避けることも恥ではなかったかもしれない。騎馬民族は誇りの高さも一級品だが、現実感覚の鋭さも同様であった。そうでなければ彼らの生まれ育ってきた厳しい環境では生き残れないのだ。
 しかしたかが二十歳前の雛鳥ひなどりに対して背を向けたとあっては、軍統率への影響すら出かねない。実力なき者以上に臆病者に従わないのは、騎馬民族にとって当たり前のことだった。サガルはそこまで考えて挑発したのである。


 大音声で呼ばわったため、サガルの声は自分の天幕にいたスッヅの耳にまで届いた。ということはそれは、他の兵たちもサガルの挑発を聞いたということである。老族長は小さく舌打ちした。
 スッヅにとって利の薄い挑戦である。受けずに聞き流し、多数の兵をもって押しつぶすか追い返すかですませたいところであった。だがこうも多数の兵に聞かれては出ていかないわけにはいかない。勇なき者と見られれば、スッヅは基盤の根本を失いかねなかった。彼自身はその域を脱しつつあるが、騎馬民族は政略や戦略より戦術を、それより個人の武勇をなによりたっとぶのだ。ここで出ていかなければスッヅは兵の忠誠を失うどころか軽蔑を買ってしまう。そうなっては戦いや征服どころではなかった。
「…甲冑かっちゅうはいらぬ」
 入ってきた従卒が武具を用意するのを制すると、スッヅはほぼ寝所にいるときと同じ姿で馬上の人となり、前線へ向かった。

 サガルは槍を手にしたまま、口を開くこともなく馬にまたがっていた。彼はすでに言うべきことはすべて言った。あとはスッヅがどう応じるかである。
 が、答えはわかっていた。サガルもまた騎馬民族である。ここで出てこない男に族長を名乗る資格のないことをよく知っていた。それゆえ群がる敵兵が道を開け、スッヅが馬に乗って現れたことに驚きはなかった。が、彼が武器も持たず、甲冑もつけない平服姿であることは意外であった。
「サガルというか。シン族の族長はソウズだと聞いていたが」
 スッヅはサガルに対し前置きもなく尋ねた。さすがに大族の族長ともなれば、コナレ族にいる部族とその族長の名くらいは知っている。
「父は先日、戦死した。ゆえにおれが跡を継いだ」
 わかりやすく、納得のいく答えであった。スッヅはうなずく。今度はサガルが尋ねた。
「おれは一騎討ちを望んだ。なぜ汝は武器も持たず、そのような姿で現れた。一合いちごうも交えずくだるつもりか」
「まず汝を見たかったのだ。わしに一騎討ちを挑んでくるほどの者であるならよほど剛の者であろうからな。くちばしの黄色い雛鳥に勝ったとて自慢にはならん」
 スッヅの言うことにサガルはすっと目を細める。怒声を発しないのは、スッヅの自分に対する評価がまだ出ていないからだ。ゆえにサガルは手にした槍を水平に掲げ、切先きっさきをスッズへ向けると、それをすうっと横に振る。
「で、返事はどちらだ。受けるか、勇者よ。退くか、臆病者よ」
 静かな動きと静かな問い。だがそれは、空に輝く月ほどにんだ鋭さを持っていた。
「……」
 そのサガルを見たスッヅは、無言で近くにいた兵から剣をもぎ取る。
「成鳥には届かぬが相手をしてやらぬほどでもない。今の汝ではわしには勝てぬかもしれぬが、しばらく成長を待てばより確実に勝てるやもしれぬぞ。今 退くのであればそのための時間はくれてやる」
「老鳥にこそ時間はあるまい。今、この場で汝を斬ること。それがおれが成鳥となる唯一の方法なのだ」
 会話はここまでだった。サガルは槍を横に構えたまま静かに馬を進め始める。それを受けたスッヅも剣はだらりと下げたまま、同様に馬を進める。
 背後にはそれぞれ麾下きかの兵たちがいる。勝敗がいずれに転ぶとしても、彼らの前で無様な戦いは見せられぬ。族長となる者は死に方も自分では選べなかった。が、情けない姿をさらしてまで生き延びたいとは思えぬ者だけが騎馬民族の族長になれるのだ。彼らは彼らとして生きるだけで、自らの望む生死を与えられていた。
「…シャア!」
 互いの距離がせばまったところで、サガルが喚声かんせいとともに突進を始めた。一瞬で馬速を最大に近いところまで持っていくあたり、彼の操馬術は一流であった。

 そして受ける方も一流だった。
 なにがというわけではない。すべてがである。
 甲冑かっちゅうも着ておらず、すでに全盛期は過ぎているはずの肉体が、サガルのかんからきゅうへ突然の変化にも、なんの遅滞ちたいも見せず剣を振るい、突きこまれてきた槍をいなす。
 擦過音さっかおんとともに小さな火花が飛ぶ。
 スッヅの真横を駆け抜けたサガルが、これも一瞬で馬首をひるがえすと、背を向けたままの老族長へ肉薄する。
 刹那せつな、スッヅへ突き込まれた槍は、寸前で振り向いた剣に弾かれた。
 スッヅの動きには余裕がある。背後からの攻撃すら有効ではなかった。
「後ろから斬りつけるを恥とは思わぬか、小僧」
「汝の背中には目があろう。現に、あった」
 スッヅの非難は微笑混じりで、サガルの答えは悲壮ひそうさをたたえた真剣な表情である。サガルも本来、背後からの攻撃をとする男ではない。今の攻撃はスッヅがよけるとわかっていたからこそのものだったが、それでもここまで余裕をもってかわされるとは思っていなかった。彼の突きはそれほど本気だったのだ。

「シャア!」
 再度鋭く声を挙げると、サガルは槍を縦横に振るい、上下左右からスッヅへ斬りつけてゆく。槍に振り回されるということは、まったくない。彼の腕がそのまま槍になったかのように、無駄なく、圧倒的といっていいほどの膂力りょりょくを持った攻撃だった。
 だがそれを老人はすべていなしてゆく。柔をもって剛を断つのはいかにも老人らしい戦い方ではあったが、スッヅがそれのみでないことを、サガルは一合ごとに思い知らされていた。
 それほどにスッヅの剣は重いのである。こちらの攻撃を受けているだけなのに、その重さが槍を通じてサガルの腕に伝わってくる。剛と柔の圧倒的な融合であった。これで攻撃を仕掛けられたらどうなるか。
 ガシャッと音をさせ、スッヅとサガルの馬がぶつかり、二人の槍と剣が鍔迫つばぜりり合いを始める。
「…老人、貴様本当に老人か」
 全力での押し合いの中、サガルが驚嘆を込めて声を絞り出す。物言いがややおかしいのは、それだけスッヅの武勇に押されているからだ。こうして押し合いをしているだけでサガルの体力は削られてゆく。

 ではスッヅの方はどうか。実はサガルが考えているほど余裕はなかった。
 スッヅにとってもサガルの武勇は予想以上だったのだ。
 正面から打ち合って負けるとは思わない。が、必ず勝てるとも言い切れない。ゆえに受けて流す戦法は有効なのだが、それでも受ける腕がきしむほどの剛勇である。彼が相対している少年は、雛鳥は雛鳥でも並の雛鳥ではなかった。
 しかしスッヅはそのことを、サガルだけでなく周囲で見ている誰にも感じさせなかった。
 表情は余裕を捨てず、体の芯はぶれず、動きは極力最小限に。その姿は若き族長がいいようにもてあそばれている印象を、サガル本人も含めたこの場にいる全員に感じさせている。このあたりスッヅは年齢にふさわしく老練ろうれんだった。
 しかし前述したようにスッヅにも余裕はない。二人の力量は、登りつつある者と下りつつある者が交叉こうさする、そのさかいにあった。
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