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庸滅亡 作者:文叔

第五章 荊上峠の戦い

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第五章 荊上峠の戦い 5

「族長」
 と、ここでズタスを呼ぶ声がした。やや自らの思考に沈んでいたズタスは、一瞬、師がこの場に突然現れたのかと感じた。その声が少しだけ韓嘉に似ていたからである。だが似ているのは声質だけで、若々しい躍動感がその声音にはあふれていた。
 ズタスは声の主に目を向ける。そこには一人の若者がいた。若者と言うより少年と言ってもいいかもしれない。彼は十八歳であった。騎馬民族の中でも彼の年齢になれば一人前として扱われはするが、それでも軽く見られるのは致し方ない。それを本人が是とするか否かは当人の気質にかかっているところが大きいが、血の気が多い騎馬民族では否とする者が多数である。そして彼もその中の一人であった。
「サガルか。なんだ」
 コナレ族は大族であるが、正確には様々な中族、小族が傘下に入ることで構成されている。それらの集合体が騎馬民族の大族であった。
 大族の傘下にあるとはいえ、中小個々の部族は一つ一つが誇り高く、また精強であった。それらを束ねるには指導者の個人的な力量や器量が欠かせず、またそのような者がいなければ彼らは簡単に分裂してしまう。
 ズタスにはそのすべてがあり、ゆえに彼らを糾合して「大族」としてコナレを維持することができているのだ。


 少年――サガルの部族はシン族といい、中族と小族の間の勢力であるが、つい先日族長が亡くなった。戦場での死であり、それはシン族にとって誇るべきことであるから問題はなかったが、彼には跡継ぎとなる男子がサガルしかいなかった。年齢からいっても彼が跡を継ぐことに反対する者はいなかったが、壮年であった父に比べ、年若いサガルを軽視する向きはやはりただよう。それをサガルが苦々しさと多少の焦りとともに感じていたことをズタスは知っていた。

 ゆえに彼は、少年がなにを言おうとしているかも察していた。
「族長、おれにスッヅとの一騎討ちを許してくれ。必ず討ち取ってみせる」
 予想通りの請願に、ズタスはわずかに沈思しつつも首を横に振った。
「いや、あの老人は応じまい。数年前なら血気のままに汝の挑戦を受けたかもしれんが、今の老人はただの騎馬民族族長ではなくなった」
 ズタスはそのことを感じ取っていた。それは長城を越えて庸へ侵攻し始めた頃からではない。それ以前、自分が勢力を増してきた頃から感じていたことだった。それまでのスッヅは騎馬民族の長らしく、力と攻撃と侵略とを旨とし、相手には屈服以外のものを求めて来なかった。
 だが老いて器量が広がったのか、あるいは覇気が衰えたのかはわからないが、とにかく引くことと柔軟さを兼ね備えるようになり、視野の広さをあわせ持つようにもなってきたのだ。

 これはズタスにとってはうれしくない変化であった。猪突してきてくれた方がはるかに御しやすい。そしてそのような変化があったスッヅだけに、彼がサガルの挑戦を受けるとは考えにくかった。
 が、サガルには異見いけんがあった。
「いや、あなたや壮年の男が挑んできたのならスッヅも勝負を避けるかもしれないし、それはあの爺さんの配下にいる者たちも納得するかもしれない。だがおれのような年端もいかぬ子供の挑戦まで退けたとすれば、さすがにじじいの面子が砕け散る。これからの戦いや征服にも支障が出てくるだろう。そのことをあの爺さんがわからないはずがない」
 サガルの言うことに、ズタスはやや虚を突かれた。
 たしかにその通りだろう。自分はスッヅを高く評価していたが、それだけに見えなくなっていたものがあったらしい。

 が、突かれた虚はそれだけではなかった。見た目も表情も乱暴者との印象の濃いサガルが、意外にも視野が広く、見識も高いことに驚いたのだ。
「これはうまく育てれば、予想外の掘り出し物になるかもしれんぞ…」
 たったいま人材の不足を嘆いていただけに、思わぬところからの可能性がズタスの表情をゆるませそうになる。もちろんサガルの気質から彼が謀将ぼうしょうになれると考えていたわけではないが、有為な人材はそれだけで彼の心を浮き立たせるのだ。それは人の上に立つ者の本能に近いかもしれないが、ズタスそれを無理矢理引き締めると少年との会話を続けた。

「なるほど、確かにそうかもしれん。だがあの老人が汝の挑戦を受けたとして、汝が勝てばよし、もし負けたなら、我らはなにも得るところがない。汝は自分が負けるはずがないと思っているかもしれぬが、あの老人を一騎討ちで必ず倒せると言い切れる者は、我が族にもさほど多くはないぞ。そのことがわからぬというのであれば、わしとしても汝をやるわけにはいかん」
 サガルがスッヅに勝てば、対ギョラン族の問題どころか、北河以北征服のための懸念は一気にすべて解決する。コナレ族同様、ギョラン族の団結も、スッヅという「核」あってこそのものなのだ。それが砕ければ、残った者たちはほどけた糸のようにばらばらにならざるを得ない。いくら個々が強かろうと、まとまらぬ存在など恐るるに足りぬ。コナレ族はギョラン族の支配する東方をすべて獲得することができるだろう。
 そしてそれは北河以北における圧倒的な勢力の獲得ということであり、西方に在るスンク族を押しつぶすなど造作もない。
 将棋倒しにすべてが解決してしまうのである。
 が、逆にサガルが負ければ、それでおしまいである。スッヅは変わらずギョラン族を掌握しつづけ、コナレ族にとって難敵なんてきであり続ける。コナレにとっては得るものがないどころか若い勇者を失うだけであるのだ。たった今サガルの意外な才能をかいま見たズタスにとって、この若者はただの戦闘における勇者ではないのだ。有為な若者を無駄に使い捨てる気は、ズタスにはなかった。


 が、若き勇者は思慮と覚悟の双方を持っていた。
「おれ一人か、おれの部族だけで突出する。族長の意思と関係なく勝負を挑む。そうすればコナレ族全体に類は及ばぬし、おれが負けた時は、その瞬間にギョラン族を襲えば、スッヅはまだ陣に帰りきっておらぬ。であればギョラン族全体も混乱するだろうし、引きこもるギョラン族もなし崩しに戦いに突入せねばならぬであろうから連中をおびき出すことができる。そしておれがスッヅに勝てれば、それはそれでなんの問題もない」
 サガルは「違うか?」という表情でズタスを見る。その視線を受けたズタスは、またも沈黙する。それは少年の言っていることに理を見ているあかしであった。

 が、ズタスはやはり首を横に振った。
「…いや、やはり駄目だ」
「族長…!」
「サガル、汝は自分や自分の族を軽く見過ぎだ。わしは臆病は許さぬが、無駄に兵を死なすつもりも毛頭ない。汝もシン族の族長ならば、族下の者を無益に死なせるような真似はつつしめ。汝がスッヅに一騎討ちで破れたとして、族下の者たちがそれをそのままにしておくと思うか。汝の仇討ちにギョラン族へ突撃し、全滅してしまうぞ。そうならずとも族長がいなくなったシン族はどうなる。汝以外に族長にふさわしい者がおるのか。自重せよ」
 ズタスは少年族長をさとす。確かにすべてズタスの言う通りだ。
 年若い彼が死んだ後、新たに族長にくにふさわしい者は、今のシン族には見あたらない。誰が就いても内紛ないふんの起こる可能性がある。彼は自分の族人のために命がけで尽力じんりょくせねばならなかったが、同時に簡単に死ぬわけにもいかない立場なのだ。
「……」
 それがわかるだけにサガルは黙った。
 が、サガルは物わかりがいいだけの少年ではなかった。


 深夜、ズタスの眠る天幕てんまくの外から彼を呼ぶ声がした。戦場であるゆえ同衾どうきんする女もいないが、そのことに不満を言う彼ではない。それでも夜中に起こされれば不快さもあろうが、予感があったズタスはその感情も見せず、簡易の寝台に上半身を起こす。
「……なんだ」
「は、シン族がひそかに出撃いたしました。向かう先はギョラン族の布陣している地であるかと思われます」
「…そうか。我らもすぐに追う。全軍を起こし、出撃の準備をさせよ」
「は」
 短く返事をすると、兵は各所へ起床と出撃の準備を知らせるために走り出す。それを天幕越しに見送ったズタスは寝台から降り、駆け込んできた従卒じゅうそつに手伝わせながら、出陣の用意を始めた。
「…わしは変わらず非情よの」
 ズタスは心中で自嘲じちょうする。彼はサガルとシン族の突出を、ある程度予測していたのだ。それを止めようと思えば止められたが、彼らが動くことによって状況が変わる可能性は高かった。ゆえに黙認したのである。
「しかし、であるなら、この機は最大限活かさねば」
 サガルたちを見殺しにするつもりはない。ないが、最悪そうなることは充分考えられる。しかし彼らの行く末がそのような形になるとしても、必ずギョラン族を撃滅し、東方をせいさなくてはならない。
 おのれの罪を自覚しつつ、それをつぐなう最低限のことは必ず成し遂げようと誓うズタスであった。


 サガルに率いられたシン族は、静かに陣を抜け出したあと、一転して全速力で駆け始めた。彼らの数は百五十というところで、族人全員が出撃したわけではない。自分たちが全滅したとて、族全体を消滅させるわけにはいかないのだ。
 全滅も覚悟の上で若き族長に従いたいと願ったのは族人全員であったが、サガルは強い意志をもって彼らを制した。
「我らがすべて死んだら祖先と残された女子供たちはどうすればよい。我らは必ず勝つ。仮にそうならぬとしても、族長ズタスは我らの動きを利用してギョラン族を叩くであろう。その功をもってシン族は存続を許されるに違いない。汝らが残るのは我らの死を無駄にせぬためだ。我らを犬死にさせないでくれ」
 少年期をわずかに越えた若者であっても、一族の長を努めるだけあってサガルは非凡であった。彼の理と威とに、族人たちはうなだれて従うしかなかった。

 そしてサガルの非凡さのもう一つは、ズタスが自分たちの突出を見抜いていて、しかも黙認するであろうとわかっていたことである。だがそのことについてサガルはズタスに恨み言を言うつもりはない。むしろ感謝していた。
「族長。我らの誇りのために、感謝する」
 陣を離れるとき、振り向いたサガルは小さくつぶやき、頭を垂れた。ズタスは自分たちの突出を戦局を動かすきっかけにするつもりであろうが、そのような打算だけで見逃したわけではないと若者は知っていた。ズタスがそのような非情な思考のみをむねとする男なら、彼に従う者はこれほど多くはない。理と情とを高い次元で兼備している者にこそ、人はついてゆくのだ。それゆえサガルは、この出撃が何の意味もなく終わることはないと確信していた。
 深夜ではあるが、騎馬民族は農耕民族より夜目よめが効く。また今夜は半月で充分に明るく、道を誤ることはない。
 それは奇襲に向かない夜ということでもあるが、最初からその意図がないサガルには関係なかった。
 彼は昼間ズタスに進言したように、スッヅに堂々と一騎討ちを挑むつもりであったのだ。
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