挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
庸滅亡 作者:文叔

第五章 荊上峠の戦い

33/81

第五章 荊上峠の戦い 4

 スンク族、我らを追わず土地を狙う。
 その報を受けた時、ズタスは馬上でぐっと拳を強く握った。彼は自分が賭けに勝ったことを知ったのだ。
 だがそれは、最初の賭けに勝利したに過ぎない。正面のギョラン族を討ち、反転してスンク族を叩かねば、この賭けに勝った意味がなくなる。それでも後背を気にせず前方だけに集中できるのは大きかった。
「三割しかなかった勝率が六割か七割まで上がったぞ」
 と、馬上で笑みを浮かべるほどだったが、その表情を無理矢理に引き締める。まだ彼は、自分がなにも得ていないことを忘れていなかった。
「全軍、ギョラン族へすべての力を叩きつけよ。汝らは強い。庸軍とのたび重なる戦いでもそれは証明されておる。我が指揮に従い、持てる力を存分に発揮せよ。さすれば勝利以外の結果は我らの前に転がってこぬ」
 ズタスは全軍を鼓舞こぶし、兵たちはときの声で応じる。庸軍は弱かったかもしれない。だがそうであっても庸兵の数は多く、地の利も彼らにあった。必ず勝てると言い切れるほどに差はなかったのだ。そうであるのにコナレ族はすべての戦いに勝ち、しかもほとんどが完勝であった。コナレ族の実力は本物であり、自信を得るための実績に不足することもなかった。あとは自信が過信になるのをいましめるだけだが、ズタスは今現在、兵たちの勢いを最大限活かすことのみを考えていた。
 コナレ族は波濤はとうのようにギョラン族へ迫る。


 ギョラン族は完全に立ち遅れた。だが圧倒的に不利というわけではなかった。意表を突かれはしたが、立て直す余地はまだまだある。
 スッヅは戦場を選ぶため地図を持ってこさせた。
「よし、ここにしよう」
 地図をにらんでいたスッヅは、ある地に視線で印をつけた。それは北河の支流の一つを北に、小高い山を南にのぞむ、荊上峠けいじょうとうげと呼ばれるの狭い土地であった。
「ここにコナレとズタスを誘い込む」
 狭隘きょうあいな土地は大軍の利を活かせない。広く展開できない以上、正面から戦うに少数の敵と同数でしか戦えないからだ。それでも数が多い方が圧力があるし、余剰の兵を敵の後背へ回すという戦い方はできるかもしれない。だがそれは戦場になった土地を熟知し、しかも相手に悟られないようにおこなわなければ危険でもある。別動隊が途中で道に迷ったりでもすれば、各個撃破される危険すらあった。

 ズタスであればそのような間の抜けた戦い方はしないかもしれないが、ギョラン族が支配しているこの地に関する知識は薄いはずである。
 また、スッヅが選んだ戦場へ、ズタス率いるコナレ族が足を踏み入れない可能性もある。なにも進んで自分たちが不利になる戦場へおもむく必要はないのだから。
 しかし今のズタスには時間がなかった。もしギョラン族を叩くのに時間がかかれば、後背からスンク族が襲ってくる可能性は高くなる。自分たちが荊上峠に入って動かなければ、コナレ族も踏み込んでこざるを得ないだろう。
 またズタスは知らないであろうが、時間が長引けば長引くほど有利になる要素がギョラン族にはある。庸からの援軍が到着する可能性も高くなるのだ。
 騎馬民族であるギョラン族も持久戦は苦手であったが、この際は持ちこたえることが最良の戦い方であった。
「時間を稼ぐ」
 これがスッヅの戦略の第一であった。


 コナレ族の進軍が始まって四日。彼らはギョラン族の領内の、かなり深くまで入ってきていた。そして先行させていた斥候せっこうの一人が、ギョラン族の軍隊を発見した。が、その報告を聞いたズタスは意外そうな表情を見せた。
「あの老人が穴に閉じこもっているのか」
 地図を開き、斥候が指し示す場所を見ながらズタスはつぶやく。荊上峠と地名の書かれたその場所は、川と山とに挟まれた狭隘な地であり、大軍を展開させることも、騎馬軍を突進させるにも不向きな場所であった。いかにも騎馬民族らしからぬ戦場設定で、特にスッヅにはふさわしくない。スッヅは老人であっても、あるいはだからこそ、誰よりも騎馬民族らしい男なのだ。狭い穴蔵で縮こまって迎え撃つなど、彼らしくなかった。
「……なにか狙いがあるのだろう。が、それが今一つ見えぬ」
 速攻、奇襲を企図して飛び込んできたズタスだけに、ギョランの内情に関する情報は多くなかった。
 だがズタスには時間がない。理由はスッヅが看破した通りであり、そのことはズタス自身が最も自覚していた。ゆえにスッヅにつきあって持久戦を構えるつもりはなかった。
「……なにか策はないか」
 ズタスは幕僚たちに尋ねる。が、もともとさほど期待はしていなかった。
 彼らは騎馬民族である。勇将であり猛将ではあっても、謀将ぼうしょうではなかった。コナレ族の中で最も謀略に長けているのは、他ならぬズタスなのである。実戦はともかく、そこに至るまでのほとんどすべてはズタスが一人でやらなくてはならない。それをわずらわしいと思う彼ではなかったが、このような時はいささか困るのだ。

 本来であれば師である韓嘉かんかに参謀役をやってほしいのだが、彼は軍事には、ほぼ関与させていなかった。これはズタスの真の敵が、韓嘉の故国と同胞だからである。韓嘉が裏切ったり、自分たちの不利になる危険分子になることを恐れたからではない。そんな人物であるなら、そもそもズタスは師事したりしない。この処置は純粋に、韓嘉の心情にこれ以上の負担をかけることをズタスがいとんだためである。
 ゆえに韓嘉の見識は内政に活かさせてもらうことにしていた。征服されたとはいえ故国の民を可能な限り救おうとするのなら、韓嘉はおのれの力を存分に発揮してくれるだろうし、彼の罪悪感も多少は薄れるであろう。
 だがスッヅとの対決は騎馬民族同士の戦いである。韓嘉にとっては罪悪感を覚えずにすむ戦いであるから、力添えしてもらうにも遠慮はいるまい。
 だが今この場へ韓嘉を呼ぶには時間がかかるし、今はその時間が最も足りなかった。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ