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庸滅亡 作者:文叔

第五章 荊上峠の戦い

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第五章 荊上峠の戦い 3

 コナレ軍は突進する。彼らは前方しか見ていなかった。そうでなければ戦えないのだから当然である。だが総司令官であるズタスの目は背中にもあった。
「スンク族は動いたか」
 というのが、彼の懸念の最大のものであった。ズタスの集めた情報と、そこから導き出された結論、そして理性以外の理由から起こりうる突発的な変事。それらすべてを考慮に入れた上で、ズタスは「スンク族の攻撃はない」「たとえあったとしても充分対処し得る」と考えていた。
 スンク族の攻撃があった時点で反転して迎撃するということではない。そんなことをすればギョラン族に背後を撃たれ、全滅してしまう。彼は全力でギョラン族を叩きのめすつもりであった。

 ではいくら力が弱まっているからといって、スンク族の攻撃を軽視しているのか。それも違った。いかに弱まった力であっても、背後から撃てば強者を打ち倒すことは充分可能である。
 しかしそれでもズタスはあえて背中を見せた。
 それどころか彼は、軍隊だけでなく、北方から連れてきた騎馬民族の、占領地にいるすべての民間人をも引き連れて、東へ進撃を開始したのである。もちろん軍隊が先頭を走り突出してはいるが、民も彼らの後をついて行っている。つまり央華大陸におけるコナレ族の本拠地はからになっているのだ。
「どちらに飛びつくか…」
 ズタスにとっては大きな賭けであった。彼にはスンク族の侵攻があることはわかっていた。その侵攻が、自分たちの後背へ向かうか、それとも明け渡した土地へ向かうかに賭けたのである。
 ズタスには実は、スンク族とギョラン族、二方面を同時に相手取る自信があった。傲慢ごうまんだとの非難もあるだろうが、なんと言われようと彼には自信があったのだ。だがそれでも、前後を同時に相手取るのはすさまじく困難で、被害は大きくならざるを得ない。
 ゆえに彼が欲しかったのは時間だった。目の前のギョラン族を撃滅し、返す刀でスンク族を退ける。時間差で各個撃破できればそれが最上であった。
 それが虫のいい話であるとさすがのズタスも感じないではないが、しかしこのまま時間をかけて東西に巨大な敵を持つのは危険すぎる。今現在、三部族の中で最大の勢力と戦力を誇るのは自分たちコナレ族であり、その好機を活かさない手はなかった。
 危険な賭けである。だがこの機を逃せば、将来さらに大きな危険のある賭けに身を投じなければならないかもしれないのだ。ズタスの戦略は無謀半歩手前の危うさに満ちていたが、冒すに値するとズタスは信じていた。


 バジュとタクグスは迷った。彼らは現在、三部族の中で最弱であった。もしコナレ族が彼らを襲ってきたら、負けないまでも危険は必至で、まかり間違えばせっかく占領した地を捨て、北方へ逃げ帰らなければならなかったかもしれない。
 だがズタスは自分たちではなくギョラン族を襲った。しかも全勢力を引き連れ、もともと持っていた占領地を捨てて、である。
 バジュもタクグスも、これには目をいて驚いた。すぐにはズタスの意図も見えなかったが、多少時間がかかりはしたものの、さすがにタクグスは正確に敵将の狙いを読み取った。
「わかりました叔父上。これは我らに迷いを与えるためのズタスの策です。我らが奴らの放棄した地を奪うのか、それとも奴らの後背を襲い叩きのめすのか、と」
 広大な沃野よくやは美果の宝庫である。ことに北方の茫漠ぼうばくとした平原しか知らない騎馬民族にとっては、央華の大地はいくら食べても減らない無限の食膳しょくぜんであった。央華でも南方に行けばさらなる沃野があり、彼らが今いる央華北方の地はそれらの地に比べれば不毛の大地の観すらあるのだが、騎馬民族にとってはこの地ですら桃源郷とうげんきょうであるのだ。

 ゆえに目の前に差し出されたそれは、彼らをして全身で抱きしめ、誰にも渡したくないという思いに駆られる。実際、タクグスにもその思いはあった。だが彼は、この時、最も必要なことはなにかをわきまえていた。
「叔父上、全軍をもってコナレ族の後背を襲いましょう。機さえ合えばギョラン族との挟撃も可能です。さすればいかな精強を誇るコナレとて深手を負わずにはいられますまい。千載一遇せんざいいちぐうの好機でありますぞ」
 タクグスは興奮気味に叔父に進言する。
 彼にとってもこの事態は予想外であり、迷うこと多大な状況であった。だが、もろもろの状況を削ぎ落とし、本質だけを見れば、進むか止まるかの二者択一しかないことは、タクグスにはすぐにわかった。そして進めば吉、止まれば凶ということも。もしここで目の前の大地に目がくらめば、絶対の好機を逃してしまう。たとえコナレ族が治めていた沃野を手に入れても、彼らがギョラン族を倒して反転してくれば簡単に奪い返されてしまうかもしれない。現状では、コナレ族と自分たちには、それだけの戦力差があった。
 だが今コナレ族に攻勢を仕掛ければ、その差を埋めることができるかもしれない。ズタスが賭けに出たように、タクグスもここは賭けに出るべきだと判断したのだ。

 が、彼の主君の意思は違った。
「ならん。まずはコナレが放棄ほうきした地を我らの物とする」
 甥の進言を叔父であり族長であるバジュは退け、タクグスに目を剥かせる。
「なにゆえです叔父上! 領地を獲得するよりコナレの後背を襲う方が利が大きいという理由は、たった今ご説明申し上げたではありませぬか!」
 タクグスにしてみれば思わぬことであった。叔父は当然、彼の傀儡かいらいではなかった。これまでとて進言がれられないことも何度もあった。だがそれは、タクグスに小さな迷いや見落としがある時のことであり、叔父はそれらを正確に見抜き、確固たる意志と理由をもって退けている。
 だからこそタクグスは叔父を尊敬し、彼につかえ、彼を北方と央華との覇者にしようと全力を尽くしているのだ。

 だが今回は違う。もしかしたらこれまで通りタクグスになにか見落としがあるのかもしれないが、そうではないと彼の勘が伝えてくるのだ。
 そしてその勘は正しかった。
「現在我らの戦力は手薄だ。それを補強してからズタスと決着をつける。そのためにも豊かな土地は必要であり有用だ」
 バジュが口にする理由はタクグスの予想の中にあった。タクグスにとってあらゆることに暗雲がたちこめる思いである。
「それはなりません。叔父上のおっしゃるように、現在の我らの戦力は少ない。それゆえ今の占領地だけならともかく、コナレ族が捨てた土地まで守るには数が不足すぎます。それでもなお彼らの地を領し、確保しようとすれば、少ない戦力をさらに各地に分散して配置せねばなりません。それでは陣容は薄さを増し、領地を守るどころか各個に撃破されるのみです」
「わかっておる。ゆえに我らの故地へ兵を送るよう、すでに伝えておる」
「そのような時間はありません。また我が族の精鋭はすでに全員連れてきており、故地から送られてくるのは、数も質も劣る兵しかございません。それでは戦力にはなりえませぬ」
「到着してから鍛え上げればよい。また占領した地に住む民を兵に加えれば、数はいくらでも増えるではないか」
「そのような悠長な真似を、ズタスが許すはずもないではありませぬか。また庸の民にとって我らは昨日までの敵。しかも彼らの親兄弟を殺した敵でござる。そのような相手に徴集ちょうしゅうされた者が、従順に働くはずがございませぬ。戦の最中に寝返るのが関の山でございましょう。加えて彼らは我ら騎馬の民に比べ、勇猛さではまったく劣ります。戦力そのものとしても使い物になりませぬ」
 バジュの提案をことごとく論破しつつも、タクグスは絶望感を深めていった。こんなことは無駄で無意味だと彼にはわかっていたのだ。
 バジュは欲を持ってしまった。もともと欲望の強い男であり、だからこそ過激な騎馬民族たちの上に立ち、彼らを押さえつけ、たばねる力があったのだ。
 だが央華の地に来て、欲望の質が変わってしまった。無い物を奪うための欲望ではなく、得た物を守るための欲望になってしまったのだ。それほどに央華の大地と庸の民が造り上げて来た物産は魅惑的であった。バジュは、それらに魅せられてしまったのである。
 ゆえに彼がズタスの放棄した地を、よだれを垂らして欲しがるのは当然であった。楽をして、もっと多くの美果を得られるのだ。
 その誘惑にはもう勝てない。叔父が口にする理由など、もっともらしい飾りに過ぎない。タクグスの説得も、端から聞く気もありはしないのだ。
 あと少しすれば彼は甥を雷喝らいかつし、話を強引に打ち切らせるだろう。それもわかるだけに、タクグスの絶望感はむなしさに変わっていった。
「叔父上……」
「ええい、もうよい!」
 予想通りであった。タクグスは口をつぐむ。
「汝は我が族の何か!? いつ族長になった。汝はわしに求められたときだけ意見を言えばよいのだ。身内とはいえ甘えが過ぎるぞ! 今後はそのあたりのけじめをしっかりとわきまえよ。わしもそのようにする」
「……わかり申した、族長」
 タクグスは虚しさの中でそう答えた。だがまだ希望が消えていないことも感じた。バジュがこのように痛烈に甥を非難するのは、自分の言うことが耳に痛いからである。それはつまり、事の軽重や良否を判断する叔父の理性がまだ消えてはいない証拠であった。
 タクグスはその可能性に賭け、逆転の策を考え始めた。
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