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庸滅亡 作者:文叔

第四章 昏晦平原の戦い

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第四章 昏晦平原の戦い 8

 南へ向かうための再編を、庸軍は必死におこなう。騎馬民族にしてみれば庸軍の再編の間、攻撃を控えてやる義理も義務もないのだ。むしろ相手からの反撃が減る分、より苛烈かれつな攻勢が可能になる。情け容赦ない飛矢が庸軍を襲い、外辺を削ってゆく。
 が、そのようにほぼ一方的に攻め立てられながら、それでもなお庸軍の兵数は圧倒的であった。多大な被害を負いつつ南への再編が終わった時ですら、呂石の手元には、まだ五十万以上もの兵が残っていた。反撃は充分に可能である。
「よし、突撃!」
 それを見た呂石は意気を盛り返すと、全軍に自分の気を送り込むかのような命令を力強く発した。その命令はかねの音とともに庸軍全体へ伝えられ、彼らは命懸けの突撃を敢行かんこうする。ここで騎馬民族軍を突破して安全な場所まで逃げきらなければ、今は敵の領地である「異国」の土に帰らなければならないのだ。中には戦場である北河以北出身の兵もいたが――むしろ故地を取り戻そうとする彼らの数の方が志願兵の中には多かった――、このような形で故郷に埋もれることを望む者は少なかった。
「突撃! 突撃! 北狄を踏み潰してゆけ!」
 呂石は全軍に命令を下し続ける。それは命令というより扇動せんどうであった。数の上で圧倒しているだけに、この場合、勢いが最大の武器になることを呂石は知っていた。
 兵たちもそのことはわかっていて、目の前の薄い壁でしかないギョラン族へ、無造作に、しかし全力で突進してゆく。


 が、その瞬間を待っていたように、ギョラン族は左右に分かれた。最初からこのことあるを予想して、全軍でしめしあわせていたのだ。
 突進して突き破るはずだった扉がいきなり開いたことで、庸軍はつんのめるように動きが乱れる。前衛の兵の多数が本当に地面に転がり、後ろからやってきた味方の兵に踏み潰され、地と肉の塊になってしまう。
 だが全軍が全力で突進をはかっていただけに、後方の兵は止まれず、さらに均衡きんこうを崩す。それでもなお勢いは止まらず兵の犠牲は増大した。
 が、なんとかつんのめった体を立て直しつつ、庸軍はさらに前方へ走り抜けようとする。

 しかし、それを狙っていたのがズタスとバジュの軍であった。
「突撃! 後ろからいいように殺しまくってやれ!」
 ズタスの命令も呂石同様扇動であったが、二者の状況の差は圧倒的であった。突破すべきギョラン族が消え、倒れ込みそうになる体(軍)をこらえ、その時点で兵たちの戦意はどこへ向いていいかわからなくなっている。コナレ・スンク両軍による後背からの大攻勢は、その隙を突くように始まったのだ。
 巨体ゆえ、前方へ走り抜ける以外の動きができない庸軍は、ほとんどの兵の思考が一気に一つの形に固まった。眼前に敵はなく、後方から敵は迫り、味方は混乱している。
「死にたくない! 逃げろ!」以外の選択肢は、彼らにはなかった。


 大潰走である。すべての指揮系統が一瞬で霧散した五十万からの兵が、命からがら駆け始めたのだ。その勢いは土石流にも似て、空飛ぶ鳥の視点があれば圧巻だったに違いない。だがこの土石流が飲み込むのは、民家でもなければ木々でもなく、自分たち自身であった。
 全力で走っているはずなのに、後ろの兵に押され、地に倒れる。そうなればもう彼の肉体は無数の兵靴へいかに原型をとどめぬほど踏みにじられるしかない。
 その運命をまぬがれようと思えば死ぬほどの勢いで駆け続けなければならないが、それは長距離を短距離の速度で、しかも甲冑かっちゅうを身にまとったまま脚を動かし続けなければならない地獄であった。多数の兵がせめて少しでも軽くしようと、走りながら自分の甲冑をはぎ取り、地へ投げ捨てるが、それに蹴躓けつまずいて転倒する者も出てくる。
 そして極めつけは、騎馬民族の怒濤の追撃であった。背中を見せ、甲冑も脱いだ彼らは、後ろから好きなように斬り立てられ、自国の野にしかばねをさらしていった。

 騎馬民族にしてみれば、これはもう戦闘ではなく狩猟であった。それもなんの危険もない、安全で簡単極まりない狩りである。
 それでも彼らは容赦しなかった。五十万以上の兵をどれだけ殺せるか。敗残兵にどれだけの恐怖を刻み込めるか。それは次以降の戦いに大きな意味を与える。それゆえズタスら族長たちの命令も苛烈を極めた。
「一人も生かして返すな! 視界に入る庸兵を一人でも逃した者は、わしが斬る!」
 このズタスの凄まじいばかりの命令は、雷電のごとく全軍を通撃した。ズタスは本気だと知ったのだ。ゆえにコナレ軍の兵たちは、おのれの命を守るためにも、庸兵を狩って狩って狩りまくった。
 そのコナレ軍の凄惨なばかりの追撃戦は、スンク族と、彼らの後ろから追いついてきたギョラン族の黒い闘志にも火をつける。
「襲え! 一兵たりとも北河を渡らせるな!」
 バジュもスッヅも血に酔った。族長の意志に打たれたスンク族とギョラン族も、同様に酔った。
 ここから先の虐殺は、いかなる画家でも描けぬ地獄絵図となった。
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