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庸滅亡 作者:文叔

第四章 昏晦平原の戦い

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第四章 昏晦平原の戦い 4

 一日が過ぎ、庸軍六十万はスンク軍四万が布陣する昏晦こんかい平原に到着した。
「本当に四万全軍か…」
 呂石は遠望できる距離で実際にスンク軍を見て、やや茫然とつぶやいた。報告を信じていなかったわけではなかったが、それでも目の前に見ると信じがたさが増す。あるいは北からスンク族の援軍がやってきて、どこかに伏兵があるのかとも思うが、あらためて実見するこの平原では兵を隠す場所もなさそうである。それにいかに援軍が来たとしても、六十万の相手に互せるほどの数はありえない。
 庸の情報収集能力は往時に比して低下していたが、それでも騎馬民族の大まかな勢力くらいは把握している。最大級がコナレ族であることは確認しており、それに匹敵する兵力がスンク族にあるとしても現在の倍程度が限度のはずだった。
「八万であっても少ないよの… 伏兵も不可能となればこの場に眼前以上の兵力があるとも思えぬし…」
 呂石としては不可解さが先立つが、それでもさらに一日をかけて六十万の布陣を終える。大軍であるゆえに陣をくのも一苦労なのだ。
 その間にスンク族が襲ってこないとも限らないが、庸軍の前衛は彼らの倍以上の兵力で真っ先に布陣を終え、むしろ敵襲があった方がありがたいくらいの堅牢けんろうさを誇っていた。先制攻撃を迎え撃ち、敵の勢いが削がれたところで全軍を叩きつけるだけで事は済む。この場合、勢いと時機タイミングが最も大切なわけで、布陣が不充分であってもスンク軍を押し潰せるはずであった。
 だがそれを知ってかスンク軍も動かない。庸軍が布陣を構築してゆくのをじっと見ているだけである。
「布陣が完成してしまえば、ますます勝機は遠ざかろうに…」
 呂石としては不可解さが増すばかりだが、味方に有利な状況が出来上がってゆくことにいなやがあるわけではなかった。
「勝ちをゆずってくれるというのなら、素直にもらっておこう」
 布陣を終え、しかしこの日は日が暮れたため開戦はせず、スンク族も陣営に戻ってゆく。夜戦は乱戦になり、状況判断が難しくなるため内部崩壊の危険が強い。それを懸念してのことだろう。
 庸軍もあえて追わず、陣営地を築く。夜襲には最大の注意を払ってのことで、呂石は隙を見せない。スンク族も動くことなくその夜は過ぎた。
「明日が決戦か」
 夜襲もなく、あるいは夜陰に乗じてスンク族が逃げ出すかとも思ったが、その気配もない。どうやら彼らは本当に自分たちと正面から雌雄を決するつもりらしい。
 であるなら呂石としても退くつもりはなかった。明朝あらためてスンク軍を撃滅してくれよう。
 あれこれ考えるのをやめた呂石は、天幕の中で眠りに落ちた。


 その夜のスンク族陣営地では、族長と甥が会話をしている。
「予定通りだったな。決戦は明日か」
「さようですな、叔父上」
「連中ののろまさのために慣れぬことを押しつけられた。あとでびを入れさせんと気が済まんな」
 布陣しつつも戦うことなく時間の経過を待っていたバジュは、わざとらしくった肩をほぐすような仕草をして、冗談とも本気ともつかないことを口にする。そんな叔父に、タクグスは微笑した。
「我らだけではなく庸軍も含め、すべての者たちにおいて現状は慣れぬことの連続でしょう。しかしおそらく今は歴史の転換点。最後の勝者となるためです。多少の忍耐はしのびましょう」
「そうさな。我が族が地上最強であることを満天下に知らしめるためだ。この程度のことは耐えようか。だが明日は何一つ我慢せぬぞ」
「もちろんでございます。明日はこれまでの鬱憤うっぷんを存分に晴らすことといたしましょう」
 バジュの強い言に今度はタクグスも同調する。騎馬民族には珍しい智将であるタクグスとて己の体に流れる血を誇りとする心に変わりはない。時機さえ間違えなければその血の熱さを解放するにためらいはなかった。
 そんな甥をバジュは満足げに見てうなずくと、再度庸軍を見た。
 決戦は明日。庸軍とスンク軍の総司令官二人が暗黙のうちに示し合わせた以上、開戦は確定である。
 それはつまり、身を斬るような北方の厳しい風に鍛えられた血を持つ者たちと、深く分厚い年輪によって醸成じょうせいされた血を持つ者たちの、どちらかが勝者となり、どちらかが敗者となることも決まったということであった。
 その結果により、歴史の天秤てんびんの傾きも大きく変わってくるのだ。


 次の日の朝。庸軍とスンク軍は同じ場所で布陣を終えた。どちらも昨日と同じ陣容である。
「変更はなしか…」
 それを見て呂石は眉間にしわを寄せた。この兵力差を縮めるためにスンク族はなにか違う手を打ってくるかと考えていたのだ。だがなんの工夫もないらしい。伏兵をいた様子もなく、罠を仕掛けた気配もない。正面からぶつかるだけのようだ。
「真実、我らを軽侮けいぶしているだけか」
 ここにきてようやく呂石はそのことを確信し、ついで怒りを覚えた。六十万の兵に四万の兵で正面からぶつかり勝てると思われていることが彼の民族的誇りに傷をつけた。
「その思い上がりを後悔する間もなく天界へ送り込んでくれよう」
 すでに各軍の将軍や各部隊の隊長へは基本的な戦い方は伝えてある。兵も戦気にはやっており、呂石の仕事はその戦気を解き放ってやることだけであった。
 呂石は右手を挙げる。それを見た彼の近くにいる幕僚ばくりょうたちは息を詰める。そして呂石は上げた手を振りおろした。
「突撃!」
 短い指令が半鐘はんしょう銅鑼どらの音を通して全軍へ届く。
「突撃!」
「突撃!」
 各将から各隊長へ、そして各隊長から各兵へ命令が伝達され、喚声かんせいとともに全軍がスンク軍へ向けて突進を開始する。
 六十万の突撃は、意思ある怒濤どとうとなってスンク軍へ襲いかかってゆく。
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