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庸滅亡 作者:文叔

第四章 昏晦平原の戦い

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第四章 昏晦平原の戦い 3

 庸軍六十万は被害らしい被害もなく全員渡河を終え、兵たちの士気を大いにげた。たとえ水に慣れている庸軍であっても、六十万の渡河は一つの会戦の勝利に等しい大事業なのだ。
 バジュたちも、本格的な攻撃はできずとも、代わりにできることはすべてやっていた。
 その「できること」の一つが呂石に報告される。
「閣下、この近辺の城やむらのほとんどは焼かれ、農場や畑も潰されております」
「食糧の補給はままならぬということか…」
 呂石は腕を組んで眉間みけんしわを寄せる。
 大軍を擁することは戦いにおいて最大の利点だが、弊害へいがいもある。その最たるものが食糧の確保であった。人が多ければ多いほど、必要になる食糧は膨大ぼうだいなものになる。将軍の仕事で最も重要なものは、戦闘の指揮より食糧の確保であると断言してもいいほどであり、兵の数が増えるほどその困難度も増大するのだ。
 当然彼らは自分たちでも食糧を大量に用意してきたが、それもいつまでもつものではない。絶えず北河以南から運ばせてはいるが、その補給線を北狄が狙ってこないとも限らない。いや、このような焦土作戦を取ってくる敵である。必ずそうするはずであった。
 そこを待ち伏せて迎え撃つ戦術もあるが、速攻を得意とする騎馬民族相手ではうまくいかないかもしれない。まして相手は、単に補給の邪魔をするためだけの嫌がらせの攻撃に終始する可能性もあった。そのような小部隊の奇襲を完全に防ぐことなど不可能であるし、結果、補給がとどこおれば、会戦以前に食糧が不足し、「敵地」で立ち枯れである。
「ここはやはり、さっさと敵の本拠地を目指すが得策だな」
 上陸後二日をかけて全軍の布陣を整えなおした呂石は、当初の予定通り、スンク族が本拠地としているえいという街を目指して北上を開始した。
 連中とて本拠地を奪われては、敵地で根無し草となってしまう。その後のスンク族の選択や運命は庸側からしてみれば、長城外へ帰るもよし、長城内に居座って溶けてゆくもよしである。
 まして騎馬民族は攻城以上に守城は苦手なのだ。
 数の大差から堂々と会戦もできず、籠城も不利とあっては、スンク族は手詰まりである。庸軍にとって、充分に勝機のある戦略であった。

 が、北上を開始して二日目。呂石は思いもかけぬ報告を受ける。
「スンク軍四万、半舎先に布陣! 我が軍を迎え撃つようです!」
「なんだと! 連中は正気か!?」
 呂石は目をむいて怒鳴った。軍が一日で進む距離を一舎という。その半分の距離にスンク軍のほぼ全軍が布陣しているというのだ。六十万を四万で迎え撃つ。しかもこのあたりには狭隘きょうあいな土地もなく、広い平原しかない。大軍を正面から受け止めるしかないのだ。呂石としては喜ぶ以前に彼らの正気を疑って当然であった。

 だが同時に、連中が正気だとすれば、なにかこちらを撃退する秘策があると考えるべきである。スンク族のほぼ全軍が正面にいる以上、伏兵ふくへいは考えにくく、そもそも小細工をする余地はこの平地にはほとんど存在しない。
 であればこの場合、注意すべきはコナレ族とギョラン族である。こちらのあずかり知らぬ間に、彼らは共闘をはかったのかもしれない。
 彼らの軍をあわせても庸全軍の四分の一程度でしかないが、それでも後背を襲われたり包囲されたりすれば、庸軍にとって敗因になりうる。四倍どころか十倍以上の敵に勝ったという史実は、数は多くないが戦史の至るところに転がっているのだ。ましてや騎馬民族は強く、庸軍より機動力もある。兵数に頼ってあなどる愚は犯せなかった。
「コナレ族とギョラン族を探りに行かせた斥候せっこうを呼べ」
 呂石は上陸前と上陸後に、それぞれコナレ族とギョラン族の様子を調べるため斥候を放っている。彼らの報告はすでに受けていたが、もう一度確認する必要があった。
「なるほど、コナレ族もギョラン族も、動く様子はなかったか」
 呂石はやってきた斥候たちに、二族の様子を事細かに尋ねた。ギョラン族担当の斥候は二日前、コナレ族のそれは三日前にそれぞれ帰ってきていたが、どちらも敵に動く気配はないという報告であった。
「は、連中にとっては敵地でありますし、常に軍は緊張感を持っておりましが、それでもすぐに出撃するという様子は見られませんでした」
「コナレ族も同様であります。軍の訓練等はおこなっておりましたが、スンク族を支援するために出動する気配は見せておりません」
「そうか、わかった。下がれ」
 その他にも前回は聞かなかった細かな部分まで確認した呂石は、斥候たちを下がらせ、再度腕を組んで考えた。
 コナレ族やギョラン族が援軍に来る可能性はないらしい。だとするとスンク族の意図はなんなのか。このまま開戦となれば自殺行為でしかない。スンク族の首脳もその程度のことがわからぬほど無能ではないはずだ。つい数年前まで騎馬民族と対峙たいじしていた呂石は、彼らを侮る気にはなれなかった。

 だがどう考えても相手の意図が見えない。せいぜい「庸軍恐るるに足らず。六十万とて四万で充分である」と、こちらを見下してのこととするしかないが、これも違うような気がする。
「あるいはわしを惑わせ、決断や判断を鈍らせ、その心理の隙を突いてくるつもりかもしれぬな」
 うがちすぎとの自覚はあるが、呂石はそのようにも考える。だが結局のところ、いくら考えてもらちかなかった。
「いずれにせよ、我らは大軍で押し切るのみだ。北狄ほくてきどもがなにやら画策しているとしても、その余地を与えず力で押し潰してくれる」
 呂石はそう結論付けた。それは当初からの戦略であり、戦いの本道であり王道でもある。決して間違ってはいないはずであるし、確かに間違ってはいなかった。
 だが正しい道を歩いていたとしても敵がより正しい道を歩いていた場合、敗北は前者に訪れてしまうのもまた確かなことであった。
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