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庸滅亡 作者:文叔

第二章 宮廷

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第二章 宮廷 7

 戦闘、と言っていいものかどうか。庸軍の全滅は時間にして半刻(約一時間)もかからなかった。コナレ兵の中には「これは本当に庸軍か? なにか別の集団を襲ったのではないか?」と疑心にかられる者がいたほど彼らはなんの抵抗もなく庸軍を粉砕してしまったのだ。文字通り、粉のように砕いて土に返してしまった印象である。
 通常このように一方的な戦いでもかなりの数の兵が逃走に成功するものなのだが、今回はただの一人も逃げ切れなかった。全員戦死である。これには後でその事実を知ったズタス本人すら驚いた。それほどまでに完璧な奇襲であり、素早く包囲を敷いたズタスの戦術が妙であり、庸とコナレの軍・兵の強弱に差があったのだ。また庸軍が完全に停止していたことも大きかっただろう。立ち止まったまま背中から斬りつけられ、なにが起こったのかわからないまま逃げ道を防がれたのだ。反撃どころか状況判断すらままならないまま庸兵は殺されていった。

 ひるがえってコナレ族の被害は、戦死者はもちろん重傷を負った者すらいない。密集地帯で落馬し、足首を捻挫した軽傷者が一人いるだけであった。
 司令官の卓晨も逃げる間もなく殺され、遺体のみがズタスの前に運ばれた後、首だけを斬られた。その首はこの後、籠城ろうじょうするはくの城壁内に投げ込まれる。北上してくる援軍を指揮していたはずの卓晨の変わり果てた姿に、城内の士気は目に見えて落ち、すぐに落城することとなる。


 この戦いは「戦い」や「会戦」の名を与えられることはなかった。「明鴻めいこう街道の殲滅せんめつ」と呼ばれるそれは、これから始まる騎馬民族と庸の長い戦いの最初の本格的な激突であったが、単なる「経過と結果」を表すものとしてしか命名されなかった。


「明鴻街道の殲滅」は寧安ねいあんの朝廷にも衝撃しょうげきをもたらした。一兵も残さぬ全滅など聞いたこともない。誤報であるかと考えもしたが記録を重んじる央華ゆえ、軍における兵士一人一人の登録も完璧である。その登録数と戦死者数が完全に一致し、その他諸々の状況からも誤報や虚報の可能性は排除された。それにたとえ数人の兵士が生き残っていたとしても全滅には違いない。央華大陸全土を見ればまだ兵はいるが、これで北方のまとまった主戦力はほぼ壊滅したと言っていい。北狄の南下を防ぐためにも、実質的に支配された北方を奪還するためにも、全国から本格的な戦力の集結が必要になった。
「まごまごしている暇はないぞ。急がねばこの寧安とて危険だ」
 帝都である寧安は、央華大陸を俯瞰ふかんすれば「北寄り」にある。怒濤どとうの勢いを得始めたコナレ族が帝都まで達する可能性は、低くはない。自分たちの安全にかかわることだけに、宦官派も士大夫派もさすがにいさかいを納め外敵に対しようとしはじめた。

 が、それでも楽観する気分もないことはない。
「たしかに北狄ほくてきは強力だが数は三万。大軍ではあっても央華全土を征するには少なすぎよう。それに連中の最大の目的は略奪だ。奪えるだけ奪い、両手に抱えきれないほどの獲物を手に入れれば、それで北へ帰ってゆくことだろう。被害は甚大じんだいにはなろうし再興に時間も費用もかかろるだろうが、じっとしていれば去る嵐のようなものだ。耐えてしかるべし」
 当然北に住む民を見殺しにするつもりはなく、軍隊を編成して北へ向かわせ、北狄を撃退する。それでもこの暴風が一時のものであると考えるのは、宦官派も士大夫派も変わりはなかった。
 だが彼らの考えは甘かった。北からさらなる兵が南下し、益を占領したコナレ軍三万と合流したという報告は彼らにさらなる衝撃を与えた。しかもこの後、これ以上の衝撃が続く。
 彼らは自分たちが歴史の分岐点にいるという自覚を持ち得なかった。それを持っていたのは、北からやってきた蛮族の長だけであった。


「師よ、お待ちしておりました」
 北の首都・えきで合流したコナレ族を率いてきたのはズタスの息子だが、その中に顧問として長年族長の師を努めてきた韓嘉かんかもいた。ズタスは誰よりも先に彼に会いにゆき、そして丁重に礼をほどこした。韓嘉も静かにうなずくと、感慨深げに、しかしやはりどこか複雑さをにじませながら無言で周囲を見回した。
「……」
 韓嘉は庸の使者としてコナレ族を訪れ、そのまま半ば強制される形でズタスの師となったのだ。彼は帝都・寧安出身であるため、今いる場所は厳密には故郷ではなかったが、故国であるには違いない。このような望まぬ形の帰郷でも胸にあふれるものを抑えることはできないようだった。
「……」
 その師に対してズタスもしばらくなにも言えなかった。韓嘉の帰国は十三年ぶりのことである。それほどに長く故郷を離れさせ、「敵」としての帰国を強いたのは他ならぬズタスであった。韓嘉はそれについてなにも言わないが、これもまたズタスには心苦しい。思えば三十代の青年であった師も四十をうに越え、髪には白いものが混じっている。ズタスが勧めてもコナレの地で妻をめとることもなかった。故郷に妻子がいるらしいとズタスはその時の韓嘉の様子から察したが、それについても互いになにも言わなかった。

「……略奪は、しばらくは致し方ありますまい。しかし一段落したら最小限に。よろしいか」
 ほとんどの央華人にとっては肌寒く、北方騎馬民族にはあたたかいとすら感じる涼風の中、そのどちらの感覚も持つ韓嘉は静かに表情をあらためると、ズタスにかねてからの方針を確認した。
「はい、わかっております」
「最初は仕方ありますまい。兵たちは略奪を楽しみにいくさの労苦に耐えておるのです。そして私たちと共に今到着した者たちも、それは変わりありません。だがいつまでも奪い、殺し、壊すのみではおさの野心はかなえられませぬ。彼らがひとまず満足を得た後は違うやり方に変更せねば」
 繰り返し静かに語る韓嘉の胸中はいかほどのものか。騎馬民族の性情と現実を見ればその方針を取らざるを得ない。だがそれは韓嘉にとって、同胞を見殺しにすることなのだ。そして彼自身は安全な場所で侵略者たちに手を貸している。
 すでに十年以上をかけて覚悟してきた状況である。韓嘉の想いに変化はなかった。いずれ地獄に落ちるにしても、その道連れを一人でも少なくする。それが彼の、おのれにふりかかった数奇な運命に対する精一杯の抵抗であった。
 そして言葉では聞かないが、そのような師の覚悟を感じるズタスも神妙に応じる。
「はい、心得ております、師よ」
 それを見た韓嘉はうなずき、話題を変えた。
「さて、長よ。まずはここ益を一時的な根拠地として、周辺を攻略してゆくことになります」
「は、師にうかがった通り、この地は足場として使うには非常に便利でありますな」
「さよう、交通の要地であるし、広い平原でもある。防衛としては弱くありますが、長居をするつもりがない我らには都合がよいでしょう。それに騎馬の民は攻城もですが籠城も苦手でありますし、今はまだ城壁のある地にこもっても害の方が大きいと思われますからな」
「は、さようですな」
 かねてから師 兼 対庸特別顧問である韓嘉と練ってきた方針をあらためて確認しつつ、ズタスは師とともにやってきた同胞を見る。その人数は数十万を越え、中には女子供もいる。彼らが天幕を張り、住む場所を造る様子は、まるで一つの巨大な街を建設するに似た風景であった。
 そしてそれは、事実その通りである。ここにいるのはコナレ族のほぼ全員であり、彼らは民族を挙げて「引っ越して」きたも同然なのだ。
「これより我らは庸を征服する」
 その意志を、ズタスはこの行為によって庸の民に示す。これは彼の宣戦布告だった。
「しかし長よ、これからはさらに混迷は深まりますぞ」
 韓嘉はズタスに対しそう告げる。これもまた彼らの間で何度も話し合ったことだが、やはり確認しておかないわけにはいかない。これからの彼らの敵は庸だけではなくなるのだ。
「覚悟の上です、師よ。ですが必ず勝者となってこの央華に君臨してみせます」
 混迷と困難とが倍増するであろうことはズタスもわかっている。だがそれを上回る野心が彼にはあり、成し遂げる自信も彼の内にはあった。


 三万のはずだったコナレ族が大挙侵入。しかも軍だけでなく民間人と言っていい者たちまで連れて長城内へ橋頭堡きょうとうほきずき始めたことに、庸の宮廷は震撼しんかんする。
 コナレ族に限らないが、北方の騎馬民族は風のように侵略し、戦利品を抱えて風のように去ってゆくのが常套じょうとうであった。だがこの行為は明らかにこれまでと違う。本腰を入れて央華大陸を侵略するつもりなのだ。
「馬鹿にするのもほどにせよ!」
 震撼すると同時に激しい屈辱と怒りを宮廷は爆発させた。それはそうであろう。いくら軍事的に劣勢とはいえ央華は自分たちの土地である。それを蛮族とさげすんでいる相手が好きなように奪おうなど、実質的な被害以上に彼らの誇りを傷つけた。
「なにがなんでも北狄を駆逐くちくする。あの者ども、無事に故郷へ帰れると思うなよ!」
「おうさ! ただの一人とて無傷なままで帰さぬ! 二度とこのような不遜ふそん真似まねができぬよう、完膚かんぷなきまでに叩き潰してくれようぞ!」
「それとても生ぬるい。奴らの故地まで攻め上り、その地からすら叩き出してくれる!」
 この時ばかりは宦官派も士大夫派もなく、すべての廷臣が騎馬民族に対する怒りに燃えていた。庸の宮廷がこれほど団結したのはこの時が始めてだったかもしれない。それほどに彼らの怒りは凄まじかったのだ。

 が、その怒りに厚く重い鉄板が勢いよくのしかかってきた。これまで以上の凶報が庸の宮廷を襲ったのである。
「さらなる北狄襲来! 次々と長城を越えつつあります!」
 それは意外でもあり、しかし必然なことと彼らはいまさらながら気がついた。
「コナレ以外の北狄どもか……!」
 コナレ族への怒りに燃えていた廷臣たちが頭をかきむしりたい衝動に駆られる事態であった。
 北方の騎馬民族はコナレ族だけではない。コナレ族は騎馬民族の中ではたしかに巨大な勢力だったが、彼ら以外にも大小無数の部族がいるのだ。中にはコナレと同規模の大勢力もある。
 それらが大挙して防衛力を失った長城を突破してきたのだ。コナレ族の侵攻だけでも手に余る事態であるのに、さらなる侵略者が大挙して押し掛けてきた。しかもその数は減ることはなく、これからさらに増えるに違いないのだ。
 亡国の危機である。いかに政争に明け暮れるしか能のなかった彼らでも、防衛の戦意は衰えていなかった。だがこれからの困難を思えば心に無力感が吹き抜けるのも自覚せずにいられなかった。
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