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庸滅亡 作者:文叔

第二章 宮廷

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第二章 宮廷 6

 益に集結しはじめていた庸軍が動き始めたことをズタスはすぐに知った。斥候せっこうに見張らせていたのだから当然である。しかも斥候には庸軍の全体の数だけでなく、歩兵と騎兵の比率、補給部隊や工兵隊などの非戦闘員の数、兵の質や指揮官が誰であるかなど、できるだけ事細かに調べてくるように指示してあった。
 庸軍も当然斥候は放っていたが、彼らは指揮官である卓晨たくしんに「約三万の兵が懸命にはくを攻めている」程度の表面的な報告しかしておらず、また報告を受けた卓晨もそれで満足しており、この点でも庸軍はコナレ軍に大きく差をつけられることになった。
 本来なら情報戦は庸の方が上手であったのだが、長い平和の間に庸の諜報ちょうほう力は衰えてきており、逆にコナレ族のそれはズタスの教化により、鋭くも骨太のものとなっていた。

 それはズタス個人の才でもあるのだが、韓嘉かんかに教えを受けて身に付けた庸をはじめとする央華の知識によるところも大きい。
 央華は彼ら自身の英知を受け継いだ「弟子」によって痛打つうだこうむろうとしていた。
 だがそれは、央華の歴史や文明に人格があるのなら喜ばしいことと感じていたかもしれない。師を乗り越えることこそが弟子にとって最大の恩返しであり、師と呼ばれるにふさわしい者は、乗り越えられることを心から喜ぶ者であるのだから。


 そして「弟子」はついに行動を起こす。
「騎兵一万を選抜せよ。他の兵はこのまま柏攻略を続行。ただし三分の一の兵が抜けたことを悟られぬように気をつけよ。おそらく庸援軍の斥候はすでにこの場を立ち去っていようが、柏城内の兵が異変に気づき、援軍になにがしかの報告をする可能性があるからな。ゆえにここに残っての攻城は城を攻め落とすためではなく、城内の兵を封じ込めるためのものだと知れ。たとえ一兵たりとも城内から出させるな。よいな」
 と、ズタスは自分に代わって柏攻城戦を指揮する将に事細かに指示すると、自らが新たに編成した一万の騎兵をもって出陣する。その時刻は深夜であり、敵どころか味方にも気づかれぬほど静かな出立であった。この一事だけでもズタスの指揮する騎兵隊が精鋭であることがわかる。
 その精鋭を率い、ズタスは夜の敵地を疾走する。


 益を出撃して三日目の朝、卓晨が指揮する庸の援軍は陣営地を引き払い、柏へ向けての行軍を再開した。いかに強行軍であっても五万の兵をたった一日で柏のある地まで率いてゆくことはできない。通常の行軍で十日であるところを六日に縮めようというのが卓晨の意図であった。本来であればあと一日は早められるが、それでは兵が疲れすぎてコナレ軍と対峙たいじしたとき使い物にならない。それに斥候の報告ではコナレ族の城攻めは、激しくはあっても非効率で、まだしばらくは柏もつとのことである。卓晨は勇敢であっても無謀ではなく、自軍の強さに自信はあっても敵軍の力量をみくびってはいなかった。できるだけ条件をよくしてから戦端を開きたいと考えていたのだ。

 だが彼は勇敢で冷静ではあったが、やや疎漏そろうだったかもしれない。いや確かに斥候の選抜が甘く、正確な報告を得られなかったところを見れば細部があらかったと言わざるをえない。
 しかしやはりそこはズタスが二枚も三枚も上手だったという方が公正であろう。卓晨は行軍中、戦場も遠く離れたこのような場所でこのような報告を聞くとは思ってもいなかった。
「後背より正体不明の騎馬群接近中」
「なんだと?」
 驚きを含んだいぶかしさの中、卓晨は背後を振り返り自分の目で確認した。朝日の中、濛々(もうもう)と上がる砂煙がたしかに見え、それが数千を越える騎馬のものであるとすぐにわかった。だがそれがどこから来て、誰の指揮する騎馬隊であるかがわからなかった。
「どこかの城から騎馬隊のみの援兵の申し出があったか」
「いえ、そのような報告はございません」
 いぶかしさを表情に浮かべたまま卓晨は副官に確認するが、副官は生真面目にそう答え、指揮官をますます困惑させる。
 この時点で卓晨は、迫ってくる騎馬隊――規模からすれば騎馬軍というべきか――が味方であろうことを疑っていなかった。ここは自国の領土であり、敵は遙か前方にいる。後方から現れるはずがなかった。
「よし、全軍一時停止だ。それと何騎かあの騎馬軍へ送って、指揮官にわしの元へやってくるように伝えよ」
 それだけに卓晨は一旦行軍を停止する。どこの誰だかわからないがまずは合流し、話を聞いて自分の指揮下に入れようと考えたのだ。この一帯の軍の指揮権は彼にあり、これは越権行為でもなんでもなかった。ただ一つ問題だったのは、命令を受ける方が彼の指揮下に入る義務がなかったことだけである。


 庸軍は整然と停止し、五騎ほどが騎馬軍へ向かって走ってゆく。それを見送った卓晨は、しばらくじっと背後を見続ける。
「………?」
 いぶかしげだった卓晨の表情が、さらにいぶかしさを増す。騎馬軍の速度が落ちないのだ。すでに彼の伝言を持った五騎は到着しているはずである。誘導に従って速度をゆるめるのが当然であり、そうでなくてもこのままでは、友軍である自分たちに「追突」してしまうことは彼らにもわかるはずである。
「…………」
 それでも騎馬軍は速度をゆるめない。すでにいぶかしさは卓晨だけでなく、庸軍すべての兵が感じている。そしていぶかしさ以外の、なにかざわついた感覚が腹の底から全身に、しかも急速に湧き上がってくるのも感じていた。それは不快な感覚であり、しかも最上級の不快さであることも兵たちは感じ取っている。
 なのにその不快さの正体が見極められない。状況の変化と異常さに感覚は反応しているが、思考がついていけないのだ。
 そして思考が感覚に追いついた瞬間、彼らは絶叫していた。
「敵だあ! 北狄ほくてきだあ!!」
 庸兵たちの叫びは騎馬軍――ズタス率いるコナレ軍精鋭一万の突入とともに砕け散った。彼らの肉体と、追いついた思考が導き出した感覚――恐怖とともに。


 ズタスを先頭に庸軍の後背に突撃したコナレ軍は、そこからさらに左右へ分かれ、彼らを完全包囲してしまった。庸兵たちは枯れ枝のようにへし折られ、踏みつぶされていった。剣を使い、槍を振るう必要もないほどで、ただ馬を走らせて彼らを蹴り砕き、弾き飛ばしてしまう。
 それも当然である。庸軍は布陣を敷く以前の状態で敵に対して正面すら向いておらず、背中を無防備に一撃されたのだ。戦意の一欠片ひとかけらも持たず、加えて突撃されるまで敵だとすら思っていなかった。なにが起こったかわからない兵の方が多いほどで、虐殺という言葉でも軽く感じるほど庸軍は簡単に解体されていった。撃滅ではない。解体である。庸軍は逃げる間さえなく、土で出来た人形のように崩れさってゆく。

「北狄!? 北狄だと!? 馬鹿な、どこから湧いた! コナレと違う部族まで侵入してきたのか!?」
 兵たちの悲鳴より速く自軍を消しつぶしてゆくコナレ軍を見て、卓晨は怒りにも似た声を発した。
 彼にしてみれば無理もない認識だった。コナレ軍は今自分たちが向かっている柏に全軍がいるはずである。それが背後から、しかもこれほどの大軍をもって現れるはずがなかった。
 が、やはりこの惨状の原因の半ばは卓晨自身に帰してしまう。彼が質量ともにもう少し情報収集に力を入れていれば、柏を攻めるコナレ軍から一万の兵が抜けたことに気づけただろう。
 それ以前に、自分たち庸の援軍が迫っているというのに愚直に柏を攻め続けるコナレ軍に違和感を覚えるべきだっただろう。

 といえやはりこれは前述した通り、ズタスの能力が卓晨を遥かに上回ったと考えるべきだった。庸軍が数騎の斥侯で表面を撫でる程度の偵察しかおこなわなかったのに対し、ズタスは斥候能力にけた数十騎を日に二度以上必ず派遣し、庸軍の動きを徹底して把握していた。しかもそれだけでなく、庸の地理を知るため占拠した役所から地図をいくつも押収し、また地元民を脅して道案内させ、さらに専用の騎兵を使ってその道が行軍可能かどうかを実地で調べさせてすらいたのだ。
 それゆえにコナレ軍一万はまったく道に迷うこともなく、庸軍に見つかることもなく、大きく迂回しながらも騎兵の機動力を活かし、わずか一日で彼らの背後に現れることができたのである。庸軍を襲撃できる位置までたどり着いたのは深夜であったが、夜では自分たちも敵がよく見えず、混乱の末取り逃がす将兵も多かろうという理由で、明朝まで仮眠を取る余裕すらあったのだ。
 彼らが起き出したのは夜明け前で、炊煙すいえんを出さないため干し肉で簡単に食事を終え、休息も充分に取れていた。
 このような精強な軍に戦意なく後背を突かれては、庸軍には全滅の二文字の結末しか許されないのも当然であった。
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