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庸滅亡 作者:文叔

第二章 宮廷

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第二章 宮廷 3

 宦官たちも最初は慎ましかった。中には調子に乗り、手に入れた権力を私欲のために行使しようとする者もいたが、そのような者たちは廷臣や民衆だけでなく、同じ宦官たちから吊し上げられた。それどころか最も苛烈に断罪したのは宦官たち自身であった。彼らとて自分たちの立場や地位を上げてくれた王健を純粋に尊敬し感謝している。その王健の名を辱めるような真似はしてはならないと考える明朗な意識もあった。
 だがそれと同等以上に、自分たちに対する廷臣や民衆の好意がまだ表面だけで、芯から染まりきっていないことを察してもいたのだ。宦官のほとんどはやはり陰に生きる者で、人の情実の正の面より負の面に敏感であり、過敏と言っていいほどであった。
「まだ気を許してはならん。宮廷の者どもも民衆も今我らを誉めそやかしておるのは一過性のものにすぎぬ。いずれ熱は冷めるであろうが、それまでに我らの立場を可能な限り強固なものにしておくのだ。それまではおとなしくしておれ。善き顔をしておれ」
 と、ひそかに仲間に語ったのは、王健の次の代の宦官の長である馮徹ふうてつだった。彼は王健の築いたものを盤石にした。悪い意味で。
 彼もまた優秀な男であったが、王健と違ってその性質が陰に属するものであったのだ。それが庸の将来を左右した。


 馮徹が生きていた間、宦官たちは静かに、潜伏するように庸の中枢に根を張っていった。こらえきれずに暴発しかかる者もいたが、そのような者まで抑えきった馮徹の統率力は尋常なものではなかった。そして彼が亡くなる頃には、宦官の勢力はどのような者にも覆せないほど強固なものになっていたのである。
「さあ、もうよいぞ」
 馮徹は死の床でそのように遺言したと言われる。この逸話からもわかるように、彼自身は彼が統率し作り上げた宦官の天下をほとんど享受せずに死んでいった。彼もまた王健と同じように、他者のために自らを使いきる人生を歩みきったのだ。
 だが歴史上、王健と馮徹はまったく逆の評価を受けることとなる。その理由はただ一つ、王健は庸の民全員のためにそれを為し、馮徹は宦官のためのみにそれをおこなった。その違いだけだった。

 庸帝国以外にも宦官の害悪に悩まされた国は歴史上いくつもあった。だが庸のそれが最も大きなものであったとする後世の人間は多い。なにしろ第四代から庸が滅亡する第八代まで、すべての皇帝を擁立したのが宦官であったほどに彼らの影響力は絶大だったのだ。皇帝の首すら好きにすげ替えられるほどの権力を持った勢力である。宰相はもちろん、財務、司法、行政、軍司令官など、国家の要職すべてを、ひげのない彼らの顔で占めるなど造作もないことであった。


 これは朝廷の士大夫たちにとって恥辱の極みであった。宦官とは本来刑罰を受けた罪人であり、人以下の存在である。士大夫たちの意識からいえば、畜生に上に立たれ、彼らに頭を下げるのと同じことであった。そして宦官が国の代表である以上これらの恥辱を他国に対してもあからさまにさらしていることになる。これもまた彼ら士大夫の羞恥心と屈辱を強く刺激した。
 そして士大夫たちほどではないにしても、似たような感情は庶民の間にもあった。彼らは宦官と身近に接する機会が少なかったこともあり、士大夫ほど強烈な反感は持ってはいなかったが、彼らが自分たちと違う存在であるということは知っていた。それは知識だけではなく感覚的にもである。自分たちと異質の存在に統治されるのは、彼らにとってさえ愉快な話ではなかった。

 それでも宦官が善政を敷けば、庶民にとってはさほどの大事ではなかったかもしれない。彼らは王健のことを忘れていなかったし、政権争いなど結局のところ庶民から見ればわんの中の嵐でしかないのだ。
 だが自分たちの立場が盤石になったと知った宦官たちはからはたががはずれていた。自分たちだけが良い思いをするために重税を課すなど当たり前で、それ以外にも個人の権力を使って民衆からしぼり取ることに狂奔きょうほんした。
 いわば庶民は、宦官全体が定めた国法による税だけでなく、個人としての宦官が徴収する税と、二重の税を押しつけられたのである。このようなことをされては王健に対する敬意も感謝も霧消するのが当然であった。
 王健への敬意は士大夫層にもあったが、それも宦官たちがおとなしくしていればこそである。彼らが大っぴらに彼らの上に立った瞬間から、その感情は霧消していた。


 このような暴政であれば宦官の天下などすぐに覆りそうだが、そうはならなかった。
 宦官たちが優れていたからではない。中には有能といっていい者もいたが、王健や馮徹のような異才はいなかった。それなのに彼らに対する反抗や叛乱はすべて潰され、それを基にさらに強大な宦官体制を築き上げていけた。
 それほどまでに馮徹の作り上げた統治組織は強固だったのである。
 彼の組織構築能力は芸術の域に達していた。それはほとんどが凡庸以下の人材しかいなかった宦官の天下を、組織力のみで数十年も続かせたことからも証明されている。だがその芸術は宦官以外誰も幸せにしなかったことから、ほとんどの人間に賞賛されずに人の世の歴史に遺ることとなる。


 しかし、どれほど堅固な組織でも限界はある。
 馮徹の作り上げた組織は庸国内においては完璧と言っていいほどに機能していた。国内においては、正面からはもちろん、裏面側面からの攻撃でも宦官に敵対することはすでに不可能だった。可能にしたかもしれない勢力や人材は宦官たちにことごとく潰され粛正されていた。ゆえにほとんどの人間は絶望と共に現状を受け入れるしかないと感じていたのだが、あきらめ切れない者もいた。その中の一人が張堅であったのだ。
「あの姦賊かんぞくどもを滅さねば、我が大庸はことごとく食いつぶされてしまう。しかもただ潰されるだけではない。不浄の者(宦官)に滅ぼされた央華史上初の王朝として歴史に汚名を遺してしまうのだ。そのようなことになったら、我らは太祖陛下(初代皇帝)になんとおびすればよいのか…」
 絶望の中に希望を見いだそうとする時、人の想念や思考は飛躍する。常であれば思いつけないほど害悪の多い方法を考えついてしまう。そして絶望が深ければ深いほど、その害悪に目をつぶり、行動を起こしてしまうのだ。
 張堅がズタスへ出した書簡がそれであった。


「張堅は思ったのでしょう。宦官を滅ぼせるのなら鬼神とでも手を結ぼうと。そして北狄は鬼神よりはましだと。いやたかが北の蛮賊、うまくあやつることすらできるかもしれない。充分な恩賞を与えてやれば喜んで宦官どもを皆殺しにし、そのまま北の荒野へ帰ってゆくのではないか。あるいは多少民が殺され、邑は焼かれ、財は奪われるかもしれぬ。だがあの白蟻しろあり以下の害虫どもが我らが祖国を食いつぶすに比べれば、その程度の被害などなにほどのものか、と」
 韓嘉かんかは歯に衣着せぬ物言いで張堅の心情を代弁し終えた。それを聞いたズタスが苦笑を漏らしたのは師の物言いに対してか、張堅の虫のいい考えに対してかはわからない。だが張堅の真意がそうであるのなら書簡の内容は文面のまま信じてよく、そして倫理的に後ろめたさを覚える必要もない。自分たちを利用しようとしている者に気を遣ってやる義務など、この世のどこにもなかった。
「では師よ、ここに書かれた条件とは、どのようなものになるでしょう」
 苦笑を収めたズタスは、そのことについても韓嘉に尋ねた。
「さよう、まずは陛下をはじめ、皇族の方々には絶対に手を出さないこと。そして出来うる限り民を害さないこと。報償については交渉次第。そしてなにより、宦官には必ず壊滅的な打撃を与えること。そのようなところでしょうか」
「なるほど、では我らは彼らに、どれほどの報償を求めればよろしいか?」
 師の答えにズタスはうなずき、そしてにやりと笑って尋ねた。その笑いに込められたものを韓嘉は正確に感じ取り、答えた。
「さよう、仔州ししゅうを含む十州をよこせ、というあたりでしょうか」
 仔州は庸の北方で最も栄えている州で「北の首州」と言っていい地域だった。そこを含めての十州といえば「小国を一つ割譲かつじょうせよ」というに等しい。
「いきなり十州でござるか。師はなかなかに欲が深い」
 ズタスは笑い、韓嘉はにこりともせず続ける。
「ここから交渉になりましょう。最終的には六から七州。このあたりで手が打たれると思われます」
「なるほど、そのあたりなら現実的と考えるでござろうな。たかが欲の深い北の蛮賊を満足させて追い返す報償としては」
 ズタスは笑いの種類を少し変え、師の意見に賛意を見せた。
 ズタスはすでに決していたのだ。張堅の提案に乗ると。そして庸の領土深くへ侵入し、かの地を我が物とすると。「交渉」とその結果は、張堅たち庸の士大夫を油断させる方便に過ぎない。「欲深く智なき蛮賊」を甘く見た報いは、その時に存分に味わわせてやろう。
「それにしても…」
 と、ズタスは思う。彼は長城を越えて庸を侵略することはほとんどあきらめていたのだ。長城に孔を穿うがつだけの力を自分は身につけることができなかった。そう感じていたのである。それが突然、開くはずのなかった長城の壁に孔が開いた。
「これを天与と言わずになんという」
 ズタスはこれまで、ごく素朴な信心しか持ち合わせていなかった。コナレ族を含めた騎馬民族は、太陽や雷などの大自然を神の化身としてあがめている。それゆえ神は、生きる糧を与えて彼らを守り、あらがいようのない自然の猛威によって彼らを戒めはしても、あくまでも守護のための存在であった。
 だがズタスは、ここではじめて天意を感じた。彼に天が「庸を滅ぼし、央華を汝のものにせよ」と告げてきているのだ。天意などというものが央華の思想であることはズタスも自覚している。なにしろ韓嘉から教えられた思想なのだ。だからこそ彼は思うのだ。自分は央華の支配者になるために師を与えられたのだと。央華の天が、自分こそが央華の支配者にふさわしいと、命を下してくれたのだと。
 ズタスはただの侵略者や略奪者ではなく、中原に鹿を追う王朝創始者として生まれ変わろうとしていた。
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