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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕 が含まれています。

“悪役”令嬢の婚約破棄、もしくは〈黒の聖女〉顛末記

作者:ふじやま
          ■

「オティーリエ、本当に残念だよ。
 エミーリア嬢に対する陰湿な苛め。公爵令嬢という立場を使って、エミーリア嬢を退学させようとすらしている。
 あまつさえ、君に付き従ってきた生徒たちまで、影で侮辱するその態度。
 僕が何も気づいていないとでも、思っていたのか?」

 学園の食堂で、大勢の生徒に囲まれ、私は一人だった。

「君との婚約は解消する。
 学園長は、君の退学を決議した。1週間後には正式な通達がある。今のうちに荷物をまとめておくことだ」

 私を弾劾しているのは、エルヴィン王子。かつての(・・・・)婚約者だった相手だ。もっとも、私たちが生まれる前から決まっていた婚約だし、これといって王子に思い入れがあるわけでもない。
 王子の脇を固めるマルツェル、ミロスラフ、テオドルの三馬鹿も、今日ばかりは目が真剣だ。軍事、経済、司法の頂点を司る王国三家のお世継ぎたちは、普段は茶目っ気と洒落っ気に生きてる連中だけど、魂の奥底には鋼鉄よりも靭い正義感が赤々と燃えている。そしてそれは、エルヴィン王子も同じだ。

 私は、王子が手を取る少女を、見る。平民であるにもかかわらず、この貴族院に特別枠で進学してきた、エミーリア嬢だ。
 彼女は一瞬だけ私の視線に怯んだが、それでも毅然として私の目を見返してきた。綺麗な黒髪に、やや薄い茶色の瞳が目を引く、朴訥な少女。はっきり言えば田舎者そのものだが、磨けば目が醒めるような美人になるタイプだ。
 なにより、彼女には抜きん出た知性がある。「女は馬鹿なくらいが丁度いい」などと言い出す昆虫ならともかく、まともな脳みそを頭蓋骨の内部に収納している人間なら、彼女の知性に惚れこまざるを得ないだろう。

 ともあれ、ここで後に退くわけには、いかない。

「随分と一方的なお言葉ですね、エルヴィン様。
 申し訳ございませんが、私には身に覚えがございません。
 そもそも、何か証拠でもあるのですか?
 ねえ、テオドル。あなたは司法の長、バルトゥシェク家のご長男でしょう? こんな横暴、認めてよろしくて?」

 呆れたと言わんばかりの顔で、テオドルが一歩前に進み出た。

「オティーリエ。エルヴィン王子の、せめてもの温情すら、分からないのか?
 それともこの場で、すべての証拠を開示しようか?
 君が行ってきた、言語道断な所業のすべてを?」

 マルツェルも、私をギロリと睨む。“猪将軍”マツィークの嫡男だけあって脳筋タイプだが、それだけに、視線に迫力がある。

「それ以前の問題だ。この裁定は、エルヴィン王子が定められたもの。
 貴女は王子のご聖断に異を唱えるか?
 そうであるなら、貴女は俺の敵だ。この場で斬る」

 過激と言えば過激、妥当と言えば妥当なマルツェルの言葉を受けて、ミロスラフが場をとりなす。

「まあまあ。オティーリエさん、僕もここは引きどころだと思うね。
 あなたが個人で保有している資産があれば、一生慎ましやかに生きていくことくらいは可能なはずだ。公爵家の個人資産だから、課税もされないし。
 これ以上、無駄な抵抗をして、それまで失うハメになったら、君は今度こそ本当にお終いだよ?」

 ミロスラフのあまりにも間抜けな言葉に、思わず激高してしまう。

「ミロスラフ、あなたは馬鹿なの?
 なぜ私が、引かねばならないのよ?
 いえ、いいわ。仮にあなたの賢いご提案を採用させて頂くとして、慎ましやかな生活? 馬鹿にしないでくださる? 私は公爵家の人間なのよ? 家の格にふさわしい生活をして当然じゃない。
 それに、本当に婚約が破棄されたら、父は私を迷わず勘当するでしょうね。
 そうしたら、個人資産も何も、あったものじゃないわ」

 けれどエルヴィン王子は、私の言葉を遮った。

「オティーリエ。君はまだ、現実が分かっていないようだな。
 本当に婚約が破棄されたら、ではない。
 もう、君との婚約は、破棄された。
 これは父上――つまりアンダールス国王たるスラヴォミール陛下のご裁定だ」

 国王陛下のご裁定。

 その言葉に、周囲の空気は急激に冷めていった。
 これはもう、覆せない。
 どんな反論をしても、どんな弁護があっても、無駄だ。

 だが、かくなる上は、私にも覚悟がある。
 せめて公爵令嬢としての矜持は、保たねば。
 それが、まもなく失われる地位だたっとしても。

国王陛下のご聖断(・・・・・・・・)、確かに拝領いたしました。
 エルヴィン王子、エミーリア嬢と末永くお幸せに」

 私は踵を返し、背後を固めていた人垣を睨みつける。
 私の視線を浴びた人垣が、さっと2つに割れた。
 ほんと、馬鹿。馬鹿な人たち。

 私は一人、自室に戻ることにする。
 決して俯くことなく、背筋を伸ばして。

 一週間後、私は馬車に乗り、学園を去った。

 そしてその一週間後、私は父から勘当を言い渡された。

 たった二週間で、私はすべてを失い。
 そして本当に望んだものをすべて、手に入れた。

          □

 あれから10年が経った。
 たくさんのことが、あった。
 良いことも、悪いことも、たくさん。

 そして今、私は王都の地下牢にいる。
 死刑以外に未来を持たぬ重犯罪人が監禁される、月明かりひとつ差し込まない牢屋だ。
 体の芯まで凍えんばかりに寒いし、臭いもひどい。
 隣の牢獄には薬物中毒になった挙句、多数の市民を殺害した罪で収監されている女がいて、これがまた起きている間はずっと何かを喚き散らしていて、実に不愉快だ。今は幸い、いびきをかいて熟睡しているが。

 元公爵令嬢、絞首台に散る、か。

 明日の新聞にはきっと、そんな見出しが踊るのだろう。
 できれば、その新聞を見てみたかった。
 それが叶いそうにないのが、心残りだ。

 そんなことを考えていると、カツリ、カツリと、冷たい靴音が聞こえてきた。
 靴音にあわせて、ランプの明かりが近づいてくるのも見える。
 こんな時間に、面会? 誰に? 誰が?

 訝しんでいると、ランプと足音は、私の牢の前で止まる。
 ランプを持つ男がフードを跳ね上げると、そこには懐かしい顔があった。

「――お久ぶりです、エルヴィン陛下」

「久しぶりだな、オティーリエ。
 体調は大丈夫か? ここの環境は、あまりに劣悪だ」

 エルヴィン陛下はランプを地面に置くと、近くに転がっていた椅子を引き寄せて、座った。
 互いに無言のまま、時間が過ぎていった。

「すまなかった、オティーリエ。
 お前の献身で、アンダールス王国は救われた。
 だが俺は――お前を救えなかった」

「何をおっしゃいますか。
 私もまた、救われました。
 もちろん、良いことも、悪いことも、ありました。
 苦しいことも、悲しいことも、恥辱に歯を食いしばることも。
 ですが私は、幸せでした。
 だって私は、自由を貰えたのですから」

          ■

 私がここに至った経緯は、実に簡単だ。

 私の父――ハヴェル公爵は、その権勢を利用し、本来はもっと早く終わるはずだった戦争を、ダラダラと引き伸ばしていた。
 言うまでもなく、これはアンダールス王国に大きな負担と、国際的な悪名をもたらした。
 けれど戦争が長引くことで、得をする貴族は、決して少なくない。
 父はそういった貴族たちを支持者とすることで、泥沼の戦争を演出し続けていたのだ。

 戦争を意図的に引き延ばすために、父たちは何でもやった。
 「敵による虐殺」の偽装。
 新聞を使った、軍事情報の漏洩。
 誘拐に、脅迫に、暗殺。

 父とその一派は大いに潤い、私はそのおこぼれに預かる形で、思うがままの贅沢を許された。そして私はそれを、公爵家なのだから当然のことだと信じきっていた。
 好奇心に駆られるがまま、こっそり市場に出向いたとき、たまたまエミーリア嬢に会うまでは。

 私はすぐに、エミーリア嬢が天才だということに気づいた。
 そしてその才能を、自分のものにしたいと思った。
 父にお願いすれば、彼女を手に入れられると思った。

 でも侍女たちは、そんな私を止めた。
 あの父が、平民を屋敷に入れるはずがないからだ。
 私は渋々納得し、侍女たちが提案する「次善の策」に乗った。
 つまり、彼女と「友達」になるのだ。
 そうして彼女に学園の特別枠のことを教え(そもそも彼女はそんな枠があることすら知らなかった)、学園に入学させることができれば、彼女はきっとそこで突出した成績を残す。
 こうなれば、父だってエミーリア嬢を手に入れようとするに違いない。

 そんな打算含みでスタートした「お友達」計画は、私の世界を根っこからひっくり返していった。
 父が私に教えてくれた世界と、エミーリアが見せてくれる世界の間には、あまりにも大きな差があった。
 私は躍起になって、その「差」を否定しようとした。
 でもエミーリアの新しい妹がこの世に生まれ落ちてすぐに息を引き取り、母親もまた産褥熱で亡くなったとき、私はこの世界の本当の姿と、自分の無力さを思い知った。

 妹と母を一度に亡くし、それでも涙をこらえて弟たちの面倒をみるエミーリアの姿を見たとき。
 そして、彼女の家の、粗末な台所の隅で、声を殺して泣いている彼女の背中をそっと抱きしめたとき。
 私は、思った。
 私も、彼女のような人間になりたい、と。

          □

「お前は自由を得た、か――ああ、そうだな。
 俺も、マルツェルも、ミロスラフも、テオドルも。
 気がつけば結局、『俺たちが一番嫌っていた大人』になってしまった。
 前例、伝統、慣例に雁字搦めな――しかもそれを若い連中に強制する、そんな大人にな」

「伝統や前例は、大切なものかと思いますよ?
 私は好き勝手にやってきましたけれど、だからこそ、『こうすれば少なくとも大失敗はしない』というノウハウが保たれている世界を羨ましく思ったこともあります」

 エルヴィン陛下はため息をつくと、軽く首を横に振った。

「俺も伝統を全否定するつもりは、ない。
 だが伝統に甘えるのみならず、信奉するようであっては、いずれ国は滅ぶ。
 伝統は常に検証され続けてこそ、真の価値を産む――そうではないか?」

「懐かしいですわね。
 その言葉を陛下に向かって言い放ったエミーリアは、本当に格好良かったですわ。私、あれで改めて、彼女に惚れなおしましたもの」

          ■

 エミーリアを目標に掲げた私は、すぐに高い壁にぶつかった。

 そもそも彼女は天才だ。そこに追いつこうとすれば、並の努力では及ばない。いや、私では努力したって、追いつけない。かろうじてついて行くのが、限界だ。
 でも私は、エミーリアが輝くような笑顔で「オティーリエ様! 私、思いついてしまったんです!」と打ち明け話をされたときに、彼女が何を言っているのかさっぱりわからないような人間にだけは、なりたくなかった。

 私は、なんとしてもエミーリアに追いすがりたかった。

 父は「女には学問など不要」という価値観の人間で、私も学問なんかよりは流行やお洒落に詳しいほうが大事だと信じてきた。公爵令嬢として、学園には無条件で入学できるのだから、勉強する必要もない。そうやって、日々楽しく生きてきた。
 だから私は入学までの間、遅れを取り戻すため、死にものぐるいで勉強した。エミーリアに、勝てなくてもいい。というか、勝てるまい。でもせめて2位を取らねば、恥ずかしくてエミーリアにあわせる顔がない。

 学園に入学して最初の試験では、エミーリアは満点を取り、私は満点に2点足りなかった。でも、目標だった2位には滑りこんだ。
 私は嬉しさのあまり、思わずエミーリアに「次は私が勝ちます」と宣言していた。無論エミーリアも「私だって負けません」と返してきたので、私たちは笑って握手を交わした。
 思い返してみれば、迂闊なことをしたものだ。あの一言のせいでエミーリアには、「希代の才女であるオティーリエ様に喧嘩を売った、不埒な平民」というレッテルが貼られてしまった。そして私の――正確に言えばハヴェル家の――取り巻きが、エミーリアに対する苛めを始めてしまったのだ。

 私は、取り巻きの行動をコントロールできなかった。
 これは完全に、私のミスだ。
 私は勉強に夢中になるあまり、ハヴェル家にとってどの家が重要で、どの家が重要でないか、あまり把握してこなかった。エミーリアへの苛めを主導している取り巻きを叱責したら、その子の親はハヴェル家にとって絶対に欠かせない家だった――こうなったが最後、実利派の父は素早く私を学園から引き剥がし、私を籠の鳥にするだろう。

          □

「俺はあの頃、エミーリアが視界に入っていなかった。『試験の成績などで人間の価値が決まるものか』と思っていたからな。だから彼女が苛められていることにも、気が付かなかった。
 彼女のことを初めて知ったのが、お前の『お願い』がきっかけだったというのは、今でも恥ずかしく思っているよ。
 もっともあの『お願い』は、今のお前からは到底、想像しがたい姿だったが」

「誰にでも、『初めて』はありますわ?
 あの頃は、陛下におすがりする以外、思いつかなかったんです。
 幸い陛下は私の婚約者でしたし」

 『婚約者』という言葉を聞いたエルヴィン陛下は、苦笑いを浮かべる。

「婚約者、か。
 100歩譲ってエミーリアに気づかなかったのは仕方なかったとしても、お前がエミーリアのことを気にかけていたことにまで気づいていなかったのは、婚約者失格と言われても仕方あるまい。
 あの後何度も、もっと前から、お前のことをちゃんと婚約者として見ていればと、後悔した。
 今となっては、無様な言い訳にすぎんが」

「結果論ですわね。
 私は、ベストを尽くしたと思っています。
 陛下も、ベストを尽くされました。
 少しでも陛下のお役に立てたなら、嬉しいですわ」

          ■

 状況を打開するために、私は婚約者であるエルヴィン王子を頼った。
 この国を根底から変革できる才媛であるエミーリアを、殿下の力で守ってもらえまいか、と。
 私のコーディネートでエミーリアと直接会話する機会を得たエルヴィン王子は、私の申し出を受け入れてくれた。エミーリアの持つ才能の大きさを熱く語るエルヴィン王子の横顔は、今もはっきりと思い出せる。

 そしてこれが、当時の学園における最強にして最も高貴な秘密クラブである「エミーリアを守る会」が結成された瞬間でもあった。

 エミーリアを守る会には、やがて王子の悪友たる三馬鹿も加入した。

 マルツェルは筋肉馬鹿だが、口の堅さと王子への忠誠には疑う余地もない。それに無口(実際には深くものを考えられないだけ)なところが女子生徒に好まれ、ファンも多かった。

 ミロスラフは数学こそ得意だが、実際にはただの数学オタクでしかなく、一芸を妙な方向に極めた男だった。口は軽いが喋りはあまり面白くないという最悪の組み合わせながらも、甘いマスクのせいで女子生徒の間では人気が高い。

 テオドルは三馬鹿+王子の中では一番賢い人物で、試験では私と2位を争う関係だったが、いかんせん貴族社会しか見えていないせいか、頭が硬かった。しかも、やけに体が弱い。でも横から見るとそれが怜悧で病弱な秀才に見えるらしく、これまた女子生徒に人気があった。

 人格と能力はともかく、エミーリアを守る会的に言えば、彼らは女子生徒に人気があるというのが重要だ。
 つまり、例えばマルツェルがエミーリアを庇護するような態度や発言をすれば、「マルツェル様がそうおっしゃるなら」と、一時的であったとしてもエミーリアに対する風当たりは弱まる。はずだ。

 無論、結果としてエミーリアに「王子とその取り巻きにチヤホヤされていい気になってるんじゃないわよ!」的な逆ギレを起こす生徒が出る可能性は、ある。というか、高い。
 だが、ことここに至ったら、いよいよ私の出番だ。
 私は、王子の婚約者だ。だから「王子とその取り巻きにチヤホヤされていい気になっている」と言い出すのであれば、婚約者としての立場からその言葉を咎められる。「私の婚約者とその親友が、どこぞの馬の骨ともしれぬ平民に色目を使うような人間であるとおっしゃりたいの?」というヤツだ。

 ともあれこの2段構えの作戦は功を奏し、エミーリアに対する苛めはぐっと減った。

          □

「国王として発言するなら、お前にはどんなに感謝しても、感謝したりない。
 学園で孤立していた偉大な才媛を守りぬいただけでなく、ハヴェル家に裁きを下すチャンスを与えてくれたうえ、ついにはその残党まで完璧に炙りだしたのだから。
 お前の働きと覚悟があればこそ、ハヴェル家が引き伸ばし続けてきた、あの長く陰惨な戦争に終止符を打つことができた。そしてまた、この国を富ませ、民を安んじることができたのだ」

「お褒めに預かり、光栄です。
 でもそれは、皆様のお力があってこそ、です。
 私一人で成し得たことでは、ありません。
 それに私は、つまるところ、エミーリアを守りたかっただけですから。父を廃したのは、手段に過ぎません」

          ■

 エミーリアに対する苛めを抑止した「エミーリアを守る会」だが、やがて次の問題が持ち上がった。
 父から私に、すぐに学園を辞めて、家に戻るようにという命令が下ったのだ。

 ここにもまた、私のミスが絡んでいる。

 父は真顔で「女は馬鹿なくらいが丁度いい」と言い放つ、人類というよりは昆虫に近い生命体だ。だから私が学園の定期試験で毎回2位か3位を取るたびに、むしろ渋い顔をしていた。
 母もまた「学問は女の幸せを妨げます」と真顔で説教してくる人だったので、私は長期休暇のたびに家で孤立無援な立場に追い込まれていた。

 だが、だからといって勉学をサボれば、エミーリアについていけなくなる。
 彼女に「やっぱりオティーリエ様はすごいです。私なんかの話を、真面目に聞いてくださるなんて」と言われるのは、私にとって至福の瞬間だ。それを手放すだなんて、あり得ない。

 でも、私はまだまだ愚かだった。
 親の意志に反することが、何を招くのか。私は、理解していなかった。

 自分の「説教」に逆らって勉学に励む娘を訝しく思った父は、私が学園に行っている隙に、私の部屋を捜索した。そして私の蔵書の中に、父のポリシーとは相容れない思想――いわゆる啓蒙派に属する思想――が混ざっているのに、気がついた。
 さらに悪いことに、その本にはエミーリアの名前が書いてあった。
 実はその本は、彼女が欲しがっていたので誕生日プレゼントに贈ったら、「すごく面白かったからオティーリエ様もどうぞ」と貸し出されていた一冊だったのだ。表紙をめくったらエミーリアの名前が書いてあって、「自分のものには何にでも名前を書く癖だけは、エミーリアの弱点ですわね」と苦笑したのだが、その悪癖がここにきて、大きな爆弾となった。

 私を学園から退学させるという要求は、あわや通る寸前まで行った。
 だが子弟を学園で教育するというのは、王国貴族の義務でもある、らしい。
 状況に慌てたエルヴィン王子がテオドルに相談し、テオドルが古ぼけた法律書からそれが「権利」ではなく「義務」であることを発掘した結果、父はいったん引き下がった。

 が、父は政治家だ。自分の要求が通らないとなると、今度は私が学園に残る代わりに、エミーリアを退学させろと迫ってきた。エミーリアは平民なので、学園で学ぶ義務はない。

 父にしてみれば、「娘についた妙な虫を払う」程度の考えなのだろう。
 だが「エミーリアを守る会」はこれを宣戦布告と捉えた。
 というか、私がそのように誘導した。

 私は、怒っていた。怒り狂っていた。
 たとえ父といえども、エミーリアを害させはしない。
 絶対に。

 だがこれは、決して簡単なことではない。
 エミーリアに対する退学要請は、エルヴィン王子にお願いして、彼の父親に泣きついてもらうことで、なんとか回避した。さすがは国王パワー。でも、これによって、国王陛下は父に「貸し」を作ってしまう。
 そこの帳尻を合わせるため、私はマルツェルに頼んで、陛下と面会する機会を作ってもらった。マルツェルの父は王国軍の大将で、マルツェルは将来的に近衛兵団への入隊が内定している。なので、マルツェルが訓練で王宮に向かうとき、その従卒としてこっそり同行したのだ。
 国王陛下は私の提案に驚愕したが、すぐに計算を終わらせたようで、私たちは固い握手を交わした。御前を退いた後、マルツェルが「寿命が100年は縮んだ」と呟いたのを、覚えている。まったく、算数すら怪しい男だ。

          □

「ただまあ、例の直訴の件は、俺も肝が冷えたよ。
 直訴は、一歩間違えれば、公爵令嬢といえども死刑台に直行だ。
 だから、腹も立てた。いくらなんでも危ない橋を渡りすぎだ、と。
 それから、憤りもした。なぜマルツェルなんだ、なんで俺を頼らない、とな。
 まあ、若かったんだな」

「幾重にもルールを破った、あってはならない直訴です。
 殿下を直訴の仲介にした挙句、私が交渉にしくじったら、殿下の責任も問われますからね。
 でもマルツェルなら、脳筋には代わりがいくらでもいますし」

「マルツェルには聞かせられんな。
 お前は実に、悪い女だ」

 私たちは、静かに笑った。
 もちろん私も、マルツェルなら使い潰していいと本当に思っていたわけではない。リスクについては、マルツェルにもよくよく説明した(かなり苦労した)。それでも彼は、私のために、そして国のために、危険を犯してくれたのだ。何の見返りも、ないのに。
 あれこそが、騎士なのだろう。その後、私は様々な「騎士」に会い、話をする機会を得たが、マルツェルほど高潔な騎士には、ついぞ会えなかった。

          ■

 私は、状況を逆手に取ることにした。

 エミーリアの退学を迫ったのは、私の父だ。だがそれは、「私が父におねだりして、目の上のたんこぶを排除しようとした」のだという噂を流した。
 そして父から申し渡された命令である「エミーリアとつきあうな」という命令もまた、私が発案した示威行為である、ことにした。つまり「公爵令嬢が公爵にお願いして、エミーリアを『公爵にとっての敵』と見做させた」という噂を――いやこれはトータルで見ると半分ほど真実なのだが――作り上げた。

 この段階で、「エミーリアを守る会」に、エミーリアも巻き込んだ。まさかの本人バレ。恥ずかしさのあまりに死にそうになったが、仕方ない。
 私は、父を倒さねばならない。なりふりなど、構っていられない。

 それから、「エミーリアを守る会」の下部組織として「貴族研究会」を立ち上げた。貴族の誇りや名誉を学びまた守るためのクラブというのが、表向きの活動目的だ。もちろん、トップは私だ(ちなみにこれを父に報告したら、学園関係の話題で初めて褒められた)。
 貴族研究会の真の目的は、エミーリアに対して私が様々な嫌がらせをしているという「事実」を固めることにある。
 研究会の場で私は「平民がうろちょろしているのは不愉快ですわね」といった発言を繰り返したり、エミーリアが持っている扇(購買部販売品)と同じ扇を仕入れてきて、それをわざと壊すといったパフォーマンスをしたりした。
 扇について言うと、エミーリアにはその日うちにエルヴィン王子から新しい扇が贈られたので、外見上は「私がエミーリアの扇を壊し、エルヴィン王子がエミーリアに新しい扇を贈った」ことになる。こうして壊した扇も、貴重な証拠品だ。

 同時に、「エミーリアを守る会」もフル活動した。
 私が表立ってエミーリア苛めを始めたのだから、私の取り巻きは当然、これに乗る。だからこそ、「エミーリアを守る会」の総力を上げて、エミーリアを苛めから守らねばならない。

 なんとも幼稚なマッチポンプだが、勝算はあった。
 父を含め、現役の貴族たちから、学園は「若き日にハメを外す、最後の機会」程度にしか思われていない。その学園に通って青春の日々を謳歌するガキどもが親を陥れるような罠を張るはずがないし、万が一、仕掛けられたとしても、一蹴できる――そんな油断が、当時の貴族社会には、明らかに蔓延していたからだ。

 どんな老獪な政治家相手でも、一度の奇襲で勝負をつけられれば、勝てる。
 私は、それに賭けた。
 たとえ父であっても、背後から身内に刺されたその一撃が致命傷になれば、立ち直れないはずだ。

 私は、ハヴェル家を滅ぼさねばならない。

 なぜなら父は、エミーリアを明確にマークしたからだ。
 エミーリアが学園という庇護を失えば、父は「娘に悪影響を与えた」エミーリアを、排除する。おそらくは、物理的な手段で。
 そして父が生きている限り、その試みがいつ実行されるかは、誰にも分からない。確実にこれを阻止するためには、ハヴェルの家そのものを滅ぼすしかない。

 それが父を殺すことになろうとも、構うものか。
 エミーリアの敵は、私の敵だ。

 そして運命の日、すべての証言と証拠は揃った。
 エルヴィン王子が献上した資料を確認した王は、事前の打ち合わせ通り、「王妃に相応しくないことは明白」として王子と私の婚約を解消。
 慌てた父は私を勘当したが、「娘が将来の王妃になる」ことを前提として派閥を強化しつつあった父は、空手形に落胆した大量の派閥離脱者を前に、完全に詰んだ。そして、そういった離脱者のうち何人かは「ハヴェル家の悪行の証拠」を手土産として、別の派閥に鞍替えした。

 かくして、ハヴェル家は滅びた。父は処刑され、母は幽閉された。
 勘当された私も捜索されたが、近衛部隊は私を発見できず、やがて私は死んだものと見なされるようになった。貴族の箱入り娘が庶民の世界に放り出されれば、待っているのは死しかないのだから。

          □

「そういえば陛下、ひとつだけ教えて頂けませんか?
 私は自分なりに準備を重ねて、父に勘当されたあとは完璧に身を隠したつもりでした。実際、近衛には見つけられなかったわけですし。
 どうやって陛下は、私を見つけられたのです?」

「見つけたのは俺じゃあない。ミロスラフだ。
 俺は、お前に頼るほか、なかった。だが俺では、お前を見つけられなかった。
 だからミロスラフに頼んだ。あいつがよく分からん方程式をこねくり回して、お前がいる確率が一番高い場所を計算した。それに従ってみたら、お前がいた」

 なるほど、それは驚きだ。
 ミロスラフのことはただの数学オタクだと思っていたが、キモい数学オタクだった。もちろん、この場合の「キモい」は、最大級の賛辞。

          ■

 ハヴェル家が倒れてから5年ほど経って、ときの国王陛下が崩御し、エルヴィン殿下が新しい国王となった。

 歴史的な成績を残して学園を主席で卒業したエミーリアは、国王への忠誠も篤いスカルニーク家の養女となり、エミーリア・スカルニーコヴァとして、エルヴィン陛下と結婚した(私も影からこっそり、エミーリアの晴れ姿を堪能させてもらった)。
 エルヴィン陛下は、「私が学園を去った後は、あなたがエミーリアを守ってほしい」という願いを、最高の形で叶えてくれたというわけだ。もっとも、エミーリアを独占する立場を得たエルヴィン陛下に、軽い嫉妬を覚えなくもなかったが。

 一方、そのころ私はといえば、とある犯罪結社の庇護下にあった。
 王国の追求から身を隠すなら、王国のルールに従わない組織を使うしかなかったからだ。

 最初はただの客だった私だが、犯罪結社の会計事務やら書類仕事やらのあまりの非効率性を見るに見かねて手伝っているうちに、気がついたら金庫番にまで成り上がっていた。
 ボスは「俺と寝れば副長にしてやる」と言うが、そこまで身を落とすつもりもなかったし、ボスも半分は冗談で言っていることだ。真に受けるのも、バカバカしい。

 そんなこんなで慌ただしくも充実した毎日を送っていると、ある夜突然、即位したばかりのエルヴィン陛下が、私の家を訪ねてきた。
 内心「このヤサは捨てなきゃ」と舌打ちしつつ陛下を迎え入れた私は、そこでまたしても驚くべき言葉を聞くことになる。

 陛下の言葉――いや、要望――は、エルヴィン陛下があまりに若くして即位したため、チャンスとみた旧ハヴェル派が活性化しはじめているので、これを叩きたいという、とんでもない話だった。

 だがすぐに、それが必要なことと、私ならばそれができることに、気がついた。

 私はハヴェル家の遺児だ。
 旧ハヴェル派が旗印にするには、最高のお人形なのだ。

 かくして私はボスに暇を請い、旧ハヴェル派の集まりに顔を出すことにした。
 手引きしてくれたのは、マルツェルだ。彼は旧ハヴェル派から「与しやすし」と見られており(実際そうだと思う)、それに乗じて見事に潜入に成功したのだ。
 ちなみに、マルツェルのあまりにもクレバーな対応がどうにも信じがたかったので、本人に「本当に大丈夫? 騙されてない?」と確認したところ、「俺だって成長する」とぶっきらぼうに言われた。
 彼の言葉に著しく不安にはなったものの、彼が成長していたのは事実だった。私は無事、旧ハヴェル派に受けいれられたのだ。

 私は時間をかけて旧ハヴェル派を糾合し、必要に応じて粛清を行ったり、女の武器を使ったりして、旧ハヴェル派を一枚岩の、強い派閥へと育て上げた。私の目から見ても烏合の衆だった旧ハヴェル派を、裏切り者も、臆病者もいない、ひとつのファミリーへと作り変えたのだ。
 裏社会において大きな影響力を持つに至った旧ハヴェル派は、反エルヴィン派筆頭へと成長した。
 時流を掴んだ確信を得た私は、有象無象の反エルヴィン派を派閥内に取り込んだ。その過程で少なからぬ血が流れたが、私は冷酷かつ断固たる態度を示し続け、ファミリーはさらに拡大していった。
 そして、気が付くと私は、〈黒の聖女〉という、ありがたいんだかありがたくないんだか良くわからない二つ名で呼ばれるようになっていた。だがこの二つ名は、ファミリーを強化するにあたっては、大いに役立った。

 しかるにエルヴィン陛下の訪問を受けてから5年後、反エルヴィン派は「内部からの密告」によってアジトを特定され、近衛部隊に踏み込まれる。
 〈黒の聖女〉を筆頭に、反エルヴィン派の主要人物は全員逮捕され、〈黒の聖女〉を支援していた貴族も芋づる式に捕らえられていった。

 そして今、〈黒の聖女〉――もとい私は、地下牢にいて、なぜかエルヴィン陛下と2人で、明日の処刑を待っている。

          □

「オティーリエ。俺も、お前に聞きたいことがある」

 エルヴィン陛下は、すっと居住まいを正した。

「お前は、この国に仕える気はないか?
 俺は、弱い。あまりにも、未熟だ。
 俺だけじゃない。
 マルツェルも、ミロスラフも、テオドルも、まだまだ未熟だ。
 この国には、お前の力が必要だ。
 どうか、この国のために、お前の力を貸してくれ」

 真剣な顔で私の目を見て話す陛下の言葉を聞きながら、私は「エミーリアを守る会」を立ち上げたときのことを、思い出していた。
 あのときは、こんなふうに、私が陛下にお願いをしたのだった。
 そういう意味では、私は陛下に借りがある。

 でもやはり、無理なものは、無理だ。
 私は静かに、首を横に振る。

「失礼ながら、私はこの国の行く末に――いえ、この世界の行く末に、興味がありません。
 エミーリアが死んだ世界に、未練はありませんから」

 エミーリア妃は、次々に大胆な政治改革に着手した。
 図書館の整備や教育システムの改革。
 度量衡の統一と、それをベースにした街道の再整備。
 宮廷の公職として天文学者を雇用し、海運の発達にも力を注いだ。
 そしてどの政策も、大きな投資に見合った、大きな収益を王国にもたらした。

 そんなエミーリア妃が特に力を入れたのが、医療と衛生の強化だった。
 だが、それが仇となった。
 診療所の視察を終えたエミーリア妃は、病に倒れた。
 そしてたった5日のうちに、その偉大な叡智は、天に召された。

「ならばもう一つだけ、聞かせてくれ。
 オティーリエ――俺と、結婚してくれないか?
 国のためでなく、世界のためでなく、俺のために、俺の横に立ってはくれないか?」

 エルヴィン陛下は、なおも食い下がった。
 その気持ちは、わからなくもない。エルヴィン陛下とその幕臣は、いかんせん、潔癖に過ぎるきらいがある。これは間違いなくエミーリアの影響でもあるので、私としては好ましいことなのだけれど、国家の政治となれば、潔癖なだけでは務まらない。
 私のように涼しい顔で汚れ仕事を片付けられ、かつ個人的に信頼できる人間を、陛下は何が何でも捕まえようとしている。

 私は、目を閉じる。
 それから、静かに、長く、息を吐いた。

 私は、この人の必死さを、愛しいと思う。
 そして、どこまでもまっすぐな、愚かしくさえあるほどにまっすぐなこの人を、心の底から尊敬する。
 エミーリアを射止めるにふさわしい、誠実で、優れた統治者だ。

 でも。

「お断りいたします。
 陛下が、汚れ仕事ができる人間を欲しておられるのは、理解できます。
 ですが玉座に座る者であれば、そういう人間との間には、取るべき距離というものがあります。
 あなたの横に立つには、私はこの手を汚しすぎました。
 〈黒の聖女〉が成した悪行の伝説は、少なくとも3割ほどは、真実なのですから」

 エルヴィンの瞳が、揺れる。
 彼だって、自分が無茶苦茶なことを言っていることくらい、わかっているはずだ。そして今から、さらに無茶苦茶なことを言おうとしていることも。
 それを言えば、彼のみならず、私をも傷つけるだろう。
 そして彼は、私を追い打つように傷つけたことに、深く苦しむだろう。

 それでも彼は、言うしかない。彼が、彼であるために。
 厚顔無恥な言葉であることを自覚してなお、その先に国家と民の利益があると信じるなら、最後まで粘る。
 それは英明なるエルヴィン王にとって、避けられない、茨の道。

「――もし、同じ願いを、5年前に俺が口にしていたら。
 あのときなら、受け入れてもらえたか?」

 私は、彼の瞳を、まっすぐに見る。

「わかりません。受けたかもしれない。断ったかもしれない。
 ですがひとつだけ確かなのは、今は5年前でも――そして10年前でもない。
 それだけです」

 そっと、エルヴィン陛下が目を伏せる。
 そしてゆっくりと、長い時間をかけてため息をつくと、小さく頷いた。

          □

 エルヴィン陛下は、去った。
 ランプを置き去りにしたのは、少しでも明かりがあったほうがいいだろうという、彼なりの心遣いか。

 ゆらめくランプの炎を見つめるうち、私は妙に眠くなってきた。
 そして今頃になって、エルヴィン陛下は陰謀家としての私ではなく、私個人を欲していたのかもしれないということに、思い至った。

 もしそうだったとしたら。

 私は少しだけ、驚いていた。
 その可能性を考えることが、決して不快ではないことに。

 もしかしたら私もまた、あの人に恋をしていたのかもしれない。
 そんなことを考えながら、私はいつしか、深い眠りの淵に落ちていた。

          □

 目が醒めると、なぜか、豪華なベッドの上にいた。
 おかしい。私は処刑されるはずなのでは? それとも恩赦?
 いや、恩赦でどうにかなるような罪状ではない。私の罪の筆頭は、反逆罪なのだから。

 ……などと混乱していると、扉が開いて、テオドル――確か今はテオドル司法局長――が入ってきた。
 私は軽く、眉をひそめる。

「驚かせたかもしれないが、状況を説明する。
 〈黒の聖女〉の処刑は、つつがなく執行された。
 薬物の濫用で正気を失った〈黒の聖女〉の最期は、実に無残だったよ」

 なるほど。私の隣に収監されていた女は、私の身代わりだったのか。
 だが、ならば私をどうするつもりなのだろう?
 仕官の誘いも、プロポーズも、断ったはずだ。
 無理矢理にでも働かせようという方向性なら、分からなくもないが――

「陛下が残していったランプには、時間とともに、特殊な気体が発生する仕組みになっていた。まあ、お香の原理だな。
 その気体を吸い込んだ君は、ほぼ3日ほど熟睡していたというわけだ。
 その間、事後承諾で申し訳ないが、いろいろと処置をさせてもらった」

 テオドル司法局長は、私の前に手鏡を突き出す。
 鏡の中には、見慣れぬ顔があった。

「君の顔は、売れすぎている。
 王家の間者の間に伝わる秘密の処置を行い、人相を変えさせてもらった。
 もっとも、女性の容貌を勝手に操作するなど、私としては許し難い所業だ。
 不満があれば、優先的に対処する」

 相変わらずの杓子定規っぷりに、思わず苦笑する。
 ああいや、これは杓子定規ではないな。幾多の女子生徒を魅了した、彼の「紳士」としての、可愛らしい一面だ。

「文句のあろうはずもありません。
 昔より美人になってますよね、これ?」

「そうか? 私としては、昔の君のほうが魅力的だった。
 だが君に異存がないなら、話を先に進めよう。
 旧『エミーリアを守る会』の会員から、君宛に匿名の寄付金が集まっている。詳細はこの書類を。こちらが寄付金を下ろすための手形だ」

 渡された手紙を、ちらりと見る。
 そこには割りと驚くような金額が書かれていた。

「一生慎ましやかに生きていくことくらいは可能な金額ですね、これは」

「家の格にふさわしい生活をしてもいいんだぞ?」

 2人で小さく、笑う。

「ありがたく、受け取ります。
 今度は悪事に手を染めないようにして、生きようかと」

「そうしてくれ。
 偽りの告発と弾劾を2回もさせられた、私の身にもなってほしいものだ」

 確かに。彼には学生時代の最後に1回、〈黒い聖女〉の裁判で1回、あることないこと喋ってもらっている。「嘘はつかない、法は守る」のがポリシーの彼にとっては、心楽しからざる思い出だろう。

「この部屋は、今日を含めて、一週間使える。
 使用人もいるから、身の回りの世話には不自由しないだろう。
 なお、医者は少なくともあと3日は休養しろと言っていた。
 が、それを守るかどうかは、君次第だ」

 私は小さく頷く。
 それを見て、テオドルは「以上だ」と言うと、踵を返した。

 でも部屋を去り際、彼はふと振り返ると、こう言い残していった。

「エミーリア妃は最後まで、君のことを心配していた。
 『オティーリエ様のようになりたい』『オティーリエ様ならこんなとき、もっと上手くやれた』『私ではオティーリエ様にかなわない』の3つが、エミーリア妃の口癖だった。
 私にはまだまだ、人間の心の機微は、分からない。
 だがこのことだけは、伝えておかねばならないと思ったので、伝えておく」

          □

 〈黒の聖女〉の死刑が執行されてから、半年が過ぎた。
 私はいま、船の上にいる。

「オーナー! 出港準備ができましたぜ!」

 いかにも海の男といった風情の船長は、もともと百戦錬磨の海賊だったらしい。まあ、元〈黒の聖女〉が雇うには、お似合いだろう。

「わかりました。出港してください」

「ヨーソロ! てめえら、出港だ!」
「アイアイ・サー!」

 船は、ゆっくりと岸壁を離れていく。
 しばらく、この国の風景も見納めだ。もしかしたら、これが最後になるかもしれないが。

 あれからいろいろ考えて、私は受け取ったお金で、とある冒険家のスポンサーになることにした。
 この冒険家は、「陸地つたいにどんどん南に行けば、いつか必ずバラートの地にたどり着ける」と主張している。バラートの地というのは、私達と同じ信仰を持った、遠い遠い祖先が住んでいると言われる、伝説の地だ。

 だが教会は、「この世界には終端があり、そこから先は虚空へと海がなだれ落ちている」と教えている。
 この点について冒険家に問いただしてみたところ、「そんな勢いで海の水がなくなってるなら、それと同じ勢いで海の水がどこかで増えてなきゃいけない。でもそんなに雨、降ってないですよね?」と語ってくれた。なるほど、実に隙だらけの理論だが、ひとつの考え方だ。

 とはいえ、彼の主張にはチグハグなところがある。「バラートの地」という、教会が教える伝説を探しつつ、教会が示す世界のありようを否定するのは、筋が通っていない。

 そこを指摘したら、「バラートの地って言っとけば、折り目正しいスポンサーがつきやすいかなと思ったんで」「本当に狙ってるのは、新しい航路ですね。秘密の新航路を見つけて、ボロ儲け。これに尽きます」と素直に白状したので、私は彼に投資することに決めた。

 ただし、出資にはひとつだけ、条件をつけた。
 わたしも、探検の旅に同行させること。

 探検家は「冗談じゃない」と言ったが、そこは譲れない。私はなんとしても、この目で新しい世界を見たい――いや、見なくてはならないのだ。

 かつてエミーリアは私に、「この世界は球体であるはずだ」という推論を語ってくれた。その推論はシンプルかつ力強く、反論の余地はなかった。
 でも王妃になったエミーリアは、その説を口にしなくなった。そんなことをしたら、教会と王家が正面衝突してしまうから。

 だから私は、エミーリアの仮説が正しいことを、証明しに行く。
 そして、伝聞ではなく、私自身が真実を見たと、この灰色の世界に向かって宣言する。

 エミーリアは、もういない。
 でもエミーリアの後を追うことは、できる。
 だから私は、彼女の後を追うのだ。

 どこまでも。

 いつまでも。



          ▼



 (前略)探検家スラヴォミール・ヘジュマーネクが指揮する船団は、南洋に向けて旅立った。これは当時の常識を覆す旅であり、多くの人々は「ヘジュマーネクは気が狂った」と語っている。
 だが約半年の航海の後、ヘジュマーネクは無事、アンダールス王国に帰還する。彼が持ち帰った見慣れぬ形状の金貨や、風変わりな木材、精緻な織物などは、南方に未知の富があることを多くの人々に確信させた。
 アンダールス王国は南方開拓における先駆者となり、エルヴィン1世は「航海王」の名で知られるようになる。アンダールス王国は南方との交易で大いに栄え、経済面でも文化面でも王国は最盛期を迎えた。

    ――アーネスト・ウィンセル:『世界の歴史』;2009

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