Insanity (狂気の沙汰)(6/7)PDFで表示縦書き表示RDF


Insanity (狂気の沙汰)
作:絵爾久万



6)


「どうしたの?」
 会社から帰り、自宅の玄関の前にたどり着くと、ドアの前に達也が立っていた。
「どうしたのって。君を待っていたんだよ。今日来るって約束しただろ?」
「ああ、そうだったね。なんだか色々な事があって疲れちゃって・・・」
 達也は突然背後から、いきなり私のコートの両ポケットに両腕を突っ込み、まさぐりはじめた。

「あはん、くすぐったい。達也・・・やめて。こんなところで。昨日最後までしなかったから、欲求不満になっちゃったんだ。エッチ!」
 すると達也は、私のポケットから鍵を取り出し、眼の前でブラブラ揺らして見せた。
「バーカ」 
 そう言って、すぐさま鍵を開け私より先に部屋の中に入った。

 達也が小型カメラをパソコンに繋ぎ、画像処理をしている間、私は食事の準備に取り掛かった。
 食事の支度ができたことを告げに行くと、達也は真剣にパソコンの画面に見入っていた。
 達也の見ているものが、私にはひどく恐ろしい物のような気がした。

「食事の準備ができたけど・・・」
 達也は何も返事をせず、ただ画面を真剣に見つづけていた。

「何か変なものが映っていたの?」
 私が問いかけると、達也は黙ったまま私の方を振り向いた。

「何が映っていたの?」
 恐る恐るパソコンに近づき覗き込むと、画面は既に停止状態になっていた。達也は椅子から立ち上がり、私に座れと合図した。
 私は黙ったまま椅子に腰掛け、目の前のパソコンの画面を見つめた。メディアプレーヤーの待ち画面が表示されていた。

「再生ボタンをクリックしてごらん」
 達也が言った。
 
 言われた通り、マウスの左ボタンをクリックした。

 正面にベッド、手前にはリビング・テーブル、右側に飾り棚、画面には見慣れた自分の部屋が映った。左手のキッチンは画面に入りきれずに切れている。
 何も動かない変化のない映像が暫く流れた。早送りをして行く。

「何これ?」
 画面の前を人影が通り抜けた。停止ボタンをクリックし、また少し戻ってみる。
 カメラの位置が低いため、首から上が映っていない。画質の状態も最悪だった。グレーのスウェット・スーツらしきものを着ている。顔は見えないが長い髪が肩にかかっている。
 人影はカメラの前を通り抜け、キッチン側へ消えていく。何度か往復した。キッチンの方から水の流れる音や、食器のぶつかり合う音などが聞こえてきた。また、動きのない映像が暫く続いた。

 女が戻ってきた。今度は画面にかなり近づいた。ワンピースに着替えたようだ。髪が肩にかかっている。見覚えのある、黄色い花柄のワンピース。
 リビング・テーブルの上にノート型パソコンを置き、女は足を投げ出し、その前に座り込んだ。低い姿勢になった女の顔が画面に映った。
 眼を凝らしてよく見る。

 鈍器で殴られたような衝撃が走った。
 それは紛れもない、私自身の顔だった。

「何これ?何よこれえ!!」
 信じられなかった。
 達也は、リビングテーブルの上で、頭を抱え黙りこくっている。

 パソコンの前に座り込んだ画像の中の私は、何やら真剣な顔つきでキーボードを打ち始めた。
 画面は見えないが、様々な機械音が聞こえた。テンポの速い音楽、信号音、警告音、銃撃音、爆破音・・・。

「ゲーム?・・・」

 インターフォンが鳴った。
 画面の中の私は立ち上がり、カメラの前から姿を消した。
 玄関のドアが閉じられる音がした。それからすぐに私はまたキッチンの側から部屋の中に現れた。
 私はベッドの方へと歩いて行く。そして、私の背後に男がついてくる。私がベッドの前で立ち止まり、後ろを振り返った瞬間、男はいきなり私をベッドの上に押し倒した。
 私の身体はベッドの上でバウンドした。男は私の上に覆い被さった。マスクをした男の顔が画面にあらわれた。
 下の階の住人だ。男は私のパンティーを力ずくで脱がし、荒っぽい動作でワンピースの裾をめくった。
 次に自分のマスクを外すと。めくったワンピースの裾の中に顔を突っ込んだ。

 私の鼓動は大きく波打った。しかし、その直後の映像を見て、私の身体は凍りついた。
 なぜなら、画面の中の私はマスクの男の前で両足を大きく広げ、嬉しそうに、高い声を出して笑っていたからだ。
 その後、男と私は来ているものを全部脱ぎ、男は私の身体の上に重なった。

「いったいどうなってるの?いったいどうなってるのよお!!」
 頭が狂いそうだった。
 私の記憶の及ばない所で、自分自身が男と全裸で抱き合い、喘ぎ声を出している。目の前に突きつけられた悍ましい姿が、自分自身のものだと信じることはできなかったが、実際映像の中にいるのはまぎれもない自分自身の姿なのだ。私はその状況をまったく理解できなかった。
 
 目頭が熱くなり、涙が溢れた。
 達也が後ろに立ち、私の両肩に手を掛けた。

「ねえ、だれ?誰なのこれ?あたしじゃない。あたしじゃないでしょ?ねえ。達也ったらあ・・・」
 私は達也の腕にしがみ付き、泣きながら訴えた。

「香奈だよ」
 達也は冷静な口調で言った。
「カナ・・・?誰それ・・・」
「君の中のもうひとりの君・・・」
「私の中の。もうひとりの私?・・・」
「そう、もうひとりの君。名前は香奈。ああ、だけど、君とあいつがこんな事までしていたなんて。ぼくも今、この画像を見て驚いているところだよ」
「私じゃない!」
「ぼくだって信じたくないよ。君がぼく以外の男とこんな事をしていたなんて!」
 今度は、達也が頭を抱え込んだ。

「嘘でしょ?何かの間違いでしょ?」
「嘘じゃない。君は、仕事なんかしてないし、会社になんか行ってない。こうして毎日朝から晩までゲームをしてるんだ」
「何を言ってるの?」
 私は達也の言葉の意味が、理解できなかった。

「いや、正確にはゲームをしたり、男を連れ込んでセックスしたりしているのは君ではなく君自身の中のもうひとりの君。君から解離した虚像の香奈という人物なんだけどね」
「わからない」
 頭が締め付けられた。

「仕方がないよ。君が香奈として行動したことを、君はほとんど記憶していないからね。しかし、ぼくの言っている事はすべて事実だ。ぼくは君の選任精神鑑定医のひとりとして指定され、君の精神鑑定をした。そして君は法的な責任から免れることができた。何故なら君は重度の精神分裂病と解離性同一性障害と判断された」
「私がいったい何をしたっていうの?達也の言っていることがわからない?私は毎日決まった時間に起きて仕度をして、電車に乗り会社に行ってるわ」
「ゲームだよ」
「ゲーム?」
「ああ、ゲーム。カエル叩きも、人身事故も、異星人捜しも、全てゲームなんだよ」
「そんなこと、どうしたら信じられるっていうの?」
 達也は私の頭を両側から押さえ、画面に向かわせた。

「実際この映像を見れば判るだろ。会社に出勤している筈の君は昼日中に自宅でゲームをして、失業中の男と寝ているんだ。この花柄のワンピース見覚えがあるだろ。僕が君に買ってやったフェラオのワンピースだよ」
 涙が溢れてきた。頭の中が錯乱していた。
「部屋の中が片付いていたのも香奈・・・いや、実際は杏奈、君が自身がやっていることなんだよ」
「いやだーーーっ!!」

「症状は快方に向かっていたから、週に一度の面会で自宅での自立生活を許可したのだが、状況はどうやらまた悪化してしまったようだ。実際ぼくと君とは医師と患者の関係を超えてしまった。予定外の事だったがこれは仕方ない。僕は君を心から愛している。医者として、また君の恋人として君を守りたい」
「どうしたらいいの・・・」
「入院した方がいいだろう。君のためにも」
「入院?」
「僕が主治医だから、僕がいつも君の側に付いてあげられる。その方が安心だよ」
「いや」
「症状がよくなればまた通院に戻れるんだ。このままでは、君はまた何をするかわからない」
「何をするっていうの?」

 達也は窓際までゆっくりと歩いて行った。カーテンを少しだけ開けるとその隙間から外を眺めた。
 黙って外を見続ける達也に私は言った。
「ねえ、何をするっていうのよう!」
 達也はこちらを振り向いて言った。
「人殺しだよ」
「人を殺し?あたしが?・・・」
 まったく達也は何を言っているのだろう。私はそう思った。いつものように、ふざけて私をからかっているに違いない。
 こんな映像だって達也の造り物に違いない。そういう点では達也はマニアックなところがあるから、造ろうと思えば造れないことはない。
 だいいち、なんで私が人殺しをしなければならないのだろう。殺したいほど人のことを憎んだ記憶はない。
 記憶・・・・
 過去の記憶・・・・
 毎朝決まった時間に起きて、準備をして、バスに乗り、それから電車に乗って会社に行く。会社には佐藤課長や、よしこちゃん、丹羽さんに・・・
 ああ・・・それ以外に私の記憶していることは・・・
 頭の中が真っ白になった。

「君は同じ職場の上司を殺した。仕事中に花瓶を頭から振り下ろして。上司が醜く太っているというだけの理由でね」
「嘘・・・」
「そう。そして君が上司を殺害した瞬間に君の人格は解離し、香奈が誕生したという訳だ。君は君の中の悪の部分を香奈に支配させた。君は君の中から悪の部分を支配する香奈を追い出し、君の記憶の中の悪の全てを消去した。時々君の意識下で香奈の記憶が形状を変えて現れてくるが」
「わからない。達也の言っていることがまったく判らない」

「それも、当然だろう。理解できる筈はないんだ。それも意識下で君がバリヤーを作っているからね」
「そんな・・・。怖い。私はいったいどうしたらいいの?」
 寒気がした。背中がぞくぞくして身体が震えだした。
「だから僕と一緒に病院へ行こう。車を下の駐車場に停めてある。今から一緒に行こう」
 達也は強い力で、私をしかっりと抱きしめた。
「ずっと一緒に居てくれるの?」
「ああ、もちろんだよ。愛してるよ、杏奈」
 達也は私の眼を見つめて言った。












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