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Insanity (狂気の沙汰)
作:絵爾久万



5)


「やっぱり、俺はやめておくよ」
 翌日、階下のマスクの男の家の前まで来て、達也は突然言った。
「なんでよ。急に・・・」
「見ず知らずの俺が行って、不信に思われたらまずい。逆に怨みを買われたら、今度は本当に君がここに住めなくなる。それでは済まなくなる場合もある。とりあえず今日は今まで払ってなかった町内会費の事だけを聞いてくるんだ。僕はそこの陰で様子を伺っているから」
「うん。じゃ、もしなんかあったら来てよね」
「わかった」

 私は恐る恐る、マスクの男の家のチャイムを鳴らした。中で何か物音が聞こえたような気がしたが、何度押してもインターフォンには誰も出なかった。
 結局その日、マスクの男に会えることはなかった。


「よし、これでオッケーだ!」
 達也はテレビの上に置かれた、アロマポットの中に、盗撮用カメラをセットした。
カメラは達也が自作AVを作る為に持ってきたものだった。ベッドの上でのロール・プレイングといい、達也の趣味には私自身最近少し引いている。

「暫く僕の病院に入院するといいよ」
 達也が言った。
「入院?なんで?」
「杏奈は、疲れているんだよ。疲れているから変な妄想見たりするんだ」
「確かに疲れているけど、妄想なんかじゃない。私の事を心配する振りして、結局私の事信じてないのね」
 達也は私の両腕を掴んだ。
「僕はただ杏奈の事が心配なだけだよ。誰よりも愛してるんだ」
「絶対にいや。入院はしないわ」
「そっか、わかったよ。じゃ、明日の夜にまたくる」

 達也はそう言って帰って行った。



 翌日は、いつものように電車が遅れていなかった。私は珍しく遅刻をしないで出社した。
 会社に着くと、佐藤課長の机の上には花が飾ってあった。
「課長はどうしたんですか?」
 私は同僚のよし子ちゃんに聞いてみた。するとよし子ちゃんは、突然、目玉を大きく見開いて、私の前から逃げて行った。
 総務の丹羽さんにも聞いてみた。
 いつも穏やかな丹羽さんが、ガタガタ震えだし逃げて行った。
 周りの人たちも皆、遠巻きにして私を見ている。みんな恐ろしいものでも見るように。

――おかしい・・・

 明らかに、みんなの様子がおかしかった。いったい何が起こったのだろう。誰も、答えてくれない。まるで集団いじめだ。

「いったい、私が何をしたっていうのよーーーっ!!!」

 私は大声で叫び、課長の机の上を平手で叩いた。花瓶が大きく揺れ、床の上に落ちた。紅い花弁とガラスの破片が飛び散った。

 みんなは聞こえない振りをしていた。私はひどい疎外感を感じた。何よりも怖いのは大衆の中の孤独だ。仕方ないので私は帰ることにした。帰り際にエレベーターホールのところで警備員が私に言った。

「外には異星人がまぎれている。そいつらを殺らないと、お前が殺られるぞ。いざという時のためにこれをもっていけ」
 警備員は、緑色をした透明のプラスティック製の小さな玩具のピストルを私に渡した。
 
――狂ってる。みんな狂ってる。まともなのは私だけ・・・。
 私は思った。

 駅までの道をゆっくりと歩いた。
 パチンコ屋からひとりの老人が出てきた。両手を前にぶらんとたらし、ひょこひょこ私の方へ向かって歩いてきた。頭が異様に長かった。私の目の前で停まった。
「すみません。法華クラブにはどう行ったらいいんでしょうか?」
 老人は言った。

「法華クラブ?」

――あの警備員の言っていたことは本当だったんだ。
 私はポケットの中のピストルを取り出し、老人の頭に突きつけた。
「法華クラブはどこですか?」
 老人は言った。
 私は引き金を引いた。
 プラスチック製のピストルの銃口から青い光が、筋になって老人の長い頭に入っていった。老人はその場に倒れたが、すぐに炭化し、消えた。路上に老人の跡型だけが残った。

 運の良いことに、現場は誰にも見られていなかった。私はほっとしてまた歩き出した。私の前を足音をバタバタ響かせて少年が横切って行った。

――しまった。追っ手がすぐにやってくるに違いない。

 時間は無かった。私は急いで駅まで走り、人混みに紛れた。
 電車に乗れば、また行く手を阻まれるにちがいない。私は丁度目の前に停まった、路線バスに跳び乗った。

 平日の昼間のバスの中はガランとしていた。私は座席に腰掛け、車窓の風景を眺めた。
 無秩序に自己を強調しあう看板、、肩を寄せ合うようにひしめき合う木造の古い家々、崩れかけたビル、二足歩行のありんこども。それらゴミ色をした風景が私の視界から逃げて行った。どんどん逃げて行った。
 バスの窓には鉄格子が嵌められていた。気が付くと私の隣に座った男が私の手を握っていた。男は私の耳元に囁いた。

「今から、法華クラブに集結だ」

――まずい・・・。

 運良く男に握られていたのは左手だったので、私は右ポケットから拳銃を取り出し男の胸元に押し付けた。

「しまっておきなさい」
 男はその拳銃を見て笑いながら言った。

 馬鹿にしたような笑いだったので、私は無性に腹が立った。私は迷わず引き金を引いた。
 男の胸元に液体が滲み出した。
「冷たいから、止めなさい」
 男はそう言うと、力ずくで私から拳銃を奪い取った。

――ああ、もうだめだ!!!

 私は逃げ場を失った。
 
 












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